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海女でブス。.... 渋谷塔一

(02/11/30-02/12/20)


12月20日

Sings Offenbach
Anne Sofie von Otter(MS)
Marc Minkowski/
Les Musiciens du Louvre
DG/471 501-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1135(国内盤)
この1年、まんべんなくオッターの声を聴いておったー気がします。それは、シャミナードのオシャレな歌曲だったり、ある時はヘンデルのオラトリオだったり、コステロだったり、マーラーだったり。さすが現在最高のメゾ・ソプラノだけあって、レパートリーの多さには目を見張るものがあります。最近、彼女のベスト盤(2枚組)も店頭で見かけましたが、本当にありとあらゆる曲が収録されていたのには、全く驚きでした。彼女の歌の特徴は、なんと言ってもニュートラルなことでしょうか?それは、同じメゾ・ソプラノであるバルトリの歌と比べるとよくわかります。バルトリは良くも悪くも超個性的。(魔女役なんかをやらせたら彼女の右に出る者はいませんな)それ故か、レパートリーは今のところ限定されているようです。確かにバルトリのマーラーなんてちょっと想像もつきません。
さて、今回のオッフェンバック。これは文句なく楽しい1枚です。時は20011222日、パリのシャトレ座のライヴ録音です。
ミンコフスキとオッターは、以前からもアルヒーフレーベルから、ヘンデルなどに素晴らしい録音を発表していますね。その上、ミンコフスキは実はオッフェンバックの名手。例えばデセイの歌った「天国と地獄」なんて、もう絶品。最近も「美しきエレーヌ」のステキな録音も出てますし。そんな経緯で、今回のコンサートが実現したのでしょう。なんと言ってもオッターの軽妙な歌い回しが耳に心地よいのです。冒頭の「ジェロルスタン女大公殿下」からロンドー、「ああ、私、軍人さんが好きなのよ」この皮肉たっぷりの曲を彼女は、なんと面白おかしく、そして毒を含んだ口調で歌うのでしょう。そのほか、オッフェンバック好きにはたまらない歌の数々。なかでも面白かったのが、バリトンのロラン・ナウリの扮する“未来の作曲家”の歌う「未来の交響曲」。これはさる大作曲家が1860年にパリで開いたコンサートを痛烈に批判したもの。何しろ彼は、あのメロディを大声で歌いながら入場し、ついで「婚約者たちの行進曲」なるものを披露するのですから。聞いてる側も、もう笑うほかないというところでしょうか。
さて、このCDは国内盤ボーナストラックがついてまして、それはおなじみの「天国と地獄」のギャロップ。当夜のアンコール曲目で、出演者全員による合唱ですが、これも絶品!パリの持つ猥雑さと品の良さが絶妙に溶け合って、この上ない楽しさを醸し出しています。何しろ私はこれを聴くためだけに、国内盤を買ったくらいですから、そのよさは言わずとも知れる・・・でしょうね。たった2分半ですけど。

12月18日

PETER MØLLER
Piano Works
Jørgen Hald Nielsen(Pf)
PAULA/PACD 132
ぺテル・メラーのピアノ作品集です。ピアノ好きの私ですが、こんな作曲家は名前すら聞いた事ありません。そんなものをなぜ聴く気になったか・・・やはりジャケにBACHCHOPINと明記されているからでしょうか。それも作曲年代が、1988年(シャコンヌ)とか、1993年(ショパン)です。これは面白そうではないですか。
そもそも既存の曲をあれこれいじって、新しく構築するという作業は、昔から行われてきたことでありますね。それは、単なる引用であったり、素材として使うやり方であったり様々で、ピアノ曲だけで挙げてみても、有名なところではリスト、ブゾーニ、そしてゴドフスキなどなど。いろんな人の名前が思い浮かびます。
このメラーは1947年生まれ。デンマーク生まれの作曲家兼オルガニストで、たくさんのオルガン曲、教会音楽を残した人だそうです。(と、言うのも1999年3月教会で倒れ、その翌月52歳の若さでこの世を去ってしまったというのですから。)おそらく、このピアノ曲も真面目なものなのでしょう。そう思いつつ聴いてみました。まず「バッハのシャコンヌを基にしたシャコンヌ」です。想像通り、あの聴きなれたメロディで始まり、変奏が加えられていくのです。全く危なくない音楽で、ちょっとがっかりします。調性を踏み外すこともなく、ひたすら似非バッハ調。「こんなのが18分続くのはいやだなぁ」なんて考えつつ聴き続けて10分ほどが経過したあたりでしょうか。いつの間にか、妙に曲の風景がずれているのに気が付くのです。
黄昏時の帰宅、よく知っている道を急いでいるはずなのに、ふといつもと違う曲がり角を曲がったら、そこは異世界、人形の住む町でした(異世界人形って)。そんな感じでしょうか。シャコンヌの骨組みは、きちんと最後まで残っているのだけど、しかし全く別のもの。この感覚はまさに極上のホラーを読んでいるかのようです。何気に怖い。有名なジェフスキーの「不屈の民変奏曲」も、全ての変奏が現代的な作風であるにも拘わらずあの親しみやすいテーマが曲の全てに浸透しているのが見事だと思ったことがありますが、あちらは、もう少しメロディが意図的に組み込まれているので、恐怖感とは無縁です。この「シャコンヌ」のような不気味な音楽とは違うのですね。
続く「古いグランドピアノのための24のプレリュードとフーガ」から。こちらも、郷愁を誘うメロディが少しずつ崩壊していくもの。聴いていると気が変になりそうです。
その次の「ショパンのエチュードだったもの」これがスゴイ。聴きなれたはずの「別れの曲」が、半音ずつ調性をずれながら進行する間に、全く違うものが挿入されている。とは言え、素材はあくまでもショパン。とにかく気持ちの悪い音楽です。ぐちゃぐちゃを繰り返しているうちに、壊れてしまったショパンの残骸が風に吹かれて舞っている。そんな感じでしょうか。独特の和声の使い方はさすがオルガニストです。メラーさん、ピアノの曲はあくまでもプライベートとして書いたそうですが、日頃真面目な人が壊れるとこうなるのかも。と推測したくなるような作品群。まあ、そんなものなのでしょう。

12月15日

GOING BAROQUE
The Swingle Singers
カルチュア・パブリッシャーズ/CPC8-1209
1963年に、衝撃的なデビュー・アルバム「ジャズ・セバスチャン・バッハ」を発表したスウィングル・シンガーズが、翌年PHILIPSからリリースしたセカンド・アルバムが、このほど完全な形でCD化されました。このようなひとつの時代を作ったグループでも、実は、今までCDになっていたのはオリジナルの形ではなく、いくつかのアルバムを集約したコンピレーションだけでしたから、これはファンにとってはたまらない事でしょう。しかし、このアルバムの場合は、たまたま映画のサントラだったため(そもそもは「CAM」という、イタリアの映画音楽専門のレーベルで製作されたもの)、そちらの秘蔵音源を発掘するのに熱心な日本のメーカーの尽力で日の目を見たというもの、ほかのアルバムがきちんとCD化されるという気配はありません。かく言う私も、彼らのディスコグラフィーをリアルタイムで追っていたわけではないので、いまだにこのグループの全体像が見えていないという負い目があるわけでして。
このアルバムについても、LPが出たのは64年なのですが、この音を使った映画が製作されたのは66年、公開は67年(日本では未公開)といいますから、いまいち前後関係が釈然としません。しかし、音を聴いてみれば、明らかに映画音楽用に、ウォード・スウィングル以外の人によるオーケストレーションが施されていますし、「攻撃するフランシスコ派の僧侶」のようなプレーン・チャント風の音楽からも、すでにプロットに合わせた曲作りが垣間見られます。その辺の事情をご存知の方は、どうかご教示ください。
と、肝心なところはひとまず知らん振りを決め込んでと。このアルバム、69年に国内盤が発売されたときの邦題が「誓いのフーガ」というだけあって、メインテーマといえるものは、歯医者さんでよくBGMに使われている(それは歯科医のフーガ)、例のバッハのト短調の小フーガ。。これを、シーンに合わせてさまざまな形にアレンジしています。ひとつ驚いたのは、メンバーがかなり自由なアドリブ・プレイを披露しているということ。ここからは、スタート時のバッハのヴォーカライズから発展して、もっと幅広い、きちんとジャズの領域をカバーできるような方向を模索している様子が、はっきり聴き取ることが出来ます。そんな、コンピレーションからは分かりにくいグループの軌跡をたどるという意味で、極めて価値のある今回のCD化だと言えましょう。
しかし、以前QUIREのレビューでもちょっとほのめかしましたが、あらゆる意味でこのグループの特徴といえるクリスチャンヌ・ルグランのハスキー・ヴォイスを好むか否かというところで、彼らに対する評価が分かれてしまうのは致し方のないことです。歴史的な価値は認めつつも、心から楽しむにはちょっとためらいを禁じえないというのが、偽らざるところでしょうか。

12月11日

Sacred Songs
Plácido Domingo(Ten)
Sissel(Vo)
Paolo Rustichelli(Pf)
Marcello Viotti/
Orchestra Sinfonica e Coro Sinfonico di Milano Giuseppe Verdi
DG/471 575-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1134(国内盤)
故あって、最近話題の某テノールの新譜を聴きました。今までにもアリア集や、プッチーニの「ラ・ボエーム」、そしてゲルギエフ指揮のヴェルディのレクイエムにも参加している人で、そこら辺は、このおやぢにも書きましたが、実のところ、私はこの人があまり好きではありません。ただ今回のアルバムは、あの高名な指揮者マゼールが自らヴァイオリンを弾いて参加している事もあり、とても興味深く聴きました。それなりに面白かったし、いろいろな発見もありました。彼の歌は、本当に自己陶酔の固まりだと思います。確かな技術が伴ってさえいれば、それは本当に理想的な、夢のような世界が醸し出されるのでしょうが、残念な事に、彼の歌声は少しばかり脆弱で、幾分ひとりよがり・・・のような気がします。脆弱男女(老若男女でした。すみません)に愛され、世間で大騒ぎされている程には、私が熱狂的になれないだけなのでしょうけど。
で、口直しとばかりに選んだのが、このドミンゴです。今年のDGのクリスマス・アルバムとして企画されたものでして、「祈り」に因んだ曲が集められています。驚いたことに、どれも彼にとっては初録音。「三大テナー」であれほどまでに、いろいろな曲を歌っているはずのドミンゴですが、実はフランクの「天使の糧」すらも歌ったことがないと言うのは実際びっくりでした。
第1曲目、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の有名な「間奏曲」にマッツォーニが歌詞をつけた「アヴェ・マリア」。甘美なオーケストラの序奏に続いて、ドミンゴが最初の声を放つとき、聴き手は思わずため息をつくでしょう。ここで彼と絶妙のデュエットを繰り広げているのが、あのノルウェー生まれの歌手シセル。1994年のリレハンメル・オリンピック以来の旧友だそうで、透明な歌声が魅力的です。彼女にあわせたのでしょうか、曲のアレンジも幾分ポップス調で、それにあわせてか、ドミンゴの歌も程よく力の抜けたものになっています。他の歌も、そういうテイストで、いわゆる「堅苦しいクラシック」とは違う仕上がりです。
ま、毎年SONYから発売される「クリスマス・イン・ウィーン」の代わりのような1枚といえるのかな。
しかし、どんな曲を歌ってもさすがにドミンゴは貫禄がありますね。幾分声が衰えたといっても、まだまだ某テノールの力の及ぶところではなさそうです。

12月9日

Baltic Voices 1
Paul Hillier/
Estonian Philharmonic Chamber Choir
HARMONIA MUNDI/HMU 907311
「ヒリヤード・アンサンブル」という、中世から現代までをレパートリーとする声楽アンサンブルの創設者として、数々の名演を残したポール・ヒリアーは、90年代はじめにそのグループから手を引き、アメリカに渡ります。インディアナ大学の教授となった彼は、合唱指揮者として「シアター・オブ・ヴォイセス」とか、「プロ・アルテ・シンガーズ」などのアンサンブルを育て上げ、幅広い活動を展開してきました。そんな彼が、エストニアにある「エストニア・フィルハーモニック室内合唱団」の指揮者であったトヌ・カリユステに請われて、この合唱団の常任指揮者兼芸術監督に就任したと聞いたときは、少々意外な感じがしたものでした。「室内」とは言っても、30人近いメンバーを抱える大きな合唱団と「ヒリヤード」とは、ちょっと違和感があったのです。しかし、ヒリアー自身は、この国が生んだ偉大な作曲家、アルヴォ・ペルトを通じて(評伝も著わしている)この国には以前から多大な関心を寄せていたということを最近知って、それも納得できるようになりました。なにしろ、ヒリアーの奥さんときたら、エストニア語を完璧に話せる人だということですから。
一方のこの合唱団、エストニアという特別の文化圏にあって、独特の響きを持って私たちを魅了してくれます。彼らは、北欧やスラブ特有の深い音色を持ちつつ、イギリスあたりの完璧なハーモニー感を見事に身につけているのです。女声は余計なビブラートが付いていない渋い音色を持っていますから、男声ともよく溶け合い、とても混声合唱とは思えないような純粋な響きをもたらしてくれています。
そんな彼らが、「バルティック・ヴォイセス」という、完成までに3年を要するという大規模なプロジェクトを始めました。バルト海に面した国々の作曲家による合唱作品を集大成しようというものなのでしょう。ここでは、「バルト3国」と呼ばれているエストニア、ラトヴィア、リトアニアに、対岸のスカンジナビア半島のフィンランドやスウェーデンも加わって、まさに合唱王国と呼ばれるにふさわしい国々が顔をそろえた、合唱ファンにとっては見逃せないバトルが展開されています。
この第1集、聴き所は数多くありますが、最後に収録されたラトヴィアの作曲家ヴァスクスの「ドナ・ノビス・パーチェム」という、弦楽合奏が入った大曲が印象的です。1946年生まれのヴァスクス、ペルトの次の世代に当たるのでしょうが、ペルトが確立した語法を受け継いだ、豊かな世界観が広がります。合唱以上にオーケストラが雄弁に語っていることから、ヒリアーのインスト指揮者としての技量も窺い知れます。そのペルトの作品は、ちょっと今までの流れからは想像できないような彼にしては斬新な、そして私たちにとってはちょっとほほえましい変貌ぶりが、きわめて衝撃的ですらあります。

12月6日

MAHLER
Symphony No.10
Andrew Litton/
Dallas Symphony Orchestra
DELOS/DE 3295
最近、またマーラーの新譜が多くて、嬉しい悲鳴をあげているおやぢです。さて、その中でも異彩を放つのがこの「10番」です。御存知のように未完の作品で、「良識ある演奏家」は1楽章のアダージョのみを演奏するのが正しい、とまで言われていますね。というのは、この曲は、アダージョのみがほぼ完全な形で残され、第3楽章が少しだけ完成、あとの楽章は構想のみ、スケッチに毛の生えたものくらいしか残存していないからなのです。
そして、世の中には「未完成を完成させるマニア」と言う人たちがいるのも御存知の通り。モーツァルトのレクイエムなら「ジュスマイヤー」ですし、「トゥーランドット」ならアルファーノかベリオですか。「ルル」のツェルハもいますし、シューベルトの「未完成」を完成させた人さえもいます。そして、この「第10番」なら真っ先にあがる名前が、あのデリック・クックでしょう。一番広く知られていて、実際にこの版で演奏する指揮者も多くいます。その次に知られているのが、マゼッティ版。これはスラットキンが採用してます。(これをもう少し補筆したのが、以前ここで取り上げたロペス・コボスの演奏でした。)はっきり言って、この2つの版の違いは、ちょっと聴いたくらいでは別がつかないはずです。
今回のリットンが採用したのは、以前から噂には聞いていた「カーペンター版」です。この版のCDは、2年ほど前、他の指揮者の演奏を某CD店が独占販売したのですが、「行きつけの店でも買えるだろう」とたかを括っていたら、見事に買い逃し!それ以来、気になっていたエディションでした。
さて、実際に聴いてみて驚きでした。音が多いというか、対位法的にメロディが多すぎるのです。さすが、「私は作曲家である」と豪語したといわれるカーペンター。マーラーのメロディに「これでもか」というくらい飾りをつけます。さすがに、ほぼ完成されている第1楽章には、あまり装飾が施されていませんが(それでも、少し鬱陶しいぞ)第2楽章からがスゴイ。全く予期しないところから音が聴こえてきて、本当にびっくりです。リットン&ダラス響のゴージャスな響きが、その装飾を一層色鮮やかなものにして、私の目を覚まさせてくれますね。確かに面白いし、意義は認めます。そして良く出来ています。
しかし、マーラーの音楽ってちょっと違うんじゃなかろうか?と思うのは私だけではないでしょう。確かに、5番、6番と音楽が肥大して、7番を経て8番で編成も音楽的語法もmaximumになります。しかし、それ以降の「大地の歌」の極端に切り詰めた音楽はどうでしょう?そして、第9番では禁欲的とも言える音の扱いをしているではありませんか。そんなマーラーが、次の第10番で「一度に10人くらいが大声で会話しているような」音楽を書くとは到底思えないのですけど。

12月4日

MOTE(O)R MAN
はやて埼京線 WATERFRONT
SUPER BELL"Z
東芝EMI/TOCX-2012
「仙山線」、「仙石線」で地元の人たちを熱くさせてくれた「スーパー・ベルズ」が、また東北地方に帰ってきました。今回は、もちろん12月1日に青森県の八戸まで開通した新生東北新幹線がメインネタになっています。その「MOTER MAN東北新幹線はやて」は、実際は3時間弱かかる旅を27分にまとめた大作、始発駅の東京から、終点の八戸まで、克明な車掌DJを楽しむことに致しましょう。
最初に聞こえてくるのは、東北新幹線に乗ったことがある方にはおなじみの、あの車内案内のテーマです。あの3拍子の、どこか郷愁を誘うメロディーを聴いただけで、心はすでに旅支度を始めることでしょう(これを、携帯着メロにしている人がいたなぁ)。北へ向かう新幹線の旅、車窓からの眺めが素朴になるにともない、車掌のコメントも微妙に変化してゆきます。特に、盛岡以北、今まで新幹線なんか乗ったことのない田舎者に対しての注意には、ほかの人に馬鹿にされないような心構えを伝えるという、暖かい気配りさえも感じることが出来ます。「自宅で作ったお弁当をお持込みのお客様にお願い致します。車内ではビニール袋から発生する音がまわりのお客様のご迷惑になりませんよう、風呂敷をお使いください」とか(本当は「ぜひ、気をお遣いください」と言っているのですが、なぜかこのように聞こえます)。トイレの説明の前に、必ず「べん」といい間違えるのもご愛嬌。「べん・・えートイレは水洗です。ご使用後は必ず流すようお願い致します」という具合。そして、「必ず鍵を閉めたのを確認してから衣服を下げるよう、お願い致しております」というのも、ギャグでは済まされないリアリティが、この地域に関しては確かに存在するから、逆に笑えます。鍵がかかっていないので開けてみたら、いきなり眼前におばちゃんがしゃがんでいる姿が、という体験を持つのは、私だけではないはずですから。
この「はやて」、車掌だけではなく、車内販売でも楽しむ事が出来ます。「ささかまぼこ」の「ささ」と「ぼこ」だけ買って、「かま」がないといって抗議しているお客さんとか、水沢江刺では、生きた前沢牛を積み込んで売って歩くのですからね。また、それを一匹買う人もいて。盛岡を過ぎれば、もちろん「わんこそば」ですよね。
さらに、「秋田新幹線こまち」と、「山形新幹線つばさ」まで連結されているのですから、東北地方にゆかりのある人にはたまりません。とことん、みちのくの旅情に浸っていただきましょう。
それにつけても、「青い森鉄道」とか、「奥の細道最上川ライン」といった、新幹線開通に伴って第三セクターに移行したり、おそらく将来は移行するであろうローカル線の行く末を心配するには、あまりにも楽天的なテクノ・ミュージックではあります。ところで、「MOTOR MAN」と「MOTER MAN」の違いって?

12月2日

The Jewels of the Madonna
Europian Jazz Trio
M&I/MYCJ-30162
小雪がちらちら舞い落ちるとある冬の夜、年末の喧騒から逃れるように肩を寄せ合った2人は、裏通りにひっそり佇む小さな店に入った。ワインのおいしさに加えて、いつも店の中に控え目な音量で流れているアコースティックなジャズが2人のお気に入り。多分オーナーのセンスなのだろうが、何気に趣味の良い曲は2人の会話を滑らかなものにしてくれる。そのときのBGMは、オランダのピアノ・トリオ、「ヨーロピアン・ジャズ・トリオ」の新しいアルバム、「マドンナの宝石」のようだった。一緒にワーグナーのオペラを聴きに行ったりするほどのクラシック好きの2人のこと、このようなクラシックの名曲を素材にしたアルバムがかかっていれば、自然と話に花が咲く。
 「これ、ショパンの『幻想即興曲』じゃない。あの甘ったるいメロディーにジャズのコードが付くと、いかにもって感じね。アドリブもきっちりジャズになってるし、よく出来てるわね。」女はひょっとしたら業界関係者か。言うことも辛辣だ。
 「そうだね。でも、もともとジャズって、昔のミュージカルのナンバーなんかを素材にしてたわけでしょう。だから、ショパンだってクラシックじゃなくて、スタンダード・ナンバーとしてとらえると、こんな風になるんだろうね。」男はちょっとキザ。「でも、このシューベルトの『アヴェ・マリア』なんか、ちょっと変わったアプローチだよね。原曲のイメージそのままにスロー・バラードにするなんて、なかなかのものだと思うよ。」
 「そうだわね。あと、このピアノの人、歌わせ方が独特ね。クラシックでこんな風に弾いたらくどくって聴いてられないけど、ジャズだから許されるのね。」 女は、ピアノに関してはうるさいようだ。
 「おっ、サティの『ジムノペディ』だよ。これなんかそのまんまって感じしない?」
 「そうそう。なんたって頭のコードがメージャー・セブンスだもの。何もしなくたってジャズになってしまうわ。これも一つの手ね。・・・あっ、この曲なんだろう。私、分からないわ。」
 「プロコフィエフのピアノ協奏曲第4番の第2楽章だね。例の、戦争で右手を失ったヴィトゲンシュタインのために作った曲だよ。」
 「確かに、言われてみればそうね。でも、こんなマイナーな曲、ちょっと反則っぽいわね。・・・あら、これ私弾いたことあるわ。ショパンの前奏曲よね。」
 「7番だね。これは簡単だものね。でも、ほら、これエイト・ビートになってるよ。いいね、軽くって。」
 「そうね。結局この人たちって、雰囲気があるのよね。難しく考えないでそのまま楽しめるって感じかしら。ついついお酒がすすんじゃうわね。」
 「そうそう。おや、そんなこと言ってたら、いつの間にかワインなくなっちゃったね。もう1本頼もうか。ワイン・モアなんちゃって。」
 「うっ、さむっ。でも許すわ。その代わり、今夜はとことん飲みましょう!」
外では雪がしんしんと降り続いている。ワインと「EJT」で心も体も温かくなった2人、今夜は長い夜になりそうだ。

11月30日

AMADEUS Director's Cut
WARNER HOME VIDEO/37464(DVD:Region1)
あの「アマデウス」が公開されたのが1984年といいますから、もう20年近くもたっているのですね。あのころは、それまで神格化されていたモーツァルト像を一変させてしまったものとして、大騒ぎになったものでした。もっとも、そんなことはすでに研究者の間では常識ではあったわけで、それが、エンタテインメントのレベルでも認知されたという点で、画期的だったのでしょう。
ただ、この種の音楽映画につきものの、音楽ファンが見た場合のいいかげんさというものは、克服することは出来ませんでした。画面ではオリジナル楽器なのに出てくる音はモダン楽器だとか、極め付きは、マスターも指摘している「レクイエム」の口述筆記のシーンなど。それに、「後宮」や「魔笛」といったジンクシュピールの歌詞がなぜか「英語」(台詞では"in German"と言っています。"in our language"あたりにしておけば、納得もできるのですが)で歌われているのも興ざめですし。
そんな「名画」が、このたび新たに20分の未公開シーンを加えられた、総尺3時間という「ディレクターズ・カット」として復活しました。今回日の目を見た場面の数々は、かなり衝撃的なものです。これを、サリエリとコンスタンツェの確執の伏線と見るか、あるいはコンスタンツェ役のエリザベス・ベリッジの豊満な巨乳を楽しむサービス・カットと見るかで、この作品に接する際のこころざしが問われようというものですが、どうでしょう。
しかし、われわれ音楽ファンにとって最もうれしいのは、音が見違えるように素晴らしくなっているということです。冒頭の「ドン・ジョヴァンニ序曲」の低音の充実ぶりは、従来版では到底味わえなかったもの。この作品のテーマを印象付けるモティーフとして、さらにはっきりとした意図を聴き取ることが出来るようになっています。すべてにおいて、まるで汚れを取り去ったような粒立ちのはっきりしたクリアな音が聴かれ、今のこの方面の技術の高さには、びっくり、唖然となってしまいます。ですから、たとえ英語で歌われていようが、「キングズ・シンガーズ」のオリジナルメンバーであったブライアン・ケイのパパゲーノを、今回はこころゆくまで堪能することが出来ました。
日本での劇場公開が行われたのは3ヶ月ほど前でしょうか、限られた映画館でしか上映されなかったようで、ついに見ることは出来ませんでした。DVDで見ようと思っても日本版の発売は来年の3月、待ち切れなくて買ったのが、このアメリカ版のDVDです。日本語の字幕はもちろんありませんが、英語を見ていれば問題なく鑑賞できます。日本版では、恐らく冒頭のシーンでボカシが入るでしょうし。ただし、リージョン・コードに関係なく再生できる環境は必要ですが。

きのうのおやぢに会える、か。


(since 03/4/25)

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