メイヤメイヤのアレキその日暮らし

〜華麗なアレクサンドリアでの日々を綴る〜 

7月1日

 今日は玄ちゃんの最後の発表会。おいらは6月下旬に仕事を終え、引越し作業をしていたというのに、玄ちゃんはこの発表会があったため最後まで大変そうだった。お疲れさまだね。

 朝イチのバスで玄ちゃんの任地であるマンスーラへ向かう。アレキからマンスーラはバスで約3時間ほど。ちなみに、マンスーラってあんまり聞いたことがないと思うけれど(地球の歩き方にも載っていない!)、一応エジプト第3の都市で人口も100万人ほどいる(まあ、日本人は玄ちゃん一人だけど、、、)。

 私は昨日パッキング作業を徹夜でしていたためバスに乗り込むととっとと曝睡する。いやあ、本当に今は時間がありません。こんなことになるならもっと前から引っ越し作業開始すれば良かった、、、。

 バスがマンスーラに着くと共に目が覚める。マンスーラもえらい久し振りです。赴任当初の弱ってた頃はしょっちゅう行って玄ちゃんに愚痴を聞いてもらってましたが、最近は仕事の休みがなかなか取れなくて、今回来るのは何ヶ月ぶりになるだろう?半年振りぐらいかも?

 玄ちゃんの職場であるスタジアム(結構立派なスタジアム)に着くと玄ちゃんは本番前の練習最中。久し振りに玄ちゃんの教え子たちにも再会です。みんな元気そうで良かった。
 練習も結構真剣です。実は、私はこの発表会で「もののけ姫」を歌うことになっていて、練習の最後にはもののけの練習もした。まだ、歌詞が完璧じゃないけど大丈夫かな、、、。しかも、原曲聴いたことないし、、、。まあ、何とかなるでしょう。

 午前中の練習が一段落着いたところで、ポートサイードの協力隊員も交ざってお食事に。今日は玄ちゃんが最近見付けたというエジプト食のファーストフード店で摂ることに。ここ、お洒落だし、味もいけてます。でも、緊張のためか玄ちゃんは食事もあまり喉を通らない様子。そうだね。今日はエジプシャンだけではなくて日本人のお客さんが一杯来るもんね。分かるよ。

 その後玄ちゃんの家で放出品をみんなが漁って、再びスタジアムでリハーサルをすることに。玄ちゃんも日本グッズ結構残ってたね〜。俺もすごいけど、玄ちゃんも負けてないよ。

 最後のリハーサルははっきりいって感動しました。
 去年も発表会があったんだけど、去年に比べてみんな格段に進歩しているのです。それに、去年は隙があればすぐみんなが騒ぎ出して収拾がつかなくなっていたんだけど、今回はそんなこともありません。みんな玄ちゃんの顔を見て静かにしているのです。
 私も、これまでずいぶん玄ちゃんの生徒たちも見てきたし、玄ちゃんから授業の様子などを聞いて来て苦労しているのは知っていました。ですのでみんなの真剣な姿を見ると感動してしまいました。よくやったね、玄ちゃん。立派だよ。本当に。

 リハーサルも終わり、開演も近づいてきました。日本人の招待客も続々とやって来てます。
 そうです。今回の発表会の開演時間は6時30分だったのですが、エジプト人の招待客には6時に開演と伝えていたみたいなのです。というのも、去年の発表会では、日本人にもエジプシャンにも開演時間を6時と伝えていたのですが、エジプシャンの招待客がやってきたのは発表会も終わりそうな7時過ぎ頃だったのです。その轍を踏まないためにも玄ちゃんは今回エジプシャンと日本人に別な時間を伝えていたみたいです。そういえば、私のカウンターパートのヌールも「コウヘーとの約束は時間ぴったりに守らないといけないけど(あまりに長い時間遅れると私に文句を言われるため)、エジプシャンとの約束は30分遅れが当たり前」とかいってますしね。案外それでエジプトはうまく回ってるのかも?
 何はともあれ、それが功を奏したのか、去年のことがあってエジプシャンも学習したのかは分かりませんが、今年は集合状況いい感じです。開演前にはほとんどのお客さんが揃いました。

 さて、6時30分を回り、いよいよ発表会の始まりです。玄ちゃんもリハーサル中のださい格好から一転してびしっとスーツを着込んでます。いやあ、なかなかいい感じですよ。でも、まだ顔は緊張を隠せません。生徒よりも玄ちゃんの方が確実に緊張しています。まあ、エジプシャンは本番に異常に強いからきっと大丈夫だよ。とはいうものの、そういう私も実は結構緊張しています。自分の歌う番がやがてやって来ますしね、、、。ああ、こんな大勢の前で歌うなんていやだな、、、。お酒飲んでから歌っちゃ駄目かな?

 発表会は小さい子供達の合奏や「幸せなら手を叩こう」のアラビックバージョン。それに、各生徒の個人演奏が順調に進んでいきます。みんな練習より上手です。エジプシャンって物怖じしないし、本番には強いですね。やっぱり。

 個人演奏が終わったあとはいよいよもののけです。このもののけでは、私がまずソロで歌った後楽器が入ります。
 ステージに上がるといやがおうにも緊張は高まってきます。玄ちゃんが顔で「落ち着け、落ち着け」といってます。分かってるんだけどね〜。
 いよいよもののけが始まりました。私は途中で歌詞を度忘れしてしまい1フレーズ抜かしてしまったのですが、何とか無事歌い終わりました。ごめんね。玄ちゃん。少し緊張してたみたい、、、。でも、生徒たちや他のエジプシャンたちも一応「コウヘー良かったよ」といってくれて一安心です。

 もののけも終わっていよいよ最後はアラビーの歌の合奏です。生徒たちの演奏も熱がこもります。クライマックスも終わり、最後、指揮棒をびしっと止める玄ちゃんはめっちゃ格好良かったです。
 演奏会も無事終わって感極まったのか、玄ちゃんの目からは大粒の涙が。それを見ている観客からも啜り泣きの声が聞こえてきます。いやあ、いい発表会だったよ。玄ちゃん。あなたは立派な協力隊員。沢山見に来ていた後輩隊員にとっても勉強になったと思うよ。

 発表会の後はみんなでお茶を飲みながらお喋りの時間です。去年もこの時間が長かったんだけど、今年もそうだね。発表会の時間よりもこのお喋りの時間の方が長いよ
 まあ、今年はJOCV隊員も沢山いるし、玄ちゃんの生徒も大勢残ってるから時間潰し出来そうだね。と思っていると、格好の相手がやってきました。玄ちゃんの昔の生徒「ムハンマド(14歳)」です。彼はどうやら新しい協力隊員の「三木さんポートサイード 美術隊員 この発表会ではフルートで参加)」がいたく気に入ったらしく、私に「ねえ、三木さんと話したいから三木さん呼んできて」といってきました。
 すかさず私は「お前男やろ。好きなんやったら俺にいわず自分で直接話しにいかんかい」と彼を焚き付けました。彼は私の言葉にのせられたのかしばらくもじもじした後勇気を出して三木さんに話しにいきました。

 しばらくして、少し興奮気味にムハンマドが「三木さんと話した! 三木さんと話した!」と報告しに来ました。
 そこで私はまたもすかさず「電話番号は聞いたか?」と聞きました。すると、彼は「ううん、聞いてないよ」といったので「お前好きなら電話番号ぐらい聞かんと〜。だって、お前はマンスーラやろ。彼女はポートサイードマンスーラポートはバスで2時間弱)やで」とまたもムハンマドを煽ります。隣りで一緒に聞いていた同じく新隊員の山田さん(カイロ 作業療法士)も苦笑いです。
 私の言葉に再度のせられたのかムハンマドは「電話番号聞いてくる」との言葉を残し私たちの前から姿を消しました。グッドラック。ムハンマド

 長い長いお喋りタイムも終わりを告げ、私はあとげんと一緒にお呼ばれされている家に向かうことにしました。お呼ばれされている家に向かう途中でまたムハンマドがやってきて、またも興奮気味に何か話しています。
 私が「どう?電話番号聞いたんか?」と聞くとムハンマドは胸を張って「聞いたよ。教えてもらった」といってきます。ごめんなさい。三木さん。調子に乗って要らないこといっちゃいましたね、、、。まさか、三木さんが教えるとは思ってなかったもので、、、。まあ、ムハンマドはまだ子供だし、玄ちゃんの生徒だから鬱陶しいことはないとは思いますが、、、。
 更に、悪いとは思いながら最後にムハンマドに「好きなら毎日電話かけなあかんで、毎日かけな」ととどめまでさしておきました。三木さん、許して下さいね。

 さて、今日お呼ばれされたのは玄ちゃんが4人の子供全員を教えている人の家です。玄ちゃんは今日は他にも沢山の家族から招待を受けていたらしいのですが、この家の人は「日本人みんなでどうぞ」といってくれたので、この家族の所に行くことにしたみたいです。
 着いてみると、テーブルには既にご馳走の数々が所狭しと並べられてます。私も今まで数多くのエジプシャンの家に招待されましたが、こんなに豪華なお食事を目にするのは初めてぐらいです。いいね。ここ。
 しかし、エジプト人との食事(お呼ばれされた時)で難しいのは食事を摂る量です。エジプシャンの家に招待されると概してものすごい量の食事が出てきて「全部食べろ。全部」とか言われちゃいます。私はエジプシャンと比べると小食だし(何せ、彼らの食欲は恐るべきものがあります)、今日は朝からいろいろなことがあったせいかお腹も空いてないのです。食事は美味しそうなのですが、食事を断るタイミングを考えると少し、、、。まあ腹5分目ぐらいで言うことにしよっと。
 この家庭の食事。実に美味しいです。モロヘイヤスープ然り、マカロニ然り。でも、案の定とても全部入りそうにありません。お約束の「もう十分」「いやまだ食べろ」「でも、ほんとにもう入らないんです」「じゃあこれだけ」「じゃあそれだけ」といった会話を続け夕食を終える。
 デザートまでいただいてご馳走様でした。本当はもっとゆっくりしたかったんですけど、もう既に時間は12時を回ろうとしているんですよ、、、。あしたはサントラが荷物を取りに来たり(ああ、パッキングはまだ終わってないんだった)、教会にも最後の挨拶にいかなきゃいけないし時間がないんですよ。

 アレキ行きのバスは19時が最終でもう出ていないため、ビジョー(乗合バス)乗り場に連れていってもらう。長距離のビジョーというのは人数が全員集まるまで出発しないので、運が悪い時は1時間も2時間も待ったりするのだが、今回は運良く私が乗った所で満員になった。よかった〜。

 でも、家に帰りついたのは深夜4時近く、、、。あしたは朝教会行かなきゃいけないから早起きしなきゃ、、、。まあ、自分のために買ったお土産の「アザーン目覚し時計(アザーンとはイスラム教徒のお祈りの時間(1日5回ある)に流れるお経のようなもの。これがエジプトでは至る所にあるモスク(回教寺院)から大音量で流れる。ちなみにアザーンを言う人によって特徴(上手いとか下手とかうるさいとか、、、)がある。私の目覚ましはこのアザーン(「神は偉大なり」とか言った言葉)がセットされた時間になると大音量で流れてくる。起きるのが苦手な私でもこれなら一発で目が覚めちゃうという優れものの一品)」があるから明日はきっと起きれるでしょう。
 

7月2日

 案の定アザーン目覚ましですっきり起きる。今日は教会行ってみんなに挨拶しなきゃ。教会は10時30分頃から始まるので30分遅れぐらいを狙って向かうことに。

 教会に着いて中を見渡すと私の英語の先生であるロナ先生の姿が見えたのでロナ先生の隣りに座る。ロナ先生には私は今日教会に行くことは告げていなかったのでびっくりした様子。St.マルコが終わってから教会にも行ってなかったですしね。心配かけてどうもすみませんでした。

 牧師さんの話しが終わった後、ロナ先生とゆっくり話しをさせていただく。ロナ先生からは帰国に当たって「神について一度真剣に考えて勉強してみて」という言葉を頂く。分かりました。わたしも回教国であるエジプトに来て多くのクリスチャンと知り合いになることが出来て、それなりに考えることもありました。帰ってみたら少し真剣に勉強してみたいと思います。
 それと、私の母(逢ったことはないのだが、よくロナ先生とは家族の話しをしていたためロナ先生は私の母のことを良く知っている)にくれぐれもよろしく。ともいっていただく。
 お別れの挨拶が終わる頃には先生の目に涙が溜まってました。そんなに悲しんでくれるとは、、、 嬉しいです。ロナ先生とは1年少しほどの短い付き合いでしたが、本当に得るものが多くありました。ロナ先生も来年にはロンドンに帰るとおっしゃっていたので、今度は是非ロンドンでお会いして下さい。その時にはもう少しは英語まともに喋れるようになっておきますので。

 ロナ先生とお別れを終え、韓国人のジョセフとも挨拶をする。ジョセフはアレキに来ている日本人の留学生の面倒を奥さん共々していらっしゃる方。とても優しい方で、彼らにお世話になった(なっている)留学生は沢山います。本当にいつもありがとうございます。日本人を代表してお礼させていただきますね。
 そういえば、わたしの家には使えない(ケーブルがないため)プリンターがあるので、ジョセフに「ケーブルがないから、ケーブル買わないと使えないけど要らない?」と聞くと「それじゃあ貰っとくよ」というので、そのままジョセフと我が家へ行くことにする。

 プリンターの他に「日本食とかどう?」というと、「とりあえず余ってるもの見せて」というので、台所に。
 台所に行くとジョセフの目が川又さんからいただいた「電子レンジ」の前でぴたりと止まり、「これってこの家の?それともコウヘーの?」と聞いてくるので、「ううん。おいらのだよ。必要?」といいました。すると、ジョセフは「ちょうど奥さんとレンジが欲しいな〜といってたんだよ。でも高くてね〜」といったので、「それならどうぞ使って下さい」といってあげることにしました。川又さんのレンジもスイス→アレキ(川又さん邸)→アレキ(コウヘー邸)→アレキ(ジョセフ邸)と旅してますね〜。次は一体どこにいくのやら?
 ついでに、前アレキにいた日本人の方にいただいた「焼き肉プレート」も「いる?」と聞くと「いる」というのであげることに。真幸君たち良かったね。これでジョセフ邸でプルコギしてもらえるよ、きっと。

 川又さん。事後連絡になって本当に申し訳ありませんが、ということで川又さんの電子レンジはジョセフ邸に行きました。ジョセフはまだアレキに住むし、奥さんももうすぐ出産ということでよろしいですか?
 ジョセフにはそれに日本茶などの日本グッズも持っていってもらう。ジョセフは「こんなに沢山ただでは貰っていけないので、いくらかお金を払う」といっていたのだが、「わたしもこのレンジはただで貰ったものだからお金を貰う訳にはいかない」といって納得してもらう。
 最後にジョセフに祈っていただいてから別れる。ロナ先生にしても、ジョセフにしてもまた必ず何処かで逢いましょうね。ここで2年ほど生活していて「世間(世界)は狭い」ということを身を持って知ったので、きっと逢えるでしょう。それまで、みんな元気で!

 ジョセフと別れた後すぐ真幸君が我が家にやってくる。真幸君にはS先生に渡す前に掃除機を貸して欲しいということで、その掃除機と、これまたわたしが貯めた日本グッズを持っていってもらう。
 本当はゆっくり話ししたかったんだけど、パッキングが残ってたり、大家がデポジットを返しに来てくれるからそのための部屋掃除もあってばたばたしてて本当にごめんね。真幸君のご両親にもお逢いさせてもらいたかったんだけど、結局それも出来そうにありません。今度真幸君が帰ってきたらお邪魔させてね。

 真幸君と別れた後またすぐサントラ(アナカン業者)がダンボールをとりにやってくる。
何とか一応パッキングできました。これでとりあえず第1段階は終わりです。

 今日の大きな第2の目的はさっき書いたデポジットです。もう何回も大家に「デポジット返して」といっているのに、家の大家、なかなか連絡してこないのです。やっと数日前に連絡がついて「返して」というと「分かった、今日の昼過ぎにでも帰しにいくよ」といっていたので待っているのですが、一向に来そうな気配はありません。わたしは、明日からシャルムにヴァカンスに行くこともあり、今日しか時間がないということは何回となくいったというのに、、、。連絡しても繋がらないし、一体どうなってるんだ?

 それと、今日は小僧(わたしが飼っているハムスター)もヌールにあげなきゃです。ヌールの携帯に連絡がつくとヌールは今アレキからずいぶん離れた「マルサマトルーフ」の近くにいるということ。わたしが「今日しかないから今日ハムスター取りに来て」というと「俺は今日は遅くなるからユーセフアハマド(ヌールの弟)に取りに来るように行って」という。「大丈夫(彼らは小僧のことを知らないので)?」と聞くと「大丈夫、大丈夫」というのでヌールの実家に電話をしてみることに。
 電話をするとユーセフが出てきたので「ヌールが欲しがってたハムスターを今ヌール取りに来れないから取りに来てよ」というと、案の定お父さんが「何?ネズミ?そんなの俺は要らないぞ。駄目だ駄目だ駄目だー!!!」といっているらしく「駄目だよ」といわれる。そんな、、、。ハムスター、ヌールが貰ってくれるって言ってたから他の人には当たってなかったのに、、、。どうしてくれるんだ?

 再度ヌールに電話をして「お父さん駄目だって行ってるよ。どうしてくれるんだ?俺困るよ」とまくしたてると「マフィッシュ ムシュケラ(=No ploblem)」を繰り返します。だからノープロブレムじゃないんだってば。問題なんだよ。
 まあ、ヌールがもう一回お父さんに言ってみるといってたので、それを待つことに。

 そうこうしているうちに、時間は既に9時を回ろうとしていますがまだ大家とは連絡が取れません。何回も電話しているのに、携帯も家にも繋がりません。どうなるんだ?これから?
 今日を逃すともう時間がないので(大家も金曜日と土曜日にしかアレキに来ないため)、焦って、この家を紹介して下さった千葉さんに助けを求めることにしました。
 千葉さんと話しをすると千葉さんは「こっちの人は夜遅いからもうちょっと待ってみたら?」といってくれる。「で、それでもあかんかったらまた連絡してきぃや。主人にでも言ってみて何とかしてみるし」と力強い言葉を頂く。ありがとうございます。本当に頼りになります。

 もう駄目だろうと思った23時30分過ぎに大家から電話が。わたしは強い口調で「どうなってたの?一体?」といったのですが、「ああ、俺今日は金曜日(休日)だからモンタザ(保養地)に行ってたんだよ。ほっほっほ」と彼はあっけらかんとしています。わたしが「デポジット返しに来てくれる日は今日しかないっていったじゃない」といっても「そうだったっけ?じゃあ今から行くよ」といった感じです。まあ、それでも返しに来てくれるみたいだから、、、。
 ちょうどその頃ヌールからも電話がかかってきて「OK!ハムスターも親が許可してくれたから0時30過ぎ頃取りに行くよ」ということになる。それにしても、エジプシャン。行動が夜遅すぎです。わたしは母から夜10時過ぎたら人の家に電話をかけちゃ駄目といわれて育ったのですが、こっちでは深夜12時や1時の電話は当たり前です。その頃外に出ても小さい子供を連れた家族が平気で歩いてたりしますしね。さすがエジプト。おそるべし。

 30分ほど経ち大家が家にやってくる。デポジットの50%ぐらい帰ってきたらいいかな?と思ってたら大家は調べもせずポーンと全額を返してくれる。こんなに簡単だったのか、、、。一応この家はまた次にJOCV隊員が使うことになると思うので、ご機嫌を取る意味も込めて私たちには必要になりそうにない「電気式から揚げ作り器」をプレゼントすることに。喜んでもらえて良かったですよ。

 大家と別れてすぐ今度はヌールがやってくる。ハムスターを手にヌールは満足そう。食べたりしないで、ちゃんと大事に育ててね。(きっと食べるよ:大家)

 ああ、今日の長い1日もやっと終わりです。こうやって日記を書いてると、最近は本当に慌ただしいんだなと感じちゃいます。でも、明日からは最後の自分へのご褒美旅行!
 弾けるぞ〜〜〜。
 

7月3日

 今回の旅行の目的は、  という2つ。ちょうどダイビングの免許を取りたいといっていた冴ちゃんも私たち(わたしと玄ちゃん)とジョイントすることに。楽しい旅になるといいね。

 わたしと冴ちゃんは8時30分の電車でカイロに出発。ラムセス駅(カイロの電車の終着駅)で待ち合わせている玄ちゃんと逢いそれからSt.カトリーナへ向かう。
 電車がカイロに着き玄ちゃんとも無事逢う。そのままSt.カトリーナ行きのバス乗り場に行くと(バス停についたのが12時30分頃)、従業員から「St.カトリーナ行きは1日1便。朝の10時30分発だけ」と悲しい知らせを聞く。が〜ん。どうすりゃいいの?これから。
 その辺りの人に聞いてみても代わりの交通機関も出ていない様子。
 とりあえず、ビジョー乗り場で情報収集しようということで、バス停近くにあるビジョー乗り場へ行くことに。

  ビジョー乗り場でたむろしている人の中から、

エジプシャンを見つけ(この作業がエジプトで人に何かを聞く時には最優先事項。これをおざなりにすると後で泣きを見る)、「St.カトリーナに行きたいんだけど、、、」と聞くと「「マルグ」に行け」と教えてくれる。彼は誠実そうで、言うことも正しそうなので、彼を信じてマルグに地下鉄で向かうことに。

 ビジョー乗り場に着くとSt.カトリーナに直接行くビジョーはないけれど、ヌエバ行きのバスに便乗して途中で降ろしてやるというビジョーを発見する。他に道はなさそうなので、結局そのビジョーでSt.カトリーナへ向かうことに決める。
 なお、この時点で時間は14時30分頃で、14人で定員のマイクロバス(日本でいうワゴン車を改造して15人乗りにしている)に乗っているのは私たちを含め8人ほど。後6人だからまあ1時間ぐらいで出発しそうかな?と希望的観測を持っていました。

 ところで、あとげんカイロで残された仕事があるため、遅れて出発。今日私たちを見送った後、明日朝早く仕事を終え、そのままSt.カトリーナへ向かいシャルムでジョイントする予定。早くやって来てね〜。

 玄ちゃんたちとバスに座って話しをしているのだが、一向に席は埋まる様子にありません。隣りでやはり同じように人が埋まるのを待っていたシャルム行きのバスとかは次々出発していってるのに、、、。
 それでも、時間と共に徐々に席は埋まってきましたが、残り2席が埋まりません。玄ちゃんも疲れ果てている様子なので(まだ待っててくれた)、17時30分頃に別れることに。玄ちゃん遅くまで付き合ってくれて本当にありがとうね。早く追ってきてね。

 結局定員が1人埋まらない分をみんなが2ギネー(約80円)づつ出し合うということで乗客が妥協し、バスが出発したのは18時30分頃。何と4時間ですよ。4時間。ほんと。
 やっぱり、遠くに旅行に行く時は事前にバスとか調べておくべきですね。エジプトでは、公共交通機関が利用できなくても、今回の私たちのように、ビジョーを使ったりとか他の方法はどこかに隠されていることがほとんどなのだが、それでも、公共交通機関を使っていくのがベストな方法ですね。それなら定刻通りに出発しますしね。

 なにはともあれ、ミクロバスは一路ヌエバに向かいました。この調子だとヌエバに着くのは0時を過ぎますね。最初の予定では、

  1. St.カトリーナに22時ごろ着き
  2. ホテルを取って仮眠して
  3. 元気になって
  4. 朝(3時ごろ)から山に登る
 だったのに、早くもそれは崩れ去りました。どうあがいてもヌエバに着く頃は日が変わりそうです。ホテルで仮眠の夢も夢で終わりそうです、、、。大丈夫か?今回の旅行?
 

7月4日

 バスがヌエバに差し掛かる頃、後ろの席にいた私たちは前の席に移動させられた。どうしてかな?と思って尋ねてみると「さっき検問で軍人が代われといっていた」という返事。
まあ、私たちは外人だからいい場所に入れてくれたのかな?とその時は好意的に考えていたのだが、これが彼ら(運転手と従業員)の巧妙な罠だと気付いたのは料金の支払いの頃だった。

 このミクロに乗る時に、私たちは値段を運転手に聞いてしまったのだが(今思えばこれが最初のミステイク)その時彼は「1人50ギネー(約2000円)」といっていたのだ。
私はシナイ向けのビジョーの相場は全く分からないし、6,7時間かかるからそんなものかなと思って乗ったのだが、少し気になって、休憩の際に他の乗客に聞いてみたところ、実はヌエバまで「25ギネー(約1000円)」と定価を教えてもらった。

 それを聞いたので、私は1人25ギネーしか払わないぞと思っていたのだが、運転手たちは、支払いの段階になって、私たちが後ろの席にいると、

という恐らく2点から私たちを前の席に移動させたのだ。う〜ん。狡猾な奴等。

 案の定、支払いの段階になって、みんなから料金を徴収しはじめた時に、私たちが払った50ギネー(約2000円)は「後で」といって返された。
 そうこうしているうちに、満員だった定員も一人二人と消えていき、車内は私たちを除いて2人ほどしか客がいなくなった。
 そして、他のビジョーを彼らが止めてくれた(深夜1時ごろ)。彼らはシャルムに行くのが目的らしいのだが、St.カトリーナへ向かう途中のポイントまでは乗せてくれるということ。
 とりあえず、次のビジョーを確保して待ってもらってるうちに、再度料金の支払いになる。私が「2人で50ギネーだ!。俺はそう聞いた(1人50ギネーといったところを2人で50ギネーと思ったということにして)」と強く言っても彼らも引き下がりません。でも、何より恐いのはこの待ってくれているビジョー(このビジョーはイスラエルのツーリストを乗せていた)が去ってしまうことです(彼らはそれも計算に入れていたのかも?)。今は深夜1時。これを逃すとそうそう他のビジョーを拾えそうにありません。
 そういうこともあり、結局1人10ギネー多い35ギネー(約1400円)を払って終了。

 本当に久し振りにものすごい悔しい思いをしました。これが夜でなかったら、他の交通機関を利用できる可能性が高いから一歩他利とも妥協はしなかったでしょうが、本当に奴等にはやられました。とはいうものの、原因は私の方にあるのです。最初から公共バスの時間を調べておけばこうはならなかったし(公共のバスはチケットがあるのでぼったくれない)、ビジョー乗り場でも運転手に聞かなかったら良かったのです。もうここに来て2年になるというのに、、、。駄目ですね、まだまだ、、、。(だからもっと居れば良かったのに、、、、:大家)

 まあ、いつまでも怒っていてもしょうがないので、気を取り直してイスラエル人が貸し切っているビジョーへ。このビジョーの運転手も結構やります。もう夜遅くて他の交通手段が見付けにくいということを理由に、45分ぐらいの距離なのに1人20ギネー(約800円)という値段を吹っかけます。やっぱり夜の移動はするもんじゃありませんね。移動は昼にすべきだということを今回の旅行で学びました。

 St.カトリーナへ向かう分かれ道の検問所で私たちは降ろされました。この時点で時間は深夜2時ごろです。あとは、St.カトリーナへ向かうバスなどに便乗させてもらうしか方法はなさそうです。
 検問所では何人かの警察官が所在なさそうにしていました。
 彼らの中のトップの人と話しをしていると彼は何とアレキ出身の人。相変わらず世間は狭いね。アレキのローカルな話題で盛り上がったのですが、1時間ほど経っても一向にバスは来そうにありません。どうも今日は日曜日(St.カトリーナの修道院は金曜日と日曜日は閉まっている)だからバスとかは少ないみたい。
 ああ、日の出までもう少しだけど、やばいね。これじゃ。

 ちなみにここから登山口まではやはり1時間ほどで大体50ギネー(約2000円)も払えばいいんじゃないと警察官に教えてもらう。
 3時30頃にようやくミクロバスが1台止まる。警察官が話をしてくれたのだが、彼は90ギネー(約3600円)からまたもまけません。料金交渉もしたのですが、時間がもったいないこともあって、背に腹はかえられないなと思い納得しないままもそのミクロに乗ることにしました。
 ミクロの中ではその運転手が鬱陶しく話し掛けてきますが、無視しました。お前はとりあえず登山口に連れて行けばいいの。

 登山口に着いたのは朝の4時30分頃です。今はちょうど夏至直後で日の出も早く、急いで登らなければ日の出に間に合いません。駆け足で道を進んでいると、ガイドらしき少年が「ガイドいるか?」と話し掛けてきました。この暗い中じゃとても登れないと思ったので、さっさとガイドを頼むことにしました。なおガイド料は上まで案内してくれて35ギネー(約1400円)です。適正なのでしょうか?どうなのでしょうか?もう、それより何より早く登らないと。(喜田くん、いろんな値段を良く覚えてるねー:大家)

 ガイドのムハンマドに「日の出を見たい」というと、「OK」と小さく一言いわれ、彼はそれから猛スピードで山道を登りはじめました。私たちは、ホテルを取らなかったので、荷物が重くとてもついてけそうにありません。「荷物が重いからどっかに預けて」というとムハンマドが「俺が持ってやる」といって重い荷物を2つ持ってくれました。いやあ、それで山登りするの?大変だよ。本当に。
 それでも、彼はすたすた山道をショートカットしながら登ってくれます。あなたをガイドに選んで良かったよ。それでもどうやら彼曰く頂上にはとても間に合わないとのこと。でも、グッドなポイントがあるからそこまで連れて行く。といってもらう。

 何回かの休憩を終えてポイントに着くと程なくして山の間からご来光が登りはじめる。
 噂には聞いてたけど、いいですね。山からの日の出。疲れも忘れしばし感動です。いかった、いかった。
 そうです、この日記はこれからしばらく旅行記のようになってしまいますが、このシナイ旅行や、帰路変で立ち寄る予定のフランス旅行は日記以外にも旅行記を書きたいと思ってます。恐らくかなり内容はダブってしまうとは思いますが、そのうちアップされたら読んでみて下さいね。

 朝、山から下りたあとは一般の車に乗せてもらって(240キロを180ギネー(約7200円))でシャルムまで。14時ごろシャルムに着いたけど、あまりの疲れから夕飯を食った後さっさと眠ることに。ああ〜。のんびりするつもりだったのに〜。まあ、明日はのんびり休もっと。
 

7月5日

 一日オフ! 明日からは疲れそうなので今日はのんびりすることに。のんびり起きたあとはプールで久し振りに泳ぐ。のんびりするつもりが30分ほど泳いでしまう、、、。

 昼過ぎには合流する予定の玄ちゃんを待つため部屋に戻る。14時ぐらいには来るかな?と思っていたのだが、一向にやってくる気配がない。心配していると18時過ぎに疲れきった姿の玄ちゃんが部屋に来た。

 どうしたの?と聞くとどうも玄ちゃんSt.カトリーナにいく途中のドライブインで食べたコフタ(挽肉)に当たったらしくひどい下痢で吐きまくったらしいのだ。もうこっちに来れないかも?と心配していたのだが、気力で下痢を治しほうほうの体でここまで辿り着いたみたい。顔色もまだまだ冴えていない。
 玄ちゃんの一人旅は必ず何か起こる気がする。ギリシャも降りる島を間違えた上に船酔いでダウンしたし、、、。まあ、何はともあれシャルムに来れて良かったね。

 明日からは辛(そうな)訓練なので早く寝ましょう。
 

7月6日

 いよいよオープンウォーターの訓練開始。朝、水着などを持って集合すると、噂のインストラクターIさん登場。いやあ、Iさん、噂に違わず迫力あります。一生懸命やらせていただくので怒らないで下さいね。

 私たちは3人で受講したのだが、教室にはもう一人日本人の女性の方がいた。この方はスイス在住の方で、スイス人の家族とシャルムに遊びに来たとのこと。いいですね〜。優雅ですね。これでオープンウォーターを受講するのは4人になり、配分的にもちょうどよくなった(ダイビングは2人1組で潜るため)。

 午前中講義が終わった後、昼過ぎからいきなり潜ることに。大丈夫か?
 私は一応水泳は得意なのだが(なんたって水泳指導でエジプトに来てたし、、、)、ダイビングはまるで勝手が違います。
 その中でも私が一番戸惑ったのはマスクで鼻が覆われていることです。水泳を泳ぐ時は2眼のゴーグルで当然鼻はゴーグルで覆われていません。ですので、泳いでいる時には鼻から息を吐いて、空中では口から息を吸い込むことが出来ます。これが、ダイビングになると1眼の大きなレンズに鼻もすっぽり覆われているので出来ないのです。これは3歳で水泳を始めた頃から「水の中では鼻で息を吐くように」といわれて習ってきた私にとってはなかなか大変なことなのです。でも、鼻が覆われているマスクで息を吐いてしまうと当たり前ですがマスクの中に水が入ってきます。
 まあ、訓練は後3日あるのでその間に覚えればいいか、、、。

 午後の実技のあとは再び講義があり、今日のメニューが終わったのは結局19時過ぎ。いやあ。疲れました。その後みんなで生ビール(シャルムはエジプトじゃありませんからお酒も沢山飲むところがあります)を飲む。疲れた後の一杯って美味しいんですね。
 明日に備えて、今日も早く寝ることに。俺達ここにリゾートしに来たんじゃなかったんだっけ??
 

7月7日

 七夕! ってこともすっかり忘れるほど今日も厳しい訓練が、、、。 どうも、これは修行ですね。ダイビングって辛いものだったのですね、、、。Iさんは水の中で何かあったら必ず助けてくれそうな安心感はあるのですけど、間違った行いをした時には、、、。

 19時過ぎに訓練を終え、中華で疲れを取ることに。明日は学科の試験もあるし頑張らないとね。
 

7月8日

 初ボートダイブ。今までの訓練ははっきりいってあんまり楽しいものではなかったが、今日は1日ボートの上でとても楽しそう。ボートに乗って紅海を見ているとこれこそ正にリゾート! いやあ、旅行6日目にしてやっといい気分です。ダイビングって面白いものだったのですね、、、。
 ダイビングの合間にはボートの上で昼食も摂る。ボートの上で食べる昼食。いいですね。いい感じですね。今日はとてもいい1日で終わりそうな予感です。

 それにしても紅海はきれいです。こんなところでダイビングの免許を取れるなんてやっぱり贅沢なことなのですかね。

 ボートダイブを終えて、ダイビングセンターに戻ってからはとうとう学科試験。まあ75%以上で合格だから大丈夫でしょうと思って試験を受ける。
 採点を各自でしていると、最初の方からやけに間違いが多い。確か13問がボーダーだっけ?とか不安な気持ちのままで採点を終えると、間違いは結局13問。50問で75%以上が合格ってことは13問だとどうなるんだろう、、、と思っていると、Iさんが「落ちてるよ!」と教えてくれる。
 がーーーん。当然落ちたのは私だけ、、、。駄目だな〜。おいらって、、、。
玄ちゃん冴ちゃんも落ち込む私に声をかけにくい様子。ごめんね。リゾートで心配かけちゃって、、、。

 みんなに励ましてもらって少し落ち着いたので、夕食にいくことに。明日の追試がんばろっと。ピザハットでピザを食べた後は「ハードロックカフェ」にいく。ミーハーですね。でもここすごく雰囲気あります。でもカクテル一杯の値段は大体25ポンド(約1000円)もします。日本以上だね、、、。
 ハードロックカフェの雰囲気を楽しんでホテルに戻る。もう明日にはシャルムを後にするんですね、、、。早すぎました、、、。それより明日追試に受からないと私に明日はやって来ません。頑張って勉強しなければ、、、(リゾートに来て勉強に追われるとは、、、)。
 

7月9日

 午前中2本潜った後、私だけ追試を受ける。昨日の勉強の成果か何とか合格することが出来て、4人とも無事オープンウォーター講習を終える。良かった〜。これで落ちたら何のためにシャルムに来たのかって感じだったよ。

 Iさんも4日間本当にお世話になりました。ありがとうございました。いつも厳しく、時に優しく接していただいたおかげで何とか少しは潜れるようになりました。
 スイスからやってきたSさんもありがとうございました。シンクロやってたんですね。どおりでいつもスカーリングしてると思いましたよ。また、一緒に潜れるといいですね。それとスイスにいった時にはよろしくお願いいたしますね。

 14時30分頃すべての講習を終了したあとはタクシーでバス乗り場に。バスは15時発なので急がないと。
 バスの狭い席で長い間揺られて結局カイロに着いたのは23時ごろ。疲れた〜。でも、おいらたちはこれからまだアレキに帰らないと。
 カイロからアレキ行きのバスに乗って我が家に辿り着いたのは3時ごろ、、、。リゾートでリフレッシュしてくるつもりが慌ただしい1週間になってしまいました、、、。でも、ライセンスは無事取れたので、今度からは(今度があるのか?)ボートダイブでのんびりできますね。

 玄ちゃん、冴ちゃんもお疲れさまでした。おかげさまで楽しい旅行になりました。また、みんなで修行しようね。
 

7月10日

 夕方にはカイロでアナカン業者にパスポートと搭乗券を渡さなきゃいけないため、今日も忙しい1日になりそう。

 朝起きた後は電話代を払いに電話局に。今回は半年で約250ギネー(約1万円)でした。まあ、こんなものでしょう。
 その後シスターの家に挨拶にいく。シスターあきこは今日本に一時帰国中なのだが、他のみんなと逢いたくて尋ねると、シスターベレンがいた。ベレンさんに「今日カイロに上がるんですよ」というと「今日は他のみんながいないのよ」といわれる。「もっと早く連絡くれ泣きゃ」とベレンさんに少し怒られたあと(ごめんなさい。時間に余裕がある時にお邪魔させていただくべきでした、、、)、他のシスターたちがいる学校に連絡を取っていただく。シスターロゼッラにも「ハラーム(直訳は難しい。「やっちゃいけない」っていう感じですかね?)」といわれてしまう、、、。本当にごめんなさいでした。でも、またきっと再会できると信じています。

 シスターたちと挨拶を終えた後自宅に戻って最後のパッキングをする。一人でパッキングを済ませる予定だったのだが、結局冴ちゃんに手伝ってもらうことに。ごめんなさいね。最後まで迷惑をかけました。

 ヌールも「挨拶にいくから」といってくれた。15時には出発するからというと「14時30分までには行くよ」といって、15時過ぎにヌールがやってくる。だから15時には出発するって行ってたじゃないか〜。まあ、ヌールだからいいけど、、、。
 そうだ、タクシーでカイロに行くからヌールにタクシーを拾ってきてもらうことにしようか。俺が交渉するよりヌールが交渉した方が絶対安くなるだろうし。
 ヌールに「お願い」というと「分かった。でも、俺これから仕事だから17時にタクシーを拾ってコウヘーの家まで行くよ」といわれる。気持ちは嬉しいけど、俺は19時には玄ちゃんと待ち合わせしてるんだよ。アレキ→カイロ間は3時間以上かかるから17時だと間に合わないんだよ〜。といってもヌールは「俺がするから」といって聞きません。まあ、ヌールも好意で言ってくれてることだし、「最後にきちんと見送りしたいから」と言われたので、結局ヌールに甘えることにする。

 玄ちゃんに電話して「ごめん20時ごろになるよ」と謝ってヌールが来るのを待つことに。
 結局ヌールがタクシーを連れて家に来たのは18時ごろ。もう完全に遅刻ですな、、、。
 まあ、タクシーも安くチャーターできたし(言い値は100ギネー(約4000円)、その後120ギネー(約4800円)くれといわれたけど、、、)、よしとしましょう。

 ヌールにも2年間本当にお世話になりました。初めの頃は怒ってばっかりでずいぶん迷惑もかけちゃったし、、、。でも、ヌールがおいらのカウンターパートで本当に良かったです。佐藤さんはじめ他の隊員のこともよろしくお願いします。で、また逢おうね。

 カイロに着いて、仕事を終えたあとは、今カイロの語学学校に行っている真幸君玄ちゃんと3人で遅い夕食を摂りに行くことに。すみません。私が遅くなってしまって迷惑をかけました、、、。カイロの美味しい焼き肉やさんのパクシーももう閉まってて、結局タイ料理屋さんで夕食になりました。でも、ここもなかなか美味しかったですね。

 いやあ、今日も長い一日でした。明日はJICA挨拶ですね。お土産も買いにいかなくっちゃ。さて、明日も頑張ろっと。
 

7月11日

 朝からJICAに帰国の挨拶にいく。とは言っても所長とはしょっちゅう話をしているためそんなに緊張せず挨拶も終わる。

 午後はフリーだったのでハンハリーリーにお土産でも買いにいこうと思っていたのだが、「今日は日曜日だからお店閉まってるよ」と黒澤さんに言われたので、ハンハリーリーに行かずにたまっていた仕事を片付けることにする。最後の報告書は提出したのだが、後任隊員への引継ぎ資料と、帰国挨拶の宛名書きがまだ済んでいないのだ。

 夜までかかってやっと仕事を終える。これでもうあとはお土産を買うだけだな。

 今日はカイロに上がっているということでカイロの王道パターンのコシャリカクテルを飲みに行くことにする。
 いやあ、相変わらずコシャリもカクテルも美味しいですよ。これがもう食べれなくなるのはちと残念ですね。

 さて、明日は大使館挨拶です。そうです。そういえば明日で私の任期は終了だった。あれから2年なのか、、、。
 

7月12日

 JICAの車で大使館まで。挨拶を軽く済ませたあとはお土産を買いにハンハリーリーまで。今日はみんなに渡すお土産を買わないと。帰国に備えてお土産リストを作成していたのだが、それを改めて見てみると結構品物があります。

 ハンハリーリーにではまずお約束になっているパピルス屋さん(サニーランド)に行くことに。ここのお店は安くはないのですが、物がしっかりしていて応対もいいので、お客さんにいつも紹介していたお店です。
 しかし、私たちが買い物をするのは初めてです。私と玄ちゃんとも2年分ということで2人で10万円を超えるぐらいお土産買っちゃいました、、、。こんなにパーっと散財したのって日本以来だな〜。でも、結構気持ちいいです。

 パピルスを買い終わった後、香水のビンやその他のお土産をバーっと購入。いやあ、今日は本当にお金使いましたね。

 買い物が終わって、一段落する暇もなくJOCV主催の送別会に。今日は私と玄ちゃんのためにJOCVとJICA関係者が集まってくれるみたいです。ありがたいですね。
 仲良くしていただいた皆さんと話も弾みます。皆さん2年間どうもありがとうございました。

 明日は朝早い飛行機のため0時過ぎにはホテルに戻る。
 でも、今日が本当にエジプト最後の夜なんですね。まだまだ実感が湧いてきません。まあ、まずは明日飛行機に乗り遅れないようにしないと、、、。
 

7月13日

 朝5時にホテルのロビーに降りると、JOCVの皆さんJICAの木下さん、それに留学生の真幸君冴ちゃん、さらにJICAの運転手さんのサアドさんと木下さんのドライバーであるムスタファさんの姿もあります。みんな、こんなに朝早いのに見送りに来てくれるなんて、、、。本当に感謝感謝です。ありがとうございます。

 車はサアドさんの運転の下、一路カイロ国際空港へ向かいます。空港に無事車が着いたあとはみんなと最後のお別れです。JOCV隊員やその他のみんなと話しをしていたところ、隊員の平塚さん(カイロ近郊:幼稚園教師)が何やらお土産を取り出しています。 、、、まさか私たちにお土産を?
 そういえば、前回、先輩隊員が帰る時には私がお土産担当だったのですが、帰国直前に貴族御用達のティッシュケースなどをあげて非常に喜んでもらったことを良く記憶しています。まさか、俺にもそんなものをくれるんじゃないだろうな?? と不安一杯で待っていると、出て来ました、お土産が。

 お土産はティッシュケースではなかったのですが、重〜い重〜い青い色の飾り物です。この品物を私の足りない日本語で説明するのは非常に難しいのですが、どういった一品かというのを簡潔に説明させていただくと、数珠のようなものの巨大版といったところでしょうか?重さは2キロ以上はありそうです、、、。
 そして、それは本来は飾っておくもの?だと思うのですが、それを平塚さんから首にかけていただいいたのです。

 帰国前で荷物も両手一杯抱えている私にこんなに心のこもったプレゼントをして頂けるなんて、さすが協力隊員の皆さんですね。多分アイディアを考えたのは平塚さんだと思いますけど、、、。このお返しは日本で必ず、、、。でも、みんな本当にありがとうございました。見送りに来ていただいて本当に感激しました。今度は日本でまた必ず逢いましょうね。

 その飾り物を首からかけたまま、みんなとお別れをして空港内に入ります。
 出国カードを記入しているのがいまだに少し信じられません。もう1時間後にはエジプトをあとにしているんですね。

 さて、パリまではエアフランスで行きます。飛行機の中に入るとスチュワーデスもパーサー(っていうんですかね?男の客室乗務員さんのこと)もパリジャンって感じです。思わず私も「メルシー」とか「シルブプレ」とか言っちゃいます。う〜ん。機内から既に気分はフランスです。

 機内では玄ちゃんとパリの情報誌を見ながら軽くフランス語の勉強です。今日はまずホテルを決めて(2,3泊目のホテルは決まっているのだが、今日のホテルが決まっていない)、のんびりしようという予定です。ただ、明日パリ祭だし、パリのホテルはよく埋まっているというので多少不安なのですが、、、。

 パリに着いて、まず荷物を預けようとして荷物預かり所を探したのですがそれが見つかりません。しばらく探したのですが、それらしきものがまるでないので、インフォメーションセンターでお姉さんに「荷物預けたいのですけど?」と聞いてみると、「ここには預かり所はありません」との答え。「え〜?どうして〜?」と聞くとなんでもセキュリティのためだとのこと。そういえば、以前この空港で不審物騒ぎがあったんですね、、、。

 いきなり予定が狂ってどうしようと思い、玄ちゃんと善後策を練ることにしました。まあ、とりあえず今日の宿を確保しようということになりユースホステルに電話をしてみました。が、ユースは今日はフルらしいのです。が〜ん。いきなり幸先が悪いです。

 この後も色々出来事があるのですが(っていうほどはないけど、、、)、それはまた旅行記に改めて書かせていただきたいと思っております。

 とにかく、初日はホテルに着いた後、疲れたのでさっさと飯を食って寝ました。でもとりあえず、「凱旋門」は見れたし「エッフェル塔」も眺めたしよしとしましょう。さて、明日はパリ祭!楽しみだな。
 

7月14日

 まずオランジェリー博物館を見ようと思って割と早起きしました。ところでパリとエジプトの時差は今エジプトは夏時間ということもあり1時間です(であってたっけ?)。ですので当然時差ぼけもありません。

 で、ホテルからオランジェリーに行こうとしたのですが、今日は「パリ祭」のため大きな道路が軒並み封鎖されて通ることが出来ません。迂回してみたり色々試したのですが、駄目みたいです。でも、その途中でパレードを見ることが出来ました。ちょっぴりラッキーです。

 結局この日は「ルーブル美術館」「ピカソ美術館」を見ました。なんてミーハー。
 その後美味しいフランス料理を食べて、パリ祭の花火など見ました。ああ、パリ。なんて素敵なんでしょう。
 

7月15日

 今日は玄ちゃんユーロディズニーランドへ、、、。
 ここも良かったですね。
 ああ、あっという間にパリも今日が最後の夜、、、。
 

7月16日

 午前中のんびりした後シャルルドゴール国際空港へ。免税店で最後の買い物をしようとしたらまたも空港の通路が閉鎖されていく。また不審物騒ぎかしら?

 結局通路が閉鎖されて免税店に行くことが出来ず最後の買い物は断念する。も〜〜。

 まあ、でもパリ良かったので許すよ。
 さあ、いよいよこれで本当に帰国です。帰りは何とJAL!「うどんでスカイ」をゲットしてやるぜ。
 


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