今月は18日に福島の二本松にある協力隊の訓練所へ「任国事情」を話に行きます。この「任国事情」と言うのは今エジプトに行くために訓練を受けている協力隊員候補生に「エジプトってね〜、、、」っていう話をしに行くのです。とはいっても今回は既に3回目の任国事情らしく、既にエジプトに関する話はだいぶ聞いてそうな感じです。まあ、久し振りに松山脱出できるから、ちょっと東京にいようかなと言った感じです。シスターにも会いたいですしね。
それまで、今月は何しようかな? まあ、とりあえず依頼された原稿を仕上げて、、、。それからそれから、、、。
20時30分頃にようやく雷雨もおさまってきました。この様子だと飛行機着くのは遅くなっただろうなー。と思いながら待ち合わせ場所で待っていると、21時20分頃電話が鳴りました。「何か、いやな予感するなー」と思っていると、案の定、「すみませーん。今大阪なんですよー」と言われました。ああ、、、やっぱり飛行機は引き返してしまったんですね、、、。折角の機会だったのですが残念です、、、。でも、こればっかりは仕方がないですね。天気を恨むしかないですね。
と、いうことで結局どいっちたちと飲むことに。どいっちに事の顛末を話すとすかさず「ほらな」と言われちゃいました、、、。まあ、Tさん。今度は東京ででも是非お会いしましょう!その時までお元気で!
でも、最近肩や腕が上がらなくなるとのこと。どうも50肩みたいです。お灸もしてるっていってましたし。早く良くなるといいですね。
話をすると玄ちゃん仕事頑張っているみたいです。子供達との格闘も「マンスーラの子供に比べると可愛いもんよ」ということらしいです。確かにエジプトの子供達に比べるとね〜。彼らすごかったもんね。
玄ちゃんとは任国事情の帰りにでも会うことにしました。あんまり無理しないようにねー。で、ラスベガス計画も練り直さなきゃね。
すると早速ヨッシーに「遅い!俺は5分っていったろうが」と言われました。そりゃあいってたけど、、、。まあ、とりあえずお酒をたっぷり飲ませてもらいました。ヨッシーはかなりのペースで飲みまくり、最後は完全に壊れてましたね。でも、壊れたヨッシーを見るのは相変わらず面白かったです。また誘って下さいねー。
このお祭りの不思議なところはお祭り前前日と前日に行われる「提灯行列」です。この提灯行列がどういうものかというと、各学区の子供達が「持ってこい!持ってこい」といいながら各家庭を練り歩きお金やお菓子を持っていくのです。当然そういったものをあげたくない人もいると思うのですが、そういった家の前では(電気がついているのに玄関に出てこない人達とか)、「持ってこ〜い!!」の大合唱が始まったり、「居留守使うな〜」とかって子供達がいうのです、、、。
私は小学校6年生の時に松山に引っ越してきてそのお祭りを目にしたのですが(以前も松山にいたのですが、その時はそのお祭りの記憶がありません)、結構衝撃的でした。
まあ、それでも全国にはもっとすごいお祭りってあるのでしょうね。
折角なので、お互いの近況を話しているとジミーが「あっ、ちょうどよかった。ついでにちょっとお願い」といって、某国際電話外会社の加入書を書いてくれとお願いしてきました。彼は車屋さんに勤めているのですが、そこも不景気らしく色々手を出さなきゃ行けないらしく、まあ、はいるだけならただなので「いいよ」といっておきました。でも、社会人のみんなは大変そうです。そういえば、高校時代の同級生のゆすのところはコンピュータメーカーなのですが、「うち、今墓石も売るでー」とかいってましたしね。
とにかくジミー、仕事頑張ってねー。で、また会おうね。
ここの歯医者さんは私の母も利用しているのですが、先生がなかなかマニアックという話です。
先生に会って状況を説明することに。「以前治療した(エジプトで歯を一本治したのです、、、)歯が不安定なのと、もう一本痛い歯があるのです」といって、撮ってもらったレントゲンを見ながら説明を受けました。どうもエジプトで治した歯は今日本では使わない材料を使って歯を覆っていたみたいです。でも、そこまで技術は悪くないよ。といわれとりあえず一安心です。もう一本はどうやら銀歯の隙間から虫歯が出来たみたいです。
今日は一通り話を聞いて歯石を取ってもらいました。そして、本格的な治療は来週からということでした。年内には虫歯が治るといいな。
大枚をはたいて新しいチノパンをゲットしました。これで福島の用意は完璧ですね。
捕まえた後ジョーをこってりしぼりましたが、はたして分かってくれたのか、、、。
点検してみると車はすぐ直ったみたいです。そのお客さんは時折私の方をちらちら見て何か言いたそうにしていたのですが、意を決したのか私に「あのー、すいません。えっと、息子さんですか?」と聞いてきました。「え?息子さんって土居のですか?」ってびっくりして聞き返すと「はい。でもそれはないですよね。まさか」といいました。そりゃないよ、ほんとに。だって同級生だよ、俺達。「同級生ですよ」といってみると案の定めっちゃびっくりしてます。
それにしても、おいらのお父さんに見られるどいっちって一体、、、。
彼とどいっちと3人で1時過ぎまで話す。いやあ、社会人としてみんな頑張ってますね〜。おいらも早く社会人になりたいな。
協力隊は現在年に3回(4月訓練開始、7月出発。9月訓練開始、12月出発。1月訓練開始4月出発)訓練が行われています。ちょうど今回はアレキの私が体育を教えていたSt.マルコカレッジに美術隊員として行かれる方や、マンスーラに音楽で行く玄ちゃんの後任隊員もいるのでとても楽しみです。
無事資料作りは終わりました。任国事情は月曜日なのですが、私は日曜日の朝にまず東京に行って今一時帰国しているシスターに会う予定です。シスター。元気ですかね〜。
バスに乗りましたがさすが日本です。長距離バスとあって独立シートです。それに各座席には「スリッパ」までついています。リクライニングもゆったりできるしああ、日本って素敵です。更にアナウンスを聞いていると冷蔵庫に入っている缶ジュース(当然「ポンジュース」です)や、紙コップで飲むことの出来る「お茶」「コーヒー」「水」も飲み放題らしいのです。これエジプトでやったらあっという間に争奪戦が始まって1時間もしないうちに無くなりそうです。でも、ここは日本。飲み放題だからといってみんな取り乱す様子もなく、2,3人が缶ジュースを飲んでいるぐらいです。ああ、ここは日本。
22時を過ぎると消灯で、車内は一気に暗くなりました。これならバスでも眠れそうです。今日はいい夢見れそうです。それではお休みなさ〜い。
さて、予定より少し早く着いてしまったので、山手線を一周回ってから、大井町へ向かうことにしました。
大井町からシスターに電話を掛けて待ち合わせ場所と時間を決めました。シスターに会うのも3ヶ月ぶりぐらいです。でも、前もそうだったのですが、日本でシスターに会うのってなんか不思議な気分ですね。
待ち合わせ場所に着いてしばらくするとシスターがやって来ました。シスター、お元気そうでなによりです。
お互いに近況報告などしながらシスターの家に向かいます。そして、教会で行われているミサを少し見学させてもらいました。私にとっては日本では初めて見るミサです。でも、お話が外国語よりよく分かるのでいいですね。
その後、シスターの家で大勢のシスター達と一緒に昼食をいただくことに。アレキは慣れているのですが、シスターがみんな日本人だと緊張しますね。やっぱり。
でも、シスターが私のことを紹介してくれて、緊張も少し解れます。そして、おいしく昼食をいただき(今日のメニューは「松茸ご飯!」など)ました。シスター、アレキでも日本でもいつもありがとうございます。
昼食をいただいた後、シスターと近くを散歩することにしました。この辺は閑静な住宅街で、近くに「仲代達矢(でしたっけ?漢字)」の家もあります。
そんな中を散歩していると、シスターが「この辺にドミニコ会の教会もあるから見てみない?」といってきました。私も色んな教会を見るのは楽しいので教会へ向かうと、シスターが向かったのは私立の女子学校の中です。日曜日なので生徒はいませんでしたが、私は「大丈夫なのかな?」と終始不安でした。しかし、シスターは気に留める様子もなくどんどん中に入っていきます。
そして、教会内に入ろうとすると関係者の人が「結婚式の方ですか?」と聞いてきました。シスターは「いいえ、見学に来ただけなんです」というと「今は少し、、、」といわれたのですが、シスターは「でも、少しだけ」とさりげなく粘ります。すると、その人も「では上からならいいですよ」といったので、上に行きました。上から中に入ってみると、何とそこでは結婚式の聖歌を沢山の人がコーラスしています。しかも指揮をしているのはその学校の校長先生みたいです。どう考えたって場違いでしょう。と思っていましたが、シスターは平然とその場で式の様子を見ています。
コーラスの人達は私たちに気付いていると思いますが、何も言ってきません。多分関係者とか何かだと思ってるんでしょうね。そうじゃないといきなりコーラスをしているところに入りませんよね。普通。
しばらく式を見学させてもらって外に出ました。シスターに「いやあ、びっくりしましたよ。さすがシスターですね」というと、シスターは「私も恐かったわ。きだ君がいるから出来たのよ」といってました。いやいや、シスター。そうじゃないでしょう。と思っていたら、シスターはまた他の女子校内にある教会に向かっています。そこは校門に「校内に無断で入ってはいけません。用のある方はインターフォンで連絡を」とあったのですが、シスターは案の定ずんずん教会内に進んでいきます。ほら。シスター、やっぱり。
結局4時間ほどシスターと楽しく散歩させていただきました。シスターと会うのは久し振りでしたが、いつも通り楽しい一時を過ごさせていただきました。シスター、またまた今日もお世話になりありがとうございました。また是非お会いして下さいね。
夜は大学時代の先輩で、エジプトにも遊びに来ていただいた森田さんの家に泊めていただく。森田さんと会うのはエジプトであって以来ですね、お久し振りです。森田さんとお酒を酌み交わしながらエジプトの話などで盛り上がる。今回は今日と、明日よろしくお願いしますね。
今日は本当に充実した一日でした。最近死んでましたから、、、。
駅からはバスに乗って秘境青年海外協力隊二本松訓練所へ行きました。訓練所も変わってませんね。ただ、職員の皆さんは異動があったみたいであまり知った顔の人がいませんでした。
任国事情は語学の授業が終わった15時からです。私たちの語学の先生だった「サイード」先生はもう授業も終わって帰っています。
エジプトに行った時に手紙も出さなかったこともあって会いづらいですしね。と、程なくして、エジプト隊員の人が呼びに来てくれました。その方と教室へ向かいながら「サイード先生どうですか?」とかいっていると、「先生今待ってますよ」といわれる。え〜。サイード先生待ってんのー。が〜ん。
教室に入ると懐かしい先生の顔です。変わってないですね〜。先生と軽くアラビア語で会話を終え、生徒のアラビア語を聞かせていただいた後先生は満足そうに教室を出て行きました。先生。機会があればまた会いましょうね。
今回エジプトに行く隊員は5名です。St.マルコに行くSさんとも初対面でしたが、格好のいい好青年って感じでした。きっとザーヘルに気に入られるんだろうな〜。気を付けて下さいね。
マンスーラに行く玄ちゃんの後任のKさんにも会いました。Kさん、雰囲気はどことなく玄ちゃん風です。笑顔の素敵だったKさん。きっとマンスーラで子供達に大人気でしょう。
これからエジプトに行く皆さんに妙な先入観を与えたくないので、話はなるべく簡単に済ませることにしました。とにかく皆さん。2年間無理だけはしないようにして下さいね。皆さんが楽しく毎日を過ごされることを、心から祈ってますね。
今日はゆすのいる甲府へ遊びに行くことにしました。ゆすの仕事が終わるのが18時ごろらしいのでマンガ喫茶で時間を潰していると15時ごろゆすから「もういつ来てもらってもいいよ」と電話をもらいました。どうも、私のために仕事の融通を付けてくれたみたいです。ごめんね〜。
結局17時過ぎの「スーパーあずさ」で甲府へ向かうことにしました。JRの特急に乗るのもこれまた久し振りですが、アレキ〜カイロ間の列車より当たり前ですが快適です。日本の列車で驚くのは揺れが少ないことです。日本の技術力ってすごいんですね。
甲府駅に着くとゆすが迎えに来てくれていました。ゆすとは夏に松山であったので、そんなに久し振りではありませんがやっぱり嬉しいものです。
夕食は甲府名物の「ホウトウ」をご馳走になる。ホウトウ。食べたことあります?なかなか美味しいですよ。
夕食の後は飲みに出かけて盛り上がる。ゆす、今回もいっぱいご馳走になってありがとうございました。俺もどうやら東京で働くようになりそうだから、またよろしくね。
今日は美味しいお酒が飲めました。いい1日でしたね。
甲府からバスで東京に戻り、その後飛行機で松山に帰ってきました。今回は東京、福島、そして甲府と満足できた旅になりました。やっぱり松山にずっとくすぶってると駄目ですね。気分も滅入っちゃうし。たまに外の空気を吸うことって必要だなって今回感じました。最近疲れてたし、、、。
さて、後日母が職場の病院に「黒玉」を持っていったのですが、大盛況だったとのことです。ありがとー。
その後、OBの皆様と飲みに行く。みんな就職のこと気に掛けてくれているんだけど、まだまだかかりそう、、、。
家に帰る頃には体もくたくた、、、。まあ、体力を付けるのは悪いことじゃないから腰を壊さないように体を鍛えようっと。
原稿を改めてチェックして懇談会へ。会場は確実に私より年上の先生ばかりです。緊張するなー。
発表が始まり、私は相変わらず緊張して早口で話していました。話している時は聞いている人の反応を見たいこともあってなるべく会場を見回すことにしているのですが、そこで見たことのある顔を発見!
っていうか、私の高校時代の担任の先生がいたのです。
思わず発表している途中で固まってしまいました。先生が来てるなんて、、、。先生は更にびっくりしたことでしょうが、私も驚きました。
発表も何とか終わって、その後懇親会があったのですが、その場で先生と久し振りに話せました。先生は今は現場を離れているということでした。思わず先生と会うことが出来て良かったです。この先生。なかなか大変だった私たちのクラスをうまくまとめていて高校生心に「いい(熱意のある)先生だ」と思っていた先生だったのです。
それにしても、生きていると驚くことに色々あうものですね。