メイヤメイヤのアレキその日暮らし

〜華麗なアレクサンドリアでの日々を綴る〜 

3月1日

 Mさんと彼女をピラミッドに案内する。ピラミッドは以前に比べて土産物売りがまともになっていて少しほっとする。
 Mさんと彼女はラクダにも乗りピラミッドを堪能。日本人の観光客も何人か目にする。また少しずつ増えてきてるみたい。
 その後Mさんと彼女はアッパーに向かうため一緒にラムセス駅に向かう。電車の乗車券を買おうと思うと1,2等ともソールドアウト。あ〜あと思っていたら係員のおっちゃんが「券あるよ〜」といってくる。どうも、当日になると係員のおっちゃんが乗車券を定価以上で売るらしい。背に腹はかえれないので10ギネー(約400円)ほどバクシーシを払うことで売買成立。
 成立したところで私はアレキに帰るため電車に乗る。Mさんは3月5日頃アレキに来るらしい。無事辿り着いてね〜。
 

3月2日

 いつものようにSt.マルコに行く。平凡な一日。
 

3月3日

 今日は雛祭り!エジプトじゃ当然関係ないけど…
 

3月4日

 夜にMさんから電話がある。どうやら無事にルクソールを旅して、明日アレキに向かうとのこと。明日はアブキールですな。
 そろそろ部屋の掃除もしなくては…
 

3月5日

 夜9時にMさんとその彼女がアレキに到着。Mさんはルクソールでエジプシャンに揉まれずいぶん逞しくなった様子。っていっても、彼はインドに半年留学していた人。インドに半年いれるんだったらエジプトなんて楽勝楽勝。
 ルクソールでの感想などを聞いても思ったより楽だったとのこと。やはりインド帰りは強い。
 アレキに着いたのが夜遅かったため、今日のアブキールは諦め我が家のベランダで焼き肉大会をすることに。
 眼下に見えるエジプシャンを肴にビールでかんぱ〜い。焼き肉いただきま〜す。
 焼き肉が終わった後はMさんと飲みながら語る。Mさんは今年、院を卒業しいよいよ就職。大阪に行くらしく帰ったら引越しなどすることがたくさんあるみたい。研修も近いみたいだし。彼女の方も今年卒業で4月から就職らしく、無事就職した2人を眺めながら、私はまた不安になる。果たして就職できるのか…。
 明日に備え積もる話も早々に寝床につく。就職できる夢見るといいな。(夢じゃだめだよ。:大家)
 

3月6日

 フランス人の人達が現在発掘しているというクレオパトラ時代の遺跡をアレキに住んでいる日本人の人達と私たちで見学に行かせてもらう。
 この遺跡はアレキの港の近くで高速道路を作っている時に発見されたもの。ガイドさんの話によると、この高速道路は港からの資材などを運ぶために非常に重要なもので周りは住宅が密集しているために他に迂回路がないとのこと。勿論、そこで見つかった遺跡(昔の墓)も重要なのだが、フランス人の人達が発掘、調査できるのは3月一杯までとのこと。その後のことはエジプト政府に任さざるを得ないらしく、恐らく遺跡は高速道路の中に眠ってしまうのでは…。
 文化財も大事だけど、インフラ整備も大事。こういう場合日本ではどっちを優先するものなのでしょうか?
 遺跡を見に行く前に1時間ほどフランス人のガイドさんにたっぷり講義を受けてから現場に到着する。
 現場は話通り高速道路の建設途中。その遺跡の部分だけ200mほどぽっかりと工事が中断されている様子。しかし、せっかくの遺跡なのにエジプシャンにとっては空き地と一緒らしくゴミが早くも散乱している。そういえばエジプトの空き地って必ずゴミ捨て場になるもの。
 遺跡は紀元前に作られたお墓。そのお墓は大きさや場所によって値段が違ったらしくお金持ちはいい場所にはいれるとの説明を受ける。昔も今もお金の力ってすごいなと思う。
 遺跡見学をゆっくりした後は、アレキに住んでいるNさんご夫妻、Tさん、Wさんの奥さんと私たちでアモンホテル韓国料理!を食べに行った。
 昼からビールやキムチを食べれる贅沢!ここに来たのは確か…遥か昔…。1年半住んでいてまだ来たのはこれで3回目。ここの料理も実に美味しい。チャーハンもどうやったらあんなに美味しく出来るんだろう?
 楽しいお喋りと美味しいお食事をしっかり堪能する。今回は少しは(少しだけど)お金を払うつもりでいたのに、またもご馳走になってしまう。Nさんはトイレに行った時を利用しさりげなく支払いもされていて、そのスマートさに驚いてしまう。社会人になるためのその1を勉強した気分。
 Nさんたちと別れた後、軽くアレキ案内をする。
 その後、夕食はアブキールへ。
 1日の間に韓国料理と魚料理を食べるなんて!「盆と正月」とはこういう時に使う言葉でしょうか?
 なんか少しもったいない気分だけど、しっかり魚も食べる。
 今日は贅沢な一日でした。
 

3月7日

 朝から免税店に行ってもらう。エジプトに来て1ヶ月以内だと1人につき「ビール1ケース、その他の酒2本、タバコ3ケース」を買うことが出来るからその権利を使わせてもらう。今、禁煙中のため煙草は買わないが「ハイネケン2ケース」「ジン、ウォッカ」などしっかり酒を買う。これでまた備蓄が増えたと、こっそり隠しているお酒を眺めまた一人ほくそえむ。玄ちゃんにもハイネケン1ケース売ってあげるからね〜。(マージン取るんじゃないよ、喜田君:大家)
 その後、昼飯を食べ残りのアレキ観光へ行く。今日はカイトベイを見てあとはお土産を探す予定だったが、セシルホテルの前で偶然知り合いのタクシー運転手に会い、彼が「40ギネーで観光地を回る」というのでタクシーをチャーターすることに。
 結局、少ない時間で効率よく観光地を回ることが出来た。
 しかし、知り合いのタクシーの運転手(前住んでいたユースホステルによくたまっていた人)ですらタクシーを降りる前に「チップ欲しいな」といってくる。観光客を二人乗せていたので、彼らからお金をたっぷりとって欲しい様子。っていっても40ギネーって言ってたじゃないの〜。と思いつつしょうがないから10ギネーほどチップをあげる。ほんと、エジプシャンったら…。家の電話番号も教えなくて良かった。
 家の電話といえば、私は引っ越して電話が部屋についたのだけど、アレキに住んでいるエジプシャンの知り合いの4,5人を除き電話があることを隠している。電話番号をみんなに教えると大変な目にあうことを玄ちゃんのケースで学んだからだ。
 しかし、この前教えてないはずの知り合いから電話が。どうもインターネットのプロバイダに問い合わせて教えてもらったらしい。っていうかプロバイダ。お前勝手に人の個人情報を教えるな!。っていっても、ゴミも漁られるししょうがないのかも…。だってここはエジプトですもの…。
 夜、Mさんと彼女を駅まで見送りに行く。Mさんたちはこの後イスタンブールへ。短い滞在だったけど、エジプトを好きになってくれた様子。インドとエジプトはやっぱり似てるみたいだし。と、いうことは私はインド好きになれるかも!(本当か〜?)
 Mさんと彼女を送った後、家に帰ると少し寂しくなる。
 やっぱり一人って寂し〜い。
 今回、仲睦まじい二人を見て「彼女が欲しい〜」と改めて思う。
 誰かいないかな?
 

3月8日

 プールの生徒のお父さんに、仕事が終わった後、家まで送ってもらう。彼の車はフォルクスワーゲン。かなり古くていい感じ。日本だったら結構するんだろうな。よく分からないけど。
 何でエジプトに来たのかとかこれからどうするかとか車中でいろいろ質問を受ける。生徒の女の子は最近プールに入ったのでお父さんは私のことが不思議でしょうがなかったみたい。
 この生徒の女の子はまじめで練習熱心。私は相変わらず言葉が足りないけど、私の言わんとしていることを先回りしてきちんと理解してくれるのでありがたい。お父さんも礼儀正しいし、やっぱり子供を見ると親の姿が分かるってのは万国共通なのかな?
 

3月9日

 今日は玄ちゃんの生徒たちの発表会! カイロの日本人学校で玄ちゃんの教え子たちと日本人学校の子供達が演奏をするという事で、私は仕事を休ませてもらい発表会を見るため電車でカイロへ向かう。
 JICAのオフィスで玄ちゃんと合流し日本人学校へ。玄ちゃんとマンスーラの子供達を乗せたバスの中はとても騒々しそう。私を見つけた子供達は「コウヘー、コウヘー」と窓から顔を出して叫んでいる。危ないぞ〜。
 玄ちゃんは発表会の前から「生徒たちが練習をまじめにしなくて…」とぼやいていて、彼らがきちんと演奏できるかどうかで不安一杯の様子。学校に着いてからもリラックスしている生徒たちとは対照的に少し興奮気味。まあ、日本人の前だから緊張するよね。分かる分かる。
 日本人学校の校長先生たちと話をしたりしているうちに時間も過ぎいよいよ発表会の時間です。まずはマンスーラの子供達の演奏。この日のために玄ちゃんは寝る間も惜しみマックを頬張りながら子供を教えてきたらしい。その成果か子供達も上手に演奏してます。日本人学校の生徒たちも静かに真剣な目つきで彼らの演奏を聞いてます。
 マンスーラの子供達の演奏のあとは日本人学校の合奏です。みんなの呼吸もよく日本人っぽい感じ。太鼓もあったし。
 そして最後にメインの合同演奏。この日まで一回も合同で演奏したこともないのに「もののけ姫」を息もぴったりに演奏。感動しました。良かったです。
 発表会が終わったあとはマンスーラの子供達と一緒にピラミッドへ。協力隊員4人が彼らを引率します。
 それにしても驚くのは彼らの体力です。玄ちゃんはもうぐったりしてるのにさすがエジプトの子供、ピラミッドに登っているものまでいます
 玄ちゃんは行きはみんなから遅れてゆっくり歩いていましたが、帰りとなるとマッハでバスまで辿り着いてました。やるね。玄ちゃん。
 玄ちゃん以外の隊員3名は黒澤さんのところで夕食を摂る。新隊員の大崎さん(ベンハー、婦人子供服隊員)が料理を作ってくれる。料理は上手との噂通り。ご馳走様でした〜。
 明日はチュニジアに空手を教えに行ってる同期隊員の彼女の友達(この説明も長いな、しかし)をエジプト案内。明日のプランを同行してくれるキララさんと練り就寝。お休み〜。
 

3月10日

 チャーターしたタクシーで同期隊員の彼女の友達(以下Tさん)とその友達(以下Mさん)を迎えにホテルに行く。タクシーで観光するのはギザの大ピラミッドから少し離れたところにあるサッカラダフシュールのピラミッド。それにメンフィスの巨大なラムセス像。朝8時〜15時までチャーターして値段は140ギネー(約5600円)。まあこんなものでしょう。
 Tさんとは、同期隊員の暁からメールアドレスを聞きメールのやり取りをしていただけなので、今回が初対面。「いかにも観光客って感じの可愛い2人」を探す。
 約束の時間の9時ちょうどにそれらしき人達を発見。話してみるとTさんとMさん。日本人って感じのとても可愛い2人組です。
 簡単な挨拶を済ませ最初の目的地のサッカラのピラミッドへ。
 ここのピラミッドは階段ピラミッド。加えていくつかの小さいピラミッドも点在しており、ギザのピラミッドとはまた一味違ってなかなかいい雰囲気。
 キララさんの先導のもと効率よくサッカラのピラミッドを回る。それにしてもエジプト観光をする上でまず大切なのは時期選び。夏にピラミッド巡りはかなりきつい。今ぐらいがいいですね。この日は長袖1枚でちょうどといった気候。
 サッカラのあとは少し離れたダフシュールのピラミッドへ。ここのピラミッドは軍事施設に近いため以前は簡単に入れなかったところ。ピラミッド近くには群服を着た兵隊の数もちらほら見える。ダフシュールのピラミッドは「屈折ピラミッド」「赤ピラミッド」の2つ。赤ピラミッドは中に入れるらしく早速中へ入る。中は空気も薄く暗い。はじめにピラミッドを発掘しようと思った人って勇気があるな。と改めて思う。あとは初めてコンタクトを開発した人もえらい。とにかく、何でも最初ってのはすごいよななんて思いながらピラミッドを眺める。
 ピラミッドもやっぱり不思議。なんでこんなに大きな物が出来るんだろう?玄ちゃんじゃないけど、人間技とは思えない。まあ、宇宙人てのはいまいちピンと来ないけど。Tさんは「神々の指紋」を旅行前に読んできたらしく、「ピラミッドは神が創った」と一言。あなたも玄ちゃん系ですね。この日に備え方位磁針も持って来るなど用意も万端。今後の方位磁針の利用法が気になるけど…
 ゆっくりピラミッドを眺め、メンフィスの巨大ラムセス象も見終えカイロに昼食を食べに戻る。昼食は彼女たちが「ハトを食べたい!」ということで「フェルフェラ」にする。
 フェルフェラも久し振り。私は食事よりビール。ハトは彼女たち曰く「鶏肉と変わらないけど、少し生臭い」らしい。っていうかハトって不味くはないけど食べれる部分が少ないですよね。
 ハンハリーリーで買い物を済ませたあとは「夜のピラミッドショー」へ。このショー。私も初めて見たのだがなかなかいい感じだった。フランス語って言うのが少し…だったけど思っていたよりは満足できた。
 今日はピラミッドづくしの1日。最後はナイルクルーズでしめる。(おー、喜田くん、いつになく気合いが入ってるねー:大家)ピラミッドからマリオットホテルまでエジプトのバスを利用する。これも別の意味でエジプトらしいですよね。
 ナイルクルーズではベリーダンスや音楽、美味しい食事を楽しむ。これも初体験だったけど、とてもいいです。ただ高いので協力隊員向きではありませんが…
 ビールをたくさん飲んでほろ酔い加減で彼女たちをホテルまで見送る。
 今度は4ヶ月後日本で逢いましょうね!
 それと、今日はキララさんどうもありがとうございました。いいタクシーの運転手を見つけてくれたり引率してくれてとても助かりました。今度お礼に私がもらったいい雑誌持っていきますね。あっCD−ROMなんてのもありますよ。どうですか〜?
 

3月11日

 また久し振りの1人。寂しいので今日もお酒を飲む。
 そういえば、明日はシスターの家で昼食だ。土曜日は取材もあるらしいし…
 早くアイード(祝日)来ないかな?(イスラム圏は3月27日頃から5日間ほど犠牲祭という祝日がある)
 アイードの旅行の予約とってないけど大丈夫なのかな?日曜日にでも予約に行こっと。
 

3月12日

 今日はシスター邸で3月末に日本に帰国するNさんの奥さんの送別会を行う。
 シスターは前日から料理を仕込んでいたらしく、数え切れないほどたくさんの料理をいただく。なんか、おいらいつもご馳走してもらってばっかりだな〜。でも、今日の料理も美味しかった!ご馳走様でした。
 食事を食べ終わった後デザートをいただきながらゆっくりとお話をする。
 私も今日でいよいよ任期終了まで後4ヶ月を切りました。最近ふと延長しようかな?と考え出しました。(気は確かか?喜田くん!!:大家)なぜかというと、St.マルコの後任隊員がすぐ来ないことが分かったからです。今、St.マルコでは2人要請が出ているのですが、そのうちの美術隊員が12月で、体育隊員(私の後任)はまだ隊員が取れていない状況なのです。つまり、私が7月で帰ってしまったら次の体育隊員が来るまでに早くても半年ぐらいはブランクが開いてしまうわけで…。
 一番のネックは病気になっているジョーのことなのです。ジョーの無事さえ分かれば延長してもいいかな?と思って(配属先は変えてもらいますが)少し考えているところです。
 と、いっても出来るだけ早くジョーに逢いたいのでやっぱり帰ると思うけど…
 

3月13日

 St.マルコにJICAのミッションで来ていた人が様子を見に来る。アレキに無償で入れた機材のチェックに来ていたらしいのだが、時間が空いたためJOCVの活動も見に来たみたい。ミッションで来た3人のうち1人は日刊工業新聞の記者さん。St.マルコでしばらく話した後に昼食に行く。
 今日の昼食はイタリアン! 食事をしながら協力隊活動のことやODAのことなどじっくり話をする。記者の方はUNHCR(つづり合ってます?)関係のことも詳しく知っているらしく、興味深い話を聞くことができ良かった。
 しかし、就職の話でまた…
 気を取り直して、夜はアレキに遊びに来てくれた玄ちゃんとNさんご夫妻で韓国料理を食べに行く。今日はNさんの奥さんの送別会なのに、またしてもお食事をご馳走になってしまう。いつもいつも本当にすみません…
 

3月14日

 St.マルコで働いているエジプト人の家にシスターともども遊びに行く。彼女の家は思ってたよりもとてもきれいで一同びっくりした。赤ちゃんもかわい〜。
 楽しいひとときを過ごし、帰りはNさんの奥さんにエジプトらしさを体験してもらう。Nさんの奥さんは通算でアレキに5年以上住んでいるがいまだにバスに乗ったことがないということでバスにて帰宅する。
 久し振りにバスでぼったくられそうになり怒りながら帰宅する。
 ほんま、お前らな〜。
 

3月15日

 エジプトに遊びに来ていたMさんから「ジョーが元気だった」というメールをもらう。実は今回、ジョーへのお土産として「私の匂い付きTシャツ」を託したのだが、ジョーはそれをいたく気に入ったらしい。エジに来る前に実家に寄った時には吠えられまくって大変だったそうだが、今回はTシャツを取り出した途端ジョーが吠えなくなったらしい。やっぱりジョーは賢いな。
 

3月16日

 プールの帰り、安いバスを人に聞いて探してたら一緒に探してくれてたおじさんが「俺が金払うからこのバスに乗れ」って言って少し高いバスに乗せてくれた。そんなつもりじゃなかったのに…。
 こっちに来てバス代を多く取られそうになったり、タクシーで「もっと金払え!!」って言われることもしょっちゅうだけど、逆にバスに乗って「お金は要らないよ」っていわれたり、他の人が払ってくれたりすることもよくあって、結局プラスマイナスゼロなのかな?って思っちゃいます。
 

3月17日

 今日は兄貴の誕生日!兄貴は今日で27歳。誕生日おめでと〜。兄貴は4月からお姉さんと一緒に生活をはじめるみたいです。もう結婚式も済ませて籍も入れてるんだけど、お姉さんの仕事が忙しくて3月まで辞めれないみたいで。今は、兄貴は福岡で、お姉さんは松山。もう新居は見つかったのかな?
 

3月18日

 久し振りにヌール(カウンターパート)と青年スポーツ局(本来の配属先)へ行く。ここのボスのビシュルハルブはいつも忙しくなかなか会うことが出来ないのだが、今日はすんなり会うことが出来た。前に彼に会って話をしたのっていつだったっけ?とにかく1年ぐらいは会ってない気が…。最近の活動状況などをヌールが説明し、ビシュルハルブも満足そう。いつも行ってもなかなか会えないのに彼は最後に「1ヶ月に1回は会いに来い!」と言ってくる…。そういえば、4月に来る新隊員もこの青年スポーツ局が配属先。頑張ってね。
 みんなとの挨拶を終え(この挨拶がエジプトでは重要。こんにちはとさよならをみんなに言うだけで30分はかかる)ヌールの友達のムハンマドが働いてる会社に行き、挨拶をする。このムハンマド、1週間ぐらい前からそこで働き出したらしいのだが(政府系の電化製品の修理工場)、なんと、勤め出して1ヶ月は給料がないらしい。おいお〜い。そりゃないやろ。1ヶ月経つと給料が貰えるようになるのだが、それも1日5ギネー(約200円)だけ!やってられんで。正味。そして、仕事が認められると正職員になって月に150ギネー(約6000円)ぐらい貰えるようになるみたい。何でそんな薄給で働くのかとヌールに尋ねると「技術が身につくから」との答えが返ってくる。とはいってもね〜。俺なら嫌だな。(喜田くん、そんな事を言っている場合では、、、:大家)
 ヌールと別れたあとはスーパーに買い物へ!今日はお米5キロ(7ギネー(約280円))、トニックウォーター、スパゲッティの麺などを買い込む。たまの買い物はいい気分転換、50ギネー(約2000円)ほど使う。
 夕食は久し振りに鶏と野菜の炒め物。美味しかった〜。
 

3月19日

 休日!今日はゆっくりとするつもりだったけど、明日のために英語の宿題をする。そういえば、ここ最近英語の授業受けてないな…。宿題をしている頃、ミッションでアレキに来ているコンサルタントのNさんから「夕食でもいかがですか?」とお誘いの電話を受ける。ラッキー。宿題を済ませてNさんに会う。
 夕食はラマダホテルの中華料理屋さん!私はここで食事を食べるのは初めて。いかにも外国人から見た「中国〜」って感じのインテリアに少し…。食事は美味しいが、Nさん曰く「コストパフォーマンスは低い」とのこと。確かにそういわれればセシルの中華の方がいいですね。ここのも決して不味くはないのだが、少々油がききすぎの気も。
 と、いいながらもしっかり料理を美味しくいただく。
 Nさんは今回アブキールにある海運大学校に20年前に無償で入れた船などの器材のチェックに来たらしいのだが、20年前に入れた船が今でも大切に使われていたといたく感心していた。確かにここって自分の所有物はきれいに使ってますよね〜。公共の物はどうでもいいみたいだけど…。エジプシャンの家に行くと、たいていはすごくきれいですもんね。それなら外もきれいにしろ〜!!
 

3月20日

 St.マルコでは母の日のパーティがあるのだが、私はひどい下痢吐き気のため学校を休ませてもらう。今日は久し振りの英語もあったのに〜。
 朝、起きた時点では、「行けるかな?どうかな?行こう」っていう感じで、荷物も用意して家から出ようとまではしたのだが、どうにもお腹の調子が悪く断念する。実は今週はずっと下痢が続いている。一体何に当たったんだろう?
 シスターに電話で「すみません。下痢と吐き気がするので休ませてください」というと、「おかゆ食べなさい!おかゆを」と心配してもらう。そういえば、以前川又さんにいただいたおかゆのレトルトがあったはず、とおかゆを見つけて食べる。本当に久し振りのおかゆ。おかゆをもそもそ食べてるとなんだか本当の病人って感じがして、これもなかなか悪くない。川又さん。おかゆどうもありがとうございました。
 今日はカイロに上がるのだが、少し心配…
 早く治って欲しいな。
 

3月21日

 JICAに久し振りに顔を出し、コピーをしたり、新聞を読んだりする。
 それにしてもカイロはごみごみしてる。空気も悪そうだし…。
 そういえば、エジプトにもとうとうドミトリーが出来ると聞いた。苦節1年半。待ってた甲斐がありました。しかし、その場所はJICAの人が多く住む通称「JICAフラット」と呼ばれるところ…。何もそんなところにドミを設置しなくても…。と思うのだが、まあとりあえず出来ただけでも…感謝しなければ…。
 

3月22日

 月曜日は1週間で一番ハードな日。9時30分〜15時までSt.マルコで、その後一旦休憩した後、19時〜22時までプールで水泳指導。帰って来るのは22時30分頃。
 今日は、明後日、日本に帰るNさんの奥さんがSt.マルコに挨拶をしに来た。Nさんは帰国の際にウサギも一緒に持って帰るらしい。家には、ハトやらウサギやら動物がたくさんいて賑やか。ももちゃん(ウサギの名前)と仲良く帰ってくださいね!
 プールが終わって今日も一日が終わった。疲れたよー。でも、疲れた後のビールは美味しい!
 

3月23日

 プールのコーチのヒシャームアイード(祝日)に食事を食べようと誘いを受ける。今回のアイードは犠牲祭といってイスラム教徒にとって1年で最も大きいお祭り。私とあとげんはこのアイードで念願のアッパーエジプト(エジプト南部)に旅行に行く予定。でも、もう暑そうだな。日焼けしそう。
 お食事の誘いはアイード中は特に多く、このほかにも何人かに「食事にこい」と誘われる。犠牲祭ではみんなで牛肉や羊の肉を食べるのが習慣で、私は今のところ2つの家庭にお邪魔する予定にしている。
 でも、ヒシャームの家はかなりハードなんだよな。赴任当初に一回お邪魔させてもらった時は大変だったんだ、そういえば。家は、私一人ではもう一回行くことはまず出来ないようなスラムの中にあって、ネズミゴッキーも徘徊している中を歩いた思い出が。そして、家で、「ファッタ」というエジプト料理をご馳走になったのだが、この「ファッタ」という料理がまたハード。
 どんな料理かといえば、「ご飯」と「パン(といってもこっちのローカルパン。じゃりじゃりする)」と「牛肉」をごちゃ混ぜにしてなんかよく分からないもので味付けしているっていう一品。でも、せっかくご馳走してくれるのに「いらない」とはとてもいえないので、根性でいただく。今なら、まだ少しはすんなり食べれると思うのだが、あの時はまだ赴任当初。恐かった〜。
 まあ、ヒシャームとも最近遊んでなかったので、行って来るとします。
 

3月24日

 昨日はYさんの家で夕食をご馳走になった。炊き込み御飯は何と栗入り!めっちゃ美味しかったです。それに久し振りに大根入りの味噌汁を食べることも出来ました。ありがとうございました。とても美味しかったです。
 夜、多少ほろ酔いで歩いて帰っていると「コウヘー、コウヘー」と私を呼ぶ声が。声のする方を見てみるとプールのコーチのウサーマが。なんでここで会うかな〜。と思いつつ笑顔でウサーマの方へ行く。しばらく当たり障りのない会話をしていると「飲んだか?」と突然聞かれる。酒飲んでるってばれると面倒いので「飲んでないよ〜」ととりあえず答え、その後急いでその場を離れる。
 アレキって400万以上が生活してるっていわれてるのに、なんでこんなに知り合いに会うんだろ? (みんなで喜田くんを尾行してるんでしょ:大家) 時々ぶらっと街に散歩に行くと、必ずといっていいほど知り合いに会ってしまう。松山ならまだ分かるけど…。
 いつもながら下手なことは出来ないなと改めて思う。(下手なことって?:大家)
 

3月25日

 明日、シーワに旅行に行くJOCVの山本さん、平塚さん、大崎さんが我が家に来る。シーワへ行くバスはアレキ発着なので、我が家に泊り明日に備えるらしい。そういえば、おいらも去年のアイードはシーワに行きましたね。あの時は楽しかったですね。
 夜にみんなが集合した後、海っ子じゃないみんなのリクエストでアブキールに魚を食べに行く。最近ゼフェリオンによく行くなぁ。JOCVのみんなで行くということで行きも帰りも当然のようにバスに乗る。こういう時JOCVで動くと楽なんだよな〜。お客さんを連れて行く時は、乗合バス(座れる)ならまだしも、大きなバス(いつも混雑している)にはちょっと乗ってもらうのは抵抗あるし…。
 

3月26日

 11時に出発のみんなは朝からバスの中で食べるおにぎり作りに勤しむ。シーワまでは約8時間の長旅。食料は必需品ですね。
 バス停までみんなを見送りに行くと、バス停で日本人のいかにも「バックパッカー」といった感じのおばさん(?)がいる。地球の歩き方を持っていたので日本人だと思って「こんにちは」と声をかけると「バスの値段っていくらですか?」と聞いてくる。バス代は去年より2ギネー(約80円)値上がりして27ギネーですよと答えると「ちょっと高くないですか?私、以前は13ギネーで乗ったのに!!」と熱く語られる。っていうか、13ギネーって一体いつのこと…。で、俺に怒っても…。どうやら荷物を入れているおじさんも彼女に英語で料金のことでまくしたてたらしく、少々困り気味だったな。分かるよ。おじさん。俺がもし、おじさんでも困るもの…。
 なにはともあれ、山本さんたちは無事にバスに乗ってシーワへ出発。行ってらっしゃ〜い。おみやげ期待してま〜す。
 

3月27日

 これからルクソールに行ってきます。暑くなければいいんだけどな…(そんなわけないでしょ!:大家)
 

3月28日

 朝早くルクソールに着く。早速うっとうしい客引きをかわしながら予約していたホテルへ。今回の宿は3つ星のアラベスクホテル。部屋を見たところ可もなく不可もなくといったところ。
 荷物を置き早速ルクソール観光。今日の目的はルクソール西岸制覇。自転車を借りて観光へ。しかし、アッパーは暑い! 疲れ果てて12時前には寝る。明日はアブシンベルアスワン。明日こそ暑くなければいいな。
 

3月29日

 アブシンベルに向かうためタクシーで空港へ。それにしてもルクソールは物価が高い。空港までのタクシーも15ギネー(約600円)から下がらない。距離的にはカイロ市内からカイロ空港までの半分ぐらいなのに…(ちなみにカイロ市内からカイロ空港までは20〜25ギネー(約800〜1000円ぐらい)。
 それにしてもアブシンベル遺跡はすごい!大きさにまずは圧倒される。
 その後に寄ったアスワンヌビアのタクシー運転手をつかまえて廻ってもらう。
 やっぱりヌビアンはいいですよ。
 

3月30日

 またもソドムの街ルクソール観光。昼食は玄ちゃんのためにマックで摂る。ルクソールのマックは外人だらけ。しかも、他のマックに比べて値段も少し高い!
 まあ、ここはルクソールですから…
 夕食は3日連続で同じところで同じ物を食べる。美味しいんですよ。ここのエセチャーハンが。
 明日はアレキに戻れます。旅行は楽しかったけど、ルクソールはもういいなって感じです。
 ちなみに今回の国内旅行は改めて旅行記を書きたいと思ってます。
 

3月31日

 久し振りの我が家。帰って部屋を見ると電気のスイッチが壊れてる。私がいない間我が家で泊まっていたJOCV3人組だな…。まあ、スイッチは壊れそうだったからいいや。
 疲れてたからか11時には眠くなる。やっぱり我が家っていいですね。

1999年
2月 3月 4月 5月 6月 7月前半
7月後半 8月 9月 10月 11月 12月
 
2000年
1月 2月 3月 4月 5月 6月
7月 8月


Back