メイヤメイヤのアレキその日暮らし
〜華麗なアレクサンドリアでの日々を綴る〜
5月1日
またも朝から間違い電話で起こされる。向こうはおばさんなのだが話を聞いてみると向こうのいっている電話番号は間違いなくここの電話番号。ってことはどうなってるんだ?
「電話番号はあってるけど、そんな人はここにはいないよ」っていうと彼女は「あんた誰?」とお約束のセリフ。あんた誰?っていわれてもな〜。そのうち彼女も諦めたらしく電話を一方的に切る。まあまあ…ここはエジプトですから…
さあ、気を取り直してメールでも書こうっと。
5月2日
日曜日―。ということでのんびり目覚める。今日はお休みなので(今は金、日曜日がお休み)またもボーッとする。ただ、最近少し下腹が気になりだしたので、夕方少しジョギングをしに行くことに。アレキは海岸沿いに道路があるからまだジョギング出来て良かった。マンスーラやギザなんかじゃとてもジョギングなんて出来ないだろうな。でも、ここでも走ってるとエジプシャンのガキどもに「プスプス…」とか「ワラ!(おい!)ワラ!」とかおちょくられる。はじめはじっと耐えていたのだけど、あまりにしつこいのでジョギングを中断して彼らを追いかけることに。ほんまいい加減にして欲しいですよ。どうにかして下さい。
それでも、久し振りに30分ほど走ると体も気持ちよくなる。やっぱり運動って必要だよな〜。ちゃんと続けなくっちゃ。
今日はビール分ぐらいのカロリーは消費したかな?
5月3日
アレキに来る新隊員(佐藤さん、青少年活動(科学を教えるらしい)隊員)が調整員とヌールと共に(ヌールが来るの聞いてなかったぞ)我が家を訪れる。まあ、いずれヌールは家に呼ばなきゃとは思っていたので手間が省けたって感じ。台所にデーンと置いてあるお酒類も見られなくて良かった…。
佐藤さんの我が家の印象はどうだったんだろう?少しは掃除したっていう努力を認めてくれたかしら?
その後7時に仕事場でヌールと待ち合わせることに。ただ、5月って試験期間だから多分もう練習ないと思うけどなー。まあ、ヌールが練習がなくてもとりあえず来てくれというのでプールに7時に行く。行ってみると案の定練習は休み。このまま6月まではお休みなんだよな。去年もそうだったよ。そして6月になると異常に子供が増えるんだよ。なんたって夏休みですから。日本でも夏は会員増えるもんな〜。
すると7時ごろにヌールも姿を見せる。今日はこの前遅れたので時間ぴったりに来て「時間ぴったりだったろ」とアピールしてくる。その通り。クワイエス(グッド)ですよ。
待ち合わせているもう一人の青年スポーツ局(私の配属先)の職員はまったく来る気配がない。ヌールと話をしながら待っていると何とプールから留学生のさえさんとけいこさんが。どうしたのかな?と思って話をしてみると「ここのプールで泳いでいる(6時〜7時は女の人専用の時間らしい)」ということらしい。そういえばこの前そんなこといってたな。何でも初めに70ポンド(約2800円)ぐらい払って会員になると次から一回1.5ギネー(約60円)で使用できるとのこと。それは安い。このプールはまだ使用に耐えうるだろうし。
ヌールは日本人の女性と初めて話すのでとても嬉しそう。彼は女性好きで一緒に歩いている時もいつも若い女性が通ると「今のどうだ?」とか聞いてくるのだが、今日も非常に積極的。ただ、少し恥ずかしいのか少し女の子っぽいしなを作りながら話している。そんな、照れなくていいんだよ。ヌール。
とにかくヌールはとても満足そうで良かった。でも、女性陣は疲れませんでしたか?まあ、学校関係の知り合いばかりだと一般的なエジプシャンとはそんなに話せないと思うのでいい機会ってことで許して下さい。
そうそう、ついでに私も散髪をしてもらう約束をする。良かったー。髪切って欲しかったんだよ。よろしくお願いします。
女性陣と別れた後はヌールとヌールの友達のお店(時計の修理屋)へ。そこでもヌールは女性を見つけるとすぐ積極的に話し掛けている。でも、この積極性は見習うものがあるな。おいらも頑張ろうっと。
5月4日
実家からの電話で起こされる。
「何?」と聞くと
「ゴールデンウィークで兄とお義姉さんが松山に戻ってきてて、お義姉さんと一緒に散歩してたらお義姉さんの陣痛がはじまったの。恐らく今日か明日には産まれるわ」と母が少し興奮気味に話していた。
予定日は5月15日だったから少し早いといった程度か?(良く分からないけど…)
とにかく嬉しいですね。もう少しで私もおじさんですよ。よく「独身最後の日」とか聞くけどこういった場合は何というのが適当なんだろうか?
思い付かないな…
とにかく、無事に赤ちゃんが産まれてくれればそれだけで十分ですね。
兄貴たちは結局病院で男の子か女の子か調べてもらわなかったので、どっちが産まれるかはまだ誰も知らない。周りの予想では男の子という意見が多かったみたい。私は女の子かな?と思っているのだが(根拠はないけど…)、どっちかな?
とにかく明日が楽しみ。
5月5日
昼過ぎに実家から電話があった。
電話によると、5月4日の12時27分に無事男の子が産まれたとのこと。
やりましたね!!! おめでと〜。
おいらもとうとうおじさんですよ。アラビア語ではおじさんのことは「アンモ」といいます。最近道を歩いてる時とかに子供達から「アンモ!アンモ!」と声をかけられていますが、これからは正真正銘の「アンモ」ですね。
それで、電話で兄貴に「どう?」と聞くと、
「何が?」と言うので、
「いや、だからお父さんになった感想よ。どんな感じ?」と聞くと、
「いやぁ。まだ実感わかんな〜、実際」と言っていた。
まあそんなものなのかな?
でも、逆に「どう?おじさんになった感想は?」って聞かれたとしたらやっぱり
「よく分からんな」って感じだからそれと同じなのかも。おじさんとお父さんは違うか。そうはいっても…
で、気になるのは名前のことです。男の子ということで何という名前を付けるかさらに気になります。兄貴はやってくれるのかと思い、
「で、名前は決まったん?」と聞くと、
「いや、今考え中なんよ。一応2週間までに決めたらええから」という返事。
「ってことはまだまだ決まらんの?」と再度聞くと、
「でも、この週末までには決めようと思う」と言うので、
「で、どうなん?「平」は付けるん?」と気になっていたことを聞くと、
「やから悩んどんよ」
「え?ってことは「平」付けるかどうか分からんってこと?」
「いや、付けようと思うから悩むんよ」
「ああ、画数とかそういうことで?」
「うん。「平」の付く名前ってそんなにないやろ?」
「一平、一平」と電話越しに母も名付けに参加してきます。そういえば前から母は「一平がいいわよ」って言ってたな〜。
「一平はどうかな?僕はあんまね…。まあ、兄ちゃんが決めたらええやん。で、希望は?恭平?それとも純平?それか一平?」
「う〜ん、考え中やな」
「まあ、決まったらすぐに連絡してきてね」
「分かった」
と、いった感じで電話を切りました。
私の家族構成を知っている方は既に分かると思いますが、私の家の男衆は全員「平」が付いているのです。
おやじはもう他界しましたが「心平」兄貴は「洋平」そして私は「メイヤメイヤ」です。ちなみに母は「洋美」と言います。平はさすがに付いてません。
この伝統は喜田家代々続いている…というのではなくて、私の親父の時代からはじまったのです。喜田家のお祖父さんは「良夫」といって至ってノーマルな名前だったのです。そしてお祖父さんが親父に付けた名前は「心平」でした。これはお祖父さんが「草野心平」のファンだったかららしいと誰かから聞いた気がします。誰から聞いたんだっけ?
とにかく、これが「平」時代のはじまりです。そして、親父は子供が産まれると、まず長男の兄貴には私の母の「洋美」から「洋」を取って下は「平」を付けたのです。次に次男の私には何で「浩」にしたのかは忘れましたがとにかく下には「平」を付けました。これで3平の出来上がりです。
親父がここまで「平」に拘ったということで、私も兄貴と、
「どうする?兄ちゃん。もし男の子が産まれたら「平」って付けるん?」
と、昔からよく言ったものでした。
兄貴は「多分付けるよ」みたいなことを言ってたと思うのですが、私はどうですかね?まだ分かりませんね。それより相手見付けないと!更に言うなら「まず就職口を確保しろ!」って感じですね。分かってますよ。分かってます…
電話によると、兄貴は「平」を付けるみたいです。何平になるのでしょう?
ああ、また楽しみが増えましたね。生きてて良かった。
お義姉さんもお疲れさまでした。母からの話によると痛みにぐっと耐えて大声とかあげずに頑張っていた、と聞きました。さすがお義姉さんですね。すごいですよ。
帰国したらすぐ顔見に行きますね。
ああ、早く名前が決まればいいな。
5月6日
日本はゴールデンウィークも終わって日常に戻ったんだろうな。少し嬉しいな。
私の方はゴールデンウィークはないのだが、去年同様5月は暇だ。と、いうのもこちらは5月が学校の年度末で日本でいうと「学年末テスト」みたいなものが5月の中旬頃から(学校によって始まる日や終わる日は若干違う)あるのでプールは5月一杯はお休みになる。この「学年末テスト」は日本のそれと比べても比重が全然大きいみたいで、私立の学校でいうとこのテストの成績が悪いと学校を辞めさせられることもあるらしいし、高校2,3年生はこの成績が大学受験に大きなウェイトを閉めており、この成績如何では志望学科を変更しないといけなくなったりする。
とにかく、このテストはとても重要ということでみんな「プールなんて行ってられない」ということなのかどうかは分からないけどプールは試験が終わるまでお休みになる。
そのかわり、夏休みに入る6月からは一気に忙しくなるから許して下さい。練習時間も朝、夜とあるし。
St.マルコの方は4月一杯で一応今年度は終了になった。5月は「夏のプログラム」ということで私が指導している「体育」もお手伝いをしている「職業訓練(日本での技術家庭のようなもの?)」もないのでプールを借りて水泳をする5月中旬までは私はお休みだ。
去年のこの時期は多いに怠けてしまっていつも以上に駄目人間になったので、今年はジョギングをまだ続けている。
ここアレキは海岸線に道路が走っていて正にジョギングには最高のロケーションだ。
しかし、ジョギングをしていると周りの人達は好奇の視線を向けてくるし、ガキどもに至っては「プスプスプス…」とか「ワラ(おい)!ワラ!」とか叫んでくるし、アスファルトはきちんと舗装されてなくてボコボコだし、やってみると意外に辛いものだった。
まあ、とはいっても暇な毎日なので、夜寝れるように運動しとかないとな。それに「走ろう!」とか言わないと、恐らく家から一歩も出なさそうだもんな。
まあ「熱し易く冷め易い」私のこと。今回は一体いつまでもつのかな?
5月7日
久し振りにテレビをつけるとエジプトのプロ(?)リーグのサッカーの生中継をやっていた。
暇だったので、しばらく見てると反則から乱闘がはじまる。
乱闘といってもなんと反則を取られたチームが主審の胸を小突いたりしているのだ。「おいおい、そんなのってありか?」
私はサッカー好きなもので、日本でもよくサッカーの試合を見ていたのだが、小競り合いが始まっても審判に手を出すシーンはまずお目にかかれない。精一杯審判に向かって文句を言う時も手は後ろにで組んで「暴力は振るいません」といった感じで言っている。
なのに、この試合では2,3人の選手が主審を容赦なく小突いている。「小突いてる奴等みんなにすぐレッド(レッドカード)出せよ」と思いながら見てると、今度はベンチにいたコーチや試合の警備をしている軍隊(らしい制服を着ていたが正確に軍隊かどうかは不明)などが乱闘の収拾に来た。
でも、その収拾もどうもお粗末。暴力を振るった奴等をすぐ排除しようという動きもないし、なんかよくエジプトの街で見掛ける喧嘩の仲裁のギャラリーみたい。このギャラリーって本当に仲裁する気があるのかいつも疑問なんだよな。今イチやる気無さそうだし、かってに白黒決めるし。
テレビなので声は聞こえないけど、きっとこの乱闘も軍隊の人とかが勝手に判決を下してるんだろな。
しばらくしてようやく落ち着いてきた。どうやら反則をしたチームの2人が退場になったみたい。でも主審に暴力した奴はあと2,3人はいたぞ〜。そいつら全員退場でしょう。当然。
ここまで見たところでテレビを切って宇多田ヒカルを聴くことに。
久し振りにテレビを見たけどやっぱすごい世界だったな。エジプトって。そういえば私はここで生活してるんだった…
5月8日
今日はジョルダンのJOCV隊員が任国外でエジプトに来ているためカイロへ上がる。
夕食をあとげんを交え一緒に摂ることにしているのでエジプトの感想聞かなきゃ。
と、いうことでカイロに行って来ま〜す。
5月9日
久し振りにJICAに行く。何かJICA来た当時と比べてもえらい変わったな。ローカルスタッフを含めスタッフは結構入れ替わり激しいし、内装も随分変化したよ。
オフィスでは新隊員がアラビア語の研修中。おいらもやりましたね。くそ暑い7月と8月でしたよ。まあ、研修といっても暑さにかまけて午後はサボってばっかりだったけど、、、
JICAで郵便物を取ったり、新聞を読んだり帰国に関しての説明を聞いたりして用事を済ます。
すると、調整員のW氏から「20日JICA総会で発表があるからよろしく」といわれる。この前の月曜日に「隊員活動報告会があるから」と聞いていたのだが、どうやらJOCV隊員相手に話すのではなくてJICAの専門家などを相手に話をするみたい。そんな、もう後2週間もないじゃないか〜。
玄ちゃんも「やるかも?」とは聞いていたのだが、それがJICA研究会とは知らなかった様子で「…」といった感じ。いやだな〜。緊張するな〜。
それより何より話すことをまとめなくっちゃ。何話そうかな?
5月10日
S先生の奥さんから電話があり「今日あいてたら夕食どうぞ」といっていただく。S先生の近くで暮らしはじめた留学生の真幸君がS先生邸に電話をかけたらしく、一緒にどうぞということらしい。いやあ、S先生のところにお邪魔するのって半年振り以上かも?
S先生の奥さんって料理上手なんだよな〜。
今日の夕食は何と「すき焼き」。すごいな、すき焼きがアレキで食べれるなんて。しかもこのすき焼き鍋はS先生がサウジアラビアにいった時に買ったものらしい。豆腐はUAEで買ったんだったっけ?
あと糸こんにゃくはモロッコからみたいだし、とにかく食材がとても多国籍。そういえば川又さんもアレキにいた頃はイギリスから大根抱えて帰ってきたんですよね(あの大根はナイロビからでした:大家)。お疲れさまでした。
約2年ぶりに食べるすき焼きはとっても美味しい。ただ、Hちゃん(S先生の子供、2歳半)は相変わらず私を見ると逃げ出しそうに。
Hちゃん、産まれた頃から私を見ると泣いてたよな。何でだろ?
学生時代バイトで子供達に水泳を教えていたから、子供には慣れていると自分では思っているのだけど、バイト先でも1回だけあったな。号泣する女の子(3歳ぐらいだった)。その子は「男の人はお父さん以外駄目」らしく、私が担当になったのだが泣いて泣いて授業をするどころではなく、とうとうクラスを変えてもらったな。あれは辛かったよ。
と、その子以来久し振りの経験だ。大人とかで理由があって私を嫌っているというのなら私も納得できるのだが、意味なく(意味はあるのかもしれないけど)泣かれちゃうと、ちょっと寂しい、、、
とにかくS先生邸でのんびり夕食とお話でリラックスさせてもらう。本当にありがとうございました。そういえばS先生は7月頃に一時帰国するかも?って言ってましたよ。川又さんにも逢いたいなっていってました。
5月11日
まだ、実家から「名前決まった!」との電話がかかってこない。「決まったらすぐかけてよ」といったのだが、ひょっとして仲間はずれにされちゃったかかも、と心配になり実家に電話をかける。だって気になるんですよ。赤ちゃんの名前。
私は実家と連絡を取りたい場合はまず電話ボックスまで行って(家からは国際電話はかけれないので)「僕、僕。コウヘーね、15分後電話してきて」といって急いで電話を切りさっさと家に帰り電話を待つという方法を取っている。だって、こっちからの方が高いですもの。電話代。それに私は貧乏協力隊員だし、、、
ただ、兄貴と間違えられる恐れがあるので「コウヘー」ということだけはちゃんと伝えなくっちゃいけない。
私がまだ日本にいた頃の話になるのだが、兄貴に話すことがあって家に電話をかけた時に、
「はい、喜田でございますが、どちら様でしょうか?」(母はすごく丁寧な応対をする)
「もしもし、ああ、僕、僕、兄ちゃんおる?」
「はい、どちら様でしょうか?」
「僕よ、僕、兄ちゃんと代わって」
「(少し怒った風に)どちら様ですか?」
「だから兄ちゃんに代わってっていってるやろ、ヨウヘーに代わってヨウヘー」
「(とても怒った風に)あなたはどなたなんですか?」
「(まさか私の声が分からなかったとは、、、)俺コウヘー、コウヘーよ」
「ああ、なんだメイヤメイヤ君か、誰かと思った、失礼ねって思ってたのよ」
と、もうどうしましょうといった感じのおとぼけ振りなのだ。兄が就職して東京に行ってからも、(家には兄貴はいないのに)私を呼ぶ時は「ヨ、コウヘー君」といつも「ヨウヘー」といいそうになるし。ヨウヘーはここにはおらんのじゃ!(うちの母は私と飼い犬をごっちゃにします:大家)
まただいぶ話がそれてしまったが、電話によると名前はまだ決まってないとのこと。どうも「平」にお義姉さんが難色を示してて、それで名前決めが難航してると聞く。「平」っていいのにね、、、名前を決めるってのも大変な作業なんですね。
兄貴は実家から福岡に戻る際に「一平がいいな」といっていたらしいのだが、、、
まあ、2週間以内に決めればいいらしいから、「平」が無事付くことを祈ることにしよっと。
5月11日
最近暑い。4月まではまだジャージの上も着ていたが、もう半袖でいける。これからいよいよ夏本番だ。辛いな、、、
5月12日
玄ちゃんと長電話。帰りのこととか結構話すことがあって気付けば1時間半ぐらい話してた。
この前S先生から「パリ使うんだったらJALもいいんじゃない?」といわれたので今度研究会でカイロに上がった時にJALに行ってみて値段聞いてみようということに。どうやらJALもそんなに値段変わらないみたいだし。下手したらAF(エールフランス)より安いかも?
あとは、その時に、お土産も見に行こうかということになる。もう帰国まで(そういえば今日で)後2ヶ月を切ることに。お土産も早く買っておかねば、、、
川又さんにはあの「ティッシュケース」ですかね?(あれはいいです:大家)
もし、何かリクエストがあればおっしゃって下さいね。
このお土産代って言うのが結構な出費になりそう。私の予定では10万円ぐらいはお土産代に使おうかなってところ。皆さんにずいぶんお世話になっちゃいましたしね。それに、エジプトにも当分行かないと思いますから買えるものは買っておかないと、、、
ボチボチ荷物もまとめなくっちゃ、、、といつも思ってるのだけど、結局ぎりぎりになるんだろうな。
5月13日
シスター邸に「地球の歩き方」を届けに行く。この「地球の歩き方」はなかなか詳しいガイドブックみたい。というか、こちらには正確な地図もほとんどお目にかかれないほど。大体本屋自体が少ないし、みんな読まないのかな?本。日本なんてあんなにどこでも本が置いてあるって言うのに、、、
シスターは今三浦綾子の「銃口」を読んでるみたい。あの本はいいですよね。玄ちゃんもあれを呼んで「俺やっぱり教師になりたいな」って言ってたし。坂部先生はいいです。竜太もいい。滝沢監督(スクールウォーズ)もいい先生だったな。
5月14日
母から電話がかかってくる。ということは、、、
「名前決まったの?」
「ええ、決まったわよ、さっきお義姉さんから電話があってね」
「で、何になったん?」
「「一平」になったの」
と、そのごも少しうだうだ話をして電話を切る。
そうか、とうとう決まったのか。「いっぺい」か、なかなかいいですな。
私としてはやはり「平」が付いたということでどことなく親近感が湧いてくる。長男の長男だから「一平」って感じですね。
どうも、母からの話によるとお義姉さんは「平」がいやだったといったわけではなくて「一平が少し、、、」といっていたらしい。やっぱ平はラーゼム(must)ですよね。一応、案としては「哲平」、「修平」、「遼平」、「純平」、「将平」とかがあったみたい。で、結局画数とかを考えて「一平」に落ち着いたということらしい。
一平って私もいい名前と思うのだが、漢字でフルネームを書くと「喜田一平」となんか頭でっかちな気がしなくもない。この「喜」って重いんだよな、少し。
またまた話はそれるけど、エジプシャンは破裂音(ぱぴぷぺぽ)を言えない人が多い。というのもアラビア語には破裂音がないからだ。だからこっちでは「パパ」は「ババ」になるし、「ピジョー」は「ビジョー」になる。
なので、もし一平がエジプトに来て名前を言ったとしたらまず「一平」とは呼んでもらえないだろうなと思う。多分「イベイ」とか「イーベ」とかになりそう。私の「コウヘー」は大体それらしく呼んでもらえる、「コーヒー」とか「コーキー」とかかな。
今度知り合いの誰かに「一平」って言ってもらおうっと。
5月15日
今日は散髪! 昼過ぎに冴さんと圭子さんが我が家を訪れる。しばらくして、冴さんが散髪をしてくれることに。冴さん、お母さんが美容師さんであったということもあるのか散髪がとても上手。夏らしく短くばっさりと髪を切ってもらう。ありがとー。
散髪が終わった後は真幸君と玄ちゃんも我が家を訪れ夕食会をする。今日のメニューは私が作ったカレーと玄ちゃんが持って来てくれた海草サラダと、彼女たちが作ってきてくれた餃子という豪華なメニュー。
餃子はとても美味しかった。いやあ、少ない調味料から料理を作れるってすごいですね。おいらも見習わなきゃ。
食事が終わったあとはみんなでエジプト談義に花を咲かせる。玄ちゃんは彼らとは初対面だったのだが、以前からの私が玄ちゃんの私生活の話を話していたため割とスムーズに打ち解けた様子。良かったね。これでアレキっ子の一員だね。
今度は新隊員が来た時にまた夕食でも食べましょう。
5月16日
玄ちゃんとのんびり休日を過ごす。でも、研究会で発表する原稿を書かないと、、、
20日が研究会だから、、、
5月17日
朝起きると、既に玄ちゃんはマンスーラへ帰ってた。せっかく昨日の残りのカレーがあったのに、、、
夜も残りのカレーを食べることに。4日目だけど大丈夫だろうと思ってカレーを注いでいる時に鍋の上部がうっすら白くなっているのを発見。「こりゃカビだよ、、、」
今回はいつもより深い鍋で作ってそのまま置いておいたから、あんまり暖まらない鍋の上部がやられた見たい。ただ、匂っても変な匂いはしなかったし、そういえばチーズもカビが生えたままのやつってあるよな。といいように考え食べることに。いやあ、俺ってポジティブ。
明日、明後日を乗り切れれば大丈夫でしょう、、、
5月18日
久々にSt.マルコへ。今日から夏のプールのコースがはじまるのだ。朝早く起きるのが苦手な私は、遅刻が恐いため結局一睡もせずにSt.マルコへ向かった。
久し振りに見る子供達はかわい〜。みんな「キダ!キダ!」って言ってくるし。
ただ、プールに入ると恐がって泣きまくる子供や暴れる子供が続出で少し大変、、、
それに、このプール冷たすぎ。「ボイラー入れてくれ」ってメルバットさん(St.マルコの責任者)がいってくれてはみたものの「夏は温めない」と一言。分かるけど、これ冷たすぎですよ、、、
だって水のシャワーより冷たいもの、、、
今日は初日ということで約1時間で上がったが、元来冷え症の私は30分もすると足先がしびれてくる。でも、まあ、一応水泳隊員ですから、プールから上がることは出来ないし、、、
プールが終わったあとは銀行にいって貯金を全部下ろしてきた。もうすぐ帰国ですから、、、(ほんとのほんとに帰国するの???:大家)
CIB(私がお金を預けている銀行)で「全部降ろしたいんだ」って言うと「レー(何で?)?」といわれる。「いやあ、もうすぐ帰るからね」というと「またおいでね」といわれる。は〜い。また来ますね。
ちなみに、現在エジプトポンドが今までになく価値が下がってきてる。
私が来た約1年10ヶ月前は1US$=3.3925エジプトポンドぐらいで、それが1年半ぐらいの間で1US$=3.405エジプトポンドぐらいに本当に緩やか〜にドルの価値が上がってきたのだが、ここ3ヶ月ぐらいで1US$=3.46〜3.47エジプトポンドぐらいに一気に上昇を始めた。どうも外貨準備量が足りないみたい。とはいっても野菜の値段とかの生活必需品の値段は上がってないから、これがもうちょっと早かったら私たちも少しは恩恵にあずかれたのに(私たちの生活費はドルでもらうため)、、、
まあ、もういいけど、、、
5月19日
玄ちゃんと電話やメールで明日の研究会で発表する原稿のチェックをしあう。なんせ、百戦錬磨の専門家やJICA所員を前に発表するのですごく緊張するのだ。私にしては珍しく家で3,4回読んでみて時間や内容のチェックをする。玄ちゃんにも聞いてもらって「ここって少し専門的な話だけど分かる?」とか尋ねる。そして「ここは直した方がええんちゃうん」とか言われたところなどを直しているともう深夜3時ごろに、、、
明日は8時30分の電車だぞ。ちゃんと起きれるのか? と少し不安になる。
ただ、眠気も襲ってきたので寝ることに。私はベッドで寝ると起きれないことが良くあるので今回はソファーで、目覚ましを3つ目の前にセットして寝ることに。
ちゃんと起きろよ〜。玄ちゃんも寝坊しないようにね。
5月20日
朝6時30分頃目覚める。やはり緊張してたのか?
早起きしたので調子に乗ってゆっくり朝食を摂ってたり、デザートを食べたりしてくつろいでいると、気付けば電車に乗り遅れそうな時間。急いで下に降りてタクシーを捕まえて駅へいく。タクシー捕まらなかったら乗り遅れてたよ、、、
JICAに昼頃ついた後は資料をプリントする。玄ちゃんがなかなか来ないので心配していると1時30分頃やってくる。
「どうしたん?」と聞くと資料を保存していたフロッピーディスクをバスに乗ってから入れ忘れてることに気付いて取りに帰ってたとのこと。玄ちゃんったら、、、
でも、間に合って良かったね。
二人で資料を作った後、3時過ぎからいよいよ研究会。
専門家もそんなに来ていないなと思っていると会が始まる頃にどっと人が増えてくる。それに協力隊員も何人かいるし、、、
もう緊張してる、、、
声が裏返ったり、震えるといやだな〜と思いながら発表する。緊張はすごくしていたのだが、前日にリハーサルをしていたのが功を奏したのか何とか30分あまりの発表を無事終えることが出来た。玄ちゃんの発表も良かったよ。
終わってから協力隊員の山本さんに「どうでした?まじで?」と聞くと「もう少しレジュメをしっかり書いておけば良かったと思うけど、まあボチボチ良かったんじゃない」とのお返事をいただく。それと「相変わらず早口だったよ」ともいわれる。アラビア語も俺早口なんだよな〜。
懇親会で美味しくビールをいただいたあとは玄ちゃんと韓国料理の「池」で打ち上げをする。いやあ、プルコギ。美味しいですよ。
やっぱり疲れたのか11時過ぎにもう眠気が。まあ、終わってほっとしましたよ。
5月21日
カイロからアレキに戻る準備をしてると、足や腰がやけに痒い。よく見てみるとまたも「ダニ」にやられてる。それも広範囲。今ぱっと数えてみただけで20ヶ所以上は刺されてる。どこだよ〜、ダニが生息してるのは。
私が思うダニをもらったと考えられるところは、
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フラメンコホテル
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コンラッドホテル
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電車の中
の4つぐらいか?
ただ、電車ってのは少し考えにくい。朝フラメンコで既に何ヶ所か刺されてたから。
俺は多分JICAだと思うな〜。JICAって人の出入り激しいし、ここで前もやられたことあるからな。それにしてもここに来てダニをもらうなんて、、、
ダニってのはとにかく痒くてその痒さが持続するのだ。蚊ならウナコーワを塗って一日もすれば腫れも引いてくれるが、ダニはそうはいかない。帰るまで跡が残ってる可能性は充分あるし(腫れがなかなか引かないから)、この痒さも1ヶ月ぐらい続くかもしれないし。ああ、ほんと勘弁してくれよ、、、
5月22日
冴ちゃんから電話があり「インターネットで調べたいことがあるので行ってもいいですか?」といわれる。待ってると、冴ちゃん、圭子ちゃんが登場。二人は昨日泥棒にやられたらしく、ちょっぴりブルー。最近そういえばアレキで泥棒の話をよく聞きます。St.マルコの先生(勿論エジプト人)の家もやられたって言うし、他の日本人の人も2家庭が泥棒にあったと聞くし。案外多いんですね。泥棒って。
今日は暑かったのでそうめんを食べることに。いやあ、これまた美味しいですね。そうめんって。幸せですよ。
冴ちゃんは「チュニジア」でアラビア語のサマーコースを受講したいらしくそのことで調べものをしてたのだが、結局チュニジア大使館のHPはないみたいで諦めることに。ないんですかね?チュニジア大使館のHPって。
ところで、チュニジア。いいみたいですね。隊員もエンジョイしてるらしく、延長率も高いし。もし行けることになったら是非私の同期隊員にも逢ってきてね。チュニジアの同期隊員は粒ぞろいだから。(粒ぞろいって??:大家)
5月23日
頼まれごとがあったので、アブキールにあるアラブ海運大学校(通称アカデミー)に行くことに。このアカデミーは授業料も高いらしく学校内もものすごくきれい。みんな金持ちそうだ。今日は大学の先生に会わなきゃいけないということと、彼と逢うのは初めてということで、失礼にならないように一応スーツを着ていくことにする。良かった、着て行って。正解でしたね。
ムハンマドという教授は日本にも来たことがあると聞く。しかし、日本に行ったのは
‘77年。おいらまだ4歳のときです。
相撲を見たらしく「相撲」といってた。
無事用事を済まして家に帰ることに。帰りは他の先生が家まで「カローラ(こっちでは高級車)」で送ってくれた。金ってあるところにはあるんですね、、、
5月24日
のんびりだらだら過ごす。
5月25日
昼にアレキの隊員と、ポートサイードの隊員とJICAの所長と調整員でアレキの領事館に挨拶にいく。新しい領事には初めて会ったのだが、かなりのアラビストみたい。
アラブの話で盛り上がったあとは所長がフィッシュマーケットに連れて行ってくれる。ここに来たのって一体いつ以来だろう、、、
ここもやっぱり川又さんに連れて行ってもらって以来行ってない気が、、、 ここはやっぱり別世界ですね。高いけど、それに見合うだけのものがありますよ。実際。昼間っからビールなんぞをいただいてとても満足。いやあ、アレキって金を沢山持ってれば楽しめるんですね。
その後新隊員の佐藤さんがアレキにとうとう赴任。佐藤さんの家は新しく出来たザハランモールの目の前とのこと。へえ。買い物便利ですね。
昼あまりにも沢山食べたので夜は余り食欲がわかず軽くラーメンで済ませる。
ああ、今日は疲れたよ、、、
5月26日
昼に今日階下の部屋に移る真幸君の引越し手伝いに行く。今回の引越しお土産のメインは「アリの巣コロリ」電話で「アリがいっぱいいて大変なんですよ〜」って言ってたから、、、
新しい部屋は前の住人が片付けずに帰ったため、腐ったトマトや訳の分からないスープ(?)のようなものが散乱しててとってもデンジャラス。まるで夜逃げしたみたい。何かあったの?グレッグ。それでもグレッグはその部屋に住んでいる時はとてもきれい好きだったらしく、フラットメイトが部屋を汚くするので追い出したこともあると聞く。そんなんだったら最後ぐらいきれいにして帰れよ〜。せめて、生ゴミぐらいは捨てましょうよ、グレッグ。
及び腰ながら何とか掃除も無事終える。いやあ、ちょっと抵抗ありましたね。
途中で真幸君お手製のスパゲッティをいただく。ミートソースですか。手料理も板についてきたね。美味しかったよ。ご馳走様でした。ビールもご馳走様でした。
真幸君は明日からカイロに行って放浪するとのこと。カイロ、殺伐としてるから悪い人に騙されないように気を付けてね。
8時過ぎに家に着くとジョルダンの協力隊員の辻さんから留守電が入っている。今日6時の電車に乗ると思っていたのでてっきり8時半ぐらいに迎えに行けばいいのかなと思っていると留守電には「4時の電車に乗りまーす」と入っている。げ、とすると既にシディガーベルには着いてるよ、、、
その日はたまたま留守電が5件入っておりまだ辻さんから入ってるかもと思い留守電を再び聞いてるとあとげんの教え子ムスタファからもメッセージが、、、
いきなりハイテンションのムスタファのママが(ちなみに私は彼女とはあとげん邸で電話で2,3言話しただけで会ったこともない)
「私、ムスタファのママ。元気にしてる?なんで電話くれないの?そういえばここの電話番号知らないのかしら?それなら教えるわ。電話番号は、、、」と延々話し続けている。その後ろではムスタファや他の家族が「俺も話す」とか「待って」とか騒いでいる、、、
俺電話かけなきゃいけないの?ムスタファの家に、、、(そりゃそうでしょう:大家)
結局制限時間一杯の2分間ずっと彼らは話しっぱなし。元気だね、君たち、、、
その後辻さんから再び電話があり、急いでシディガーベルまで迎えに行く。ごめんなさい。本当に。まさか4時の電車に乗るなんて思ってもいなかったのです、、、
「お食事食べましたか?」と聞くと「魚食いたい!」といわれる。魚なら大勢で食べた方がいいかなと思い、さっき別れたばかりの冴ちゃんを「魚食いに行かない?」と誘う。それに新隊員の佐藤さんも加わって4人で久し振りにカドゥーラへ。ここも川又さんがいなくなってから久しく訪れていない。相変わらず店員は同じメンツで値段も一人35ギネーとこれまた変わらず(でしたっけ?私、払ったことなかったから詳しくは知らないんですけど、、、)。でも、ここも美味しいですね。ただ、醤油をまたも忘れる。折角川又さんから携帯醤油をもらっていたというのに、、、
ジョルダンの方言の話や活動の話で盛り上がった後みんなと別れる。辻さんは今日は家に泊まって明日私の活動先の一つであるSt.マルコを見学してから14時の電車でカイロに向かうとのこと。
明日はプールですよ。St.マルコ。2時ごろまで話したあとは明日に備え寝ることに。いい夢が見れますように、、、
5月27日
私にしては珍しく朝7時前に目が覚める。そのせいで今(18時35分)はとても眠い。でも、今日もお客さんが来るから眠るわけには行かない、、、
朝お茶漬けを食った後St.マルコに向かう。辻さんはジョルダンの養護隊員なので、St.マルコには非常に感心がある様子。学校に着いてもあっという間に子供達と溶け込む。武藤さん(同じくジョルダンの養護隊員)と同じ匂いがしますよ。辻さん、、、
今日は氷のように冷たいプールに入る日なのだが、辻さんも子供達と戯れたいということでプールに入ってお手伝いしてくれることになる。いやあ、辻さん、入りますか。このプールに、、、冷たいといったのに、、、知りませんよ、、、
案の定今日も氷のように水は冷たい。辻さんもプールに入った途端顔がこわばり、早くも後悔の表情が、、、
ね。でしょ。
でも、さすが辻さん。プールに入るのを怖がる子供がいると早速子供をプールに入れてくれている。ありがとうございます。任国外旅行中にお仕事していただくなんて、、、
冷たいプールの中で身も心も疲れ果てた後、私と辻さんはカイトベイに向かった。時間もないからここぐらいですかね。お勧めは。
ここは海の側に建てられた要塞で、地中海がきれいに見渡せるなかなかナイスなロケーション。人目につかない場所にはさりげなくエジプシャンカップルがラブラブモードに突入中。おいおい、お前たち、羨ましいぞ。
その隣りのやはり人目につかないところで私と辻さんも休憩をとる。やっぱりここはカップルで来た方がいいですね、、、
カイトベイを見学し終えた後コシャリを食べシディガーベルへ向かう。辻さん。短い間ですけどお疲れさまでした。次はギリシャ。思いっきり弾けてきて下さいね。
辻さんと別れた後、夜にまたお客さんがやってくる。彼らはシナイから直接アレキ入り。みんな登山と長旅でお疲れの様子。魚もさすがに遅いのでラーメンを作ることに。
その後、私と彼らの一人で久し振りに沢山お酒を飲む。やっぱり飲める相手と飲むのって楽しいですね〜。
5月28日
昨日来たお客さんをカイトベイに連れて行く。今月末はまたすぐ専門家の教え子のアレキ案内もあるし、接待月間になりそう。
カイトベイでは昨日揉めたこともあって4人みんなあっけなく学生料金になる。いやあ、このアバウトさ。私は好きです。
カイトベイを見学していると日本人のツアー客に遭遇する。ここで日本人のツアー客を見たのって初めてですよ。Welcome
to Alex!!
駆け足でカイトベイを見た後、お魚を食べることに。彼らの今回のアレキ観光の目的は「美味しい魚」を食べること。そうですよね〜。なかなか食べれないでしょうから、、、
カドゥーラかフィッシュマーケットかどちらにしようか悩むが、結局「出来るだけ美味しいところ」ということでフィッシュマーケットに行く。店に入ろうとすると「コウヘー」と声が。
振り向くと同僚の水泳コーチのヒシャームがいる。今日はしかも女の人連れ。「誰?」と聞くと何とフィアンセとのこと。いやあ、彼もう30代後半でいい相手いなそうだったから心配してたんですよ。彼女もなかなかキュートな感じでした。良かったね。ヒシャーム。
彼と来週逢う約束をした後、お店に入ってお魚を注文する。
う〜ん、フィッシュマーケット。お魚がたくさ〜ん。ここのエビは大きいしすごいですね。魚をじっくり見て「ハタ」「舌平目」「エビ」「イカ」を注文する。
ここってアレキにある魚レストランの中でも値段が高いところなのに、お客さんがかなりいて繁盛している様子。お客さんの質もいかにも「金持ち」って感じの人が多く、へそが見えてる女の人までいる。へそ見せちゃ駄目だよ。へそを。
みんな運ばれてくる魚料理に感激している様子。こんなに美味しい魚を食べたのは久し振りみたい。良かったですね。ここに来て。また来て下さい(って来れないか、、、)。
魚を食べた後、彼らを見送りに行くことに。
彼らは3時40分の列車のチケットを購入していたのだが、家に戻ると既に3時28分頃。光の5倍ぐらいの速さで荷物をまとめタクシーを拾い急いで駅に向かう。
走って駅に着くとちょうど列車が入線してきた。間に合った、、、
彼らと慌ただしく別れの挨拶を済ませる。今度は日本で逢いましょうね。
その後夜はシスター邸で夕食をご馳走になる。いつもいつもすみません。シスターも6月1日には日本に一時帰国。アレキも寂しくなりますね。
5月29日
今日もSt.マルコのプールの日。それにしてもここのプール相変わらず水が冷たすぎですよ。おいらも風邪ひきそう、、、
シスターも歯を食いしばって水の中に入っている。
プールが終わったあとは両替を済ませ電気のスイッチを買って家に帰る。
昼食は昨日Nさんにいただいた「納豆」を食べる。納豆ってなかなかいいもんですね。っていうかめっちゃいいものです。さらに昨日Nさんには「鮭の切り身」と「ワサビ漬け」までいただく。いやあ、私って幸せもの、、、
ところで「鮭の切り身」ってどうやって料理するんですか?
生じゃさすがに食べれないですよね?
まあ、誰かに聞いてみよっと。
明日は久し振りのオフデー。帰国準備しなければ、、、(ほんとのほんとに帰ります:コウヘー)
5月30日
3ヶ月ほど一時帰国するシスターを見送りにシディガーベルの列車の駅に行く。さすがシスター。2年ぶりの帰国で3ヶ月も日本にいるというのに荷物はとても少ない。私なんて引越し荷物結構多くなりそうだというのに、、、
とにかく、シスター無事日本に帰って下さいね。で、忙しいことでしょうが私が帰国した際には是非お逢いしましょうね。あとげんともども楽しみにしています。
シスターを見送った後、夜に冴ちゃんが遊びに来る。今日は私の得意料理の一つ(といってもこれとカレーぐらいしか作れない、、、)親子丼を食べてもらう。
まずまず食べれたみたい。
今度はスパゲティですかね。
5月31日
今日で5月も終わり!いよいよ残りは後1ヶ月半を切りました。
今日は専門家でカイロに来ている間渕先生の教え子の香織さんと泰子さんがあとげんの引率の下アレキに来る。
この1週間で3回目のお客さん。今週は正に接待漬けです。
夕方無事に玄ちゃんたちが到着。
今日は夜も遅いということで「モンタザ」と「アブキール」に行くことに。
久し振りにモンタザに行ってみるとやはりいい。
しかし、日も暮れた暗いベンチではエジプシャンのカップルがラブラブモードに突入している。ちらっと見てみると「どうみてもこれはキスしてるでしょう」といったカップルもちらほら。その他のベンチをみてみると「おいおい、お前たち足が絡まってるぞ」といった信じられない光景まで目にする。
アレキで約2年ほどすんでいるがこんなに濃い光景を目にするのは初めてだ。
いやあ、いかんですね。実にいかん。
モンタザを観光した後はお魚を食べにアブキールまで。ちょうど4人乗れるミクロバス(乗合バス)が空いていたのでミクロで行くことに。タクシーだったら6,7ギネー(約240〜280円)するところがミクロだと4人で1ギネー(約40円)。やっぱりミクロは安い。
「ゼフェリオン」に久し振りに就くとウエイターの人達がいっせいに「久し振り!」「何やってたんだ?」とか聞いてくる。私、ここはお客さんが来ないと行かないんですよ、、、
今日は遂に「マイ醤油」を忘れずに持参。玄ちゃんはここに来るのは初めてで喜んでいただいた様子。
家に帰った後は最近の日本の出来事などを話してもらう。最近の日本、なんだかすごそう、、、
明日はアレキの市内観光。頑張ろうっと。
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