●国鉄っぽい名鉄、キハ8000系がなかだち
しかし、そんな私に転機をもたらしたのは今はなき名車、キハ8000系でした。1976年10月のダイヤ改正で国鉄高山線へ直通する急行「北アルプス」が特急に昇格し、キハ8000系が国鉄キハ82系に準じた塗り分けに変更されました。初列車の写真が新聞に載り、大きなインパクトを受けたのです。自宅の前には気動車特急は走っていなかったためか憧れがあり、隣町である知立にそれが走るというできごとが、一度いってみようという気にさせました。
走り始めて間もない休日に、友人達を誘って早朝の知立付近に自転車で駆けつけました。北アルプスの間合い運用の特急「豊橋60D」を目にし、思わず「かっこいい!」と口走りました。当時は旧型車のスカーレット化(赤色塗装)が進行中で、その後もバラエティーに富んだ電車が次々とやってきて、気が付くと撮影に夢中になっていました。
その後、月に2回くらい知立を訪れており、やみつきになったことがうかがい知れます。くだらないこだわりのために外堀電車を撮らなかったのはほんとうにもったいないことでしたが、傷が深まらぬ内に打破してくれたのがキハ8000系だったのです。
翌年には高校受験のため、足が遠のき、スカーレット化完了後は大幅に撮影回数が減りましたが、大学進学のため郷里を離れた後も、就職した後も何か話題があれば名鉄の撮影に出かけました。
名古屋本線(知立付近を中心に)-2
知立にもディーゼル特急が!
「名鉄なんて撮らない。」という食わず嫌いだった私をいとも簡単に引き込んだのがこのキハ8000系でした。後ろから4両目はまだ急行の塗り分け(*)のままです。(*:Yama-nin様より、既に塗り分け変更の準備がなされていたとのご教示をいただきました。)
旧形台車の7300系特急
8000系を初めて撮りに行った翌週、再び知立ー牛田間に立っていました。3800系の車体更新車、吊り掛け式の7300系はこの頃まだ台車が旧式のままでした。
撮影日、1976.10.16は土曜日。当時中学校は半日授業がありましたが、この日は体育大会(運動会)の代休だったようです。当時、名鉄は土曜日は平日ダイヤで、キハ8000系は日曜日とは違う時間だったようで、撮れませんでした。
6000系新車試乗会
この日は6000系のデビューに先立つ新車試乗会でした。
新聞で美合まで行くことを知りましたが、ダイヤがわからないため、とにかく早く行って待っているしかありませんでした。
方向幕は回送の回に白地で、ヘッドマークもなく、味気ないものでしたが、真新しい電車はやはり気持ちよいものでした。
「ローレル賞」をねらって年内のデビューを目指したと言われますがその結果は・・・!
旧塗装の3900系
旧性能車としては最後に新製された系列です。800系や3800系のイメージを残しつつ、どこか新しさを感じさせるデザインになっています。
西尾線からの直通急行には4連固定の旧性能車(3400系、3900系、7300系)が多用されました。撮影する側としては旧塗装車が来れば「あたり」でした。!
更新前の5200系
更新前の5200系、モ5203です。2連の下降窓はすっきりとして、「美形」でした。中間の2両は車体の形状が異なっていますが、5000系の中間車として製造されたためです。モ5200は廃車後、足回りは自社の5300系に、車体は豊橋鉄道に売却されて1900形にそれぞれ再利用されました。
東急から来た助っ人
オイルショックによるマイカー離れ、人口の増加によって輸送力不足となり、急な新車増備がかなわなかったため東急から3700系が購入され、3880系となりました。大手私鉄間での車両譲渡は極めて珍しい事例でした。
しかし、6000系が各線に行き届いてゆくとリリーフ役を終え、10年ほどで消えていきました。
知立以東にもHL車が
三河線の主とも言えた3700系は知立以西ならば直通の電車があってかなりの頻度で見られましたが、知立以東でも使われた記録が残っていました。
そういえば、豊川線直通の高速に接続する3700系の国府発豊橋行きの高速に乗った記憶があります。豊川線を中心とした運用車の差し替えを兼ねた運用であったと思われます。
ボールドウイン(米国)タイプの台車が渋いです。写真のモ3716は築港線で3700系最後の1両として残りました。
モ831特急蒲郡行
モ830型は2両だけの希少形式。撮ったのはこの1枚だけです。このモ831は高運転台改造済みで、まだダークグリーン塗装でした。6000系の導入によって比較的早く廃車になったと記憶しています。
後ろは850系「なまず」。旧型車の「特急」末期の頃で、カラーで撮らなかったことが悔やまれます。
撮影に出掛けた仲間たち
M(1)君が転校したためメンバーは減りましたが、中学校の同級生であるこの4人で高校時代まで名鉄はもちろん、各地へ撮影に出掛けました。
右端にちょっとだけ電車が写っていますが、セルフタイマーを使っての記念撮影のつもりだったようです。結果はご覧のとおり見事に失敗・・・。向かって右端が私です。
第1展示室(名古屋本線-その1)へ
第3展示室(WESTさんの旧塗装AL車)へ
第4展示室(あの場所は今)へ
第5展示室(2001年以降の名古屋本線)へ
駅本屋(リスト)に戻る
碧海電子鉄道©2000-2003 鈴木雄司(トップページへ)
