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TOP mook 動物ジャーナル バックナンバー 動物ジャーナル88・先進国って何?(十二) 

シリーズ「先進国って何?」

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■ 動物ジャーナル88 2014 冬

先進国って何?(十二)

 ── ひき続きお休みを

青島 啓子


 前回にひき続き、お休みをいただきます。留守番もけっこう重労働…ではあります。
 秋号で、川口マーン恵美著『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』「第6章 日本の百倍ひどいヨーロッパ食品偽装」の中で〈牛肉を発注したら馬肉が納入された〉事件をきっかけに、ヴェジタリアンやヴィーガンが増えたという説明があったことを紹介しました。加えて、私個人的に歓迎する事柄なのでそのうち紹介をと書きました。
 検証グループのお休みが長引きそうですので、他の折を待たず、ここに「食品偽装から菜食主義へ?」を、前述第6章によってまとめておきます。
[牛肉が馬肉になった経路]
 二〇一三年二月、英国で販売されていた冷凍食品のラザニエに、牛肉ではなく馬肉が使われていたのが発覚、大騒ぎになった。その六日後、ドイツでも馬肉ラザニエや馬肉シチュー缶詰が次々発見された。
 ドイツでは馬は美しい生き物の象徴で、馬肉を食べる習慣はない。この〈発見〉は凄まじい騒ぎになったが、著者が一番驚いたのは、その流通経路である。すなわち、
 ルクセンブルク大公国(通称・ルクセンブルク)の食品工場Aが、牛挽肉をフランスの食肉販売業者Bに発注。
→Bがその注文内容をキプロス共和国(通称・キプロス)の食肉販売業者Cに発注。
→Cはその注文内容をオランダの食肉販売業者Dに発注。
→Dがその注文内容をルーマニアの食肉製造会社Eに発注。
→Eが馬肉をB(フランスの食肉販売業者)に納入。
→Bがそもそもの注文主A(ルクセンブルクの)に納入。
→Aがその肉で冷凍ラザニエを製造し、ヨーロッパの十三カ国に出荷した。
 どこで牛肉が馬肉に変換?されたのか、よくわからないが、ルクセンブルクのAは牛肉を注文し、ルーマニアのEが馬肉を納入したのは厳然たる事実。中間のB、C、Dのどれかが注文内容をすり替えたとするしかない。
 ところで、ルーマニアでは二〇一三年より、運搬用荷馬車の道路走行が禁止になった。お役御免になった馬たちは肉屋に持込まれるか野良馬となり、馬肉の供給が増え、すり替え素材となったのかも。
ドイツ政府の対応策
 この騒動後、ドイツでは連邦政府の担当相と各州の担当相が集り、肉の加工食品では肉の出自を明確にすること、食品の流通をより厳しく監視すること、を決めた。
 しかし、二〇一四年になってまた馬肉の加工品があちこちで発見され始めた。検査を強化したためとも考えられる。
 以前から、食肉や野菜の複雑な流通が犯罪の温床となっていることは問題視されていた。が、EUという単一市場内では、水際検査ができないので、ドイツだけでは何一つ規制できない状態だ。
食肉偽装に懲りて
 肉類に限らず食品には偽装が疑われるものも多い。偽装のみならず、抗生物質やダイオキシンなどによる汚染もある。不審に思い始めたら、食べるものがなくなる。
 そのせいか、最近ドイツではヴェジタリアンやヴィーガンが急増している。(「ヴィーガン」とは、肉・魚のみならず、卵も乳製品も、動物由来の物は一切食べない人のことである。革製品も避ける人が多い。)理由は、野菜が一番出所を特定しやすい=安全性を求めやすいから、のようだ。
 自分の娘の友人三人のヴィーガンは、それぞれ始めた動機が違う。
 一人はプロのバレリーナで、体が資本、それ故よく考慮されたヴィーガン食が、健康のために理想的だと確信している。
 二人目はいわば倫理的な動機。酪農や食肉生産が工業的になってしまったことに疑問を抱いている。過度の肉食が動物の飼料の需要を高め、それによって起る穀物の高騰や旱魃が、供給国周辺で飢餓その他の悲惨な状況をひき起し、つまり貧富の差を拡大しているとする。この意見は決して間違いではない。
 最後の一人は、『動物を食べる』という本を読み、肉が食べられなくなった男の子。その本は、なぜ我々は動物を食べるのか、どうやって生産されるのか、それを知っても食べるのかということを追求した本である。
 最近は肉の生産と消費についても、ドイツ人の関心は高まっている。鶏が肉になり、ゴミになるドキュメンタリーもあった。そこから始って、肉を食べないという行動により、良心の倫理的均衡を求めているのがヴェジタリアンやヴィーガンだ。彼らは自分の健康もさることながら、地球が少しでもよくなってほしいと願っている。私も、地球が良くなってほしいとは思うのだが、肉を食べることはやめられない。(引用・要約ここまで)

[感想]
 著者が肉食を続ける・やめるは、他人がどうこう言える問題では当然ありません。私としては、お肉料理から離れない人なのに、ヴェジタリアンやヴィーガンのドイツの現実を手際よく整理して紹介してもらえたことに感謝します。
 以前なにかのテレビ・ドキュメンタリーで、オーストリアの、たしかウィーンの街中のヴィーガン向け食品店が紹介され、品物の充実ぶりにびっくりしたことがあります。また、アメリカやイギリスの訪日客に和食をご馳走しようとして、かれらの菜食主義に合格する店がなく、苦労したことがありました。現在は、インターネットでのぞいただけでも、たくさんのお店を見つけることができ、需要のあることを知らされます。
 菜食への転向は「健康のため」が発端であっても、結果として地球上の平穏と平等に近づくことに違いはないでしょう。

 別の話題ですが、食料自給率に関する報告に「日本はイモ類を主要食とすれば、十分自給可能である」とありました。
 遠くない将来、人口爆発、気候変動などにより、また不測の戦火により、食料供給の状態が悪化したとしても、日本は「おいもさん」を尊重しつつ、古来の「原則菜食主義」からの智慧を活用して、窮境をのり切るのかもしれません。

 また別の話題。[家康勝ち残りの味 静岡の郷土史家〈長寿の食事〉再現(東京新聞15・2・18)]をご紹介します。
 静岡市駿河区の郷土史研究家成沢政江さんは「家康は長命こそ勝ち残りの源と言った。長生きの秘訣は食事にあったのではないか」と考えるようになり、約十年かけて文献などを調べ、料理を完成させた。「家康膳」と名付け、自宅の一角で客に提供している。菜の花のおひたし、おから、大豆と牛蒡の味噌あえ、山菜の天ぷら、栗おこわ等々。彩りも鮮やかで、食前にはドクダミ茶を供し、胃腸の調子を整える。
 家康の健康志向は、母・於大の方に由来すると成沢さんは考える。幼少時の家康が人質として今川義元の許へ送られる時、随行の家臣に食材や漢方の知識を授けたという。 
 家康は七十四歳(数え年)歿、母・於大の方も七十代半ばまで生きた。当時の平均年齢が四十代だったのに比べて異常な長寿、それは植物性たんぱく質を好んだことによるのではないかと成沢さんは語る。(紹介ここまで)

 なお、肉食に異議を唱える論考を『動物ジャーナル』では再々掲載していますが、赤井かつ美氏の「紹介『ぼくが肉を食べないわけ』」(『動物ジャーナル11』/『動物ジャーナル35』に再録)は是非ともお読みいただきたいと思います。
 ちなみに、『ぼくが肉を食べないわけ』はピーター・コックス著、一九八六年刊、日本では一九八九年に浦和かおる訳により築地書館から出版されました。
 コックス氏は一九五五年イギリス生れ、イギリスヴェジタリアン協会を設立した人。この本は発売と同時にベストセラー上位にランクされ、フランス、ドイツ、オランダでも翻訳出版されたそうで、欧州のヴェジタリアンの広がりの原点になったと考えられます。
 今回の留守番業務は、菜食の利点アピールのみで終りました。