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シリーズ「先進国って何?」

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■ 動物ジャーナル 61 2008 春

  先進国って何?

英国の奴隷制度おさらい/RSPCA調査に見る飼育怠慢

青島 啓子


はじめに

 『動物ジャーナル60』第1ページ「第十五年を終了」において、次のように述べました。

  ちんちん千鳥のなく夜さは 
     ガラス戸しめてもまだ寒い  
  ちんちん千鳥は親ないか

 我が身の寒さから千鳥さんの境遇へ思い至る、優しい心をもっていた日本古来の感性を大切なものと考え、これまで様々な作品を紹介してきました。今は忘れられている又は退けられている感覚を蘇らせれば、愛護云々を叫ばなくてもよいはずです。現今「欧米か!」と見まがう愛護界のありようをゆっくり検討することも必要かと思い、2008年度からはそれを試みます。

 日本においても、不殺生戒が守り通されたというわけではありません。どういう「動物愛護的精神」があったか、「非愛護」の事例にはどんなものがあるか、これらも顧みなければなりませんが、さしあたって現在、あまりに単純軽薄に欧米礼賛を振り回されているのを見ると、さて本当?と考え込んでしまいます。
 例えば、放棄された家庭動物がシェルターに持ち込まれた時、「欧米では安楽死しない」と喧伝されています。
 しかし、『動物ジャーナル54』で紹介した『どうして?』という本は、家族に見捨てられ、施設で薬殺された犬さんからの手紙を内容としていました。また、『動物ジャーナル19』西山ゆう子氏「連載・カリフォルニア発」では、アニマルシェルターの事情が紹介されていますが、その中に「通常、一定期間が過ぎても貰い手がつかない動物は注射により安楽死される。」「残念ながら猫の八割、犬の六割は安楽死される結果になっている。」という記述があります。次の回では、十四歳の少女ボランティアの健気で哀切な、シェルター奉仕活動の報告が紹介されました。これらはアメリカの例ですが、こういう事実があってなお、「安楽死はない」と主張できるのは、無知(調査不十分?乃至怠慢)か、意図的な隠蔽だとしか言いようがありません。
 美化して信じさせ、尊敬させ、「美しい実態」を説き示す活動をも尊敬させるのは、運動屋の本領ではあるものの、ことさらに、動物運動において、この種の欺瞞が横行しているのは、ことが動物さんの生命にかかわることだけに、傍観しているわけにいきません。
 そこで、このたびの企画となりました。

 「先進国」はどこ? 経済の面では日本もこれに入るようです。が、動物愛護先進国として、日本は入っていないようですので、「常識」に従い、イギリス・アメリカ・ドイツを一先ず対象とします。
 第一をイギリス篇とします。

 余談ですが、「動物実験の廃止を求める会(JAVA)」創立当初、私も参加していましたが、英国の女性活動家を招いて事情を聞くという催しがありました。講演の後、いろいろ日本の実情を訴えて、教えを仰ごうとする質問が相次ぎました。けれども、どんな酷い事例に対しても「イギリスでも同じ」という答しかなく、幻想をもっていただけにがっかりしてしまった記憶があります。
 それから二十余年、「どんな風に同じか、またはどう違うか」の検証は遅きに失したと思いますが、この度協力者を得て、実現できることになりました。動物虐待防止会「先進国検証グループ(仮称)」がその作業を担当しますが、力に余る事も多いと思います。読者諸兄姉のご助言をよろしくお願いいたします。

 唐突ですが、英国の繁栄の基礎を築いたとされる「奴隷貿易」に触れたいと思います。世界史のおさらいです。
 十六世紀から十九世紀にかけて通称「大西洋奴隷貿易」が盛んでした。いわゆる三角貿易で、欧州諸国(ポルトガル・スペイン・イギリス・フランス)にアフリカ貿易商も加わり、ヨーロッパの酒・武器・雑貨などをアフリカ大陸へ売り、西アフリカ原住民を奴隷として入手、それをアメリカ大陸に運び、労働力として引き渡す。新大陸からはコーヒー・タバコ・砂糖などを欧州へ持ち帰る、というものです。
 ヒトをモノとして扱う恐ろしい制度が300年も続き、ようやく廃止されたのが二百年前です。

なぜ「奴隷貿易」「奴隷制度」を取り上げるのか。

 それは、ヒトさえもこのように扱ったのだから、動物に対する感覚は推して知るべしであろう、と考えるからです。
 もちろん、動物の権利等の考え方が提起され、その賛同者も増加しつつある現在、動物の待遇も改善されているものと思われますが、現実にはどうなのか、先ずは奴隷制度について知り、それから動物との関りの実態を見ようと思います。

 奴隷制度廃止二百周年(2007年3月25日)を前にして、2006年11月27日に時の英国首相トニー・ブレア氏は、これに関して声明を発表しました。以下にその要約を記します。

[ブレア氏の声明・要約]
 大西洋を横断する奴隷貿易は歴史上最も非人道的な企業によって行われた。かつて欧米の中心地で人間啓発運動を推し進めていたその同時期に、その国々の商人たちは人種的差別を気にもかけず、恐ろしい三角貿易を実行し、約一千二百万人を大陸から運び出し、約300万人を死に至らしめた。
 奴隷制度がアフリカ、カリブ海諸島、アメリカ及びヨーロッパに与えた影響は激甚なものだった。ありがたいことに、英国はこの貿易を廃止した最初の国であるが、廃止二百年の記念祭が近づくにつれ、私たちは、英国もその間この貿易において積極的な役割を果していたことを認識すべきである。英国の産業・商業は奴隷貿易と深く関係づけられていたし、世界中にわたる英国の突出した台頭は部分的に植民地の奴隷労働システムに依存していた。この制度を思い起すときには、実際に私たちが行った事柄をも思い起さなければならない。
 今日、非人道的な犯罪とされることが、かつて合法的に行われていたとはなかなか信じ難い。個人的に私は次のように考えている。この二百周年は、奴隷貿易がどれほど恥ずべき行為だったか、その存在を私たちはどのように非難し、その廃止のために闘った人々を賞賛したかを語るだけでなく、過去に起ったことや起り得たことに対して深い悔恨を表明し、今はより良い世界に生きていることを喜ぶ機会を与えてくれたと思っている。
 奴隷制度と闘った人々の出自はさまざまである。奴隷・元奴隷・教会指導者・政治家たちから、請願署名・デモ行進・ロビー活動に参加し祈った一般市民まで、不公正と戦った人々を思い出すために、二百年祭は絶好の機会である。
 国内では、地域社会や宗教・文化団体などが既に記念行事を計画しており、政府、地方自治体は大きな役割を果すことになる。また、カリブ海諸国から国連総会に提出された決議案を他国とともに応援し、この機会に国連が記念行事を行うよう要請する。
(これに続けて、現在外観を変えて存在する奴隷制度すなわち強制労働・少年兵・人身売買を認識すべきこと、アフリカ自体及びアフリカやカリブ海諸国から移住した人々の抱える問題に応えていくべきこと、それらの原因は主に貧困と社会的疎外であることから、先進国が、経済・教育・医療などの面で積極的に援助しつつあるが未だ不十分であること、などが述べられる。)
 二百年祭は、個々の家庭においても、アフリカ・カリブ海諸国の黒人コミュニティが英国民の豊かな生活にどれほど貢献しているかをじっくり考慮する機会となる。しかし、人種関係改善活動や機会均等委員会ができて三十年経ってもなお、充分な成果を見ないのが現実である。政府も、教育・健康・雇用・住宅および刑事司法制度における不平等の克服に努力している。私は、誰もが真価を発揮できる将来を見たい。
 二百年祭は、人身売買その他今日の奴隷制度すべてを廃止しようとする私たちの努力を刺戟するものとなる筈だ。そして何よりも、私たちが共有する遺産について理解を深め、多様性を持ち得た豊かさをことほぎ、共通の価値観に根ざす世界を形成しようと決意する、機会なのである。(要約終)

 11月26日付「ガーディアン」紙は、ブレア首相の声明に関し、二本の論説を掲げました。
一つは「首相は恥ずべき奴隷貿易を英国の悔恨とし、人道に対する罪として非難したが、批評家たちは、完全な謝罪には至らずと言う」(見出しによるまとめ。D・スミス筆)というもので、主に、謝罪を要求されて来た過程と謝罪しない事情とを解説しています。もう一つは、歴史学者T・ハント筆「奴隷制度──我が歴史的悔恨の長い道のり」、これも英国の繁栄が奴隷制度に大きく依拠すること、解放がどのように勝ちとられたか、謝罪がなぜなされないかなどを考察しています。
 ブレア首相の声明以後、英国では謝罪の要不要について議論がまき起ったそうですが、今私たちにとって直接の問題ではありませんので、奴隷がどう扱われたかに限定して、ハント氏の記述から拾い出そうと思います。

[ハント氏の論説・要約]
 アフリカからジャマイカへ航海中のゾング号は貧弱な航海技術と強風のため、到着が大幅に遅れていた。そのため積荷が腐りはじめていた。つまり、デッキの下に手錠足かせを掛けられ床に顔を押付けられ、他者の排泄物や_や汗にまみれた約四百四十人の奴隷が、徐々に死んでいったのである。
 船長コリンウッドはこの損失を保険金でカバーしようとし、飲料水の不足を理由に、133人の奴隷を海に投げ落した。手錠をかけられたままの者もいたし、自ら飛込んだ者もいた。しかし、保険会社がコリンウッドの請求を拒絶したため、保険金詐取は失敗した。彼は1783年にロンドン裁判所に一般的保険金事件として損害賠償を請求したが棄却された。殺人事件としては扱われなかった。
 右の事実は、奴隷出身のオローダー・エクイアーノのによって奴隷廃止論者グランビル・シャープに通報され、シャープが大衆に伝えた。この、奴隷制度恐怖の現実は、廃止へのきっかけとなった一連の残虐行為の中の一つである。

 そもそも奴隷貿易は、性質が違うにせよ、ヨーロッパ諸国の参入以前に、アフリカに奴隷取引の「文化」があった。ほとんどが中東の市場に牛耳られており、アラビア人の商人がアフリカ人をペルシアや地中海へと連れ出していた。アフリカ東海岸にあるザンジバルは、有名な奴隷取引の中枢であった。
 さらに、ポルトガルとフランスは、早い時期からアフリカにおいて、熟達した贈賄と、悪知恵と暴力とで貿易を確立していた。その奴隷売買は十八世紀において、量と質両面において残酷さを増していた。
 そして、商船で広汎な貿易を行う商人・船乗たちの起業家精神により巨大化する大英帝国が、その中心となった。「三角貿易」は王立アフリカ合弁会社が多くあるブリストル、リバプール、ロンドン、及びグラスゴーの港で始まった。
 18世紀後半、何千もの英国船が、アフリカの大西洋岸を、セネガルからナイジェリアにかけて奴隷市場に沿って航海し、奴隷を買い集めた。奴隷の輸送に関る船が入港する二日前から、汚物臭・死臭が漂って来たそうだ。

 鎖に繋がれた奴隷たちは、新大陸へ向う船に集められ、世にも恐ろしい「中央航路」を行くことになる。死亡率は通常二〇パーセント、うまくいって五パーセント。餓死・自殺・自傷はもちろん、精神に異常を来すことも通常のことだった。逃亡に成功した奴隷の一人は、女性の金切り声や瀕死のうめき声がどのようだったか伝え、全ての状景が表現不可能なほど恐ろしいものだったと語った。
 不確実な数字だが、歴史家たちは、百万人以上のアフリカ人が中央航路で死亡したとしている。
航路で生き残った強い人々は、今度はプランテーションの労働力として、酷い扱いを受けた。(要約終)

[この記事の付録](要約)
売買された「人類」(Humanity for sale)
キャシー・ヘスロップ
● 奴隷貿易は1517年にスペインの貴族が、アフリカ人奴隷を居留地に輸入する許可を与えられた時に始まった。
 1754年までには、アメリカ大陸に263,000人の奴隷が存在するようになり、総勢1500万人が輸送された。
● (略)(三角貿易の内容)
● 奴隷船の状況はすさまじいもので、何百人もが詰め込まれ、航海中は鎖でつながれ、横たえられたままということもしばしばだった。そして、五分の一は航海中に、病気や飢餓で死んだ。
● 1800年代のアメリカでは、「地下にもぐった鉄道」(秘密組織)が、南部の農園の奴隷が北部へ、またはカナダへ、逃れることを可能にした。その数は10万人にのぼる。 
● 奴隷廃止の中心的リーダーであった、トーリー党の下院議員ウィリアム・ウィルバーフォースは、1790年代に議員たちに働きかけていた。英国は1807年に奴隷の船での輸送を中止し、1833年、ウィルバーフォースの死後一ヶ月のことだったが、「奴隷制度廃止法」が施行され、大英帝国の奴隷は全て解放された。

 この抄出のあいだ中、奴隷たちが繋がれて横たえられ、船倉にきっちり並べられている絵を思い出していました。遠い昔のことで何で見たか記憶は無く、説明も覚えていません。ただ「ひどいこと」のショックは消えていません。
 もっと昔、『アンクル トムズ ケビン』を読んで衝撃を受けたこと、長じては映画『風と共に去りぬ』に点景として描かれるマミーが気になって仕方なかったことなどを思い出します。
 奴隷は自らの力で、解放をかち得ました。さて動物は、どういう手段を持てるのでしょうか。
 奴隷=ヒトをこのように扱った「先進国」は、今、動物をそのように扱っているようです。繰返しになりますが、英国の女性活動家の「英国でも同じ」という言葉の実例を、新たに見つけましたので、ご紹介して、今回を終りたいと思います。

BBCニュース 2002年4月29日 午後11時6分
「動物を愛する」英国のネグレクト(飼育怠慢)のお話
 アレックス・カービー
動物保護の専門家たちは「この国の虐待事例の大半の理由は飼育怠慢だ」という。
RSPCA(王立動物虐待防止協会)はイングランドとウェールズを管轄するが、動物の苦痛軽減のための新法を求めている。
この協会のスタッフは、2001年中には平均して20秒に1本の電話に対応したという。
そのほとんどの事例は、非常にたやすく避けられたと思われるものだった。
1911年の動物保護法のもとに摘発された1977件のうち、1761件(89%)は基本的な飼育怠慢に分類される。

法律に関する新情報

RSPCAは政府に対し、苦痛軽減を助ける「世話する義務」を導入するよう求めている。
これは、すべての飼い主に次の事柄を供する法的責任を課すことになろう。
1 十分な食料と水
2 適切に保護される場所
3 必要な時に適切な獣医学的処置を得られること
4 その動物が通常の行動・動作を示せる適切な広 さ
5 精神・心理的な苦痛や悩みが起きないよう守られること
2001年の間に協会スタッフが救出乃至保護した動物は195,000頭以上、電話の応対は150万件以上。しかし、協会は、法令がもっと早く機能していれば多くの事例は避けられた筈、と失望している。そして、動物には基本的に何が必要か、飼い主は長期にわたって面倒をみるべきこと、などを大衆に分ってもらう努力を我々はしなければ、と語った。

数字は減少している

虐待で調査された件数は12万3156、救出された動物の数は1万19147、2000年度より微減。立件数も同様。
犬への虐待は871件(2000年度1175件)、猫に対しては289件(同256件)。
馬、驢馬、牛、及び野生動物に対しては、それぞれ増加、しかし、豚、羊への虐待は減少した。

告発された事例

● 子犬 15回以上も喉を切られ、頸静脈が晒されたまま放置されていた。有罪とされた男は二ヶ月間投獄された。
 子犬は回復した。
● ある家で六十頭以上の犬と猫がインスペクターによって発見された。或るものは飢えて死にそうだった。
 しかし、その家には千六百缶ものペットフードが山積みになっていた。
● また他の場所で、RSPCAは、十二歳のシーズーを見つけた。その雄犬は一年間も毛の手入れをされず、
 インスペクターは犬とは判断できなかった。初めは汚れたぼろの塊だと思った。獣医の鎮静処置で、その犬の長い、
 固まった毛がそそり立った時、首の肉に食い込んだ首輪を発見した。
● その他の事例
  雌牛の写真に付けられた説明──この牛の足は自分の排泄物に深く埋まったまま放置されていた。
  犬の写真に──救出されたグレイハウンド、やせ衰えていたが生きていた。

右の報道は2002年のもので、いささか古く、今は改まっているだろうと考えることも出来ます。編集部では、最新の事例報告を入手しましたが、紙数が尽きましたので次回ご紹介します。

*ホームページ掲載に際し、漢数字を算用数字に変更しました。