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シリーズ「先進国って何?」

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■ 動物ジャーナル85 2014 春

先進国って何? (十)

 ドイツ篇 その四   犬と人との関係 上

青島 啓子


はじめに
 前回末尾に今回取りあげる問題のキーワードとして、「一日50トン」「四万頭」「未登録(=脱税)」を挙げました。これらの語は、ベルリンの犬にまつわるもので、「一日50トン」はベルリン都市清掃公社(BSR)が回収する犬糞の総量、そして「未登録つまり脱税状態の犬が四万頭いる」ということを示します。
 一日50トンとはどの位の量か。日本のゴミ収集車は平均して2トン積めますが、その二十五台分、多さは信じられないほどです。なお再度確認したところ、最新の数値は55トンとのことでした。
 今回とあと何回か、ベルリンの犬に限定して考えてみようと思います。というのは、先ごろ犬にいちばんやさしい街としてNHKでベルリンが取りあげられ、好評を博したようですが、内容には疑問が多く、影響が心配されるからです。あら探しをするつもりはありませんが、鹿を馬と言いくるめる、周囲がそれに同調する、とそれが真実となる、という流れには歯止めが必要と考えてのことです。

 先進国シリーズを始めたきっかけは、「現在の動物愛護運動における欧米礼賛一辺倒の有様は如何なものか、欧米の現実が正確に伝えられているか疑問である。この礼賛にはおのれを高く大きく見せようとする下心があるからではないか」(『動物ジャーナル61』)ということでした。
 以来、〈検証グループ〉の集める材料に圧倒されながら、辛い事実を書き連ねています。その作業は、片方で幼い頃から馴染んだ「外国」を否定するものでもあり、別種のつらさを感じます。
 母はシューベルトやブラームスの子守唄を口ずさみ、英国の生地トブラルコで子ども達の洋服を作り、母方の祖母は私をつれて(学校を休ませて=出来たての新制中学など眼中になかったのでしょう)銀座へ外国映画を観に行くのを楽しみ、トブラルコの裁ち落しを何種類もはぎ合せて、お弁当包みを作ってくれました。洋服がとっくに消えた今でもそれだけは残り、懐かしんでいますが、「英国篇」準備中、技術独占のためインドの織物職人の手を切落したという資料に出会った時の衝撃、物の背景を考えもしなかった軽薄を恥ずかしく思いました。
 また父の友人外交官がドイツに赴任し、かの国の人から「今度は勝とう」と言われたとか聞いてびっくりしましたし、わが身の経験で申せば、大学院時代、来日研究者の古い文書読解のお手伝いをしたとき、労賃を請求するよう言われ、戸惑っているうちに帰国されたなど、風習・文化の違いを文字通り痛感?させられました。
 けれども、どの国にも学ぶべきところ、魅力的なところがあって当然。知り、考え、選択する、という落着きがこの連載によって培われてきたように思い、きっかけそのものにも感謝したいくらいです。

● 尊敬する先輩女性のお話

 近ごろ、動物問題のみならず、広く社会的視野を持って世間、世界を論じる、尊敬すべき女性にご縁をいただきました。その方のお話しになったことをお伝えいたします。
 よく聞いていたNHKFM放送・クラシック音楽の番組のテーマ曲として流れていたのは「羊は安らかに草を食み」という曲で、穏やかな曲想に心奪われていた。作者は大バッハ(ヨハン・セバスチアン・バッハ)と知り、歌詞はドイツ語で「よき君主さまがつくられた法律と牧者によって、羊が守られ、安らかに草を食んでいる」と聞かされ、こんな昔に羊を守る法律があったドイツは違う、素晴しい国だと思ったものでした。
 しかしこの曲が「jagd-kantate 狩猟カンタータ」という全十五曲の中の一つで、他の曲には「楽しき狩こそ 我が喜び」「狩は勇者に相応しい」「この矢は 喜ばしい獲物を射止めるのだ」などの歌詞があると知り、愕然としました。
 また、大久保利通が先生と仰ぎ、絶賛した鉄血宰相ビスマルクが、鹿や熊など大型動物目当てに、敵地であっても欠かさず猟をする無類の狩猟マニアであったこと、ライヒ動物愛護法には人に優しくない狡猾な裏が織り込んであったこと等、一九六〇年代になって初めて知り、おのれの浅はかさを悔やんだものです。
 大正リベラルを満喫して成長期を過した世代を親にもてば、舶来信仰も身に付くというもの、終戦後解禁となった欧米の文物に望んで浸ったのも当然の成行きです。気がつけば周りは外来語だらけ、祖母は必死にメモを取っていましたが、中でもドイツ語はぬきん出て歴史が古いらしく、ライカ、モンブラン、ゾーリンゲン? そんなの知ってる!でした。やはり幕末明治の開国時に大きな影響を受けたからなのでしょうか。ドイツには潜在的親近感ともいうものがあったと思います。
 
 それ故、一九八六年に動物実験の廃止を求める会(JAVA)設立当初から参加しましたが、ドイツの愛護事情に関して云々されることは殆どなかったのを、不思議にも思わなかった記憶があります。
 そして二〇〇二年の「ドイツ動物保護法改正」が目覚しい出来事として伝えられ、さすが先進国という印象が固定されたと思います。以来最近まで呑気に過しましたが、あまりに強烈なドイツ礼賛に、事実を述べなければならないと思い、この連載となりました。
 02年の改正も、そこに至る過程で発生した裁判で争われた内容やその他、手放しで礼賛できない事柄があり、八十年前ナチによって施行されたライヒ動物愛護法、関連してユダヤ系の人々が受けた影響も、確認要のテーマとして目前にあります。ただ今回は、紙数の関係上それらに及べませんので、ご理解下さい。

● 動物福祉乃至愛護問題二三の現状

「ドイツ篇その一」(『動物ジャーナル82』p.26、p.40)に、豚の無麻酔去勢がいまだに行われていることを述べました。同様に産業動物の扱いには、とても先進国とは言えないものがあること、ここでは馬の個体識別法として焼印に固執している状況をお知らせします。
 二〇一二年十月十六日、ドイツ連邦議会委員会において豚の無麻酔去勢問題と共に、馬の焼印について討議され、「焼印禁止については、意見不一致」とまとめられました。
 ドイツ動物保護連合のトーマス・シュレーダー会長は「時代遅れの識別管理方法を止めるべき」と主張しましたが、ヒトの臨床医であり自ら皮膚科の研究所をもつ有名教授が「哺乳類には外皮の自己修復力があり、科学的視点からも焼印には合併症がなく、人道的で適切な標識方法として評価されるべきである。マイクロチップを入れることによって馬の精神・健康に与える影響は不明である。またチップは深刻な合併症を起すことがある」と述べ、それに続き「動物福祉に関する議論は非常に感情的になることがある」などの発言も出、焼印廃止は一蹴されました。
(ドイツ連邦議会ホームページビデオ
  ※及び議事概要 ※http://goo.gi/DCpuDX)

 子馬も視野に入れた焼印とマイクロチップの比較:
 ウィーン及びハノーバー大学獣医学部研究者による
 論文(ドイツ獣医師ジャーナル2013─1より)

2010年
2011年

ドイツ動物保護連合による焼印反対ポスター:広告代理店フレーゼ&ウォルフ作

 この委員会に招かれた専門家は八名、動物関連では先のシュレーダー氏と遺伝育種学(=動物福祉無関係)専門の二人だけ。豚と馬を取上げる会議に人間の医者やその関係者がなぜ大きな発言権をもつのか、奇異の観を否めませんが、近代医学・製薬界の進歩に圧倒的実力を見せつけてきた国であること、馬の焼印は伝統的なもので、焼印自体がブランドだと固執する等の結果かと考えられます。
 翻って、獣医師や馬関連の仕事に従事する若手と思われる人が集うサイトには「多くの国では焼印からマイクロチップに代えています」等の見出しのもとに、マイクロチップの効能=いかに多くの情報を入れられるか等=の解説や、マイクロチップの優位性を説くウィーン及びハノーバー大学獣医学部での研究成果が掲載されています。が、ヒトを対象にする〈権威者〉たちからは歯牙にもかけられてないようです。
 なお日本の競走馬の世界では、七年ほど前からたてがみ部分へのマイクロチップ埋込みが採用され、従前からの頭や足の白班などの特徴認識と共に、個体識別管理をしています。

● ドイツの動物政策を論文のテーマにしたい

 前々から「子どもと犬の躾けはドイツ人に」と言われていましたが、その出所について、海外の事情にお詳しい畏友Stambaugh眞理代氏にお尋ねした時のこと、同氏も以前現地の人に聞いて、「それは時代遅れの知識。今は荒れる生徒に学校現場は手を焼いていて、この問題を書いた本がベストセラーになっている」との答を得たとのことでした。学級崩壊はともかく、ベルリンの犬糞の状態を見れば、犬の躾けも放棄されているらしいのは明らかですが、依然としてこの語の出所は不明です。
 そのついでに同氏から出たお話。
 或る大学生から「ドイツの進歩的な動物政策を論文のテーマにしたいと考え、先ずペットの生体販売がないと言われる実態をインターネット等で調べてみたら、犬猫、うさぎ、モルモット、大きなオウム、亀、蛇、ワニ等を売っている実店舗がヒットした。人以外何でも売っているように感じた。なぜでしょうか」と質問されたそうです。
 海外に動物関連でパワフルな知人を持つStambaugh氏が答に困る筈はないと思い、その質問の詳細をお聞きしたところ、その大学生は、報道・ネットその他で情報を集めるうちに、テーマをドイツの進歩的動物政策から「動物愛護とデマゴギー」に変えたいと思うようになった。ついては以下のことを教えてほしいと言われたとのこと。

1. 実店舗はもちろん、インターネットを使った販売があるにもかかわらず、日本の政治家、タレント、マスコミ、愛護団体等は、ドイツではペットは売っていないと言う。ここには何か申し合せがあるのか?
2. 素晴らしいとされるベルリンの動物保護施設の幹部が横領事件を起し、司法の判断が出ているが、なぜ日本で問題にならないのか? これも申し合せや協定があるのか?
3. 外資系保険会社のホームページに、ナチ政権下の動物保護政策について、ユダヤ系の人々が動物虐待をすると決め付けたペット飼育禁止令※等に触れておらず、ドイツの現状認識も賛美に徹していて疑問を感じたが、これに愛護団体が引っ張られているように思えてならないが、如何お考えか?
(※1943年5月15日、ユダヤ人ペット飼育禁止令)
 Stambaugh氏はその大学生に「全て指摘はごもっとも」と述べ、その背景等の説明を尽し、一定の理解は得られたそうです。しかし、タレントを始め発言力の大きい人々がメディアを通して、ドイツでペットを売っていないことにしてしまう現状が我慢ならない、不誠実でいい加減な世界を卒論にして汚点を残したくないと、その後は懇親も途絶えてしまったとのこと。冷静に物事を見ることが出来る、大切な若者を一人失ってしまったとため息をついていらっしゃいました。
 せっかく志を立ててドイツの愛護政策を探求しようとしていた学生が、その前段階で嫌気がさしてしまったのはほんとうに残念なことです。もしも「動物愛護とデマゴギー」論が完成していたら、日本の愛護運動のあり方、それをとり巻く環境に刺戟を与える大きな力になっていたことでしょう。
 その余慶にあずかって、本稿もさっさと終焉させられたのに…と思います。

泉佐野市の犬税 続報

● アンケート

 泉佐野市が、散歩時に犬糞を放置する不良飼い主に手を焼き、糞回収等の美化対策費捻出と並行して、放置抑止に効果ありとする犬税を検討していることは前回に述べました。
 最近になって、同市在住の読者から、泉佐野市生活産業部環境衛生課発「飼い犬・飼い猫についてのアンケート」(A4一枚)が郵便受に入っていた、こういう調査で飼うのを止める人が出てくるのが心配、との声が寄せられました。
 内容は、犬については種類と頭数・受入れ経路・室内飼いか否か・登録と狂犬病予防注射の状況、猫については頭数・受入れ経路・室内飼いか否か、を問うています。無記名アンケートですが、戸別訪問による回収(不在の場合はこの返送用封筒で、と)という点が市民に警戒され、上記のような心配を呼び起したようです。同市の狙いかどうかは判りませんが、この内容では犬税の下準備と気づかれることは全くないでしょう。まるでペットイベント等で行われるようなありきたりの設問です。ちなみにこの飼育実態調査はいわゆる外注=私企業に依頼していて、当然公費が使われています。
 同市計画中の犬税は、糞を放置する不良飼い主は同市市民であると推論し、市在住の飼い主に課すことを前提にしています。この推論を確認するため、このアンケートで先ず畜犬登録数を把握し、ついでに予防注射その他適正な飼養状況かどうかを知りたかったと思われます。が、回答率を含め、その有効性は未知数です。
 なぜなら、糞放置者が泉佐野市民かどうか、尾行でもしないかぎり把握できないこと、全てが住民であったとして、回収された糞の総量が市内の犬の頭数の排泄妥当量と合致したときのみ、この推論が正しいと言えるからです。

● 放置するのは同市民だけか

 他方、犬税を導入するならば、畜犬登録者・未登録者を問わず公平に課税すべきですが、それが実現でき、めでたく放置者皆無となったとしても、他市の住民が泉佐野市内の公共地で犬を遊ばせ、糞放置お構いなしとなったらどうでしょう。現実には、犬スポットとして知られる大阪府りんくう公園やりんくうアウトレット等の周辺で他市住民の傍若無人ぶりが認められるようです。

 もちろん行政も、大阪府警のOBを巡視員として、不良飼い主に注意する/糞を回収する等していますが、予算の関係から数名の人員しかまかなえず、充分な対応はできていません。なお泉佐野市では、巡視員に糞放置を現認され、汚物を持帰るよう注意を受けたが従わなかった場合、同市在住・非在住にかかわらず過料五千円を課しています。路上喫煙は過料千円ですから、その積極性が窺われますが、いかんせん巡視員の人数はコストとの睨めっこ、大々的に効果を上げるには至っていません。
 また、りんくう公園に限って巡視の有りようを見てみても、泉佐野市は警察OBを、大阪府も独自に公園管理事務所の人員をその仕事に当てていますが、泉佐野市及び大阪府公園課、それに公園管理を担当する一般社団法人大阪府公園協会三者が犬糞対策を協議した形跡は認められず、効率よく巡視員を動かすこともできていないようです。

 こういう状況下で犬税が実施されれば、犬税支払い者は「よその町の不良飼い主をどうする」と不満をもつでしょうし、糞害の苦情をぶつける人や犬飼育に懐疑的な人々からも、犬税を冷たくあしらわれそうです。
 このように、犬税導入を目ざしても一筋縄ではいかない。簡単には実現できそうになく、さりとて衛生上の問題は無視できず、何とか解決しなければ行政の面目も立たないことになります。

 基本的には飼い主のマナーの問題であり、お行儀や道徳のレベルに威丈高な公権が介入するのは好ましくありませんが、昨今の世情では暢気なことを言ってもいられず、犬税検討もその成行きで始まったのでしょうか。
 結局のところ、一九六五年前後から多発した咬傷事故がきっかけとなって、戸別訪問までして畜犬登録をさせた先例に倣い、不良飼い主に「行政をなめてかかったら大変だ」と自覚させるために、行政はその手中にある現行法とそれを根拠にした「指導」を強化する以外に、解決の道はないのかもしれません。

● 観光スポットとしての悩みも

 泉佐野市は関西国際空港という巨大施設を抱え、周辺に前出りんくう公園をはじめさまざまな〈遊び場〉があるため、人の出入りが格段に多い市の一つと言えます。
 現に、例えばりんくう公園には「マーブルビーチ」とよばれる、大理石の小石を敷きつめた人工の海岸があり、その白さも見事ですが、そこからは離着陸する航空機や神戸・淡路島をつなぐ明石大橋、運がよければ壮大な入り日も眺められます。またバーベキューの場もととのえられています。
 この外いろいろな〈遊び場〉への人出からは当然市の収入増が期待され、〈集客〉に努力することも求められるでしょうから、ここで犬糞・犬税を声高に議論するのはイメージダウンになりかねないとの考えも出てきているようです。
 殊に「観光学」という分野の学者からは「罰則や課税という方法でなく、例えばボランティアを使って対応するのはどうか」等の提案が少なからず出されています。

[速報]泉佐野市犬税検討会は去る五月下旬の会議で徴税コストと犬の飼育頭数把握面から導入困難との意見が大勢を占め、七月に最終答申を出しますが、犬税の前途は厳しいと思われます。

犬権が認められる街、ベルリン
 ベルリン市内では、従前から放置される犬糞が対人地雷に喩えられるほど人を悩ませています。犬糞問題の深刻さは泉佐野市の比ではありません。
 ベルリン都市清掃公社(BSR)が設置するオレンジ色の犬糞用ポストがあるのに、すぐ脇の歩道に放置された犬糞にキンバエがたかる光景が珍しくない、多発する咬傷事故、決りを守る気のない飼い主の多さ、等の実態を知らされると、歴史あるベルリン国立歌劇場やベルリンフィルハーモニー等の世界的ホールをもつ輝かしい都市イメージとのちぐはぐに戸惑うばかりです。

 東西を隔てるベルリンの壁があった頃から、犬に対しては比較的寛容なベルリン市民であったそうですが、街中を歩いていて、犬糞を踏むことが嫌な人はいたでしょうし、犬を飼わない人や飼育自体を懐疑的に思う人も当然存在したでしょう。今でも存在するはずです。
 そのように感じる人々に対して、犬を飼う人が何の配慮もなく〈自己流〉を貫くならば、やがて犬飼育者のみならず、犬まで憎悪の対象にされてしまいます。そして行政も、行政罰としての罰金規定や指導に必要な根拠法令を授かりながら活用せず、無為徒食を決めこんでいるならば不良飼い主と同罪で、犬嫌い量産に加担していると言えます。この傾向は日本において多く見られることですが、かなしいことにドイツにも存在します。

 現に犬に権利があるとされるベルリンでも、不良飼い主の振舞いの悪さから、人気の散歩コースから犬が締め出されたり、犬と飼い主の行動が制限されたりしています。自業自得の結果とはいえ、そのあおりは適正飼育者にも及ぶわけですから、罪は大きいと思います。
 それのみならず、ベルリンには犬の糞を拾うという奉仕活動をする小学生たちがいますが、その子たちにも大きな落胆を与えることになります。日本にも自発的に他人の不始末を引き受けて拾い、犬の立場が毀損されないよう努める犬愛好家グループ・個人が存在します。こういう人々の犬への無私の愛を、またベルリンの子どもたちの純情を、不良飼い主や怠惰な行政は踏みにじり続けるのでしょうか。不良飼い主の絶滅が早く実現されますよう、祈るばかりです。
 しばらく前のこと、日本で或る犬の訓練士についてささやかれた冗談のような話、「あの訓練士を躾ける訓練士が必要ではないか」。これは、売名心旺盛でトリッキーなもの言いをする訓練士にびっくり仰天した犬飼育初心者が友人に洩らした言葉とのことですが、ベルリンの不良飼い主にも躾けをほどこす訓練士が必要な時期が来ているのかもと思ってしまいました。

 いつも話は同じところに落ちてしまいますが、今日本において喧伝される「ドイツ礼賛」は本当に真実に基づいて発信されているものなのか、ドイツに憧れ、その犬事情を羨ましく思う心情は理解できますが、受け入れた情報の内容を丸のまま「真実・実態」として頭の中に固定させてしまってよいものなのか、よく考えなければなりません。(これはメディアリテラシーの問題です。前号「報道から」欄で、おでこに〈疑〉の字を付けた女の子のイラストや、『動物ジャーナル62・63・64』の連載を思い出していただければ幸いです。)
「自分はドイツに行ってこの目で本当に見てきた」と主張する人もあるでしょう。が、それは一部ではなく全体を見たのか、その根拠は?という問掛けに耐えられるか、難しそうです。また、全体を確実に見てきたとしても、片方に「見たいものしか見ない(見えない)」という理屈もあるそうで、「本当に見た」人の資質や知性によります。
 いずれにしても、「ドイツはこのように素晴らしい」との主張は、「この場所・この機関でこれこれを調べた。内容はこれこれしかじか」という具体的な説明が丁寧に付けられていなければ〈信じ〉ないのが無難なようです。
 こういうふうに考えますと、現今の「ドイツ素晴らしい!」情報は、なんとも根拠のおぼつかないもので(次回以降検証します)、追随する人々はスローガンに踊らされているように感じられるのですが。失礼おゆるしを。

メディアというもの
 二〇一二年十一月一日午後十時、NHKで「地球でイチバンペットが幸せな街ドイツ・ベルリン」が放映されました。犬に犬権が認められ、殺処分もゼロの街としてベルリン市を紹介したものです。
 放送前には「ペットと人間が幸せに暮らす街」「犬と飼い主の絆」のテロップと共に「ノーリードの飼い犬」「膝に乗せた犬と共にカフェで寛ぐサングラス姿の女性」「電車(※)に飼い主と共に駆け込む犬」「水槽の中でゆっくりと歩く、ハイドロセラピー施術中の犬」などを二十五秒にまとめた番組宣伝CMも流されていました。(※)電車=ベルリン都市高速鉄道
 さらに、この放送の反響が大きかったのか、それとも毎分あたりの視聴率が高かった部分を切貼りしたのか、はたまた後向きの話を除外したのか、事情は分りませんが、全編約四十七分を何と九分弱に縮めた短縮版が翌年一月に放送されました。
 この番組宣伝CMを見た或る読者から「大丈夫かしら?」という電話があり、また本放送終了後「またやっちゃったようです」、つまり内容が不正確だと知らせて下さった方もありました。
 NHKの言うことは間違いないと信じる人は多いのですが、近年その信仰?を裏切るような番組が出現しています。
その一 二〇一一年八月十四日 ETV特集「アメリカから見た福島原発事故」
「元々地上にあった非常用発電機を地下に移したのが現因で大惨事を招いた」と放送し、東電から「そのような事実はありません」と反論され、即刻訂正、約三ヶ月間お詫びと訂正を番組ホームページに掲載した。発電機の移動について、東電側に電話を一本かけて確認すれば間違いは起らなかった筈。
その二 二〇一三年三月三十一日 NHKスペシャル「魂の旋律 音を失った作曲家」
 ご本人は天国で「おお友よ、このような調べではない!」と怒っているであろう、偽ベートーベン祭り上げ番組。ドキュメンタリー制作者として、やはり確認を怠り、「やっちゃった」のでした。

 ベルリンに戻ります。海外取材の番組を制作する場合、自社の特派員が現地で暮していて、その地の状況や空気を把握しているはずですから、確認するのはいとも簡単でしょうに、本国で決めて来た筋書き通り制作を進めてしまったための欠陥露呈と思われます。いつの日か、「お詫びと訂正」の上、正しい?番組が放送される、と期待します…。
 この種の確認不足による失策よりひどいものに、でっちあげ報道もあります。代表的なのは朝日新聞のいわゆる「KYサンゴ自作自演記事」、これは地元ダイバーの追跡によって暴露されましたが、朝日新聞のみならずメディアには捏造が大なり小なりあります。

 かと思うと、長く日本で当り前のように語られた「スイスは非武装中立」は、読売テレビ・ミヤネ屋の「スイス 知られざる永世中立国」で、「アルプスの少女ハイジ」の紹介とスイス民兵体験リポートによって、常識をくつがえしました(12年四月十八、二十五、二十六日)余談ですが、スイスに関しては国松孝次著『スイス探訪─したたかなスイス人のしなやかな生き方』(角川書店・03年)があって、下地が出来ていたかもしれません。
 メディアというものが、全く信じられないということでもないと、救われる気分です。

● 偽ベートーヴェン問題によって考える

 先ごろ大騒動となったいわゆる偽ベートーヴェン問題は、前号「報道から」で記事の材料になっていましたので、この事件を例にとって、報道の様相を探ってみたいと思います。 
 合作?が始ったのは十八年前とのこと。レコード店には「絶望の先の希望、闇の向こうの光に聴くもの一様に涙する」との販促ポップが踊っていたそうです。また交響曲第1番HIROSHIMA(日本コロンビアCOCQ-84901)のCDには東大の音楽専門の教授が英訳付き楽曲解説を書き、制作者ノートには、ブルックナー、マーラー、ショスタコービッチ等の後期ロマン派作曲家の系譜を継いでいるとしるされている。けれども実際に聴いてみると、受け継いだとする作曲家たちの香りが強すぎる、とは音楽通の方の感想でした。
 その方はまた「レコード店にしても、クラシックや演歌を真に愛する個性ある店長さんが珍しくなかった頃は、仮にレコード会社からイチ押しだと販促をかけられても、納得がいかなければ店の前面に展示しなかったり、あえて同じ曲を別のピアニストや歌手が演奏したレコードを横に並べたりして、しっかり主張を示していたものだが、そういう気骨は失せた時代になった」と言われました。
 そして、有名知識人の絶賛もあり、レコード会社の策略──作品とは直接関係ない事柄を露骨に掲げる「物語」をセットにして──もあって、世間は盛り上っていったと見えます。それに関与したメディアも多々、前述NHKのドキュメンタリーもその中の一つでした。(NHKの場合、N響というオーケストラを持ち、東京総局内の音楽専門学芸担当職員にも内線電話で意見を聞ける環境にありながら、なぜ?とやはり思います。)

 こういう流れに突破口を作ったのは音楽家・野口剛夫氏でした。
 『新潮45』13年11月号に「〈全聾の天才作曲家〉佐村河内守は本物か」を寄稿、まだ代作者がいるとは判明してない時期ですが、音楽家として曲そのものに違和を感じ、もてはやされる要因が音楽と無関係だと指摘しています。けれども、この声はかき消されていました。
 そして、代作者・新垣隆氏の告白となり、潮流は一気に変ります。この時のマスコミその他の狂奔ぶりは記憶に新しいところです。それぞれの報道者がどう総括するのか、興味があります。
 それから、どう控えめに表現しても「後出しじゃんけん」と言うしかない雑誌『アエラ』の「消えぬ違和感、嘘に騙されず」(14年2月17日号)。「本誌は嘘を見抜いた!」けれども、追求しなかった理由として「彼の話のどこまでが本当なのか、疑問だった」「オリジナリティーに疑問がある」「ほんとうは聞えているのかもしれない」などを挙げましたが、それらをこそ追求する価値があったのではないか、それをつき詰めなかったのはどうして?ということがここで説明されなければ、ただの愚痴、ないし保身の弁にすぎません。朝日新聞を含め、祭り上げたメディアの責任に言及するなど、評価できる部分はありますが、掲載意義のよくわからない記事でした。

 以上様々なメディアのあり方を眺めました。この項の題材は分りやすい偽楽聖としましたが、愛護問題にも応用して考えてみましょう。
 すなわち、ある事柄を報道するとき、メディアはヒットさせようと努力しますから、受け手に考える猶予を与えないと思います。例えば多頭崩壊のSOS、反響が大きければそれは渦巻き状に過熱し、その飼育者には問題があったなどとする意見は無視されます。めでたく動物さんは救われたけれど、飼育者の無法ぶりが明らかになって、後味の悪い気分のみが残る。思い当る方もいらっしゃいましょう。
 そして、ここで取りあげている「ドイツ礼賛」問題でも、現在までの報道は過熱状態と見えます。その受け手も判断を放棄してしまっているのか、確認を面倒がっているのか。冷静に事実を見なければとする本稿は、警戒されているようです。
 結局は、個々人の責任に回帰するのですから、後悔が残っても仕方ありませんが、共に暮す動物さんに被害が及ばないようにだけは心していただきたいと、痛切に思います。

おわりに
 これは当面の「ベルリン」から逸れますが、ドイツの一般的状況を知るための材料としてお知らせします。
 去る五月末から四日間、ニュールンベルクにおいて「インターズー2014」と称するペット関連イベントが行われました。百二十以上の国から、バイヤーを含め三万七千人の来場者があったとのこと。
 他方、やはり今年の二月初旬の六日間、ドルトムントで開催された「狩猟と犬フェア」の来場者数は七万五千人。ここではライフル銃はもちろん、剥製や毛皮のコートの展示、猟場へ行くための四輪駆動車の試乗もでき、猟犬も出演?しました。単純に見て、狩猟イベントが倍の入場者を誇っているのはドイツならではのことらしく思われます。

ベロダイアログ検討委員会(ベルリン市ホームページより)

 次回は、ベルリン市の犬好きの議員が、市内の咬傷事故・犬糞放置・飼い主のマナー等の問題を改善するために、率先して奔走し、2012年10月から同市が委員会を設けて(写真)討議してきた「ベロダイアログ」と、それに納得しがたいとする愛犬家の動きをお伝えします。