2002年6月の映画  戻る


フロッグ・プリンス Prince Charming

出演 クリスティナ・アップルゲイト(ケイト
「ビッグ・ヒット」)/バーナデット・ピーターズ(マーゴ「ピンク・キャデラック)
メモ 2002.6.23 レンタルビデオ TV映画
あらすじ
わたくしアンウィン王国おかかえの魔術師のロドニー。ジョン王子の家庭教師もしております。この王子が困り者なのです。女好きで。女の子もほっておかないハンサムなのがまた頭痛の種なのです。でも、後少しでお役ご免となるのですよ。そうなったら魔法三昧の毎日、ああまちきれない。チューリップが原因の3世紀に渡る争いに終止符を打つため、ジョン王子は隣国ロジアンのグェンドリン姫と婚礼をあげ万々歳となるはずなのです。
ところがジョン王子ときたら、こともあろうに婚礼の日にロジアンの領地内で若い女の子と事に及ぶんですよ。はれほれはれ。発覚してカンカンになったロジアンの王妃の命令で最も卑しい”カエル”に変えられてしまったのです。どうしてか、わたくしも一緒に。元に戻れるのは「乙女がこの破廉恥な王子の唇にくちづけした時」しかも「真実の愛を見つけた時」で、「キスしても次の満月までに結婚しなければならない。」なんですと。それでワタクシ、500年もカエルやっている訳なんです。
感想
魔術師ロドニー役のマーティン・ショートについてちょっと書きたい。さぼてんにとってこの方はマルクス兄弟のハーポの再来なのだ。なんとなく似ているからというそれだけの理由なんですけれど。
「サボテン・ブラザーズ」ではスティーブ・マーティン、チェビー・チェイスに続く3番目のブラザー。
「インナー・スペース」では、デニス・クエイド入りの探査船をお尻に注射されてしまうジャック。好きな映画です。
「花嫁のパパ」ではフランスなまりのへんてこな英語をしゃべるウエディング・コーディネータ。これお薦め。マーティン・ショートに注目!。
「キャプテン・ロン」では飛行機事故で亡くなったキャロル・ロンバート(「生きるべきか死ぬべきか」)とクラーク・ゲーブルのサインのあるヨットを相続してカリブ海をクルーズして家まで運ぼうとするパパ。不幸な事に船についてきたキャプテンはカート・ラッセルだった・・・。
「3人の逃亡者」では銀行強盗をするパパ。「48時間」のエディー・マーフィーよりもニック・ノルティをキリキリ舞させこれもお薦め。
「マーズ・アタック」では大統領報道官のロス役。火星人の美女(リサ・マリー)に鼻の下のばしている内にあっさりやられる人。
西澤保彦氏が「ミステリー作家90人のマイ・ベストミステリー映画」 であげられている「ピュア・ラック」の主役の人。西澤氏は「超どじな体質のお嬢様が行方不明になり、その捜索のため同じくらい大ドジ知らず知らず災難を引き寄せる男(これがマーティン・ショート)に行方を追跡させる。たぶん同じ行動をするだろうから」というアイデアに感心されただけみたいですが。「ピュア・ラック」のフランスオリジナル版は「ツキのない男」みたいです。
マーティン・ショートはサタデー・ナイト・ライブ出身のコメディアンだと思う。カナダの方みたい。どこか知的でどこか寂しそうでどこかアナーキーで好きなんです。そこがハーポに似ているのかな。大成しきれない人かもしれないけれど応援したい。
おすすめ度お気に入りです★★★★
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バーバー The Man Who Wasnt There(そこにいなかった人)


2001年カンヌ国際映画祭最優秀監督賞
監督・脚本 ジョエル・コーエン
製作・脚本 イーサン・コーエン
撮影 ロジャー・ディーキンズ
出演 ビリー・ボブ・ソーントン(エド・クレイン)/フランシス・マクドーマンド(ドリス・クレイン)/ジョン・ポリト(セールスマンのクレイトン・トリヴァー)/トニー・シャルーブ(弁護士のフレディ・リーデンシュナイダー)/ジェームズ・ガンドルフィーニ(ビッグ・デイブ)/スカーレット・ヨハンスン(バーディ
「ゴーストワールド」)/マイケル・バダルコ(義兄フランク))/キャサリン・ホロウィッツ(デイブの妻アン)
メモ 2002.6.22 梅田ガーデンシネマ
あらすじ
1949年。第二次世界大戦が終わりアメリカ黄金期の北カルフォルニア・サント・ローザでエド・クレインは義理の兄フランクが経営している床屋で働いていた。
「義兄はおしゃべり、床屋が天職だ。俺は無口なタチだ。床屋の娘と結婚したから床屋になった。それだけだ。遅かれ早かれ髪は伸びる。それを刈るのが俺の仕事だ。それだけだ。しかし、ただ切って捨てられるだけの髪は何故伸びるんだろう。だいたい俺はなぜここにいるのだろう」と髪をカットしながら哲学的な思索に陥っていくエドであった。
感想
白状するとさぼてんはコーエン兄弟の作品を見ているといささか眠たくなってくる。退屈だからではなくゆらゆら気持ちよく漂ってしまう。この悲惨な物語は一瞬の夢のようなお話です。漂いながらも深く捕らえられてしまう。不思議だ。今回はフィルム・ノワールモノだったので影像だけでなく物語への満足感も高い。白黒のコントラストが美しい影像に紫煙が漂うという、またしてもハイクォリティな作品。
「床屋の話」としか知らずに見たのですが、リーデンシュナイダー弁護士に格子の影がかぶるところで「この影像ってラナ・ターナー、ジョン・ガーフィールドの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」 (ここ)のラストシーンと同じやん!」と嬉しい驚き。そういう話やったんか。モノクロミステリ映画ファンは喜ぶ。庭かけまわりそう。
だんだん影が薄くなっていくエド・クレインって何者だったんでしょうね。宇宙人だったのかもしれない。最後は宇宙船が別れを告げに来たんでしょうか?
おすすめ度芸術家のエンターティメント映画★★★★
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鬼が来た! DEVILS ON THE DOORSTEP


2000年カンヌ国際映画祭グランプリ
監督・製作・共同脚本 姜文(チアン・ウェン「太陽の少年」「紅いコーリャン」)
原作・脚本 ユウ・フォンウェイ
共同脚本 シー・チエンチュアン/シュー・ピン
撮影 クー・チャンウエイ
出演 姜文チアン・ウェン(マー・ターサン)/香川照之(花屋小三郎)/チアン・ホンポー(ユイアル)/ユエイ・ティン(通訳トン)/澤田謙也(酒塚猪吉)/ウォン・チーチュン(ウー長老)/野々村耕二(宮地佳具)
メモ 2002.6.21 シネ・ヌーヴォ九条
あらすじ
1945年2月旧正月前の中国・華北の農村に暮らしているマーの元に深夜、男が訪れる。姿をあらわさない男がマーに銃をつきつけて預けた物は麻袋がふたつだった。「晦日の夜に取りに来る。日本軍に見つかるな。その時はお前の命を頂く」と脅されたマーが麻袋の口を開くと中には猿ぐつわをはめられた男がふたり。ひとりは皇軍の兵士・花屋小三郎、もうひとりは通訳のトンだった。正体不明の人物からやっかいな荷物を預かった中国の農民は困り果てる。農民達にはイデオロギーも戦争ももしかしたら国家もどうでもいいのだ。作物が実りご飯が食べれて日々の生活がおくれれば。「殺せ、殺せ、生きて虜囚の辱めは受けん!」とわめく日本兵となんとか助かろうと頭をしぼりまったく違う内容を両方に通訳するトン。コミュニケーションがとれたような、とれていないような不可思議なブラックユーモア世界が牧歌的に展開する。
感想
「極限状態の人間をむきだしにした重喜劇。」見ているとおかしいのですが、香川照之さんは捕虜を実体験し笑えないような撮影だったらしい。姜文(チアン・ウェン)監督は「戦時下における人間の心の動き」を描きたかったという。その場の権力者のとうとうと述べる「人殺しを正統化する理由」に普通の人々は翻弄される。個人ではいい人でも集団になると何をするかわからない。敗戦を知りながら「我々は決していくさに負けた訳ではない! 残念ながら戦う事を止めただけだ。」と酒塚隊長はへ理屈をこね蛮行の限りをつくす。わからない。戦争が終わった後も中国人の通訳トンと、中国農民マーを待ち受けていたのは不条理な社会。中国国民党のカオ長官の論理もわかったようなわからないような内容だ。アメリカ軍の手前、政治的には正しかったのだろう。マーにふたりをあずけた謎の男(八路軍/共産党軍らしい)も一方的に疫病神を押しつけただけで民の事を考えていた訳ではない。中国は人民を大事にしているのか?という事を描いているのだろうか。戦争中は個人的に殺す理由が無くても日本兵を殺すのは正しく、戦後は殺す理由があっても日本兵を殺すのは正しくない。ここでは正誤の基準がころころ変わり、善が勝ち悪が負けるという図式もない。

日本人のさぼてんには厳しい内容だった。戦後55年の時をへてこの映画はカンヌ国際映画祭で上映されたのだ(正直に言えば見終わった直後は、戦後補償もODAも無駄ではないかという気がした)。日本人が見ないという手はない。痛いよ。狂気の戦争中とはいえ人間生きている内にした事は生きている内につぐなわなければ、末代までもさわりがあるんだな。さぼてんは祖国に誇りを持ちたいと願っている。その気持ちに対して今、重い足かせとなっているモノはなんなんだろう。いったい何が悪かったんだろう。何が起こったのかを色々な視点から歴史に学ばなければ(なかなか学べないが)。
広島市長平和宣言にあった「「和解」の心は過去を「裁く」ことにはありません。人類の過ちを素直に受け止め、その過ちを繰り返さずに、未来を創る事にあります。そのためにも、誠実に過去の事実を知り理解することが大切です。」を頭に置いてこの映画を見なくては(裁かれている訳ではないのだ)。ちびさぼの時代には姿勢を正して「私がした事でもないし、あなたが直接被害を受けたわけでもない。」と中国語で言えるようになって欲しい。気持ちで中国に負けてはいけない。。
おすすめ度★★★★
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アイ・アム・サム I am Sam

2001年 米国 133分 ニューラインシネマ
監督・製作・脚本 ジェシー・ネルソン(「コリーナ・コリーナ」「グッドナイト・ムーン」「ストリート・オブ・ラブ」)

脚本 クリスティン・ジョンソン
撮影 エリオット・デイヴィス(「わが街セントルイス」「蒼い記憶」「アウト・オブ・サイト」)
音楽 ジョン・パウエル
出演 ショーン・ペン(サム・ドーソン)/ミシェル・ファイファー(弁護士リタ)/ダコタ・ファニング(愛娘ルーシー)/ダイアン・ウィースト(隣のピアニスト・アニー)/ダグ・ハッチソン(友達1・イフティ)/スタンリー・デサンティス(友達2・ロバート)/ビラッド・アラン・シルヴァーマン(友達3・ブラッド)/ジョゼフ・ローゼンバーグ(友達4・ジョー)/リチャード・シフ(検事・ターナー)/ローラ・ダーン(養母・ランディ)/ロレッタ・ディヴァイン(ソーシャルワーカー・マーガレット「ルール」のパム・グリアー好きの警備員)/メアリー・スチィンバーゲン(ドクター「タイム・アフター・タイム」)
メモ 2002.6.21 梅田ブルク7
あらすじ
サムはルーシーを育てている、「ビートルズがバイブル」のサムはスターバックスで雑用係をしながらルーシーを頑張って育てている。毎日働いてルーシーとお話して友達と遊んで、隣のアニーとお話してと充実した楽しい毎日だ。放浪者だったルーシーのママはルーシーを産んだ後姿をくらましてしまった。サムはアニーの助けを借りながらルーシーを育ててきた。ところがルーシーが小学校にあがってからは先生達が心配をしはじめる。ルーシーが勉強をしないから。その訳といえばパパより賢くなりたくないからかもしれない。本もあまり読めないパパの事を早熟なルーシーはものたらなくまた幾分恥ずかしく感じ始めているらしい。
ルーシーを取り上げられそうになったサムに残されている道はなにか。それは米国人らしく戦う事。友達の助言を元に”勝てる弁護士”をサムは探し始める。
感想
知性ってのは目にあらわれると思う。例えば検事のターナーの目のように。それが本作品のショーン・ペンは目から知性を感じさせる光を消し去っている。ほとほと感心した。

「泣く泣く」と聞いていたんやけど、ほんましょっぱなからあぶないやん、コレ。7才の子供が赤ん坊を育てるんですよ。両親を亡くし、幼いお兄ちゃんがひとりで小さな妹の面倒をみる感じなん。そういうけなげな前半はとってもいい。

ところが、養父母に引き取られたルーシーが絵を描くシーンからちょっとトーンが下がってしまった。あれは7才の筆つかいやないと思う。映画「モンキーボーン」の出だしで漫画家(ブレンダン・フレーザー)が描く絵のタッチみたいなん。あまりにきれい過ぎ上手過ぎる。と思い始めたらなにやら作り物めいてきて。だいたい愛情が全てを解決するのか? 愛があれば救われるのか? ソーシャルワーカーも検事も「100人の内、ひとりは間違っていたとしても後の99人は救われる」という信念の持ち主でそれはそれで現実的でりっぱやん。頑張ってはるやん。
・・・・・・・というのは当事者とはちゃうから言える事で、そのひとりになったらたまらんやんなあとまた気持ちを切り替えて見る。

あーよう出来ているなあと思った所は「食べさせて、体をきれいにして、着替えさせて」の幼い頃は力仕事で大変やけど、自分の事がひとりで出来るようになってからも、子育てってのはずーっと続くんやなあというとこ。親ってのは死ぬまでやめられん(古くさいな)。そしてショーン・ペンが「(大事な事は)子供の話を聞いてやる事。たとえわからなくても」ってとこ。 これってどんな親でも経験すると思う。わからないというより、退屈な話。幼い頃から毎日どれだけ「今日見たTV、絵本、映画」のあらすじをちびさぼから延々聞かされ続けた事か。刷り込まれたような詳細な記憶なん。山も谷もオチもなんの味付けもない子供の話を聞き続けるのはとても難しい(このHPもそういう感じかも)。そしてサムの友達のジョー(この人は障害者でオーディションで選ばれた人だそうです)が「僕はルーシーの5番目に好きな人なんだ」という嬉しそうに言うシーンかな。パパとその友達4人のなかではベベやんというという事などどうでもよく幸せそうなのがいいよね。学ぶべきモノは多い。だいたいそう理屈っぽくみる映画ではなく、ハートで感じる映画なんだと思う。

さぼてんの母というのは恐らく記憶力がいいのだと思う。なんでもかでもよく覚えている。勘も鋭い。それが子供にとってどうかというと、かなり厳しいもんなん。だいたい気性も激しいし。ハハとハハの兄姉6人はみんな上がったり下がったりのジェットコースター気性で「今誰と誰が喧嘩していて、誰と誰が仲直りしているのか」がわからん状態だった。そういうハハに対しいつも「ただ優しくて明るいだけの母親であってくれたら」って思ってたよな。きっとちびさぼもそう思っているだろうて。
おすすめ度★★★★
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タイムリセット −運命からの逃走−Ta fa likit/Who Is Running?

1997年 タイ 105分
監督・脚本 オキサイド・パン
出演 サンヤー・クンナゴン(ジョップ)/ ナンタリガー・タンマプリーダナン (ワーン)
メモ 2002.6.19 レンタルビデオ
あらすじ
恋人のワーンは信仰心のあつ〜い仏教徒。今日のデートもお寺。 僕? 僕はジョップ。あんまり抹香臭いのは好きとはいえない。でも、まあええか。ワーンと一緒に居られるだけで楽しいもん。
シアワセいっぱいやったん。そやけどお寺の帰り道、犬におーてんね。ワーンは犬好きなもんやから満面の笑みで、見つめ続ける犬に近づいていったらそこに車が来たん! 車はぶつかれへんかったのにワーンは倒れて血を流し始めるねん。病院に駆け込んだら内出血が止まらず助かる確率は20%以下やねんて。 なんで? なんでこんなに信心深くてかわいくて善良なワーンがこんな目にあうのん? お寺に駆け込んで助けて欲しいと頼んだら、坊さんが出てきて「前世の業(カルマ)のせいだ。彼女は助からない」なんて言いはんねん。「前世に一家5人を皆殺しにし家に火をつけた極悪人」で「その罪をつぐなわなければならない」んやって。「そんな、あんまりや」とすがりついたら「24時間の間に5人を助けたら彼女の命は救われる」って教えてもうた。−5+5=0やねんて。僕、頑張らなっ!
 それからワーンの東奔西走がはじまる。自殺志願者に思いとどまるよう説得して説得して説得しながら「人の命」の重さがだんだんわかってくるのであった。
感想
極悪非道なやからが生まれ変わるのは虫けらと思いきや、かわいい女の人に生まれ変わるん。そのかわいい女の人が生まれてきたのは、殺された一家の飼い犬に復讐させるためだけってのがコワイ。助ける命の内3人が自殺志願ってのがクライ。「命の尊さ」って話が教育的。
そやねんけれど、こういうSFファンタジー大好き! 香港出身の監督さんらしいストップモーション・シーンとかも見所。カウントダウンサスペンスぷらす「恐怖新聞」です。
おすすめ度★★★1/2
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ゴーストワールド GHOST WORLD

2001年 米国 111分
監督 テリー・ツワイゴフ
オリジナルコミック ダニエル・クロウズ
製作 ジョン・マルコヴィッチ
出演 ソーラ。バーチ(イーニド
「アメリカン・ビューティー」)/スカーレット・ヨハンスン(レベッカ)/ブラッド・レンフロ/スティーヴ・ブシェミ(シーモア)/イリーナ・ダグラス(「「グレイス・オブ・マイ・ハート」<「誘う女」「サーチ&デストロイ」)
メモ 2002.6.10 レンタルDVD
あらすじ
自分たちの価値観を大事にして独自路線を貫いてきた女の子ふたりイーニドとレベッカはハイスクールを卒業した。学生時代は「学校に通っている」という大義名分さえはたしてりゃ後は好き勝って出来たが、それがなくなってしまった。いつまでもジョシュを苛めていても始まらん。イーニドはそれなりに悩み苦しむ。そのイーニドの悩みの結果他人は翻弄される。やっぱ迷惑か? いやおうなくこれからの道を見つけなけりゃならん。モラトリアム時代は長くない方がいいのはわかっている。パパは子育ては終わったとばかりに晩年の伴侶を受け入れるみたいだし、家に居場所がなくなってしまった。それはお尻に火がついている状態。はてさてどうしようか? レベッカの様に「子供の時間は終わったのよ。大人になるのよ。」にするか、「ほんまの事知ったらえらい事になる」で知り合ったシーモアの様に「生活の糧に面白くもない仕事を定時まで勤め、後は趣味の世界にどっぷり」浸かるか。それとも気が済むまでなじめる世界を探すか?
感想
もしもこういう岐路に立ったとしたら、さぼてんは「寂しいとかなんとか言ってたけど結局したかっただけかい?」のシーモア路線を選ぶだろうな。いやあっち方面の事じゃないんですけれど。品良く静かに深く潜行して自分の楽しみを見いだしたい。時にはフツーの世界に浮上したくなるけれど、またもや潜行していく生活。そやけどシーモアの世界を美化していないのに笑った。いいんではないかい。
オシャレも音楽もビジュアルも生活も自分のスタイルを確立するってのは、手間も暇もかかるもんなん。グータラには出来ない。こだわりを持ちたくない人間にはできない。哲学、信念を持たなくちゃできない。それがないさぼてんはちょい寂しい。色々こだわりまくった映画です。

「キネマ旬報」2001年度の外国映画ベスト9作品。
おすすめ度オタク予備軍必見!★★★★
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KT

2001年 日本 113分
監督 阪本順治(「どついたるねん」 「ビリケン」 
「顔」 「新・仁義なき戦い」
原作 中薗英助「拉致−知られざる金大中事件」
ゼネラルプロデユーサー 李凰宇
脚本 荒井晴彦(「Wの悲劇」「絆」「皆月」)
撮影 笠松則道(「「バタアシ金魚」「顔」「新・仁義なき戦い」)
音楽監督 布袋寅泰「FROMZEN MEMORIES」
出演 佐藤浩市(富田満州男・自衛隊陸幕二部別班員))/キム・ガプス(金車雲 キム・チャウン・駐日韓国大使館一等書記官)/チェ・イルファ(金大中 キム・デシュン)/筒井道隆(金甲寿 キム・ガプス)/原田芳雄(神川昭和・夕刊トーキョー記者)/キム・ビョンセ(金俊権 キム・ジュングォン)/ヤン・ウニョン(李政美 イ・ジョンミ)/香川照之(佐竹春男)/光石研(柳春成 ユ・チュンソン)/柄本明(内山洋・陸幕二部別班班長)/麿赤兒(川原進・夕刊トーキョー文化社会部部長)
メモ 2002.6.8 テアトル梅田
あらすじ
40歳以上の人は記憶にあるだろう「金大中事件」。朴正煕大統領の政敵だった「数奇な運命の持ち主」金大中氏が1973年8月8日東京・九段のホテルグランパレスから拉致され5日後ソウルの自宅前で発見された事件だ。無事発見された時は多くの人が胸をなで下ろし、かつ「何故無事だったんだろう?」と不思議に思った事件。それくらい当時の朴(パク・チョンヒ)政権は恐かった。
感想
見応えのある映画だった。私は政治にあまり関心がないしまあテキトーによきにはからってくださいという方だ。しかし、ひとつの国で生活している以上ある程度は関心を持たざるを得ないし理解しなければならない事はあると思う。そのひとつは近隣国・韓国、ロシア、中国、米国と”よき関係”を築く事。

1970年代初めの日本というのは右や左の「国を憂う」人達が起こした事件が色々あった。東大の安田講堂落城、赤軍派のあさま山荘立て籠もり、三島由紀夫の自決、大阪の派出所から盗まれた拳銃で行われた朴正煕大統領暗殺未遂事件(文世光事件)。他にも千日前デパート火災、天六のガス爆発事故、オイルショック、ベトナム戦争終結、日本万博とさぼてんが10代初めの頃は世の中がざわざわしていた。中でも謎は「金大中氏拉致事件」。主権侵害だとか公安が手引きしてたんじゃないかという憶測が流れたけれど真相は闇の中。その出来事をさぼてんと同世代の阪本監督が映画化(これが嬉しい)。このまま埋もれさせていいのかと。日本人として曖昧なままでいいのかと。上質のエンターティメント映画の形となって私達に突きつけてくる。しっかり受け止めないといけない。
韓国の国母・閔妃(みんぴ)暗殺とかも奥は深いんやろうけれど、まずそういう出来事があった事を知らなきゃ始まらない(さぼてんの場合そこどまりなのが残念ですけれど)。劇中富田(佐藤浩市)が「さようなら、金さん」というセリフの元になっているのは中野重治氏の詩「雨の降る品川駅」だそうです。
脚本の荒井晴彦氏には監督に言いたい事がいっぱいあるようやけれど、イデオロギーやら生臭さをカットし謎を残したこの映画は謎めいた「金大中事件」にふさわしいと思う。

パンフに載っていた全共闘世代1947年生まれの脚本家・荒井晴彦氏へのインタビューの最後の語りをばご紹介。−
 「外国の監督はちゃんと自分たちの国の歴史なり恥部なりに向き合っているでしょう。侯孝賢(ホウ・シャオシエン「悲情城市」「恋恋風塵」台湾)にしても陳凱歌(チェン・カイコー「黄色い大地」「さらば・わが愛−覇王別姫(はおうべっき)−」中国)にしても『プラットホーム』の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)にしても、ある時代の姿、自分の青春と時代の関わりを描いている。だけど日本の監督は、30過ぎても中学時代を回想してイジメられたの、イジメたの(「リリイ・シュシュのすべて」だな)、あるいは高校生がシンクロナイズドスイミングをやってみたり、情けないじゃないか、と。そういう意味で、阪本がこの素材を選んだのはカッコイイと思う。」
・・・・・・・激しい。熱い。(笑)。
おすすめ度★★★★
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サトラレ

2001年 日本 113分
監督 本広克行
原作 佐藤マコト(「サトラレ」)
脚本 戸田山雅司
音楽 渡辺俊幸
出演 安藤政信(里見健一
「バトル・ロワイアル」)/鈴木京香(小松洋子)/八千草薫(里見キヨ)/小野武彦(国光博一)/寺尾聰(東隆之)/内山理名(川上めぐみ)/松重豊(白木重文)/小木茂光/深浦加奈子
メモ 2002.6.8 レンタルビデオ
あらすじ
通称「サトラレ」と呼ばれる特殊能力者が日本国には6名いる。正確には「乖離性意志伝播過剰障害(かいりせいいしでんぱかじょうしょうがい)」と言うらしい。彼らは例外なく天才であり発明やら発見やらで現在、未来の日本を支える希有な人材、つまり国の財産だ、資源だ、宝だ。ただひとつやっかいな事に彼らの「思念」は周りの人に伝わってしまう。平たく言えば彼らの考えている事が全て筒抜けなのだ。そんなプライバシーゼロの人生を生きていける人間はいない。しかし世の中には知らない方が幸せという事はある訳だし、国の財産なもんで国宝や重文よりも大切に二重三重に守られている。決して自分自身が「サトラレ」と気づかないように。一番若いサトラレ7号は24年前に発見され、彼は今外科医をめざし猛勉強中だ。
感想
これでもかと泣かそうとするあざとい演出やら、いささか冗長という日本映画の悪しき習慣をきっちり保ちながらも、そんな事はどうでもいいのと思わせる。素直にいい話なん。コメディ味ファンタジー系SF映画。こんな駄法螺を書き散らかしているHPでさえ(だからか)匿名でしか書けない。顔見知りにこんな貧弱な頭の中を知られるなんてとんでもございません。そんな勇気はさぼてんにはありません。それなのにあろうことか「サトラレ君」の頭の中は丸聞こえなん。大事にしているというもんのよってたかって騙している。そういうおっとろしい話を滑稽かつハートフルに見せ、観客をのせるのはたいしたものだ。

前半は「トゥルーマン・ショー」のようなドタバタ喜劇で笑えるし、後半はしんみりする。「あの子は声が大きい正直者なだけ」とか、病名を隠し必死で嘘をつこうとする孫に「りっぱになって」とほろほろする八千草薫さんに泣きそう。ちょっと泣く。「嘘の中でもっともやっかいなのは自分につく嘘」と語り、最後はサトラレ君に「君の腕に嫉妬したんだ」とうち明ける寺尾聰さんも味わい深い。
コミュニケーションの話なんやね。世渡りには嘘も必要やけれど、もう少し正直に単純に生きれるんやという。人との距離の取り方はテクニックがいる。でも、そのテクの結果何が真実かわからなくなり疑心暗鬼の疲れる世の中で、いままでは「やっかいな預かり物」と思い聞き流していたサトラレ7号の言葉を初めてみんなが真摯に聞く。そして「腕のええセンセやん。正直でお腹は黒ないし。気楽につきあえそう。」と自分たちの宝だったんだと気づく「善男善女」が良い。コミュニケーションは話言葉だけではないという未来を暗示させるラストもうまくまとめてある。

さぼてんがこの映画でもっとも新鮮に感じられたのは「国益のために一丸となる日本人」の姿かな。東京オリンピックを成功させようという頃はこういう感じだったのかもしれない。全体主義はもってのほかやけど、H2Aロケットも国策じゃなくなった今この国はどこへ向かおうとしているのか。国をあげて事を行う韓国や中国に負けてしまうのではといささか心配。
おすすめ度★★★★
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パニック・ルーム panic room

2002年 米国 113分 コロンビア
監督 デビッド・フィンチャー(「セブン」「ゲーム」「ファイト・クラブ」)
脚本 デビッド・コープ(「アパートメントゼロ」「トイ・ソルジャー」)
撮影監督 コンラッド・W・ホール/ダリウス・コンディ ASC,AFC(「セブン」「デリカテッセン」)
音楽 ハワード・ショア(「ザ・ブルード怒りのメタファー」「アフター・アワーズ」「ロード・オブ・ザ・リング」)
衣装デザイン マイケル・キャプラン(「ブレードランナー」)
出演 ジョディ・フォスター(メグ・アルトマン)/クリステン・スチュワート(サラ・アルトマン)/フォレスト・ウィテカー(バーナム)/ジャレッド・レト(ジュニア)/ドワイト・ヨーカム(ラウール「スリング・ブレイド」)/パトリック・ボーショー(スティーブン・アルトマン)/ニコール・キッドマン(スティーブンの現妻)
メモ 2002.6.4 梅田ブルク7
あらすじ
メグとサラは不動産屋に家を案内してもらっている。ニューヨーク・マンハッタンの19世紀末に建てられた4階建てのタウンハウスにはEVもあれば、庭もついている。前の持ち主は大金持ちの老人で賊が恐かったのか財産狙いの親戚を警戒してか「パニック・ルーム」まで作っていた。鋼鉄とコンクリートでがちがちに固められたパニック・ルームは緊急避難用の部屋。トイレも電話もあれば、勿論空調も整っており、屋敷中のモニターまでついている。まるで何か悪い事が起こるのを予感しているような不気味な部屋だ。しかし娘のサラが気に入った様子なのと、離婚した夫が新妻と暮らしている家の目と鼻の先、おまけに元夫に支払わせるとっても高い買い物という訳でメグは決める。まさか引っ越した初日の夜にパニック・ルームに逃げ込むハメになるとは夢にも思わずに。
感想
オープニング・タイトルに驚かされる。スリラーに新しい時代を開くのだという監督のガッツを感じた。
修学旅行に出発するちびさぼのお弁当作りのため朝5時起きで3時間ほどしか寝ていない中見たにもかかわらず、まったく眠さを感じさせない展開。密室劇がいいねん。前半知的な脚本やし。「パニック・ルーム」は外から入れないだけではなく、内からもこっそり抜け出す道がない「逃げ場なし」の場所なん。ジョディ・フォスターとクリステン・スチュワートのハイソで知的な親子と肉体労働者で頭がよくて冷酷になれないフォレスト・ウィテカーの対比もいい。大男の黒人対小柄な白人の女達というのもキレがよかった。

ジョディ・フォスターが「ハンニバル」を蹴って出演したというのがわかる。「ハンニバル」はハンニバル・レクターが主役の映画やん。原作の最後なんてクラリスはハンニバルのお人形みたいやし。本作は阿修羅のごとくジョディが頑張る。妥協しない。反対にお父さん達はかわいそうというか、まったくずれてるねん。フォレスト・ウィテカー扮するバーナムは子供の養育費に困って泥棒の片棒を担ぐ。どこの子がお父さんに犯罪者になってもらいたいと思ってんねんっ。まったく。心得違いもいいとこ。もうひとりは、子供を思う気持ちはあるねんけれど全然活躍しないスティーブン・アルトマンさん。あんたの事よ。子供が可愛いんやったら、「仕事」や「女」に色目を使わずもっと家庭を大事にしたらどうなん。ラストなんて強くなった母とクールな娘の絆が強まって「お金さえくれたらええねん。パパはここにいなくていい。」みたいでしたね。男の立つ瀬がない。
おすすめ度★★★★
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