2000年8月の映画


マルコヴィッチの穴 Being John Malkovich(ジョン・マルコヴィッチになれたなら)

アメリカ 20008年 112分
監督 スパイク・ジョーンズ第一回監督作品
脚本 チャーリー・カウフマン
撮影 ランス・アコード(「バッファロー’66」)
音楽 カーター・バーウェル
出演 ジョン・キューザック(クレイグ)/キャメロン・ディアス(ロッタ)/キャスリーン・キーナー(マキシム)/ジョン・マルコヴィッチ(ジョン・マルコヴィッチ)/チャーリー・シーン(チャーリー・シーン)/ショーン・ペン/ブラット・ピット/ウィノナ・ライダー/デヴィト・フィンチャー/スパイク・ジョーンズ
メモ 2000.8.31 ABCホール試写会
あらすじ
人形遣いのクレッグは操り人形が人生の全てだが、活躍する場がない。路上でしがない人形遣いの大道芸をしているがあまりの前衛さに受け入れられない。それでしかたなく指先の器用さを生かすファイル係に応募するが、採用された職場は年期の入った巨大ビルの7と1/2階だった。
感想
シュールでヘンテコリンな映画だった・・・・。
その割に小難しくなく、会場でもくすくす笑いが随所に起こっていました。

邦題の「・・・穴」と腰をかがめて小さな扉をくぐるシーンから「これは、『不思議の国のアリス』の現代版男バージョンなんだな。」なんて思っていたら、
−以下、バレあるかもしれません−
「実は性倒錯モノだったん」と一瞬感じたら、SFみたいになってきて「SF小説『パペット・マスター(人形遣い)』の変形版か?」と思って見ていたら、なんだかサスペンスが濃くなりあぶなくなってきて、それなのに多重人格物みたいにもなってきて「多重人格の原因ってこうなの?」なんて思っていたら、輪廻(リーインカーネーション)のお話になり、

結局なんやねんという気もしましたが、「人はどこから来てどこにいくのか」という高尚な哲学的なテイストも感じられ(大嘘)、音楽といい映像といい脚本のアイデアといい実に奇抜な作品です。キャメロン・ディアスとキャスリーン・キーナーが追いかけっこするシーンが一番好きだ。

監督さんのスパイク・ジョーンズは、ソフィア・コッポラと結婚されめでたくコッポラ・ファミリーに入られたそうです。「なんでそんなにジョン・マルコヴィッチになりたいねん」と思いましたが、マルコヴィッチはゲーリー・シニーズと劇団を主宰しているし、モデルもしているしで多彩で魅力的な方だそうです。知性を感じさせながら人間離れした風貌が印象的よね(笑)。「新生人 MR・アンドロイド」もお薦め(ちょっぴりだけ)。
おすすめ度★★★★
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ストーミー・マンディ STORMY MONDAY

英国 1988年 93分
監督・脚本・音楽 マイク・フィギュス
撮影 ロジャー・ディーキンス
美術 アンドリュー・マッカルパイン
出演 ショーン・ビーン(ブレンダン)/メラニー・グリフィス(ケイト)/スティング(フィニー)/トミー・リー・ジョーンズ(コズモ)
メモ 2000.8.26 CSスターチャンネル
あらすじ
「黄昏の大英帝国」と言われ英国が不況に苦しんでいた時代、港町のニューカッスルにアメリカの実業家コズモが乗り込んでくる。市長や市会議員はアメリカ資本を大歓迎するがジャズを聞かせる「キークラブ」の風変わりなオーナー・フィニーはただひとり店を売るのを拒んでいた。
感想
セピア色の映像とむせぶジャズが独特の雰囲気を作りだしている。クフラフというポーランドのマイナーなグループのクレイジーなフリー・ジャズも面白い。監督さんのオリジナルサウンドらしいです。サスペンス物としても一級品でラストは2通りしかないかと思って見ていたら3つ目があったとは・・。

アメリカの実業家コズモを迎えて市をあげての歓迎パーティ会場に「アメリカの大統領と英国の首相の写真を飾ろう」とコズモが言う場面があり「両国のトップって誰なんだろ」と興味津々で見ていたら、サッチャー首相とレーガン大統領のでっかい顔写真が会場に運び込まれてきてね。わぉ、皮肉が効いてるぅ(笑)。

若い二人を挟んで対立するフィニーとコズモがスティングとトミー・リー・ジョーンズ。ふたりとも体のうちっかわでメラメラ炎を燃やし青い火花を散らしていた。特にスティングがかっこよくて得な役でしたよ。
おすすめ度★★★★
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ホワイトアウト

日本 2000年
監督 若松節朗
原作 真保裕一(「ホワイトアウト」)
出演 織田裕二(富樫輝男)/松嶋奈々子(平川千晶)/中村嘉葎雄(奥田勲)/佐藤浩市(宇津木雅彦)/石黒賢(吉岡和志)/平田満(岩崎吉光)/古尾谷雅人
メモ 2000.8.26 梅田劇場
あらすじ
雪に覆われた奥遠和ダムは”赤い月”と名乗るテロリスト集団に職員もろとものっとられる。テロリスト達はトンネルを爆破してダムを要塞化していた。ダムの水を放流すると脅し日本政府に50億円を要求する。危うく難を逃れた職員の富樫はただひとりテロリストに闘いを挑む。それは3ヶ月前、助けられなかった友人吉岡に対する弔いと償いだった。
感想
最後までお化粧崩れてませんでしたな・・・松嶋奈々子。

ストーリーがわかりにくい。元々原作もよく読んで「あー良くできている」ってな入り組んだ話だから映画化はすんなりはいかないけれど、単調過ぎ。外国に輸出出来る程の出来上がりってのは疑問。日本映画の演技は辛くなってしまうのであまり言いたかありませんが。主演ふたりがこぎれい過ぎるゼーゼーヒィヒィしてほしい。
とはいっても、アーチ型のダムは壮大でした。雪化粧したダムが美しい。もっとダムを主役にして欲しかった。日本の国って狭い国土の割には建設業者がやたら多くて、スクラップANDビルドなどと作っては壊し作っては壊し景気対策の公共工事と称しては無駄なダムやら作って税金の無駄遣いをしていると政治家も土建屋も批判されているし、まったくその通りだと思う。とは言ってもライフラインの電力を供給するダムの姿は頼もしい。こんなにもみんなの役にたつ仕事があるんだな。ダムを造るって男子一生の仕事と胸をはれるんだ、きっと(笑)。振り返って見れば自分が日々やっている仕事って何かの役にたっているんだろうか? こんな時代になってもいまだにQCサークルなぞさせられている日にゃ、おもいっきり虚しい(ため息)。
おすすめ度★★★
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通貨と金髪

日本 1999年 104分
監督・脚本 望月六郎(
「鬼火」)
音楽 遠藤幸二
撮影 安藤庄平
出演 諏方太朗/ラサール石井/木村衣里/ソフィア
メモ 2000.8.24 ビデオ
感想
ものすごいモノを見たような気がする・・・・
こむずかしい経済学と世相で異色の味付けしたポルノ・・・ってな事はない・・ないと思う。
「日本映画っておもんない。」という人に見て欲しい。「M:i−2」の大味でダイナミックな映像と対極にある日本のじめじめした土壌にあったチマチマの島国映画を。

太平洋戦争中、東南アジアで捕虜になった日本兵達が見ている所で平気でシャワーを浴び着替えるアメリカ女は「日本の兵隊を男はおろか人間とすら認識していなかった。」という”にっぽん男子”の自虐的な話を読んだことがある。その後「アメリカがくしゃみをすれば日本は風邪をひく」立場から「アメリカに追いつけ追い越せ」をスローガンに一致団結してがんばり、1980年代末の好景気の頃「じゃぱんあずナンバー1」になったかに日本は見えた。
が、それは一瞬の幻に終わり日本は世界をリードする国になれる度胸も度量もなく、日本男子の「金(髪)本位制」も変わらず(笑)、50年前の劣等感を持ち続けたまま日本の頭越しに中国に焦点を合わせているアメリカに追随する運命なのだ。アメリカがいかに国際的に借金をかかえた国であろうとも、アメリカが崩れれば世界経済は崩壊するんだから。一蓮托生ね、あめりかさんにはかないませんが日本もくらいついてしぶとく生き残っていくぞという決意表明みたいだったな。

「君が代」の情けなくも滑稽なシーンは必見。金髪の留学生アンナを日本女性が扮する事で話がシリアスすぎる状況から救っている所に感心した。この映画に出演されたきとくな役者さんに拍手を。 さぼてんはびっくりしたよ。しびれている~(**)~
おすすめ度★★★★
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コンピュータとミス・ワトソン DESK SET

米国 1957年 104分
製作・脚本 ヘンリー・エフロン
監督 ウォルター・ラング
脚本 フィービー・エフロン
撮影 レオン・シャムロイ
音楽 シリル・J・モックリッジ
出演 リチャード・トレーシー(リチャード・サムナー)/キャサリン・ヘプバーン(バニー・ワトソン)/ギグ・ヤング
メモ 2000.8.20 CSスターチャンネル録画
あらすじ
ネットワークTV局の資料室にひとりの男がメジャーを持ってやってきて、なにやら測り出す。どでかい物が入るかどうか寸法を見ている様。資料室のミス・バニー・ワトソンはその男が天才コンピュータ技術者サムナー博士と知り、資料室の4人の美女がクビになるのではと警戒する。
感想
恋愛コメディではあるのですが結構ブラックなの(笑)。
「機械に仕事を奪われるわ」と資料室の面々が言うのに対し、「”エマラック”(コンピュータの名前)を入れたのは仕事を奪うためじゃない。調査の時間を増やすためだ。(つまり、君たちにはもっと高度な仕事をしてもらうというわけ)」  経営者のきれい事の言い分は今も昔もかわらん(笑)。人件費削減のリストラちゃうん。この世の中、高度な仕事が出来る才能ある人間ばかりか?
IBMのプロパガンダみたいな映画やんと思っていたらその通りでこの映画に全面協力しているらしく、驚いた事に上の漫画みたいなカリカチュアされた”ピポバポした機械”は当時の最新鋭機でほんもんらしいです(驚)。 しかしながら今から40年前から「処理系(基幹系)のコンピュータ(給与計算とかするヤツ)」と「情報系(資料の検索とかするの)」を分けて考えていたIBMのしっかりしたコンセプトはたいしたもの。

アウトソーシング(外部への業務委託)とかASP(アプリケーションサービスプロバイダー 専門会社にソフトもハードも全部委託するってこと)とかSAP(サップ−人事、経理、総務なんていうどこの会社でも同じ事してるんなら同じソフトを使えばいいじゃんというので作られたドイツ発ソフトR/3)とか使って、出来上がった専門家を外部で調達して会社をスリム化し特化するってのは合理的で時代の流れといいながら、優秀なインド人を輸入して活用する移民の国ではなく、狭い島国に人間があふれかえっている国はお金と手間暇かけて人を育てないと滅ぶんじゃなかろか。
おすすめ度★★★1/2
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英雄の条件 Rules of Engagement

米国 2000年
監督 ウィリアム・フリードキン(「エクソシスト」「フレンチ・コネクション」)
音楽 マーク・アイシャム
出演 トミー・リー・ジョーンズ(ホッジス大佐)/サミュエル・L・ジャクソン(チルダーズ大佐)/ガイ・ピアース/アン・アーチャー(大使の妻)/ベン・キングスレー(ムーラン大使)/フィリップ・ベイカー・ホール
メモ 2000.8.19 梅田ピカデリー
あらすじ
1996年イエメンの米国大使館がデモ隊に包囲される。デモはいつものことだが、今日は様子が違う。米国政府の緊急要請を受けて軍のヘリで海兵隊の精鋭が事態の収拾に向かった。司令官は歴戦の戦士であるチルダーズ大佐だ。現場に着いた時にはデモ隊は暴徒と化し投石、火炎瓶を投げつけ守りについた海兵隊に狙撃手が狙い撃ちしてくる。大使一家と星条旗を無事ヘリで救出した後、チルダーズ大佐は群衆へ発砲するよう部下に命じる。一瞬の殺戮が終わった後に残ったのは、老人女子供を含むイエメン人83名の死体と多数の怪我人だった。
非武装の市民を殺したという事で世界中から非難を浴びるアメリカ合衆国。アメリカ政府はその原因をひとりの英雄の錯乱で片を付けようと考える。
感想
なにゆえ軍法会議の陪審員はあの判決を下したのだろうか?

−以下 ねたばれ注意です−
判決時に陪審員にとってこの事件の真実は闇の中だ。つまりボーダーライン上の事件であり、チルダーズ大佐が見たというものは他に目撃者がいない。事実だったかもしれないし非常時の大佐の闘争心が生みだした妄想だったかもしれない。なのに何故?

「極大射程」を読んだ時にちょっとばかり驚いたのですが、兵士が闘うエネルギーになるのは「仲間に臆病者と思われたくない。」「仲間を守りたい。」という感情だと主人公ボブが言うところ。一匹狼の狙撃手ですらこうなのか。母国を守る、家族を守るという闘いをした事がないアメリカにとって兵士はこういう気持ちで闘うのかといささか目からウロコが落ちました。 母が子供だった頃の日本では「兵隊さんは国を守る偉い人達」というのが当たり前だったのですが今でも他国はそうなんだな。短絡的な見方をすればアメリカはイエメンの83名の市民の命よりも、海兵隊3名の命を尊いとしたわけで世界中の国々ではそれは当たり前の事なのかもしれない。有事に対しいつも備えているアメリカ合衆国に対し、日本は平和ボケして大甘に見えてくる映画だった。
沖縄戦、広島、長崎への原爆投下で非戦闘員が数十万人死んだ日本に対し、アメリカ合衆国は「アメリカの兵隊を守るため」という論理で突っぱねているのが今までは「悲惨な真実を知らないからかな」と思っていた自分がお人好しだったと思えてくる。もっとも大事なのは当たりまえの事ながら「同胞なのだ」というのをタイトルと同様観客に突きつけてくる映画だった。


しかしアメリカって「おーい、なんでそんなに嫌うんだよぅ。みんなと仲良くしたいんだよぅ。一緒に仲良く遊ぼうよ、僕のルールで。」と言っている孤独なガキ大将のように、いささか被害妄想というかひがんだ所が感じられる映画でもありました(笑)。
おすすめ度★★★★
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たたり The Haunting

米国 1963年 112分
製作・監督 ロバート・ワイズ
原作 シャーリー・ジャクソン
脚本 ネルソン・ギディング
撮影 デビッド・ホウルトン
美術 エリオット・スコット
音楽 ハンフリー・シアール
出演 ジュリー・ハリス/リチャード・ジョンソン/クレア・ブルーム/ラス・タンブリン
メモ 2000.8.16 WOWOW録画
あらすじ
90年前に建てられた「ヒル・ハウス」は呪われた館だった。人間嫌いの変人に設計された屋敷の部屋はどの部屋も歪んでいて直角の角がない。当主の妻は新しい屋敷にたどり着く直前、乗っていた馬車が突如暴走し大木に激突して亡くなってしまう。二度目の妻も階段から落ちて死に、その後屋敷の主人は英国で水死し、残された幼い娘は乳母に育てられるが、一生子供部屋を出る事なく亡くなる。その娘が亡くなる直前に世話をしていた村の娘が、屋敷を相続するがそれから15年後首を吊って自殺する。その後村人からも忌み嫌われ誰もすまない屋敷になっていたが、人類学者で心霊現象を研究している博士が目をつけ、実験の場にするため現在の持ち主から借り受ける。博士が助手として招いたのは人の心が読めるエスパーと、ポルターガイストを誘発するチャネラーのふたりだった。その女性二人と現在の屋敷の持ち主の甥と博士の4人は屋敷に寝泊まりを始めるが、初日から真夜中廊下でさわがしい音がはじまる。
感想
あの世でもなくこの世でもない、狭間のような暗い世界に誘いこまれ未来永劫捕らわれるという恐さ。この映画は梅図かずお氏の短編漫画を思い出させます。子供たちが手毬をしている屏風の絵を見ている内に、「寂しいから一緒に遊んで欲しい」という絵の子供達に誘い込まれ最後は涙をこぼしながらその絵のひとりになってしまう少女の話。映画はさほど恐くないんですけれど、この漫画を思い出している内に鳥肌たってきた(笑)。

昨年公開されワタクシまだ見ていないんですけれど、どちらの感想読んでも5点満点で★1/2ぐらいの評価じゃないかと思われるほど評判イマイチだった「ホーンティング」は本作のリメイクだそうです。
おすすめ度★★★1/2
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ふるえて眠れ Hush...Hush,Sweet Charotte

米国 1964年 133分
監督 ロバ−ト・アルドリッチ
脚本 ヘンリー・ファレル
音楽 フランク・デ・ボル
撮影 ジョゼフ・バイロック
出演 ベティ・デイビス(シャーロット)/ジョゼフ・コットン(ドクター・ドリュー)/オリビア・デ・ハビランド(ミリアム)/メアリー・アスター(ジョエル・メイヒュー「リトル・ウイメン」)/ジョージ・ケネディ/ブルース・ダーン(ジョン)
メモ 2000.8.16 WOWOW録画
あらすじ
1927年米国南部の大農場園ではパーティが開かれていた。その最中に主催者ホリスの一人娘シャーロットは恋人ジョンから別れ話を持ち出され錯乱状態。ジョンは妻がありふたりで駆け落ちする計画だったが、それを父ホリスが知りジョンに娘と別れるよう圧力をかけたのだった。しばらくして茫然自失状態で白いドレスに真っ赤な血をつけたシャーロットがダンス会場にふらふら現れる。そしてジョンは手ナシ首無し死体で書斎で見つかる。
それから37年たった1964年、シャーロットは結婚もせず荒れ果てた屋敷に家政婦のベルマと住み続けている。父の影響力で証拠不十分と恋人殺しで起訴されることはなかったが町中の人間はシャーロットが殺して罪をのがれたと決めつけていた。
感想
2年程前に深夜TVで放送していたのを録画失敗してずっと見たい見たいと思っていたロバート・アルドリッチ監督作品。ついに見た!
同監督作品の「何がジェーンに起こったか?(1962年)」には及びませんが、モノクロミステリ+過去の未解決犯罪の謎+今日の幽霊の謎+やさしい仮面の下の恐ろしいお顔などなど、ああっさぼてんの超好みではありませんか。しかも階段まででてくる(笑)。定石どおり階段の上から突き落とされてぇ体がゴロゴロしてぇ首がガクッっと折れてぇというツボをはずさない”みすてりの古典作品”。

キャストは手と首を肉切り包丁で切り落とされる女たらしにブルース・ダーン。若い。37年前の娘時代のファッションに今も身を包んだ老醜をこれでもかっとさらすシャーロットにベティ・デイビス、貧しく控えめないとこミリアムにオリビア・デ・ハビランド(「風と共にさりぬ」)、ミリアムの元恋人にジョゼフ・コットン(「第三の男」)、ジョンの妻にメアリー・アスターというハリウッド黄金時代の面々が初老にさしかかって出ておられるのが嬉しくコワイ。オリビア・デ・ハビランドの足が美しいのに驚きました。
満足度★★★★
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蝶々失踪事件

日本
監督 久松静児
原作 横溝正史
出演 団譲二(由利警部)/三益愛子(白川さくら)
メモ 2000.8.13 CSミステリチャンネル録画
あらすじ
世界的な歌手白川さくら(三益愛子)率いる白川歌劇団は”蝶々夫人”の大阪公演を終えると二日後の東京公演のため、3班に別れて列車に乗る。当時は東京に行くには夜行で8、9時間かかっていた。翌日2班で東京に向かったはずの白川さくらが練習にやってこない。「またいつもの気まぐれだ。」とマネージャーは苦い顔をして次期プリマドンナを代役に立て練習を始める。楽屋では歌劇団付きの音楽家のひとり、コントラバス弾きが自分の楽器が届いていないと騒いでいた。そこに劇場の前にコントラバスの大きなケースが届けられケースを開けてみるとそこには・・・・。
感想
横溝正史氏が「ロック」という雑誌に発表した当作品を江戸川乱歩氏が絶賛し映画化されたそうです。なかなかにレトロな雰囲気のトリック物でした。面白かったよ。残念なのは7人の容疑者−歌劇団のパトロン、バリトン歌手、テノール歌手、指揮者、マネージャ、次期プリマドンナ、雑用をしている謎の少女・雨宮順子のうち犯人がすぐにわかる事かな。ここんとこがミステリ小説の映像化が難しい所。昔手品のトリックは側で見ている人よりもTVで見ているほうが見破りやすいと言われた視野の違いというのかな。映像の場合は点ではなく面を描かなくてはならないでしょ。その面の中で強調している物やわざとぼやかしているような物が見えてくるわけで。

歌劇団のプリマドンナが三益愛子さんでした。えっと小説家の川口松太郎夫人で俳優の川口浩さんや映画「犬神家の一族」で小夜子を演じた川口晶さんと確か佐智役だった川口恒さんのお母さんだったと思う。川口晶という人は演技では、そう大竹しのぶのようなタイプで天性の役者と期待されていたと思うのですが、麻薬事件で芸能界を引退されて残念です。さぼ母はなぜか三益愛子さんがあまり好きくないらしく、その事件のおりに「子供達の不祥事」を「世間に謝っていた」三益愛子さんのお姿を「(三益愛子さんがよく演じた)母物映画のまま」とか厳しい事言っておりました(笑)。
おすすめ度★★★
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古城の亡霊 THE TERROR
<若いジャック・ニコルソン>
1963年 米国 80分
監督 ロジャー・コーマン
脚本 レオ・ゴードン/クアッィ・ヒル
撮影 ジョン・ニコラウス
音楽 ロナルド・スタイン
出演 ジャック・ニコルソン/サンドラ・ナイト/ボリス・カーロフ
メモ 2000.8.12 CSシネフィル・イマジカ録画
あらすじ
ナポレオン率いるフランス軍とはぐれた大尉デュバリエはバルト海沿岸をさまよっていた。喉の乾きに参ってしまい浜辺で倒れていると美女が現れる。夢か幻か・・。その美女はデュバリエに水のありかを教えると忽然と姿を消す。フランス軍ではなくその美女の後を追い始めるデュバリエ。
<秘密の地下室へ降りるボリス・カーロフ>

感想
「脚本があるんだろうか?」という疑いを持ち睡魔と闘いながら見てたんですけれど、最後に「えっ! なんやって?」という展開になり一層バラバラした印象を受け「そうか、美女だけ助けりゃいいんだな。」と冷たく思っていたらそうは問屋が降ろさないというそれなりにユニークな作品だった。
ロジャー・コーマン監督が「大鴉(忍者と悪女)」を取り終えたセットを使って低予算で仕上げようと目論んだ作品だそうです。スタッフのひとりフランシス・コッポラは海岸のシーンを撮影し、ニコルソンもちょっと監督したりしているらしい。シネフィル・イマジカの解説では5人監督が替わったという迷走した映画で、それぞれが撮りたい物を撮りたいように撮影した映像を切り貼りしたそのモザイクに味があるような、気がする。
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リプリー The Tarennted Mr.Ripley

1996年 米国 136分
監督 アンソニー・ミンゲラ(「イングリッシュ・ペイシェント」)
出演 マット・デイモン(
「グッド*ウィル*ハンティング」 「レインメーカー」)/ジュード・ロウ(「ガタカ」「eXistenZ」)/グウィネス・パルトロウ/ケイト・ブランシェット(「エリザベス」)/フィリップ・シーモア・ホフマン(「マグノリア」)
メモ 2000.8.10 梅田ピカデリー
感想
見終わってCASTを眺めていたら、横の階段を昇って帰っていく兄ちゃんの声が耳に届く。「嘘の上塗りやな」・・・。嘘の上塗り?はてな?と思いながらもその言い得て妙な表現に苦笑。

「原作が同じって前もって聞いてへんかったらわからへんね。まったく別物の映画。」
「面白い映画と思うわ。よく出来たほんとに緻密によく出来た2時間ミステリドラマみたい。」
「なんで水もしたたるアラン・ドロンの役があの俳優さんやねん。」

   (マット・デイモンって名前、覚えてあげて(笑))
「ジュード・ロウって美男子っていうから期待してたんやけど、好みちゃうわあ。若い頃のポール・アンカみたい。」
  (さぼてんは日本のCMでしかお姿を知らない・・・ポール・アンカ)
と、団塊世代の最後、子供の頃大ヒットしたニーナ・ロータの「太陽がいっぱい」の主題曲が刷り込まれ、リバイバルで「太陽がいっぱい」を若い頃に見て、しかも歌手マリー・ラフォレ(「太陽がいっぱい」のヒロイン)のファンだったという”映画の友”が言い放つ(笑)。

あくる日、会社で人混みが嫌いだから映画はビデオでしかみないという映画好きのもうひとりの団塊の世代に「リプリー見てきた」と言うと、すぐさま「サインを練習するシーンあったん?」と聞かれる。誰しも印象深いシーンは同じなんだな。「魚の料理をフォークとナイフで食べるアラン・ドロンに「田舎者の食べ方」とモーリス・ロネが冷たく言うシーンとか、サインを練習するシーンや、ぎらぎらする太陽だけが見てたっていうシーンや、外で無邪気に子供達が遊んでいるシーンとか、ラストシーンとかまったくなし。」と返事する。そこで踏み絵のように聞かれる。「『太陽がいっぱい』、『リプリー』どっちの世代?」・・・・大きな声でいいたかないけど、もちろん「太陽がいっぱい」の世代なのね、さぼてんは。TVで見ただけだけれども。
今回は淀川長治さんが話されていたホモセクシュアルが示唆されるのではなく、前面に出ていました。
「アメリカの友人」を見た限り「リプリー」の方が原作に近いような気がする。
おすすめ度★★★1/2
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真実の囁き Lone Star

1996年 米国 136分
監督・脚本 ジョン・セイルズ
出演 クリス・クーパー(サム)/クリス・クリストファーソン(チャーリー・ウェイド)/エリザベス・ペーニャ(ピラー)/マシュー・マコノヒー(バディ)
メモ 2000.8.9 CSスターチャンネル
感想
「アメリカン・ビューティー」のケヴィン・スペイシーは上手かったけれど、その演技がこわざに見えてしまうほど印象度って点ではスペイシーを喰っていたクリスー・クーパーが主演なのかあ、「エイトメン・アウト」のジョン・セイルズ監督なのねというのに惹かれてみたんですけれど・・・・・。本年度拾い物ベストワン作品が決まりました(笑)。

テキサス州リオ郡メキシコ国境の町フロンティアで、陸軍の射撃場の跡地から人骨が発見される。40年前の骨らしい。ちょうどぴったりの人物がいるのよ。40年前に州の金1万ドルをネコババして忽然と姿を消した保安官が。その保安官チャーリー・ウェイド(クリス・クリストファーソン)は、権力をかさにきて上納金を取るわ、賄賂をとるわ、弱い者いじめをするわ殺された人も数え切れないという極悪人、人間のクズだった。密かに始末されていてもなーんも不思議はないんだけれども、保安官サムは不吉な予感がする。当時ウェイド保安官の部下だった父・バディが殺したんではなかろかと。

「誰が殺したのか?」というミステリであるとともに、3組の親子の物語でもあり、”アメリカ”を描く映画でもあります。舞台となる町は少数の白人が牛耳っていたという過去があり、大部分はマイノリティと呼ばれる黒人、メキシコ人ヒスパニック、ネイティブ・アメリカンが入り混じっていて、しかしそれぞれのコミュニティが確立されていて表だって交わる事は少ない。スペインからメキシコが血塗れになって独立した後、テキサス独立国と争い、テキサスは黒人奴隷を認める事で米国の州になったという人種民族間の争いの歴史を引きずっているという複雑な町。のほほんと日本人、日本国民やっているさぼてんには、そのアイデンティティを大事にする感情や、種々雑多な寄り集まりでありながら星条旗の下で一致団結して国を作っていくという強い気持ちの国民性の違いが浸みました。お茶漬けの国とは違うんだ。いつまでも引きずっていてはいけない。過去の争いは過去の物にしようという事なんだろう。

ジョン・セイルズ監督という人はキャスティングにも優れた人ですね。ちょっとだけ出てくるサムの元妻バニーがフランシス・マクダーモッド(「ファーゴ」)だった(・・)。どの人もいきている。町の人達に今も尊敬されていながら、自分の10代の恋を引き裂いた父に愛憎を持ち「みんなが思っているような人物ではなかったのではないか? 人種偏見に満ちた人間だったのでは? 親父はどんな人だったんだろう。」というサムの感情描写に感心した。脚本の緻密さにも、過去と現在を行き来し種々のエピソートを入れ尚かつわかりやすい作りに感心した。
おすすめ度★★★★1/2
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ル・ミリオン Le Million
<ロマンティックな舞台の”月”>
1931年 フランス 82分
監督・脚本 ルネ・クレール
音楽 アルマン・ベルナール/ジョルジュ・バン・パリス
撮影 ジョルジュ・ペリナール/ジョルジュ・ローレ
出演 アナベラ(ベアトリス)/ルネ・ルフェーブル(ミシェル)/ポール・オリビエ
メモ 2000.8.6 WOWOW録画
あらすじ
1930年パリ、とあるアパートの一室で画家がモデルを口説いている。面白くないのは画家のルームメイト彫刻家のプロスペル。背が低く鼻が大きいのにあいつばかりが何故もてる? もっと面白くないのは画家ミシェルの恋人ベアトリス(アナベラ)。頼まれていた上着を繕って持っていけば、モデルにキスしようとしたミッシェルを目撃! 「お邪魔したみたいね。」と言い捨て、自室に帰りミシェルの写真をビリビリ(怒っている)。
ミシェルは貧乏画家で肉屋、食料品屋に借金だらけ。家賃も二ヶ月貯めている。借金取りに追いかけられアパートの中を逃げ回るが、同じ時に泥棒が警官に追われアパートに逃げ込み2組の追いかけっこがアパートで交差する。とうとう借金取りにとっつかまったミシェルの元にプロスペルが新聞片手にかけ込んでくる。ふたりで買った宝くじが大当たりをしたというのだ。その宝くじはどこだ? そうだベアトリスに繕って貰っている上着のポケットの中だっけ。
舞台稽古中のベアトリスを呼び戻し詰問してみれば・・・「腹立ち紛れにその上着を警官に追われて逃げ込んできた泥棒にやってしまったわ。ふんっ!」との事。
その上着は泥棒のチューリップ親父から、オペラの歌手に買われ舞台衣装となり、その上着を追っかけ舞台をぶち壊してんやわんやの一日。
感想
<男って・・・の”ラクビー・シーン”>
オペレッタではあるのですが、ドタバタコメディ活劇でもあります。
見所は4箇所。まず、アパートでの追いかけっこ。でっかいパリのアパートメントを階段を上がったり下がったり、天窓から入ったりのドタバタ。
次は警察に捕まったミシェルを引き取りにいったプロスペルが「先に見つけたら半分は自分の物」という悪魔のささやきからミシェルを「見たこともない人です。」というシーンでじゃまする裸の男。ちょっと左巻きなのか「宝くじは私の物」とちゃちゃを入れる。うまい。
3番目は、オペラの貫禄の歌手とプリマドンナが絶唱する舞台の書割りの後ろで、歌詞どおりにだんだんヨリを戻していくミシェルとベアトリス。しかしこのプリマドンナの腰回りは→・・・(絶句)。
最後はラクビーのシーン。いや、違う。上着をとりあっているミシェルやプロスペル、劇場の人達が入り乱れての取り合いのシーンのバック音楽が観客の歓声になっているという所。
70年近く前の映画ですが、ドタバタ喜劇の基本というのは今とあまり変わらないんだな。ぜんぜん古びていない。難しい事なしの楽天的な所が見ていて楽しい。
おすすめ度★★★1/2
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