上海地下鉄事情〜明珠線、地下鉄一号線
 
上海地下鉄事情
〜明珠線、地下鉄一号線
 

   直線に伸びる上り下り二組の線路。それを挟んで平行する対面型のホームには看板広告も自動販売機もなく、グレーがかった壁と屋根が落ち着いた機能美を印象付ける。三番目の地下鉄とも呼ばれる明珠線。2000年に開通したこの新しい都市型鉄道は、しかし地面の下ではなく高架の軌道を走る。
 明珠線はかつての国鉄線路跡を再利用する形で造られた。渋滞の元凶となっていた踏切を解消するとともに、南北のターミナルである上海駅と上海南駅を結んでいる。将来的には浦東新区にまで路線を延長し、環状線を形成する計画だ。
 やがてシルバー地に赤い帯を引いたピカピカの車体がホームに滑り込んできた。乗り込む人はさほど多くない。社内もあまり混んでいなかった。平日の昼間だからか、それとも郊外だからか。車窓に目を向けると建築途中の高層マンションがあちらこちらに点在している。
 宝山路駅を過ぎ、上海駅に近づくに連れて街並が黒くくすみ始めた。戦後間もない頃の下町を思わせるバラックの粗末な家々が狭い路地に密集している。再開発から取り残され、そこだけ穴が開いたように低層の棟がひしめいている。
 ここもいつかはマンションに生まれ変わるのだろうか。経済成長を否定するつもりはないが、できれば開発一辺倒であってほしくない。多様な所得階層が住み、時にアングラな界隈があってこそ都市は深みを持つ。清潔なだけの街は退屈だ。その意味では、古いものと新しいものが同居する「今」こそが、変わりゆく上海を見る一番面白い時期なのかもしれない。
 上海駅で明珠線を降り、長い地下道を通って地下鉄一号線に乗り換える。券売機の前は群集でごった返していた。中国も大型連休の真っ只中だ。いかにも「田舎から出てきました」といった風情の家族連れがわんさかいる。
 上海の地下鉄は自動改札になっている。窓口や券売機でテレホンカード大の切符を買い、遊園地のゲートのようなバーを倒して入場する。しかしこれは慣れないと難しいものらしい。途中で閉じ込められ身動きできなくなる人が続出していた。
 始発だというのに車内は凄い混雑だった。席に座った親の膝に小学生の子供が乗り、その上に幼稚園くらいの子供が乗っている。まるで雑技団の演し物だ。なるほど、小さい頃からこうして鍛えられていれば曲芸なんて物の数ではないのかもしれない。加えて、親戚なのか同郷なのか、隣や正面の人々と大声で喋り続ける。その勢いは機関銃のように止まることがない。
「ねえちょっとあんた、南京路はどっち?」
 突然、三人の子供を従えたお母さんが僕に話しかけてきた。当然、中国語だ。なのに不思議と意図が伝わってくる。よほど必死なのだろう。目が切羽詰っている。南京路は人民広場駅で二号線に乗り換えて河南中路駅で降りるのだが、残念ながら僕の語学力では伝える術がない。返答に困っていると、埒が明かないと見たか彼女は手当たり次第周囲の人を捕まえて話しかけ始めた。しかしなにぶんお互い地方出身者、誰に訊いてもわからない。
 そうこうしているうちに電車は人民広場駅に到着した。ここだと思い、僕は彼女の目の前で外を指差し、大声で「南京路(ナンジンルー)!」と叫んだ。あれこれと訊き返す彼女を制して、ひたすら「南京路(ナンジンルー)!」と言い続ける。さすがに察したのか、ひったくるように子供たちの手を取って席を立つ彼女。そして扉の前で立ち止まり、思い出したように僕に向かって「謝謝」と小さく頭を下げた。
 複雑な気分だった。
 確かに南京路へ行くにはここで降りなければならない。しかし、降りただけでは何の解決にもならないのだ。ホームで呆然と立ち尽くす親子の姿を想像し、少し胸が痛んだ。
 

   
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虹色の上海
 

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