カフェ街のレトロな誘惑 |
〜多倫路文化名人街 |
魯迅公園から四川北路を南下する。左にカーブする大通りと分かれるように煉瓦造りのレトロモダンな門が建っている。その先に続く小道が多倫路だ。 近未来の摩天楼を次々と建設する一方で、上海市は旧き良き時代の再現にも力を入れている。場所ごとに異なるコンセプトで租界時代の街並や中国古来の路地である里弄を復元し、それぞれ「そこにしかない」という独特の風情を演出している。 多倫路もそうしたエリアのひとつだ。ここのテーマは文学と映画。魯迅をはじめ、郭沫若など20世紀前半に活躍した中国現代文学の旗手たちが多く住んでいたという歴史的事実を背景に、当時の洋風建築の数々が修復され道の両側に洒落た佇まいを見せている。建物の多くはカフェや骨董品店として再開発されており、ショッピングだけでも楽しめる。 門をくぐった途端、四川北路の喧騒が背後に消えた。敷き直された石畳が落ち着いた雰囲気を醸し出している。街路樹はポプラだろうか。歩道に沿って規則正しい間隔で植えられている。緑が目に眩しい。道端にはいたるところパラソルが広げられ、デッキチェアが置かれている。東京で言えば表参道より裏原宿。知る人ぞ知るストリートといった感じだ。 人通りはさほどない。観光客らしき姿もまばらだ。まだあまり知られていないのか、日程的にここまで足を伸ばす余裕がないのか。いずれにしても散策にはちょうどよい混み具合だ。 歩いていくうちに、洋館の合間に古い中国家屋が現れた。一階は昔ながらの商店、二階と三階がアパートになった石造りの低層の長屋だ。物干し竿が居住部分の窓から空中に突き出すように伸びている。隣の家と競い合うように洗濯物が風にそよいでいる。 続いて露店の本屋を見つけた。青いテントで覆われた台の上に所狭しと書籍が並べられている。意外にも百科事典や美術書などの大型本が多い。装丁も綺麗で新しい。 「のど渇いたね」 「ひと休みするか。ちょうどそこに喫茶店もあるし」 道に面したテラスがオープンカフェになっていた。テーブルを囲む籐椅子のセットがいくつか。入口に映画のポスターが貼られた大きな看板がある。ガス灯が似合いそうな煉瓦造りの二階建ての洋館。OLD FILM CAFE。まさに多倫路のコンセプトにぴったりだ。 木洩れ陽が降り注ぐテラスから行き交う人を眺める。傍らにはアイスカフェオレ。揺れる氷がグラスの中で時にカランと音を立てる。 時間の流れがどこか違う。「遅い」というより「優しい」という感じだ。風が、光が、目に映るすべてのものが、穏やかな安らぎを運んでくる。「外国に居る」という気がしない。黙っていると寝てしまいそうだ。 「店の中で映画やってたよ。おじさんたちが見てるというか寝てるというか」 妻に教えられ、手洗いがてらに見に行く。「オールドフィルムカフェ」という店名に偽りなく、そこは文字通りレトロな空間だった。テーブルの位置も曖昧になるほど落とされた照明と、正面のスクリーンに映し出されるセピア色の映像。店内を漂うまったりとした静寂。 一瞬、生きている時代がわからなくなった。自分が観客ではなく登場人物になったような錯覚に陥る。映画は現実となり、1920年代の上海を生きている僕が今ここにいる。そんな感覚が全身を包む。まさにタイムスリップ。外の世界と隔絶して流れる異質な時間。 テラスに戻ると、柵を挟んだ隣の道端で老人たちが象棋に興じていた。その向かいには文庫本を並べた屋台。そこそこ人が集まっていて、ちょっとした蚤の市のような賑わいだ。 このあたりを境に多倫路は左に折れ、やがて再び四川北路に合流する。旧き良き時代と現代とをつなぐタイムトンネルのような散策路。こんなところで暮らしてみたい。 |
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虹色の上海 |
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