奇岩を以って庭園と為す〜豫園
 
奇岩を以って庭園と為す
〜豫園
 

   延安高架を越えると低い建物ばかりだった。城市規画館のジオラマでも穴が開いたように古い街区が保存されることになっていた一角、上海発祥の地、豫園エリアだ。城壁を取り壊した後に造られた楕円形の周回道路、人民路に囲まれたこの内側は租界時代も中国人の土地だった。上海城と呼ばれ、碁盤の目状に築かれることの多い中国の都市には珍しく、迷路のように入り組んだ街並が形成されていた。商店がひしめく観光スポットに姿を変えた今もその構造は変わらない。
 芝生の公園を渡ったところが豫園商城の入口だった。参道の両側にずらりと土産物屋が並んでいて、浅草の仲見世を思わせる。角が跳ね上がった独特の瓦屋根をした建物が目につき始める。朱に塗られた柱。木彫りの商号。どの店もいかにも老舗といった門構えをしている。
 次第に人が増えてきた。と思っているうちに、押しくらまんじゅうかというほどの混雑に巻き込まれていた。どちらを向いても、人、人、人。現在位置を確認しようにも見えるのは上だけ、立ち止まってガイドブックを開くこともできない。ただ流されるままに進んでいく。それでも、勘だけを頼りに折れ曲がった路地を進み、何軒か店の中を突っ切っていくと突然視界が開けた。池に面して佇む白壁と瓦屋根。豫園の入口だった。
 豫園の特徴は一言で表すと「狭い」。蘇州の拙政園が池や草花を広大な敷地に配して地上の楽園を現出したのに対し、壁で仕切られた小区画が連続する豫園は坪庭ほどの敷地にいろいろなものがこちゃこちゃと詰め込まれている。建物、池、築山と、区画ごとに異なる世界をミニチュア化しているようだ。また、階段があったりトンネルをくぐったりと、なかなか立体的でもある。
 しばらく進むと、やや広い空間に出た。ここは敷地の最北部、宮城であれば内裏に当たる位置だ。建物の前が石畳の広場になっており、銀杏の老木がやわらかく陰を落としている。その先に壁で囲まれた池があり、奇怪な形をした岩がオブジェのように飾られている。
「日本の方ですか? 私は豫園のガイドです。これは万花楼という建物です」
 豫園では主だったエリアにガイドが配置されている。誘われるまま奥の建物でお茶のサービスを受け、点春堂へと向かう。ここは太平天国の時に反乱軍が本拠とした建物だ。掛け軸をはじめとする当時の資料が展示されていて、歴史に詳しい人ならちょっとした博物館気分が味わえる。わずか八畳大といった狭さで、百万とも言われる犠牲者を生んだ内戦の司令部だったとは想像もつかない。
 龍壁と呼ばれる上部が波打ったデザインの壁をくぐり抜けると、ようやく庭園らしい広い空間が現れた。小橋でつながれた池を取り囲む土手に、柳がたおやかに枝を垂らしている。要所要所に東屋が点在し、迫り出したテラスは風情を愛でる人で溢れている。雲が切れ、陽も射してきた。絵葉書のような景色。やはり「江南の春」はこれでなくては。微風に吹かれながら池を渡る。
 しかし、豫園の本当のハイライトは最後に待っていた。出口にほど近い玉華堂。その向かいに、壁を背にして三体の珍妙な怪獣が鎮座していたのである。
「石?」
 確かにそれは石だった。およそありえない不思議な形をした、3mはあろうかという巨石だ。中でも、へちゃむくれになった「ミロのヴィーナス」と苦悩のあまりからだが捻じれてしまった「考える人」に挟まれて真ん中に立つ逸品は、機銃掃射を浴びたかのごとく全身穴ボコの異様な風情を漂わせている。
「中国で庭と言えば石を見ます。これは太湖石と言って、とりわけ価値が高いとされています」
 太湖の底で水流にもまれ長い年月を穿たれた奇岩は、古来から珍重なものとして扱われてきた。日本的な「侘び寂び」とはまるでかけ離れた価値観で、美しさとは異質の方向性を目指しているとしか思えない。名付けて「チャイナ・アヴァンギャルド」。世界は広いと改めて感心した。
 

   
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虹色の上海
 

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