ヤンエグたちの砦〜淮海路
 
ヤンエグたちの砦
〜淮海路
 

   歩道橋を渡ると、かつて「魔都」の象徴だった大世界があった。アヘンの香りが漂い夜な夜な娼婦が出入りした建物も、今では健全なレジャービルとして生まれ変わっている。けばけばしいネオンだけがそのままに、当時の面影を伝えている。このあたりは再開発の波がまだ押し寄せておらず、古き良き上海の雰囲気を感じさせる街並が残っている。小路の両側に並ぶ店はほとんどが食堂だ。湯気とともに美味しそうな匂いがどこからともなく漂ってくる。立ち止まってガイドブックを調べると「雲南路美食街」とある。呉江路と同じレストラン街なのだ。
 金陵路で左に折れる。片側一車線ずつの狭い道だが交通量は多い。頻繁にバスが行き来する。そのうち何台かは天井にパンタグラフを付けたトロリーだ。アーケードになった歩道に昔ながらの風情を残す古い商店が軒を連ねている。洒落てはいないが、こんな下町も味があってよい。
 東に進むと楽器街になっていた。トロンボーンやグランドピアノ、バイオリンなどがそれぞれの店のショーウインドーを飾る。エレキギターがないかと思って探してみたが見当たらなかった。ロックはまだまだ自由化されていないのかもしれない。
 だんだん歩き疲れてきた。昨日一昨日と終日外出し、今日も朝から歩き詰めだ。豫園は明日にしてホテルに戻ることにする。部屋に帰るとそのままベッドに倒れ込んだ。吸い込まれるように力が抜けていく。そういえばこれは「ヘブンリーベッド」だ。人間工学に基づいた安眠の何とか、とウエスティンのサイトで宣伝していた。確かに異様なまでに寝心地が良い。
 窓の外では雨が降り続いている。延安高架の渋滞が眼下に煙って見える。向かいの再開発地区からはときおり思い出したように工事の槌音が響いてくる。穏やかな安らぎ。心地よい休息。
 夕方まで寝ているとさすがにお腹が空いてきた。昼が軽かったので、夕食は少し奮発したい。
「ジェイドガーデンに行ってみよう」
 いつものように河南中路駅から地下鉄に乗る。もう慣れたものだ。人民広場駅で乗り換え陝西南路駅へ。ここが上海きってのショッピングストリート、淮海路の中心だ。ヌーベルシノワとして人気のレストラン「蘇浙匯」、通称ジェイドガーデンは駅の出口のすぐ近くにあった。
 店内はさすがに高級感が漂っていた。どことなくレトロ、それでいて現代的に洗練された内装。絨毯には塵ひとつなく、あちこちの棚に置かれたガラスの置物が照明を受けてキラキラと複雑な光を反射する。一昨日の夕食を2元で済ませた庶民にとっては少し荷が重い。
 通されたのは吹き抜けを見下ろす二階席だった。ダンスホールのような下階は円卓で一杯だ。しばらくすると席が徐々に埋まり始める。客層の中心は意外にも若いビジネスマン。接待のようでもあり、仕事帰りのようでもある。会社の懇親会らしき大勢の集団がいた。背広姿の年配者に連れられた、私服で首からIDカードを下げた若者。さしずめITベンチャーといった風情だ。
 バブル期の東京がちょうどこんな感じだった。「ヤンエグ」と呼ばれた若いサラリーマンたちが高級店を我がもの顔で占領し、毎夜のごとく美食とワインに明け暮れていた。「失われた十年」を経て、上海の若者たちが今、その高揚を受け継いでいる。
 おずおずと野菜の炒め物をつまむ僕たちとは対照的に、彼らのテーブルには次から次へと料理が運ばれてくる。どのグループも判を押したように、大皿に乗せた魚の姿蒸しを注文している。ヒラメに似た40cmは下らない大きな淡水魚だ。江南の名物料理なのだろう。四方八方から箸が伸び、それがたちどころになくなっていく。
 「ヤンエグ」たちの表情は自信に満ち溢れていた。入ったときは効き過ぎに感じられた冷房も、店内の熱気に押され今となっては快適だ。経済発展はまだまだ続く。いや、ひょっとしたらまだ始まったばかりなのかもしれない。バブルなのか本物か。少なくともその答がわかるのが遠い先であることだけは確かだと思った。
 

   
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虹色の上海
 

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