名物に美味いものあり〜周壮
 
名物に美味いものあり
〜周壮
 

   少し癖のある匂いがあちらこちらから漂ってくる。沖縄の豆腐ようにも似た臭みが鼻につく。匂いの素を辿っていくと道端で作っている揚げ豆腐だった。大きな丸鍋にたっぷりと油を満たし、切り餅のような一口サイズの四角い凍み豆腐を次々と放り込んでいく。海老のから揚げやシジミのような貝もよく見かける。さすが水郷地帯、淡水の魚介類が食材の中心を成すようだ。日本人から見れば同じ上海料理に思えるが、厳密には周壮料理は別ジャンルらしい。
「あ、あれが代表的ですね」
 飴色に輝くソフトボール大の塊がショーケースに並んでいた。万三蹄と呼ばれる豚の骨付き肉の煮込みだ。膝関節から太腿にかけての部分を醤油ベースのたれに漬け込み、充分にやわらかくなるまで煮込んでから仕上げに表面を焼いてテカリを出す。なるほど見るからに美味しそうだ。
 ところで周壮の名物は食だけではない。そぞろ歩いているうちに寒山寺と同じ半円形のアーチ状をした石橋が見えてきた。こちらの方が小ぢんまりとしているが瀟洒で美しい。しかもふたつ。交差する縦横の運河をそれぞれ渡るため「く」の字に架けられている。
「双橋です。周壮で一番美しい橋ですね」
 橋に登り中央部から運河を見下ろす。白壁の家並と柳の緑を映し、水面は鏡のように穏やかだ。観光客を乗せた小舟が音もなく足元をくぐり行く。カメラを手にした人々で対岸が賑わっている。橋を背景に記念写真を撮るのに格好のポイントらしい。僕たちもガイドに促され、欄干に並んで腰を掛けた。いずれ生まれてくる子に見せよう。三人で撮った最初の写真だよ、と。
「次はかつての豪商の家を見学します」
 運河沿いの道から折れ、ガイドに続いて狭い小路を進んでいくといきなり部屋が現れた。十畳から十二畳程度だろうか、昔の家具がそのまま置かれている。向かい合うように椅子がふたつ。家の主人と客が商談を交わした応接間なのだろう。壁沿いには調度品の数々も並べられている。どれもみな貴重な清代のアンティークだ。
 応接間の裏は中庭のような外部空間になっていた。わずかに射し込む陽を受けてヤツデが葉を拡げている。その奥に別の部屋。出るとまた中庭。ひとつの部屋しか持たない建物が、外廊下を兼ねた中庭を挟みつつ延々と縦につながっている。マトリョーシカ人形のような建築だ。
 奥に進むにつれて部屋はプライベートスペースとなっていく。居間があり、台所があり、子供部屋がある。最奥部は庭園になっていて、太湖で採れた奇岩を据えたオブジェが飾られてある。驚いたことに自家用の港まであった。木舟が一台着けるだけの小さな岸だが、港には違いない。当時の富豪は運河の水をここまで引き込み、プライベートマリーナとしていたのだ。
 運河沿いの道に戻ると薄暮が訪れていた。賑わっていた観光客もまるで潮が引くように綺麗に姿を消している。どの店先も片付けに精を出している。水郷古鎮の一日が終わるのだ。
「ちょっと早いけど夕食はどうですか? 周壮名物だけでも食べてみましょうか?」
 空芯菜の炒め、高菜の漬物、もち米を穴に詰めて輪切りにした甘いレンコン、そして万三蹄がテーブルに並べられる。食堂の二階からは暮れゆく運河が見渡せる。風情のある眺めだ。
「万三蹄はナイフを使いません。付いている骨で切り分けるんです。やわらかいですから」
 ガイドの言葉通り何の抵抗もなくさっくりと骨が入っていく。ほぐした肉の一切れを口に含むと甘辛く、それでいて絶妙にしょっぱい芳醇な味がジュワッと拡がる。至福の幸せを感じる。
 ドライバーがご飯を注文し万三蹄のたれをかけて食べ始めた。それを見てみんなが真似をする。一口食べ、僕はあまりの感動に思わず唸った。これは美味い。掛け値なしに美味い。昼食が遅めだったせいでさっきまで満腹だったはずなのに、一度食べ始めたらもう止まらない。
「これが万三蹄の極意さ。本当に美味いのは肉を食べた後なんだ」
 そう言ってドライバーは自慢げに胸を張った。欠けた前歯がニヤリと笑った。
 

   
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虹色の上海
 

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