裏口からお邪魔します〜周壮
 
裏口からお邪魔します
〜周壮
 

   田園を造成した新興住宅地で車が停まった。トイレ休憩だろうか。ドライバーが先頭に立って畦道に分け入っていく。だが、それらしい建物は見当たらない。中国だから立ちションなのか。女性陣はどうするのだろう。
 廃屋が行く手を遮っていた。壁に大きな穴が開いている。解体途中なのだろうか。ドライバーはひょいと穴をくぐり、こっちへ来いと手招きする。何だ何だ。どこに行こうというんだ。仕方がないのでみんな黙って後に続く。
 穴を抜けた先にドブがあった。水辺には無造作に草が茂り、ゴミが浮いている。悪臭が漂ってくる。何艘も舟が浮かんでいた。屋根にはロープが張られ、洗濯物が干してある。耳を澄ますとテレビの音が漏れてくる。驚いたことに暮らしている人がいるのだ。水上生活者の集落だった。
「周壮に着きました」
 ガイドの発言に僕は耳を疑った。
 上海郊外に星の数ほどある水郷古鎮の中でも風光明媚の誉れ高い周壮。運河沿いに昔ながらの伝統的な家屋が軒を並べ、柳の下をゆるやかに舟が行き交う。どこか郷愁を誘う江南の心の故郷。日本人旅行者の間でも近年とみに人気が高まっている一級の観光地。これがそうなのか。
 廃屋の先に小路が続いていた。ガラの悪そうな男たちがタバコを喫いながらたむろしている。やがてその向こうから、やり手の女衒といった風情の男が慌てたように駆け寄ってきた。
「まったく、勘弁してくれよ。いつもそうやって裏口から来るんだから。あっちから入れって、いつもお願いしてるだろ」
 男はドライバーにひとしきり文句を垂れてから切符を切った。顔が笑っている。どうやら知り合いのようだ。水郷テーマパーク「周壮」の、彼が管理人だったのだ。
 小路を抜けるとようやくガイドブックなどで見慣れた風景が現れた。柳揺れる石畳の堤。漆黒の瓦で葺かれた石造の家々。木の柱や引き戸が年季を感じさせる。そして浅い水路につながれた細長い木舟の数々。これだよ。これでなくちゃ来た甲斐がない。
 舟の上で若い女性たちがトランプをしている。みな目が真剣なところを見ると賭けているのに違いない。お土産屋の売り子のような容姿をしているのに観光客には目もくれない。商売よりも勝負が大事らしい。
 周壮には車が入れない。移動は舟に乗って運河を行くか、そうでなければ徒歩となる。小さな街なのでそんなに時間はかからない。むしろのんびりと風情を楽しみたい。運河に面した建物は基本的にすべて店になっていた。土産物、点心、書道用具、掛け軸、食堂、おもちゃ、Tシャツ。あらゆるものが売っている。呼び込みの声に勢いがある。そうかと思うと微笑んでこちらを見つめるだけの奥ゆかしい店員もいる。
 妻が面白い店を見つけてきた。一間ほどの小さな間口にテーブルを出し、模型のようなものを並べている。草細工だ。近寄って見ると、植物の葉や茎を器用に組み合わせて昆虫や鳥に仕立て上げている。リアルな造形なのに手のひらサイズ。これは凄い。店の親父が得意げに草のカエルのお尻をはじく。ぴょんと跳ねた。ますます凄い。安くしとくよと言ってくれているようだが、壊さずに持ち帰れる自信がない。やむなく諦めることにする。
 草細工屋の近くに広場があった。人が頻繁に出入りしている。観光地らしい混雑ぶりだ。
「この先が正式な入口です。私たちは向こうから来ちゃったからね」
 ガイドが照れ臭そうに言う。なるほど、やはりそうだったのか。釈然としない思いが多少残るものの、普通のツアーではきっとこんな経験はできないはずだ。かえって得だったかもしれない。裏周壮をめぐるツアー。新手のサービスとして定着する……ことはないだろうな、さすがに。
 

   
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虹色の上海
 

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