中国版「ピサの斜塔」〜虎丘、蘇州
 
中国版「ピサの斜塔」
〜虎丘、蘇州
 

   拙政園を後にした僕たちは市街地を抜け北西へと向かう。途中、蘇州駅の前を通り過ぎる。堂々たる外観をした立派な建物で、ロータリーも広い。時刻表によれば上海からは1時間あまり。次は列車で来てみるのもいいなと思う。やがて車は学校街を過ぎ、次なる目的地である虎丘に到着した。ここも多くのツアースケジュールに組み込まれている定番スポットだ。
 山門をくぐると長い上り坂が目の前に伸びていた。なだらかな階段状に続いているので、暑さで多少疲れたからだでもそんなに辛くない。両脇に並べられた植木鉢の緑が目に心地よい。
 道端に大きな石が転がっていた。テーブル大をした滑らかな表面に切られたような筋が入っている。剣の試し切りをした跡なのだという。いかにも怪しい。だが、近寄って見るとスッパリと綺麗な切り口をしている。線の入り方も不自然に真っ直ぐだ。実話かもしれない。何しろ四千年の歴史を誇る国だ。霞を食って生きる仙人が実在していても不思議ではない。
 ほどなく丘の中腹に当たる広場に出た。千人石と呼ばれる大きな一枚岩が露出している。流れ出た溶岩がそのまま固まったような台状をしており、なるほど多くの人々が集まって高僧の説法を聞いたという故事に相応しい。千人は誇張だと思うが、ひょっとしたら実話かもしれない。何しろ中国だ。山奥で龍が生きていても驚けない。
 千人石から先は険しい崖になっている。見上げると樹々の間に塔が聳え立っている。麓からは遥か遠くに見えたのに、いつの間にこんなに登ってきたのだろう。あそこが丘の頂上、もうひと頑張りだ。
 行く手を塞ぐように石壁があり、「虎丘剣池」と大きく朱書きが彫られている。高名な書道家の筆によるものだという。その隣に丸く開いた門を通り抜けると池があった。観光客が盛んに写真を撮っている。そそり立つ石組みで囲まれた浅い池。春秋時代の呉王の墓だというが、城を防御する堀にしか見えない。だいたい墓に水を張ったりするものだろうか。王の遺体とともに三千本の剣を埋めたのが名前の由来だそうだが、水浸しになってはせっかくの名剣が錆びてしまうではないか。だが実話かもしれない。何しろ……いや、いいかげん止めておこう。
 急な階段を回りこむと池の上に架かる橋に出た。ところどころに穴が開いていて、真下の水面を覗き込むことができる。ガイドが面白いことを言う。
「この穴はお化粧の穴です。昔は水が綺麗だったので、楊貴妃がお化粧をするときに覗き込んで鏡代わりに使ったのです」
 本当か。時代考証は確かなんだろうな。だんだん何が本当で何が伝説かわからなくなってくる。
 橋を渡るとほどなく頂上の広場に出た。虎丘のハイライト、雲岩寺塔は八角形の台座を七重に積み上げてある。底辺の直径は10mはあるだろうか。さすがに間近で見ると迫力がある。だが、何か変だ。カメラを構えてみる。やはり変だ。この塔、ひょっとして傾いていないか。
 裏側に回り込んでみる。やっぱりそうだ。一階の土台が基壇にめり込んでいる。それもかなり激しく。建物の重みに耐え切れず地盤が沈下してしまったらしい。今にもメリッと音がしそうだ。面白いのは基壇をコンクリートで固めて補強していること。構造材であるひとつひとつの煉瓦が斜めに埋まっている。思わずその箇所をアップで撮る。
「この塔はピサの斜塔に似ているとよく言われます。昔は登れたのですが、今は危険なため禁止になっています」
 昔もたぶん危険だったに違いない。
 広場の四辺には塔を取り囲むように樹々が植えられていた。その隙間から蘇州の街並が霞んで見える。どこまでも平らな田園地帯。雲の切れ間からやわらかな光線が帯のように射し降りる。夢が胡蝶か、胡蝶が夢か。これもまたひとつの「江南の春」。
 

   
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虹色の上海
 

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