江南の春〜拙政園、蘇州
 
江南の春
〜拙政園、蘇州
 

   摩天楼が途切れると広大な原野が拡がっていた。高速道路を車は西にひた走る。ときどき思いついたように建設中の道路や工業団地が右に左に現れては消える。今日は蘇州・周壮への日帰りツアー。上海郊外の代表的な観光地を巡る一日だ。
 「蘇州夜曲」で名高い蘇州は世界遺産にも指定された庭園の街。明代に造られた中国古典園林が主な見どころだ。周壮はその南に位置する水郷の街。運河を利用した昔ながらの暮らしが残る。というのはガイドブックで仕入れた予備知識であって、それ以上のことはよく知らない。地理や歴史は得意科目だったが、正直なところ中国についてはあまり詳しくないのだ。たまにはこんな旅もいい。何が見られるのか楽しみだ。
 ホテルを出発して1時間半あまり、車は蘇州の街に入った。最初の訪問地は中国四大名園にも数えられる拙政園。事前に調べたどのツアーでもスケジュールに入っていたほどの有名な庭園だ。駐車場に車を停め、柳の街路樹が運河沿いに並ぶ通りを渡る。白壁に黒い瓦の家々が軒を連ねている。まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような街並。輪タクが退屈そうに客待ちをしている。ゆったりとした時間が流れている。陽が射し始めたせいか、やや蒸し暑い。
 庭園の入口は坪庭のように囲まれた空間になっていた。白壁を背にピンクの花が鮮やかに咲き誇る庭がしつらえてある。さすが世界遺産、なかなか見事な造園だ。まずはここでお約束の記念写真。ところが、次から次へと団体客がやってきて、なかなかベストなポジションに立つことができない。間隙を突いてようやくガイドにシャッターを押してもらう。
 狭い門をくぐって中に入る。矢印に従って進んでいくと、角を曲がったところで一気に展望が開けた。その瞬間、入口の庭が植木鉢程度に過ぎないものであったことを僕は思い知らされる。
 まさに「江南の春」だった。「天に楽園あり、地に蘇杭あり」と古来幾多の詩人に詠われてきた夢のような眺めが目の前にある。やわらかな陽射しに映える木々の緑。色彩とりどりに花が咲き乱れ、その花から花へと伝わるように蝶が優雅に舞い飛んでいる。木漏れ陽が涼しげに影を落とす池には水草が浮き、雲の切れ間を待って水面がきらきらと光る。芝生に覆われたなだらかな丘には遊歩道が敷かれ、ところどころに柱と屋根だけの東屋が点在する。歩くにつれて庭は表情を変えていく。鳥のさえずりが風景に深みを加える。ときどき絵葉書のように印象的な景色があり、思わず立ち止まって息を呑む。
「この庭を造ったのは王献臣という役人です。彼は中央の政府で失脚し、田舎に隠居しました。自分は政治に失敗したという意味を込めて『拙政』と名づけたのです」
 芝生に置かれたベンチで老人が二胡を弾いていた。たおやかなメロディーが、中国独特のあの音階が風に乗って流れてくる。彼も観光客なのだろうか。嵌り過ぎるくらいにぴったりの風情だ。目が合ったので、カメラを指差しボディランゲージで撮ってもいいかどうかを訊ねる。小さく、しかしはっきりとわかるように頷いて彼は、より一層気持ちを込めるように二胡を弾く。その姿に宮廷服の王献臣が重なった。
 ひとしきり見学し出口と思しき門をくぐると、そこには次なる庭園が開けていた。さらに広大な敷地にいくつもの池を配し、それらを橋や回廊で結んで有機的な回遊性を演出している。水辺の柳はいよいよ青く、遥か彼方に霞む北寺塔が借景として風景に奥行きを与えている。最奥部の東屋には精緻な装飾が彫られた透かし窓が設けられていた。ここからは庭の全貌を視野に収めることができる。王献臣お気に入りの隠居部屋だったという。
 曲折する回廊を歩きながら気づいた。「拙政」とは自責の念ではなく皮肉だったのではないか。逆説的な意味を込めたアピールだったのではないか。このように優れた庭園を築くことができるほど政治家としても自分は一流だった。それを切った為政者たちこそが愚かだったのだと。
 

   
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虹色の上海
 

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