30円のディナー〜呉江路小吃休閑街
 
30円のディナー
〜呉江路小吃休閑街
 

   本場のラーメンを食べてみたいと思った。と書くと昼食時のようだが、今度は夕食の算段の話だ。中国人が作る中国風のラーメン。日本のものとはどのように違うのか。本家に来たからには一度試してみなくてはなるまい。ホテルのベッドに寝っ転がりながらガイドブックを読み込んだ結果、呉江路の「呉越人家」に行ってみようということになった。地下鉄二号線で河南中路から二駅、石門一路の近くにあるチェーン店だ。上海蟹のラーメンが有名らしい。
 ウエスティンの周りにも食堂がたくさんある。庶民向けの定食屋から店構えも立派な本格中華まで、駅までの道すがら、ちょっと歩くだけでもさまざまなタイプが揃っている。労働者風の人々が丼飯をかっ込んでいる店は主菜にご飯とスープがついて6元から12元、家族連れで大盛況のファミリーレストランは単品料理が20元から30元。送迎の女性が「安い食事なら3元くらいから食べられますよ」と言っていたのを思い出す。1元を15円とすれば45円。それは安い。
 河南中路の駅のそばにやたら行列のできている店があった。「味千ラーメン」だ。ちょっと待て。これは日本のラーメン屋ではないか。上海で人気のラーメン屋が日本の味だなんてどういうことだ。しかし広い店内はぎゅうぎゅう詰めで、みるみる順番待ちの人々も増えていく。
 釈然としない思いを抱えながら石門一路の駅に着く。地上に出ると、そこかしこビルのショーウインドーがキラキラと華やかな光を放っている。地下鉄二号線の上を走る南京路は上海を代表するファッションストリートのひとつ、東京で言えば銀座に匹敵する繁華街だ。その南に平行して美食街、すなわちレストラン街として知られる呉江路がある。
 石門一路を挟む交差点からまずは東側の小路に入る。いかにも「食堂」といった風情の建屋が軒を連ねている。イスラム風の名を冠した店が結構あり、どこも店頭でケバブなどを売っている。ブームなのだろうか。香ばしさより肉の臭みが漂ってくるのが中国っぽい。人通りは多く、意外にも若いカップルをよく見かける。夜のデートスポットなのだ。
 西側の小路は一転して洒落たプロムナードになっていた。街路樹の脇にベンチがあったりして、ちょっとヨーロッパの街並を思わせる。出店しているのもカフェバー、アイスクリーム屋、イタリア料理など、それっぽい。こちらも歩行者天国だが、東側より人は少なく落ち着いた雰囲気だ。
「呉越人家」はこの西側の端にあった。昼の反省を活かして最初から英語メニューを頼む。が、相変わらずよくわからない。ウエイトレスがお奨めを教えてくれた。身振りから蟹だろうと想像がつく。38元。ひとつはこれで決まりだ。もう一品は青菜がたっぷり入ったタンメンにしたい。それらしい名前がたくさんあって迷ったが字面が気に入ったものを選ぶ。ウエイトレスが怪訝な顔をする。本当にそれでいいのかと訊いているようだ。構わず頼む。
「楽しみだね。どんなのが来るんだろうね」
 しかし、最初に運ばれてきた丼を見て僕たちは目を疑った。スープの中に大盛りの麺。他には何もない。ネギもない。いわゆる素ラーメンだ。続いて妻の前にもう一品が置かれる。これも丼は素ラーメンだが、トッピング用の蟹味噌が別皿で付いている。レジシートを見ると「38」の下には「2」。僕たちは再度目を疑った。2元? それって、ひょっとして30円?
 厨房の入口で首を捻り続けるウエイトレスの視線に耐えながら、それでも僕は食事をした。妻になけなしの蟹味噌を分けてもらいながら。薄い醤油味の上品なスープ。透き通って美しいそれは蟹味噌を加えた途端に芳醇な味わいに変化する。縮れのない棒状の細麺はそうめんのようで、ボリュームのわりにするすると入っていく。
 後にこの店では語り草になることだろう。世界有数の経済大国から来た外国人旅行者が、駄菓子屋のバブルガムより安いディナーを食べたと。「一杯のかけそば」のように、ひとくちひとくちを慈しむように大切に食べたのだと。侘しさと恥ずかしさが込み上げてくる。僕はスープの最後のひと啜りまで残さず完食した。悔しいことに味は絶品だった。
 

   
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