摩天楼には地震がない〜東方明珠電視塔
 
摩天楼には地震がない
〜東方明珠電視塔
 

   遥か眼下を黄浦江がとうとうと流れている。そのほとりには外灘の新古典主義建築群。そして見渡すかぎりの摩天楼が地平線の彼方まで拡がっている。
 上海は高層建築の街だ。浦東新区がそうであることは知っていたが、なかなかどうして旧市街も凄い。河岸に開けた中心部から四方八方に伸びる郊外へ、空に突き出したスカイラインが面となって視界に飛び込んでくる。密集した雨後の筍のように、地面を覆う塊として迫ってくるのだ。生け花に使う剣山を隙間なく敷き詰めたような感じ、と言えば少しは伝わるだろうか。
 黄浦江に沿うように展望台の回廊を右回りに歩いていく。蘇州河から北側は住宅地区になっていて、同じような箱型のマンションが左から右へ、手前から奥へ、どこまでも整然と並んでいる。ところどころに開発から取り残された一角が残る。這いつくばるような昔ながらの低家屋。取り壊されるのも時間の問題なのかもしれない。
 地図を取り出し見比べてみる。前方やや左にあるスタジアムが虹口サッカー場、その右隣の緑豊かな一角は魯迅公園。とすれば、建設中の明珠線第二期はこの辺りを通るはず。いや、もっと先の方だろうか。想像するだけで楽しくなってくる。
 先に進んで黄浦江の下流に目を転じてみる。楊浦大橋が雄大に川をまたいでいる。その手前、右岸にはクレーンが建ち並ぶコンテナヤード、バースには大型の貨物船が何隻か停泊している。左岸は開発を待つ更地。まもなくここも高層ビルで埋め尽くされるのだろう。以前に本で読んだロンドン・ドックランドの再開発とイメージがだぶる。
 さらに回り込むと、目の前には開発真っ只中の陸家嘴新街区。まだまだ空き地が点在する区画の先には、またしても高層マンションが果てしなく続いている。方角のせいか、あるいは洒落たデザインのせいか、黄浦江北岸の居住エリアよりも街全体が明るく感じられる。足元を見下ろすと、外灘へと向かう幹線道路を車列がのろのろと流れている。まるで蟻の隊列だ。歩道の人々も砂粒ほどにしか見えない。現実の世界と言うよりは精巧に出来たジオラマのようだ。
 263mからの眺めはこんな感じ。なるほど。では98mからではどうだろう。下球へ降りるエレベーターに乗り込む。こちらは訪れる人が多くないのか、あまり並んでいない。
 展望台の扉を開けると強い風が吹き込んできた。ここではなんと屋外に出ることができるのだ。墜落防止のワイヤー越しではあるものの、外の景色に直に触れることができるのはなかなか気分がいい。手を伸ばせば届きそうなところにスカイラインがある。見下ろす感じではない。大気がクリアで建物の輪郭まではっきり見える。自分も風景の一員になったような気がして、上球や中球のように「神の視点」で眺めるのとはまた違った味わいがある。
「上海は東京と違って地震がないから、建物は上に建てるんです」
 そういえば昨夜、送迎の女性が言っていたのを思い出す。地震が理由なら新宿の副都心は成り立たない理屈なのだが、そこはそれ。摩天楼は上海っ子にとって大いなる自慢の種なのだろう。僕も「見てきたぞ」と誰かに自慢したくなってくる。あたかも俄か上海っ子になったかのごとく。
 同じ摩天楼でもニューヨークとは印象が違うと思った。ニューヨークに行ったことはないが、テレビや写真で見るかぎりマンハッタンには鋭角さや威圧感を感じる。ここでは逆にやわらかな丸み、ほんわかとしたなごみ感が先に来る。西洋と東洋の違いなのだろうか。土地から搾取するのではなく土地と共生しようとするアジア的な思想が、街づくりに何かしら反映しているのかもしれない。あるいは見せかけだけなのかもしれないが、開発という言葉にまとわりつくギザギザしたイメージが不思議と感じられない。
 国連本部が来るかもしれない。根拠もなくそう思った。第三次世界大戦後の新しい世界政府はきっとこの街に造られるに違いない。力よりも調和の未来。何より地震がないことだし。
 

   
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虹色の上海
 

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