帝国主義日本の面影〜蘇州河
 
帝国主義日本の面影
〜蘇州河
 

   黄浦公園の北端は行き止まりになっていた。蘇州河を挟んだ向こうは虹口、昔の日本人租界だ。すり鉢状の階段を降りていくと広場があり、取り囲む壁一面に建国記念のモニュメントが刻まれている。奥に博物館があったので覗いてみることにした。開村以来の上海の歴史を紹介していて、なかなか面白い。南京路を埋め尽くす抗日デモの様子など、貴重な写真が多く展示されている。訪れる人こそ多くはないものの、この街の近代史の概要を手短に理解することができる。
 中山東路に戻り北に向かって歩いていくと、イギリス人が手がけたもうひとつの有名な建造物、外白渡橋が見えてきた。外灘の「万国建築展覧」とは打って変わった鉄骨剥き出しの無骨な外観。鉄道橋みたいで色気がない。まあ、見どころは外見ではないので仕方ないのだが。
 外白渡橋も黄浦公園と同じ歴史の影を背負っている。「誰でも自由に通れる橋」というのが名前の由来だが、ここで言う「誰でも」は外国人を意味した。中国人は通行料を払わなければならなかった。異なる文明が出会うとき強者が弱者を差別するのは世界史の常だが、それにしても、と思う。人類はいつになったら歴史に学ぶのだろう。
 橋の上からの眺めはなかなかのものだった。ここで黄浦江は左から流れ込む蘇州河と合流し、大きく右に蛇行する。対岸が突き出しているせいか、浦東の新街区が島のように浮かんで見える。遠くに大きなクレーンが並ぶコンテナバースが霞んでいる。そのさらに先は長江、そして東シナ海へとつながっている。
 お土産売りの少年たちがいた。からくり仕立てのおもちゃをしきりに実演して見せるのだが、どこか遠慮がちだ。商売に慣れていないのか、しつこく絡んでこない。アジアの他の国とは違う。それとも「先進国」になったということなのか。
 橋を渡ると街の様子が変わった。建物が、道路が、戦後の闇市のような、どこかくすんだ風情を漂わせている。大陸進出に出遅れた帝国主義日本があの手この手で暗躍を図ったドラマの舞台。そのシンボルが運河のような蘇州河のほとりに屹立していた。
 上海大廈。旧ブロードウェイマンション。アール・デコを採用した22階建ての高層建築は今でもこの界隈では飛び抜けて大きく、左右対称のフォルムも相俟って威圧感がある。
 銀行家や実業家が活動の拠点とし、かつては外国人記者クラブも置かれたという「魔都上海」を代表するこのホテルを有名にしたのは、何と言っても村松梢風の小説「男装の麗人」だろう。清朝の皇女でありながら旧日本軍のスパイとなった「東洋のマタ・ハリ」川島芳子を題材としたこの小説は、戦争へと向かう昭和初期の時代背景もあってベストセラーとなった。今では事実と反する内容も多いことが明らかになっているが、当時の人々にとってはそのいかがわしさが逆にリアルだったのだろう。
 ちょうど歩き疲れたところだったので、見学がてら休憩をとることにした。客を装い、車寄せから玄関を入る。正面に階段があり、吹き抜けに面した中二階がカウンターバーになっている。左の奥がフロント、右はレストランだ。さすがに古めかしさを感じる。薄暗い照明を反射して、丸い柱や磨き上げられた床が飴色に光っている。なんとなく怪しげな雰囲気だ。
 まぶたを閉じると軍靴が響き、通りを銃声が駆け抜けてきた。きらびやかなチャイナドレス、暗号文書、くゆらすパイプの先から立ち昇る紫煙。映画で見た記憶が、イメージが、ないまぜになって止め処なく溢れ出してくる。戦時下の上海で、ここを定宿としながら川島芳子は何をしていたのだろう。夜毎繰り広げられるダンスパーティーを渡り歩きながら、どんな謀略に加担していたのだろう。
 片隅のソファに座り、気怠さが流れるロビーをぼんやりと見渡しながらそんなことを考えた。隣から、ビジネスマンと思しき中国人の話す日本語が聞こえてきた。
 

   
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虹色の上海
 

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