犬ト中国人ハ立チ入ルベカラズ〜黄浦公園
 
犬ト中国人ハ立チ入ルベカラズ
〜黄浦公園
 

   中山東路には横断歩道がない。車線も多くひっきりなしに車が通るため、下手に渡ろうとすると危ないことこの上ない。どうしたものかと思案していたところ、幸い近くに地下道を見つけた。自転車や車椅子でも通れるように階段ではなくスロープになっている。くぐり抜けた向こう側が、カップルとおのぼりさんで溢れる上海市民の憩いの場、黄浦公園だ。
 来てみるまで知らなかったのだが、黄浦公園は中山東路よりも一段高いところにある。堤防の土手の上が公園になっていると思えばいい。外灘の英語名である「バンド」は「堤防」を意味し、この地形に由来している。
 地下道の出口、ちょうど堤防の下にあたる一角に、観光客目当ての店が並んでいた。写真屋、定食屋、ジュース売り、お土産屋。さながら日本のガード下のようだ。商店街の切れ目に階段があり、登ったところが公園だった。満々と水を湛える黄浦江と浦東の新街区が目の前一杯に飛び込んでくる。僕は思わず声を上げ、岸辺の柵まで一目散に走った。
 どこまでも空が高い。川面から吹いてくる風が心地よく頬を撫でていく。大小さまざまの船が、ボーッと汽笛を響かせながら右に左に行き交っている。ゆっくりと、ゆっくりと、まるでビデオのスロー再生を見ているかのように次から次へと何隻も横切っていく。
 黄浦江は広い。川幅は200mではきかないだろう。水深もけっこうあるはずだ。大型の客船や貨物船が余裕を持ってすれ違っている。その周りを、タグボートや水先案内の小さな船がひしめくように取り巻いている。かなりの渋滞と言っていいが、この密度でもぶつかりそうな危険な感じは全然しない。雄大な眺めだ。
「気持ちいいね。天気もいいし」
 ようやく追いついた妻が隣に並ぶ。妊娠がわかって以来、彼女はなるべくゆっくり歩くように気をつけていた。それは僕もわかっていたのだが、気がつくと景色に吸い込まれるように彼女を置いて走り出していた。少しばつが悪い。
 黄浦公園は1860年代に造られた。わざわざスコットランドから造園技師を呼び寄せて芝生とバラ園を整備したという。今では芝はタイル地に敷き替えられ、中山東路側の一角にのみ当時の名残の植え込みがある。
 ここは中国人にとって租界時代の影を象徴する場所だ。建設に当たり、イギリス人はその費用として中国人から税金を徴収した。しかし、完成後に彼らが公園に立ち入ることは許さなかった。それどころか、「犬と中国人は立ち入るべからず」という屈辱的な立て札まで掲げ、警官が違反者を取り締まっていたという。第二次世界大戦後、中華人民共和国が成立するに及んで、ようやく黄浦公園は中国人にも解放された。
 船はのんびりと流れていく。港町・上海を実感する。時間が遅く感じられ、見ていて飽きない。
 対岸はさらに圧巻だった。わずか10年あまりの間に次々と完成した高層建築群が、競い合うように河岸に聳え立っている。しかも、高さだけではなくデザインが斬新だ。総ガラス張りだったり、建物が斜めに切り取られていたり、頂部がピラミッド状になっていたりと、どれもがみな一目見たら忘れられないインパクトを持っている。
 その中でも東方明珠塔の存在感は別格だった。幾何学的に組み合わせた何本もの円柱で要所に配された球体を支える独特の構図。宇宙ロケットのようでもあり、今にも飛び立ちそうな雰囲気を漂わせる。造形の楽しさに「何だ、こりゃ」と叫びたくなる。これはもう映画に出てくる「未来」に他ならない。「ヘンテコ」と笑いながら妻も嬉しそうだ。
「凄いねえ。面白いねえ。こんな素敵な世界にお前は生まれて来るんだよ」
 やっと膨らみかけた妻のお腹を見つめながら、僕は心の中でそっと呟いた。
 

   
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虹色の上海
 

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