アイデンティティは何処に〜Karachi
 
アイデンティティは何処に
〜 Karachi
 

  「それにしても人が多いですね。ペシャワールは250万人くらいいるって何かの本で読みましたけど」
「今は400万人くらいですね」
「ラホールはパキスタン第二の都市ですよね。400万人くらいですか」
「700万人はいますね」
「カラチの人口は一説によると700万人に上るとか」
「1200万人は下らないでしょう」
 どうやら僕の持っている地図帳のデータは少し古すぎたようだ。いささか眉唾な気もするが、ガイドの言っていることの方がきっと真実に近いのだろう。
 それにしても、同じ国なのにこんなにも違うものかと思う。
 ペシャワールの印象は一言で言うと「アフガニスタン」だった。部族社会の伝統が色濃く残る街並は、まるでイスラム中世に迷い込んだかのような独特の雰囲気を醸し出していた。それに引き換え、ラホールは一転して「インド」だった。ムガール帝国の残照も美しい王朝文化が、デリーやアーグラと同じ香りを漂わせていた。
 そしてカラチ。ここはいかにも「ペルシャ湾岸の産油国」だ。強い陽光のせいばかりではない。近代的な高層ビルが建ち並び、ホテルの周りを散歩するだけでもカタールやオマーンといった日本では見たこともない航空会社の看板が目に飛び込んでくる。
 国を代表する三大都市がそれぞれ全く異なる個性を備えている。旅行者としては興味深いことこの上ない。しかし、ふと気になった。それでは「これぞパキスタン」と呼べるものが今までにあっただろうか。
 この国のアイデンティティは何に依拠しているのだろう。イスラムか。しかし、それではインドネシアからアフリカ西海岸まで拡がる広大な地域と何も変わらない。加えて、国民の多くは多数派であるスンニー派の信者だ。良くも悪くも差別化は図れない。
 インダス文明発祥の地でありながら、人種的にも文化的にも何ひとつ受け継いでいない。公用語は英語だが、人々の日常会話はそれぞれの部族語だ。民族構成も多様で、最大勢力のパンジャブ人でさえ支配層になり切れていない。
 隣国インドもかなり複雑多様な国家だが、例えば「カレー」という誰もが思いつく共通項がある。パキスタンにはそれすらない。そもそも「パキスタン」という国名からして人工的に合成されたものだ。
 近い将来、この国は分裂するのではないかという不吉な想像が頭をよぎる。国土の四方を取り囲むいくつかの異文化圏の磁場に負け、いつか引き裂かれてしまうのではないかと心配になる。チトーの死後、しばらくしてユーゴスラビアは解体してしまった。あそこも東欧と西欧が出会う文明の岐路だった。それが歴史の必然なのか。
 ギンギラに飾り立てたバスが目の前を通り過ぎて行った。車体のありとあらゆるところにトラック野郎も真っ青の派手な電飾や塗装を施している。どぎついほどの色彩感覚。細かな部分まで手が込んでいて、まるで曼荼羅だ。
 そういえば、こうしたバスだけはどの街でもよく見かけた。ひょっとして、これが世界に誇るパキスタンの心意気か。見方によっては一種の芸術作品と思えなくもない。もっとも、趣味が良いとはお世辞にも言えないのだけれど。
 

   
Back ←
→ Next
 


 
岐路のパキスタン
 

  (C)1997 K.Chiba & N.Yanata All Rights Reserved