ふれあい〜Moenjodaro
 
ふれあい
〜 Moenjodaro
 

   連日のハードスケジュールで消耗していた体力に寝不足が追い討ちをかけた。遺跡の観光まではぎりぎり保たせていたが、昼食を終えたところでとうとう力尽きた。どうにもからだが動かない。空気の抜けた浮き輪のように入れようとしても力が入らない。額に手を当てるとヒリヒリ熱い。たくさん着込んでいるのに寒気がする。
 他のメンバーはガイドの引率で全員オプショナルツアーに出掛けてしまった。近隣の村を観光に行くのだという。彼らが戻ってくるまでは移動手段もない。もっとも、空港に行けたとしても次の飛行機は夕方だから、どのみち待つしかないことに変わりはない。そんなわけで、遺跡の入口に妻とふたり取り残されてしまった。
「ここまで頑張ってきたんだから、少し休憩するといいよ。モヘンジョダロも、ハラッパも見たんだし、もうそんなに思い残すこともないでしょ」
 芝生に座り込んで手足を投げ出す。太陽が全身にさんさんと降り注いでくる。疲れが蒸発していくようで、遅々とではあるが元気が戻ってきそうな気がする。
 遠くで子供たちがクリケットをやっていた。幼稚園児くらいの小さな子から高校生くらいの少年までが分け隔てなく、棒切れ片手にボールを追いかけている。見ていると、大きい子が小さな子に手加減してやっているのがわかる。いわゆる「まま子」だ。
 昔は日本もこうだった。近所の空き地で年齢の異なる相手と一緒に遊ぶことで、僕たちは知らず知らずのうちに上下関係というものを覚え、社会的な相互扶助を体験してきたのだ。いわば、これからの世間で生きていく術を身につけられる環境があった。
 それに比べると今の子供たちには同情を禁じ得ない。空き地もなく、兄弟も少なく、地域のつながりも薄れている。そんな中でどうやったら社会性を身につけられるのか。ゲームや習い事や受験勉強にあれだけ囲まれていては、思いやりの心を育てろと言う方が無茶だ。
「アッサラーム・アレイクム」
 突然の呼びかけに振り向くと、いつの間にか子供たちが僕たちを取り囲んでいた。小学校高学年といったところか。くりくり頭に浅黒い肌。みんな顔の真ん中で大きな瞳がキラキラと輝いている。いかにも好奇心一杯という表情だ。
「アッサラーム・アレイクム」
「ワーレイクム・サラーム」
 彼らの物言いを真似すると、さらに返事が返ってきた。そして握手。どうやらイスラム流の挨拶らしい。
 ひとりが成功したのを見て、子供たちは次から次へと「アッサラーム・アレイクム」攻撃を仕掛けてきた。一言ずつ交わして握手。お互いそれ以上会話は進まないのだが、それでも子供たちはとても嬉しそうだ。
 やがて子供たちが握手した手を引っ張り始めた。負けじとこちらも引っ張り返す。それがまた面白いらしく、だんだん動きがエスカレートしてくる。最後にはみんなで手をつなぎ、僕たちは輪になってぐるぐると回っていた。特に何をする訳でもない。ただ回るのだ。勢い余って輪から外れてしまったら、そのまま手をつないで駈けていく。芝生の先へ。誰かが息を切らして立ち止まるまで。
「なんだかよくわからないけど、でも、楽しい」
 いつか読んだ小説にこう書いてあったのを思い出した。幸せとは暖かい仲間。
 

   
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岐路のパキスタン
 

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