スカーレット〜Jerash
 
スカーレット
〜 Jerash
 

   「エデン」を探す僕たちの旅は、1996年、イスラエルから始まった。最初は撮った写真をアルバムに整理するだけだったが、やがてホームページとして公開することを思いついた。日本ではあまり情報がなく、それ故にマイナスイメージで語られがちな国々に関し、ひとりでも多くの人に真実の姿を知ってもらいたいと考えたからだ。試行錯誤の末、次のような基本方針を決定し、2000年から制作に取りかかった。
 @コンテンツは、写真を主とした「観光ガイド」と文章を主とした「紀行エッセイ」の二本立てとする。
 A国別にテーマカラーを設定し、その国を象徴する漢字二文字の枕詞をタイトルに冠する。
 Bページデザインを統一し、色の違いで国の違いを認識できるようにする。
 旅立つ前のヨルダンのイメージは一言で言って「砂漠」。遺跡が見どころだということは知っていたが、それ以上の知識はあまりなかった。だから、テーマカラーは茶色になるのかなと漠然と思っていた。
 しかし、ワディ・ラム、ペトラと廻るうちにその認識が誤りであることに気づいた。ヨルダンの土の色は茶色ではない。そして、ある別の色が僕の中で日に日に存在感を増していった。
 最後の訪問地ジェラシュは、だから確認のための場所だった。ここにその色があれば何の憂いもなくヨルダンのページを染め上げることができる。しかし、もし何か強く印象付けられる別の色があったら、テーマカラー選びは振り出しに戻ってしまう。
 ジェラシュはヨルダンだけでなく中東を代表するローマ遺跡のひとつだ。シリア南部のボスラと組み合わせて、アンマン〜ダマスカス間の1日観光コースが多く設定されている。
 まず僕たちを迎えてくれたのは、南端に建つ凱旋門の威容だった。皇帝ハドリアヌスが訪れた事跡を記念したものだという。一目でそれとわかるローマ建築の共通性には、いつもながら感心させられる。これに匹敵するのはマクドナルドの看板だけだと本気で思う。
 南門を抜けると、フォーラムと呼ばれる円形の広場に出た。藤棚のような列柱が周囲をぐるりと取り囲んでいる。これはジェラシュ独自のもので、他のローマ遺跡では見たことがない。空間の使い方が新鮮で、現代の都市計画にも通じるモダンさを感じる。
 フォーラムから一直線に伸びるのが列柱通り。遺跡を崩壊させた8世紀の地震の影響で石畳が波打っている。ヨルダンで地震など聞いたことがないが、仮にもアフリカ地溝帯の北端。地質学的にはプレートの境界に当たるのだ。
 それにしても暑い。太陽が最も高くなる時間帯である上に、広大な敷地には陽射しを遮るものが何もない。大聖堂を過ぎアルテミス神殿に辿り着く頃には、みんなへとへとになっていた。水を頭から被っている人もいる。45℃は軽く超えているだろう。
「アルテミス神殿の柱は実は揺れているんです。今、その証拠をお目にかけましょう」
 そう言うとガイドはナイフを取り出し土台と柱の隙間に差し込んだ。柄がゆっくりと上下する。どのような原理なのかはわからないが、催眠術で使うコインのように規則正しくいつまでも揺れ続けている。
 揺れをより体感しようと神殿の中へ入って柱を見上げた。コリント式の優美な装飾を施された尖塔が、抜けるほど青い空を突き刺すように四方から伸びている。写真を撮ろうとしたが、眩し過ぎて露出が合わない。柱で太陽を隠すために立ち位置をいろいろと変えてみた。その時、ああ、やっぱり、と思った。やっぱりこの色でよかったんだ。いや、この色しかありえない。
 真夏の光を受け、柱の表面が燃えるように紅く輝いていた。スカーレット。和名、緋色。ヨルダンにふさわしい色はやはりこれしかなかったのだと、心の底から僕は確信した。
 

   
Back ←
→ Next
 


 
茫漠のヨルダン
 

  (C)2000 K.Chiba & N.Yanata All Rights Reserved