王妃に捧ぐ〜Amman
 
王妃に捧ぐ
〜 Amman
 

   クイーン・アリア。それが空港の名前だなどと、いったい誰が想像しただろう。夜の地中海を越えてきた機体は、見渡すかぎりの砂漠へと静かに滑り込んだ。今にも落ちてきそうなまぶたをこらえ、窓の外に目を遣る。
激動の中東にあって、資源にも軍事力にも恵まれない小国ながら、幾度にもわたる戦争を生き抜いてきたヨルダン。その近代国家としての歴史は意外なほど新しい。
 20世紀の初め、帝国主義の時代。中近東に覇権を打ち立てるべく崩壊寸前のオスマントルコからオリエントの統治を受け継いだイギリスは、自らの名代としてイスラムの預言者ムハンマドの末裔であるハーシム家を立てる。その後、第一次世界大戦への協力の見返りとして、次男アブドラにトランスヨルダンを、三男ファイサルにはイラクを、それぞれ与えることとした。これにより現在へと続く国境線がほぼ確定することになる。1928年、トランスヨルダンはイギリス保護下の王国となり、第二次世界大戦後の1946年、正式に独立国となった。
 独立後のヨルダンはまさしく戦争の歴史だった。イスラエル建国以来の四度にわたる中東戦争、パレスチナゲリラとの度重なる内戦、難民の流入、周辺アラブ諸国との反目や妥協、冷戦二大国の綱引きによる露骨な内政干渉。もともと政治風土が不安定なこの地域において、国家としての体裁を維持してきたこと自体が奇跡と思えるほどの出来事ばかりだ。
 しかし、次々に降りかかる困難はまがりなりにも乗り越えられていく。最大の要因は卓越した王室外交だった。その立役者をひとりだけ挙げるなら、第三代国王フセイン・ビン・タラールをおいて他にない。わずか17歳で即位した彼は、数々の刺客による暗殺計画やテロを生き残り、50年もの長きに渡り国際政治に確たるプレゼンスを築いてきた。治安を安定させ、経済基盤を確立し、誕生間もない新興国家の発展に尽くしてきた。そして国を代表する空の玄関口に、建国時の功労者や歴史上の偉人ではなく愛する妃の名前をつけたのだった。
通関を抜け、スーツケースを拾い、到着ロビーを横切る。深夜だというのにターミナルビルの出口は人で溢れていた。誰もが瞳を輝かせている。愛しい相手に会える喜びをからだいっぱいに表現している。花束を抱えた女性がいた。恋人が帰ってくるのかもしれない。
 さすがに眠かった。送迎のバスに乗せられてホテルに着いた頃には午前一時を回っていた。横になるや否や、からだが泥のようにベッドに吸い込まれていく……。
「火事?」
 うとうとしていたところを妻の声に起こされた。部屋の外で間の抜けたベルが断続的に鳴っている。英語らしきアナウンスが聞こえる。慌しく廊下を走る音がする。
「火事じゃない? 起きて。逃げなきゃ」
 そうか、火事か、うんうん。夢見心地のまま、貴重品の入ったポーチだけを持って部屋を出る。人でごった返す階段を駆け降りているうちにだんだん意識がはっきりしてきた。どうやら現実のようだ。なんてことだ。まさか生涯初めての火事に、しかも外国で遭うなんて。
 中庭は既に大勢の宿泊客で賑わっていた。視線の先が一点に集中している。本当に建物の一角から火が出ている。信じられない。道路を渡り、少し離れたところから改めて眺めてみる。ときどき窓から炎が勢いよく噴き出す。消防車が一台、また一台と集まってきた。
「カメラを持ってくればよかった」
 隣で妻が苦笑していた。何言ってんの。無事だったんだから、それでいいじゃない。
 フセインは何度も死線をくぐり抜けたが王妃アリアを飛行機事故で失った。国王として、人も羨むほどの富と名誉を手にしながら愛する者を失った。僕は違う。金も地位もないけれど、大切なものはまだ何も失くしていない。
 すっかり朝だった。くすぶり続けるホテルの向こうに青い空が拡がっていた。
 

   
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茫漠のヨルダン
 

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