メル友は大統領〜Amman
 
メル友は大統領
〜 Amman
 

   アンマンのもうひとつの顔、それは近代的な大都会だ。街中には高層のオフィスビルが建ち、その多くは日本でも目にする欧米系の銀行や証券会社だ。かつて拠点を置いていたベイルートがレバノン内戦で混乱した折に移転してきたのだという。今では中東の金融センターと言えるほどの集積を見せている。
 車窓に拡がる街並はどこかアメリカ的だ。都市計画に従ってよく整備された道路、広い区画、ビバリーヒルズを思わせる瀟洒な邸宅。全体的に小綺麗で、アラブ的なカオスの香りがしない。だが、それは必ずしも誉め言葉ではない。厳しい見方をすれば、整っているのは表層だけで底が浅いとも言える。
「このあたりの地価は1km四方1億円です。買いますか?」
 ガイドに訊かれて一瞬わからなくなった。冷静に計算すれば土地としては安いのだが、建物は3億から5億というから総体として高級なことは間違いない。住み込みのメイドもいるそうだ。昨夜の結婚式といい、産油国でなくとも富豪はいるものだ。
 アメリカ的といえば、アンマンにはマクドナルドがある。ロシアや中国に進出したニュースは知っていたが、まさかイスラム圏にあるとは思わなかった。世界の言葉というキャッチフレーズは伊達ではない。アラビア語表記ではあるものの、赤と黄色にデザインされたあの独特の看板が道路に面して堂々と建っている。まあ、お世辞にも周囲に溶け込んでいるとは言えないが。
 アンマンはローマ帝国の滅亡とともに衰退し、数多ある寒村のひとつに過ぎなくなっていく。再び歴史の舞台に登場するのは20世紀、新生王国ヨルダンの首都となってからだ。いや、より正確に言うならば、西隣にイスラエルが建国され、パレスチナ難民が大挙して押し寄せるようになってからだ。いわば開拓地。自然発生したのではなく人為的に作られた街なのだ。アメリカに似ているのもなるほどという気がする。
 そうした首都の成り立ちは、まさしくヨルダンという国家の性格を象徴している。イギリスが国境線を引き、ハーシム家を据えた。その後で移民が流入した。頭しかなかったところに、それとは無関係な肉体が寄り集まった。「ヨルダン人」など、もともとどこにもいなかったのだ。
 そんなヨルダンを率いているのがアブドラ。1999年に父フセインの死去を受けて即位した若き国王だ。建国時から数えると第四代に当たる。ダウンタウンを見下ろす丘の、ひときわ緑が濃い一角に居を構えている。
 幼い頃から主にイギリスで教育を受けた彼は、イスラムの統治者でありながら西洋的な価値観に軸足を置いているようで、僕が見る限り国際社会における言動に違和感がない。ほぼ同時期に後継者となった隣国シリアの大統領バシャールとは留学時以来の付き合いで、プライベートでも頻繁にメールをやり取りする仲だという。
「アブドラさんはお茶目な人です。よくタクシーの運転手に変装して、国民の生の声を聞こうとしているようですよ。私はまだ乗ったことがないんですけどね」
 悪戯っぽく微笑むガイドの表情からも、彼が国民に愛されていることがわかる。「さん」付けで呼ばれる国王なんて、なんだか微笑ましい。
 父フセインの時代は、度重なる中東戦争やパレスチナ内戦、さらには東西冷戦と、硝煙の匂いが絶えない嵐の季節だった。シリアには「鉄の男」ハフェズ・アサド大統領がいた。悲劇には事欠かなかった。
 そうした歴史の教訓を踏まえ、アブドラはどこまで力を発揮することができるのか。ヨルダンの旗の下、どのようなアイデンティティでもって国民をまとめていくのか。「メル友」バシャールとともに、中東和平に取り組む若き指導者をぜひ応援していきたい。
 

   
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茫漠のヨルダン
 

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