七つの丘の都〜Amman
 
七つの丘の都
〜 Amman
 

   アンマンの歴史は古い。先史時代から人が住んでいたことを示す遺物が見つかっており、1万年前の青銅器時代には都市が成立していたとされる。メソポタミアからエジプトにかかる肥沃な三日月地帯の一部であり、古来から暮らしやすい土地柄だったのだろう。
 しかし、それでいて現在まで残されている遺跡は少ない。アッシリア帝国以来、度重なる戦乱により多くが失われてきたからだ。観光ポイントという意味ではわずかにふたつ、ローマ劇場とアンマン城だけと言っていいだろう。
 ローマ劇場は市街の中心地、アンマンのへそとも言うべき位置にある。この界隈は史跡公園になっていて、緑も多く市民にとっての憩いの場となっている。道路に面して糸杉の木立が並び、その奥に劇場があるのだが、木々の隙間から遺跡が垣間見える展開はなかなかドラマチックだ。朝の木漏れ陽が心地よい。
 糸杉のカーテンを通り抜けるとすぐに劇場の舞台に出る。今では修復も終わり、現役の施設としてときどきオペラやクラシックコンサートなどに使われているそうだ。アリーナがぴかぴかに磨かれている。
 ここが他のローマ劇場と違うのは圧倒的な圧迫感だ。自然の斜面を掘り込んで造られており、そのために6000人を収容するという客席全体が背後の山も含めて押し寄せてくるかのように感じるのだ。
 その起伏に富んだ地形により、アンマンは昔から「七つの丘の都」と呼ばれてきた。永遠の都ローマと同じ称号を冠せられているのだ。だからだろうか、ローマ帝国時代、派遣された行政官たちはオリエント属州の中でも特に好んで駐在したという。遠く離れた本国を連想させる風景が、あるいは郷愁を呼び起こしたのかもしれない。
 客席の一番上まで登ってみるとよくわかる。谷底を通る道路を挟んで、家々が張り付いた対面の丘がすぐ目の前に迫っている。そしてその頂上に造られたのがシタデル、アンマン城塞だ。
 バスに乗り、谷から丘へと回り込むように城塞へと向かう。坂の途中からはバスを降りて歩く。やがてモニュメントのようにそびえる二本の列柱が見えてきた。ヘラクレス神殿跡だ。エフェスのアルテミス神殿に似ていたとされるが、そういえばあちらも今は一本の柱を残すのみ。地面に転がる大理石の欠片が往時の栄華を微かに伝えている。
 神殿の向かいには国立考古学博物館がある。ワンフロアが一室のみという小規模な建物だが、なかなかどうして見るべきものは多い。中でも入口のすぐ右側にある「1万年前の人骨」は必見だ。今はイスラエル支配下のパレスチナ自治区であるエリコから見つかったもので、成人の大腿骨や子供の全身骨格がリアルに展示されている。
 ナバテア人の棺も面白い。素焼きの土器を素材としたカプセル状で、遺体はなんと縦に納めるのだ。蓋には異様に大きな顔が装飾として施されており、その表情の面妖さが傑作だ。ペトラを建設した民として有名な彼らだけに、このデザインセンスをどう評価してよいものか悩ましい。
 他にもエルサレムの博物館と分け合う形で保管されている死海写本など、訪れる人が少ないのがもったいないほどの充実ぶりだ。ほんの数十分の滞在だったが、スケジュールが許せば2時間でも3時間でも見たいと思った。
「ほら、あそこにさっき訪れた劇場が見えますよ」
 帰途の坂からはアンマンの街が一望できた。びっしりと建物で埋め尽くされた風景に溶け込むように、何の違和感もなくローマ劇場が佇んでいる。二千年前の遺跡が、現代のアパートと同じ目線でダウンタウンの一角を構成しているのだ。その誇り。その気高さ。ローマに準じて語られるのも、あながち過大評価ではないのかもしれないと思った。
 

   
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