中東宗教異界〜Madaba
 
中東宗教異界
〜 Madaba
 

   デザート・ハイウェイと平行しヨルダンを南北につなぐもうひとつの幹線、それがキングス・ハイウェイだ。カーブの連続で起伏も激しくお世辞にも走りやすいとは言えないが、歴史的には断然古い。死海を挟む山脈の尾根に沿って、旧約聖書時代から存在する街と街をつないでいる。
 マダバもそんな街のひとつだ。歴史的な経緯からキリスト教徒の比率が高く、あちらこちらに教会が建てられている。教会にはビザンチン時代やウマイヤ朝時代のモザイクが残されており、観光ポイントであるとともに貴重な史料となっている。
 街外れにバスを停め、歩いて聖ジョージ教会に向かう。モザイクで最も有名なのがここだ。窓ひとつない砦のような外観とは裏腹に、中に入ると意外に明るい。採光に優れているのだろう。白い壁と相俟って寸法以上に広く感じる。
 広く見せる要因はもうひとつある。通常であれば信者にとっての特等席となる祭壇の正面からベンチが取り払われ、広場のような空間になっているのだ。チェーンで仕切られ立ち入り禁止となっている空間。この床にモザイクがあるのだ。
「これは6世紀に描かれました。現存する最古のパレスチナの地図です」
 絵地図、あるいは鳥瞰図といったらよいのだろうか、建物が立体的に細かく表現されている。武家屋敷のようにメインストリートに沿って建ち並ぶ家々と、それらを取り囲む城壁。地名なのだろう、ところどころにギリシャ文字で単語が書いてある。
「エルサレム旧市街です。隣にあるのは死海ですね」
 その説明に思わず吹き出してしまった。旧市街は家十軒あまり、死海は旧市街三つ分の大きさなのだ。縮尺も何もあったものではない。
 だが、ここでハタと気がついた。我々が想像する、測量をベースとした近代的な地図は大航海時代以降の発明だ。それ以前、地図とは心象風景や宗教観の表現だったのだ。古代インドは4頭の象が世界を支え巨大な亀がその象を支えていると考えていたし、中世ヨーロッパはエルサレムを中心にドン川・ナイル川・地中海がアジア・ヨーロッパ・アフリカを三分割すると考えていた。
 それで合点がいく。このモザイクには「作者が大切だと思うもの」だけが「ふさわしいと思う大きさ」で描かれているのだ。
「こっちを見てください。エジプトも描かれています。でも、ちょっと間違っていますね」
 柱を挟んだ先の床にはナイル川やアレキサンドリアが表現されていた。しかし、確かに素人目にも配置がおかしい。すなわち、作者にとってエジプトはあまり重要ではなかったのだ。もしかすると行ったことすらなかったかもしれない。
 教会を出て歩いているとカラフルな看板が目につくことに気づいた。商店の軒先やロータリーに赤や黄色をはじめとした鮮やかな原色が踊っている。デザインされたアラビア文字とアルファベット。商品や人物を描いたポスター画。紛れもない宣伝広告だ。
 マダバは他のアラブの街とはどこか異なる趣が感じられる。看板は理由のひとつかもしれない。思えば他のアラブの街では商店街といえども派手な広告を目にした記憶がない。イスラムの教えによるものなのだろうか。
 似たような風景をどこかで見たような気がする。そう、ナザレだ。パレスチナにあってアラブ人キリスト教徒が多数を占める数少ない街。イエスの故郷。
 不思議なことにモザイクには現在位置であるマダバは描かれていなかった。エルサレムと死海、それに聖書に登場する著名な土地のいくつか。キリスト教に由来する場所だけが表現されていた。やはりあれは地図ではなく一種の宗教画と見なすべきなのだろう。ここはイスラムの海に浮かぶ異界なのだ。
 

   
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茫漠のヨルダン
 

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