砂漠で科学を考える〜Petra Town
 
砂漠で科学を考える
〜 Petra Town
 

   夕食まで時間があったので、ホテルのプールに行ってみることにした。レストランとつながるテラスの一角にあり、プールサイドではディナータイムの準備が始まっている。
 試しに手を入れてみると切られるように冷たい。夕方といっても外気温はおそらく40℃以上。水温が普通のプール並みであれば実際以上に冷たく感じられる理屈だ。心臓麻痺を心配し足からおずおずと入ったが、さすがに取り越し苦労。全身を沈める頃にはもう慣れていた。
 もう一組、同じツアーに参加している家族連れもやってきた。北海道から来たという医大生の息子と母、祖母の三人組だ。意外にも昼は祖母が一番の健脚ぶりを発揮していた。
 夏の陽に灼かれた肌から、歩いて運動エネルギーを溜め込んだ筋肉から、水が熱を奪っていく。快適。これぞリゾートライフ。思わず「いい湯だな」と口ずさみたくなる。ひとしきり泳いで、というか浸かってからプールサイドに上がる。
 デッキチェアーで休もうとしたところ、突然歯がガチガチ言い出した。何が起こったのだろう。からだがブルブル震える。止めようとしても止まらない。慌ててバスタオルを頭から被る。椅子に腰掛けても、舞踏病のように脚がカタカタと動き続けている。
「気化熱ですね」
 僕の様子を見ていた医大生が即座に診断を下してくれた。
「水は蒸発するときに熱を奪いますが、これだけ乾燥した土地ですから、おそらく急激に気化が起きたのでしょう。そのうち治まりますよ。心配ありません」
 なるほど。どこも具合の悪いところはないので病気ではないと思ったが、そういうことか。
「それにしても、想像以上に乾燥しているんですね。勉強になりました」
 勉強になったのはこっちの方だ。まさか中学校の理科の時間に習ったことを自ら人体実験するハメになろうとは。しかもこの年齢になって。
 プールで汗を流した後、まだ少し時間があったので外を散歩する。ワジと平行する道に沿ってホテルや土産物屋が軒を連ねている。ペトラの中心街からは外れているのか、どこかほのぼのとした雰囲気だ。名物の砂絵を売っている店が目立つ。
 インターネットカフェの看板を見つけたので入ってみることにした。オレンジに塗られた壁が営業努力を感じさせるものの、デスクトップのパソコンが何台か無造作に置かれただけの6畳大のブースは殺風景なことこの上ない。
 それでも話のネタに妻がトライしてみる。しかし、ホットメールを見ようとするがうまくつながらない。自分たちのホームページにもアクセスしてみるが、これもうまく表示されない。設定をいろいろ変えて試してみたが駄目だ。どうやらブラウザのバージョンが低いのが問題らしい。そう思って見るとパソコンも一時代前の古い型だ。
 だが、先進国とは言えない国の、それもこんな片田舎の村にまで、インターネットが普及しているのは驚きだった。世界は急速に一体化している。政治や宗教の枠を超え、気候や地勢の違いをものともせず、同じルールで動いている。世界史上、こんな時代がかつてあっただろうか。
 グローバリズムの嵐が吹き荒れている。イタリアでは反対するデモも行われた。アメリカ主導に対する反感もあるとはいえ、すべての事象を「同じ物差し」で計ることの危険を人々が無意識に感じ始めている証拠なのではないか。20世紀を色彩どった「いつか来た道」に戻る可能性は本当にないのだろうか。「グローバリズム」という名のファシズムに。
「外国人相手に商売しようと思ったら、せめてブラウザのバージョンを上げた方がいいよ」
 小一時間遊んで店を出た。オーナーなのかアルバイトなのか、若い兄ちゃんはちょっと困った顔をしていた。
 

   
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茫漠のヨルダン
 

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