ロバに揺られて〜Ed Deir, Petra
 
ロバに揺られて
〜 Ed Deir, Petra
 

   朝からどれくらい歩いてきたのだろう。一貫して緩やかに下り続けていた道が終わるところにレストハウスがあった。時計はちょうど正午、主な見どころもひとしきり観光した。時間的にも行程的にも絶好の昼食休憩だ。バイキングのバーベキューを手に木陰のテラスに席を取る。蒸発する汗と心地よい疲労がさらに充実感を際立たせる。
 午後の予定は「ペトラの秘宝」エド・ディル。背後にそびえる岩山の上に建つ古代の修道院だ。これまでとは一転して険しい山道を登ることになる。
 休み終えて外に出るとロバが群れを成していた。黒いのやら白いのやら、大小いろいろいて可愛らしい。遊牧だと思い微笑ましく見ていたが、気がつくと周りの様子が何やら不穏だ。いつの間にか妻がその背に乗せられている。いや、妻だけではない。他のツアーメンバーも次々とロバにまたがっている。
「午前中は頑張ったので、午後は楽をしましょう。エド・ディルまではロバで行きます」
 ガイドに促されるまま一頭をあてがわれる。しかし、馬ならともかくロバなんて乗ったこともない。加えて、他のロバに比べ僕のは心なしか小さいような気がする。本当に大丈夫なのか。
 ともあれ、一行はスタートした。一列に並んで坂道を登る。馬と違ってロバはピョンピョンと飛び跳ねるように歩く。それなのに引き手は必ずしも付いてくれない。基本的には乗り手が自分で御さなければならない。手綱がないので鞍を持つのだが、「持つ」というより「しがみつく」と言った方が正しい。案の定、目の前で落馬ならぬ落ロバが発生した。痛そうにしている横を通り過ぎるのも申し訳ないが、こちらはこちらで振り落とされまいと必死だ。
 やがて坂が階段状になった。ロバは歯を喰いしばり、一歩一歩を踏みしめながら登っていく。降りて歩いた方が早そうだが、せっかく手配してくれたガイドの手前そういうわけにもいかない。ときおりガクッと膝が折れ、倒れ込みそうになる。そりゃそうだろう。自分のからだと比較して過重な人間を乗せ、さらに急坂を登っているのだから。ひょっとしてこれは虐待ではないのかという思いが脳裏をよぎる。
 頂上に着いたときには腕も脚も筋肉がパンパンに張っていた。ロバはロバでゼイゼイと肩で息をしている。目の焦点も合っておらず放心状態だ。よく頑張ったと撫でてやったが、どこか後ろめたい気がした。
 残りは徒歩で。細い切通しを抜けると視界が開け、グラウンドを思わせる広大な空間が現れた。高く澄み切った空の下、岩壁が四方を囲んでいる。褶曲した地層が幾重にも重なり、まるでパイ生地のようだ。そして、その一角にエド・ディルが彫られていた。
 「エル・ハズネの装飾を簡素にしてサイズをひと回り大きくしたもの」。それがエド・ディルだと思えばだいたい間違いない。実際、ちょっと見には違いがわからない。せいぜい「色が薄いな」と感じる程度だろう。しかし、しばらく眺めているうちにその「質実剛健」が伝わってくる。
 グラウンドを横切った対面に自然の洞窟を利用した休憩所があった。売店でジュースを買い、岩屋根の下に置かれた椅子に腰を下ろす。さすがに疲れた。朝からの歩き詰めに加えてとどめのロバだ。だが疲れるだけの価値はある。ここでこうしてエド・ディルを見ているだけで、達成感に似た満足感がじわじわと込み上げてくる。月並みだが「来て良かった」としみじみ思う。
 ひと休みの後、エド・ディル全体を見晴らす丘に登ってみた。あれだけ大きかった遺跡が模型のように見える。一方、振り返れば遥か彼方まで岩山の波が続いている。ペトラにはさらに先があるという。
 探検してみたいような、したくないような。なぜ山の上にこんなにも巨大な建物を建てたのか、水はどこから引いてきたのか、数多の謎は依然として解明されていないそうだ。
 

   
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茫漠のヨルダン
 

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