ベリー・イクスペンシヴ、バット・ナイス〜Roman Street, Petra
 
ベリー・イクスペンシヴ、バット・ナイス
〜 Roman Street, Petra
 

  「砂絵を見ませんか」
 ガイドに誘われ屋台のひとつを覗いてみることにした。粗末な台の上に素焼きの椀がいくつも並んでいる。それぞれ白、黒、茶など、異なる色の砂が盛られていて、さながらペンキ屋の趣だ。
 店のオヤジが小振りのガラス瓶を取り出す。中には半分くらいの高さまで白い砂が満たされている。瓶の口から針のように細いスポイトを突き刺し、分量を量った黒い砂を漏斗で注ぎ入れる。白い砂の中でスポイトを動かしているうちにあら不思議、黒いラクダが現れたではないか。
「すごーい。おもしろーい」
 日焼けした頬を緩めつつオヤジは自慢げに微笑み、節くれ立った皺くちゃの指で次から次へと新たなラクダを描いていく。たちまちガラス瓶の中に砂漠を行く隊商の列が出現した。
 左の台にはこれまでの作品が並べられている。茶色のグラデーションを重ねて夕陽を表現したもの、遺跡をモチーフとしたものなど、瓶の大きさも大中小、バリエーションに富んでいて見ているだけで楽しい。子供だましのようでいて、なかなかの芸術作品だ。
「これ、いくらすんの?」
「テンダラー」
「じゃ、こっちの大きめのは?」
「トゥエンティダラー」
 結構高い。ガラス瓶はところどころ口が欠けていてどうやら拾ったもののようだし、画材の砂は足元にいくらでもある。材料費がタダみたいなものだから、きっとボロ儲けだろう。旅の思い出としては悪くないが日本並みの価格はいかがなものか。それでもエキゾチシズムを駆り立てることは間違いなく、欧米系の旅行者が入れ替わり立ち替わり手に取って眺めている。
「ペトラのお土産屋さんはみんな許可証をもらって営業しています。安心ですよ」
 つまり政府公認の正規業者ということだ。確かに出店が少ない。少し離れたところにTシャツ屋、その先に織物屋と、一本道に沿ってぽつりぽつりと屋台がある。これだけ世界的にも有名な観光地なのだから、道の両側を埋め尽くすほど屋台が並んでいてもおかしくないのに、実際には指折り数えられるくらいしかいない。許可制ということは日本流に言えば護送船団行政だ。自由競争ではない。だから高いのだろうか。
 進むに連れて岩山が後退し視界が開けてきた。拡がった道の両脇に遺跡が点在し始める。
 アラビア半島の隊商路を支配し権勢を誇ったナバテア人だったが、度重なる攻撃を受け、紀元1世紀、ついにローマ帝国の軍門に下る。以来、街はローマ風に造り変えられることとなった。その残滓が昔日の栄光をわずかに伝えている。
 左手に円形劇場。中東の他の遺跡のものと比べてもかなり大きい。すり鉢状になった席の一番上まで登ると、ペトラの街が谷に沿って拡がっていることがよくわかる。対面の岩壁は王家の墓あるいは宮殿の墓と呼ばれる岩窟墓群。さらに進むと残り少ない円柱が列を成す石畳の大通りを経て凱旋門に至る。いずれの建造物もあまり装飾が施されておらず、切り出した石を素朴に積み重ねてある。見栄えよりも実利重視だ。ローマというよりナバテア人の建築様式に近いのかもしれない。周囲には古代の地震で倒壊した残骸が今も残り、「兵どもが夢の跡」だ。
 午前早くにエル・ハズネを見てしまい、その後は何をして過ごすのだろうと心配していたが、てんで杞憂だった。それどころか、腰を落ち着けて見ようと思うなら丸一日では足りないだろう。
 ペトラを評した有名な言葉があることは知っていたが、実際に訪れてみて初めてその意味するところがわかった。一度でもここを訪れた人ならきっと同感してくれるだろう。こんな言葉だ。
「Very Touristic, Very Expensive, But Nice!」
 

   
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茫漠のヨルダン
 

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