エルサレム・シンドローム〜Mt. Zion, Jerusalem
 
エルサレム・シンドローム
〜 Mt. Zion, Jerusalem
 

   シオンの丘に還ること。それは古来からユダヤ民族にとって最大にして唯一の望みだった。19世紀末に本格化したイスラエルへの帰還運動、いわゆる「シオニズム」の語源はここに由来する。「シオンよ。もし私が汝を忘れるならば、我が右の手を衰えさせよ」。バビロン捕囚から続く幾多の苦難の中で、人々は片時も自らの民族的故郷を忘れることはなかった。
 イスラエル滞在最終日、最後の訪問場所として僕はそのシオンの丘を選んだ。
 旧市街のメインゲートであるヤッフォ門をくぐり、アルメニア人地区を南に下って、第三次中東戦争時の弾痕が無数に残るシオン門を出たところ。黒い三角屋根のマリア永眠教会が建つその丘が、旧約聖書にも謳われたエルサレム発祥の地だった。
 正直に言うならば、そのとき僕はガッカリした。どんなに凄いところなのだろうとあれこれ想像を巡らしていたからだ。ところが実際に来てみると、エルサレムにあまたある他の丘とさして違いがない。なるほど教会はある。ダビデの墓と伝えられる石棺もイエスが最後の晩餐を過ごしたという部屋もある。だが、その程度の場所ならばエルサレムには数え切れないほどある。何しろ街全体が史跡の博物館のようなものなのだから。なぜシオンが特別なのか、なぜエルサレムの別名をシオンと呼ぶのか、これではまったくわからない。
 立っている僕たちを見つけたのか、赤茶けた顔の老人が近づいてきた。ここはアルメニア正教の教会なんだ、おまえさん方、アルメニアを知ってるか、知らないだろう、よしよし、ついてきなさい、わしが説明してあげよう。老人は教会の敷地をゆっくりと回りながらアルメニア民族の辿った数奇な歴史を説明してくれた。67年の戦争のときはこの教会にも銃弾が飛んできたんだ、見てみろ、この石棺は穴だらけだろう、ひでえことしやがったもんだ。最後には一緒に記念写真に収まられた上にガイド代もしっかり徴収されてしまった。
 それでもまあ、シオンの丘に立てたことで満足するとしよう。期待外れとはいえ、行ってみたい場所のひとつだったし。老人と別れ、新市街へと向かう坂道を下り始めた。
 そのとき、異変は起きた。
 脚から、太腿から、得体の知れない感覚が突然に湧き上がってきた。まるで細胞のひとつひとつが自ら意志を持ったかのように、ざわざわと勝手に動き出し始める。
 思わずその場に立ち止まった。確かめる。地震ではない。筋肉痛でもない。足の裏を通して何かが僕のからだに流れ込んでくる。そうとしか表現のしようがない不思議な感覚。地霊に呪縛されているかのようだ。でも、まさか。
「エルサレム・シンドロームという症状があるんですよ」
 何日か前、ガイドが話していたのを思い出した。
「エルサレムに着いた途端、それまで普通だった人が突然おかしくなっちゃうんです。大声で歌い出したり、狂ったように踊り出したり。一種の精神障害らしいんですが、あまりに発病者が多いので、ハダッサ病院にはそれ専門の診療科があるくらいです。聖地に来たという高揚が抑え切れなくなるんでしょうか」
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、それぞれの聖地が、城壁に囲まれたわずか1km四方の土地に集まるエルサレム。多くの人々がさまざまな言葉でこの街を形容してきた。そして今、僕にも確信を持って言えることがある。
 三大宗教が集まったから聖地になったのではない。逆だ。生まれついての聖地だったからこそ、この土地には三大宗教でさえもが否応なしに引き寄せられたのだ。
 この脚の感覚が証拠だ。エルサレム・シンドローム。僕はとうとう聖地に歓迎されたのだ。
 

   
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