歴史に「もし」があったなら〜Mukhraka
 
歴史に「もし」があったなら
〜 Mukhraka
 

   メギドを含むエズレル平原一帯は、肥沃な土壌と温暖な地中海性気候に恵まれて、イスラエル有数の穀倉地帯になっている。キブツやモシャブといったこの国独特の農業公社によって綺麗に区画整理された大規模な畑が、見渡すかぎりどこまでも拡がっている。カルメル山に登るとそのことがよくわかる。
 カルメル山はエズレル平原の北西に位置するなだらかな丘の連なりで、ローマ帝国時代にはカナン一帯を潤す水源として、遠くカイザリアまで引かれた導水橋の起点となっていた。葡萄栽培も盛んで、美しい水と相まった良質のワインの産地としても名高い。「カルメルワイン」と言えばこのあたりではちょっとしたプレミアムが付く。ちなみに「カルメル」とは「神の葡萄園」という意味だそうだ。
 ところで、カルメル山を語るのに忘れてはならない人物がひとりいる。旧約聖書の預言者エリヤだ。
 神話の時代、メソポタミアからエジプトにかけての地方は、宗教的には未だ混沌の状態にあった。土着的なものからいささか怪しげなものまで、さまざまな神が乱立し、人々はそれらをとっかえひっかえ信仰していた。不安定な精神状況は無秩序を生む。そして社会はますます混乱する。そうした中、自らが信じる唯一神ヤハウェの下に世を立て直そうとしたのがエリヤだった。
 果たしてエリヤは行く先々で異教徒たちを打ち破っていく。そしてここカルメル山で最大の敵バアルの神官たちと相対する。敵の総勢は450人、それに対するこちらは唯ひとり。普通なら絶体絶命のピンチだ。しかし彼が手にした杖を振り下ろすと天から火が降り注ぎ、一瞬にしてバアルの軍勢は全滅する。ヤハウェへの厚い信仰が奇跡的な加護をもたらしたのである。この出来事により、人々はエリヤを受け入れることとなりユダヤ教の基礎が確固としたものになっていく。
 と、まあここまではどんな宗教の黎明期にもありがちな英雄物語なのだが、ちょっと面白いことを考えてみよう。エリヤが「もし」敗れていたとしたら?
 実は、ユダヤ教の歴史においてエリヤの存在は非常にエポックメイキングな位置を占めている。彼がもしバアルとの戦いに敗北していたら、その時点でユダヤ教は潰えていたからだ。「天下分け目の合戦」とよく言うが、このカルメル山の戦いはまさにそれ。いや、それ以後の歴史を考えるとはるかに重い意味を持つ。文字通り「世界史を変える戦い」だったのだ。
 キリスト教もイスラム教も元はと言えばユダヤ教を母体として成立した。そして欧米や中東はもちろんのこと、中南米からアジア・アフリカに至るまで、これら二大宗教の影響を受けてこなかった文明もほとんどない。つまり、ユダヤ教がなければ世界の様相はまったく一変したものとなっていたはずなのだ。
 エズレル平原を見下ろすムフラカの高台に修道院がある。そこには故事に因んで杖を掲げたエリヤの銅像が建っている。なかなか大きなもので形相も険しく、近づいてみると威圧感がある。バアルの神官たちと相まみえたとき、自分の双肩にかかっているのが世界全体の未来であったことを、彼はどれだけ意識していたのだろうか。庭の片隅には聖書時代と同じようにレンズ豆の木が茂っていた。
 歴史に「もし」があったなら。ユダヤ人の迫害は、イスラエルの建国は、そしてパレスチナ紛争は、今のような形ではないにせよ、はたしてあり得たのだろうか。
 

   
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