世界最終戦争〜Megiddo
 
世界最終戦争
〜 Megiddo
 

  「全能なる神の大いなる日に戦いをするために、これらの霊はヘブライ語で『ハルマゲドン』というところに王たちを招集した」……ヨハネ黙示録。
 聖書を読んだことのない人でも「ハルマゲドン」という言葉には聞き覚えがあるだろう。この不気味な響きを持つ地名が実在するといったら驚くだろうか。
 子供の頃からノストラダムスをはじめとするいわゆる「終末もの」が好きだった。世界は本当に終わるのか。そうだとしたら、いつ、どこで、どのように? そのとき自分はどうなっているのだろう? 空想はどんどん膨らんでいき、やがて「ハルマゲドン」を訪れることは僕の中で人生の目標を構成するささやかなひとつのアイテムとなった。
 なだらかな丘をバスは行く。木はあまり生えていない。野生の草花が一面を埋め尽くしている。絵に描いたように牧歌的な風景だ。黙っていると眠くなる。やがて草原の中に白いものがぽつりぽつりと見え始め、しばらくするとおもむろにバスが停まった。綿帽子が風に揺れている。世界最終戦争の舞台は綿花畑の只中にあった。
 前方に見える日本の古墳にも似た小高い丘。これがハル。遺跡が何代にもわたって堆積した人工の丘だ。メギドにあるハルだから「ハル・メギド」。それが転じて「ハルマゲドン」になった。
 歴史の早い段階から開けていたこのあたりは、何千年にもわたって幾度も戦場になった。メソポタミアやアナトリアからの勢力とエジプトやアラビア半島からの勢力がちょうど対峙する地点だったのだ。聖書が書かれた時代には既に有名な古戦場だったというわけだ。
 ハル・メギドの麓から綿花畑を見下ろす。両側を低い山々に囲まれた平原は広すぎず狭すぎず、確かに戦場としては理想的な地形だ。肥沃で作物もよく育つから、奪うこと自体に価値がある土地でもあったろう。
「のどかですね」
「ホント、いいところですね」
「昼寝でもしたくなりますよね」
 ツアー仲間がバスから降りてくる。思い思いにからだを伸ばし、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。
「ここが世界最終戦争の舞台なんですよ」
 僕がそう言うと、みな口を開けてぽかんとしていた。無理もない。目の前に拡がる風景と口にした言葉との間にあるギャップがあまりに大きすぎて、僕自身でさえうまくバランスがとれない。イメージが噛み合わない。
 黙示録の頃、自動小銃はなかった。戦車もなかった。爆撃機やミサイルなど想像することすらできなかった。戦いとは人間同士のぶつかり合いであり、互いに倒すべき相手の顔が見えていた。馬に踏みつけられた綿花畑は一時的に荒廃するものの、翌年にはまた力強く芽を出したに違いない。そうした出来事は、長い時間の流れの中で何度も繰り返される大きな生態系のようなものだった。
 今ではそうはいかない。人類は核という決定的な兵器を既に手にしてしまっている。戦いの行き着く先が滅亡でしかないことを知ってしまっている。
 メギドが再び戦場となるとき、それは言葉の持つ真の意味における「最終戦争」になるのかもしれない。すなわち、勝利者のいない戦いに。
 

   
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