●古川謙三氏に聞く (後編)


●キャスコの解散

古川純一郎氏(右上)1991年、関西精機製作所の二代目に、長男の古川純一郎氏(左写真・右上)が就任された。
同志社大学・機械科を卒業。若い頃からキャスコの現場に触れてきた経験もあり(⇒7章/ザ・ドライバー撮影風景参照)、睦子さんには「僕は好きやったから、抵抗無く関西精機に入れた」と告げられたという。

古川(謙三)氏ご自身はかねてより「仕事は65歳くらいになったら引退したい」と、奥さんにもらしていたという。純一郎氏が名前だけでも残しておいてくれた方がラクだから、ということで社長業を続けておられたが、91年以前から、実質純一郎氏がキャスコの指揮をとっていた。

その頃になると、関西精機製作所は経営的に斜陽にさしかかっていたが、純一郎氏は貿易などにも熱心で、古川氏の意思を継ぎつつも、例えば氏が拒否したビデオゲームを取り入れようとしたり、新たな挑戦も視野に入れていた。
しかし、純一郎氏は平成5年、ご病気で逝去される。古川氏は関西精機製作所の解散を決意された。関西精機の転機、それはやはり「息子がなくなったことでしょうね」という。

「会社を辞めるときって大変なんですよ。(設備機器などを)捨てるのに何百万もかかるから。でもとにかく会社やめてもね、普通手形はそこで落ちなくなるんだけど・・・『うちの場合はよっぽど支払いがよかったんだろうなあ』、と、あなたおっしゃってましたよ。」(奥様)。

キャスコの健全経営は昔からとどろいていた。優良納税モデルとして区から何度も表彰を受けていたし、昭和46年には時の通産産業大臣(なんと宮沢喜一)より「輸出安定拡大」との栄誉まで受けている。さらに、昭和62年(1983年)には「京都風俗環境浄化協会」から、ゲーム会社としては異例の? 「健全娯楽を通じ青少年の健全育成と風俗環境浄化活動を積極的に推進した」という表彰までうけている。時、まさに8号風営法がとりざされていた時代、こんなゲーム会社、他にあっただろうか?
会社ロビーにて

●みんなが愛した企業

(株)キャスコ、関西精機といった暖簾(のれん)分け会社も今は無く、関西精機製作所というゲームメーカーは、我々ファミコン・プレステ世代とは縁薄い企業かもしれない。しかし、最近のクリエイターの意見としてこんな話もある。このインタビューで何度も出てきた「とらっとろーど」だが、その企画のきっかけは、最近ゲームは精細だが難しく、デパート屋上のドライブゲームを見直すことで、ゲームの面白さの原点が見つかるかもしれない、という点だった。その後の経緯はソフトの方で確認していただきたいのだが、地方で見つけた関西精機製作所のドライブゲームを置くオペレータが言う「最近のコンピュータ系のレースゲームでは高速すぎて子供があそべない。どうしてメーカーはこういうゲームをもっとつくってくれないんでしょうかね?」という言葉に、同じゲームに携わるものとしてずいぶんと考えさせられたという。

インタビューを行った水田氏、橋氏、資料として引用した記事、ソフト。諸氏一貫しているのは、やはり、関西精機製作所という会社は「素晴らしい会社だった」ということだ。水田氏は言う。「会社、その下請けもオペレーターもみんな潤った」。
橋氏は、キャスコが現在存在しないことをしきりに悔やまれていたが、現在経営されているフウキや富貴商会は、ある意味、関西精機製作所のその後を受け継いでいる会社とは言えまいか。そして、参考にした資料は、どれもリスペクトの念にあふれていた。どの声も、皆、関西精機製作所への愛に満ちていたのだ。
  そのことを告げると古川氏や奥様、睦子様は「へえー、それはありがたいことですねえ」と微笑んでおられた。

会社ロビーにて

 京都の静かな町並みの中、今、古川氏は奥様と二人で静かに暮らされている(睦子さんは、たまたまお正月ということで帰省されていた)。「あんま機なんて、今どれだけ巨大な市場になったか。パテントでもとっていたら・・・」などと水を向けても、 「カラオケでもバイクでもうまくいってたらよかったけど、非常に老後を平穏に暮らしておりますし満足しております」と微笑まれるばかり。
「そりゃ、テレビゲームなんかしていたら(今ごろ)大変ですよ(笑)。お父さんは技術者で。それこそノーベル賞の田中耕一さんじゃないけど静かにしておいてくれって。あの人もお金儲けも興味なさそうだし、そういうとこがあるよね。」と睦子様は言う。



 「そろそろ休憩にしましょうか。」静かで日当たりがよいお宅の庭先。ここでお茶をいただいていると心が休まっていくのがわかる。とらっとろーどのインタビューが、おもわず浪漫的なモノローグから始まってしまう理由はこんなとこにあるのだろう。
  古川氏と奥様、睦子様の話は実によどみが無く、それでいて心地よいハーモニーを奏でるような心地よさがあり、約束の時間ははあっという間にすぎてしまった。
 古川氏は今は普段は寝たり起きたりといった生活だが、それでも普通の生活には問題なく、時折大好きなバイオリンで、ご友人のピアノにあわせてクラシックの演奏を楽しまれるという。超お元気な奥様とともに、なんと昨年にはダイアモンド婚(結婚60周年!!)を迎えられた。
今でも時々運転されるというトヨタのコルサを横に見ながら古川氏宅を後にした。1月には珍しい小春日。正面の夕日がまた美しかった。

会社ロビーにて
 水田様、橋様、そして古川様にお話をうかがえて本当に良かった。関西精機製作所という企業の深いところを、次の世代に伝えられるチャンスをくださったみなさんに本当に感謝したい。こんな代えがたい経験をさせてもらった自分はなんてラッキーだったんだろうと、今、あらためて思う。
 加えて・・・、今回の取材、奥様方々の明るさ、キュートさといったらなかった。私の方が圧倒的に年下なくせに、何度笑顔をいただいたことか。(^^ この元気が陰から旦那さん方を支えたんだろうなあ。ほんとうに。


もう一章あります


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