杏ヶ岳から望む榛名中心部の山々(左端に榛名富士、奥に二ツ岳と相馬山、手前左から氷室山、天目山、三ツ峰山

スルス峠(磨墨峠)から三ツ峰山、天目山

11月下旬の三連休中日、朝食をすませた観光客が散策に出始める時刻だというのに伊香保バスターミナルは寒かった。温泉街からでも見えた子持山小野子三山が見送る中、榛名山の山上へと蛇行して上がっていくバスを水沢山二ツ岳が出迎える。水沢山山頂が目の高さになるともう火口原だが、ヤセオネ峠は止まらずに走り去る。乗客はみな普段着で、榛名富士ロープウェイ乗り場に行くのだろう。
沼の原でようやく一人降りた。かくいう自分である。かつて相馬山を越えてスルス岩の前を通り榛名湖畔に出たことがあったが、今日はスルス峠から主稜線に登って人の来なさそうな三ツ峰山を往復し、天目山を経て天神峠に出て榛名神社に下ろうと思っている。


停留所に一人立ってあたりを見渡せば、すぐ真上から見下ろすのは愚鈍にも思えるほどのっぺりとした榛名富士だ。冬枯れの草原の上には相馬山が異世界の生物じみた姿を晒している。『風の谷』の"王蟲"のようだ。
車道をしばらく歩いて沼ノ原散策路に入る。すぐそばを車が頻繁に走っており、まばらな立ち木の合間からその様子も見えるというのに、エンジン音は空に抜けていくのか静かなものだ。スルス峠はちょっとした裸地が広がっていて土留めの木の柵が埋められている。かつて水沢山から相馬山に縦走した折にはここにガラメキ温泉(跡地)へを示す標識が立っていたと思うのだが、朽ちて倒れたのか、無謀な冒険者を遠ざけるためか、今では見あたらない。
相馬山側に少し登ると東屋があり、峠越しにはスルス岩が重たそうなずんぐりとした姿を見せている。(スルス岩のスルスとは「磨臼(脱穀に使用した臼)」のことらしい。上下二つに分かれたもので、確かにスルス岩は磨臼によく似ている。掃部ヶ岳にある硯岩にひっかけてだろうか、この岩の名に「磨墨」と当てたのは風流心の持ち主だったかもと思うものの、実物に向かうといつも無理を感じるのである。)
スルス岩の手前に来てみると裏手に回り込む踏み跡があり、小さな標識があって”行人洞1分”とある。初めてこの岩の脇を歩いたときは夕暮れ間近で急いでいたため横目で通り過ぎたが、本日はまだ午前中で時間がある。のしかかる岩を仰ぐところに出てみるとまず目につくのは岩壁に白線で刻まれた仙人のような人物像で、近年のものかと思えるほど明瞭だ。手前には小さな岩窪があって石像が祀られている。ちょっとした雨であれば防げる程度の奥行きがあり、洞の名からして行者の住処だったのかとも思える。
磨墨岩上から岩上の石仏越しに榛名富士
スルス岩上から岩上の石仏越しに榛名富士
縦走路に戻って岩の前に出ると先ほど同様に標識があって上に登れると書いてある。途中に鉄梯子があるのが岩場らしく、半分面倒で半分嬉しい。時間は短くて済みそうだし、ここで素通りするといつまた来られるかわからないので登ってみることにした。上部はいくつかに分かれた岩峰で、より高いのは火口原から見て奥になる。沼ノ原に面した低い岩峰の上には石像が立ち、その背後には冬枯れの草原を足下にして榛名富士、烏帽子岳、蛇ヶ岳が大きく見える。右手彼方には上越国境の山々が真っ白だ。榛名富士の左手、寒そうに水を湛える榛名湖の上には掃部(かもん)ヶ岳、水際まで一直線にカルデラ壁を落とすのは氷室山と天目山だ。榛名の裾野方面を見やると、さきほどのスルス峠から下っていく谷筋が広々と見える。ガラメキ温泉跡地のあたりをつけ、そこまで続く峠道を想像してもみた。
磨墨岩上から榛名湖を取り巻く山々。左より天目山、奥にかすかに杏ヶ岳頂上部、手前に氷室山、再び奥に鷲の巣山、掃部ヶ岳、榛名富士の山腹
スルス岩上から榛名湖を取り巻く山々。左より天目山、奥にかすかに杏ヶ岳頂上部、手前に氷室山、再び奥に鷲の巣山、掃部ヶ岳、榛名富士の山腹。杏ヶ岳の上にうっすらと見えるのは浅間山(のはず)。
榛名湖はかつて伊香保沼と呼ばれていた(同じように榛名富士は伊香保富士と言われた)。手前は火口原の沼ノ原。右下の三叉路に沼の原バス停があり、左手前のサッカー場まで車道を歩いて散策路に入る。
立っている岩の表面には古びたリングボルトがいくつかあり、かつては岩登りのゲレンデだったのがうかがえる。岩のへりの向こうを見るとやや低い岩峰が屹立している。その岩壁がまた急峻なもので、いま自分が立っているところもこういうものなのだろうかと思うとかなり怖くなる。慎重に岩場を下り、足下の安心なところまで戻ってきたあたりで7~8人の中高年パーティが岩陰から姿を現すのが目に入った。下ってくる当方を見て女性二人が荷物を下ろし始め、他メンバーからの予定外行動だという抗議の声をものともせず登りだしてしまった。


足を止めた団体のなかから一匹の黒い犬が抜けだし、先行していった。この団体の誰かの飼い犬だろうか。引き綱を付けていてほしいものなのだが・・・。これを追うように自分も稜線を天目山方面に向かう。犬は団体がついて来ないものもお構いなしにどんどん歩いていくが、松之沢峠の手前で飼い主を待つのか立ち止まって山道にできた水たまりの水をすすりだした。首輪をしていることであるし、脇を通ってもこれといった反応がなく、かなり人慣れしている。
峠を越す車道を渡り、登り返して再び稜線に出る。木の板を差し渡したような階段が続くなかを登りきると道のりが分岐しており、標識があって三ツ峰山へは左へと案内している。立ち止まって案内を眺めていると、さきほどの犬が左手の斜面のなかを横切るように林のなかに消えていった。飼い主はどうしたのだろう・・・。
磨墨岩から同行の犬
スルス岩から同行の犬
主稜線に比べれば狭いが十分に明瞭な踏み跡を追う。なだらかな道のりはすぐに急な登りとなり、最高点のピークの肩に出る。左にすぐで山頂に着く。外輪山の外側を向いた石造の祠が訪れる人を待つだけの飾り気のないところで、防火帯の途中なのか切り開かれていて明るい。葉を落とした梢越しの展望しかないが好ましい雰囲気で、なにより人気のある縦走路のすぐそばにありながら静かなのがよい。ここでグランウンドシートを広げて昼食休憩とした。
三ツ峰山の名にある三っつの峰はどのピークを指すのだろう。最高点は当然含むものとして、最高点の南東にあるやや低いピーク、および最高点から南西に延びる稜線の端に高まるピークなのだろう。だが麓から見上げると後者と最高点をつなぐ稜線がよく目立ち、その間にある小さなコブ二つを挟んだ姿が均整がとれたものでじつに美しい。休憩後、この稜線を歩いてみようと小さなのを超えていく。防火帯が切られて薮に煩わされず歩きやすくはあるが、踏み跡はかなり薄い。
この稜線は歩かれていないようだが、端の大きなピークとの鞍部に来たところでその理由がわかった。岩場のわきを手がかりのない草原の斜面が急降下している。岩場はどうも越えられる感じではないので、縦走したければこの斜面を下るしかないのだが、防火帯だからか丁寧なことにもともと生えていた木々が根元から伐られていて、足を滑らせたらつかまるものがない。ここさえ越せばあとはなだらかな稜線なので進みたくもあったが、人の訪れのない場所で危険なまねはしたくなく、けっきょく引き返すことにした。驚いたことに、進むか退くかを考えている最中に、先ほどからの犬が林の中から姿を現し、この鞍部を越えていったのだった。こんなところを・・・。飼い犬だとしたら、飼い主の許容する自由度は高過ぎはしないか。


縦走路に戻ろうと狭い踏み跡をたどっていくと、なにかに尾行されている気配がする。思わず振り返ってみると、とにかく驚いたことに先ほどの犬が真後ろにいた。ひょっとして自分の後をついてきているのだろうか。食事休憩中は姿さえ見せなかったので食べ物がほしいわけでもなさそうだし、とはいえ歩いているとほとんど手が触れる近さを歩いていく。しかしこちらが立ち止まると5メートルは離れて立ち止まる。「おまえは何をしているの?飼い主はどこにいるの?」と話しかけてもこちらをちょっと見るだけで吠えもせず、歩き出すのを待っている。新しい飼い主を求めている捨て犬なのだろうか。濃い朱色の首輪は新しそうにみえるのだが、じつはすでに古びつつあるのか。
天目山を目指す
天目山を目指す
意図を図りかねつつ主稜線に戻った。時刻は夕暮れまでかなり間があるものの人の気配がしない。相馬山から天神峠へと歩く人は少ないか、途中で車道に下ってしまうのだろうか。榛名湖畔は観光客で騒がしいというのに山上は自分と妙な同行者だけのようにさえ思える。犬は後になり先になりついてくる。今は車道が越える七曲峠を過ぎ、山道脇の駐車場でも立ち止まることなく自分の臭跡を辿ってついてくる。このままだと情が移ってしまう。かわいそうだが、天目山への登り道を走ってくる姿を立ち止まって待ち受け、例によって離れて止まった姿に、「もう付いてきてはダメ!」と強く言う。そして少しのあいだ睨む。あいかわらず座ったままの姿に背を向け、再び登りだした。
三ツ峰山への登りもそうだったが、ここ天目山への登りも木の板が差し渡された階段道となっている。板と板の合間から以前の山道が垣間見えるところから、表土流出を抑えるために設置されたものなのだろう。しかしあまりに段数があってとてもくたびれる。歩幅や足を上げる高さにそれほどの無理はないが、同じ調子で何十段も登っていくとその単調さに飽きが来る。半ばほどから休み休みしつつようやく山頂に着く。途中の休憩時にも、山頂にも、あの犬は現れなかった。ようやくあきらめてくれたのだろうか。
天目山山頂
天目山山頂
天目山より三ツ峰山、左奥が最高点
天目山より三ツ峰山、左奥が最高点
天目山山頂は小広く開けていてベンチもあるが、あいかわらず人の姿がなく寂しいくらいだ。木々に邪魔されてさほどの展望はないものの、葉は落ち空気は澄んでいるので、さきほど歩いたばかりの三ツ峰山やその左手の相馬山、二ツ岳を木々の合間から透かし見られる。
隣の氷室山に登り返してみると、山名標識が立つ場所は最高点ではなくただの通路で、のんびり休憩できる場所ではない。山道を外れてヤブっぽいなかを南方へと進んでみたが、落ち着いて腰を下ろせる場所はないようだった。だが湯ノ沢峠を隔てて南方にそば立つ1,271m峰(旗矢岳)は素晴らしく形が佳く、いつか登ってみたいと思わせる。昨日歩いた鐘原ヶ岳(小鐘原ヶ岳)も枝越しに眺められてかなり満足できた。
氷室山より1,271m峰(旗矢岳)(左)、鐘原ヶ岳(小鐘原ヶ岳)(奥の山の左端)と地蔵岳(大鐘原ヶ岳)(奥の山の右端)
氷室山より1,271m峰(旗矢岳)(左)、鐘原ヶ岳(小鐘原ヶ岳)(奥の山の左端)と地蔵岳(大鐘原ヶ岳)(奥の山の右端)
榛名湖、烏帽子岳、榛名富士
榛名湖、烏帽子岳、榛名富士
氷室山から天神峠への下りは細く急で、ところどころ鉄製の手すりがあって助けになる。右手に大きく開けたところがあり、冷ややかに静まる榛名湖が一望の下に見渡せる。その上に立つ榛名富士や烏帽子山をそれぞれの足元から眺めるのも今回の山行ではこれが最後になるだろう。
曲がりくねったヤセ尾根を下ると未舗装の駐車場のような広場に出た。下っていく車道があり、おそらく天神峠に向かうのだろう。ここでもあの犬は姿を現さなかった。いまごろは縦走路を戻っていっているかもしれないし、ひょっとしたら榛名湖畔あたりに飼い主がいて、その家目指して車道を下っていっているかもしれない。元気そうな犬だったので、そう心配しなくてよいだろう。


車道とは反対側に榛名神社への標識があり、わりとよく踏まれた踏み跡が始まっている。下りだしてすぐに水音がさかんにし始める。轟々と流れている水の出元を見ると山腹に穿たれた水門だった。芦ノ湖の深良水門のように、ここ榛名湖でも本来の流出元とは別な方向に導水路を設けたのだろう。流れの音を道連れに、ときにナメ滝となったり連瀑となったりする水流を横目に山道を下る。一箇所、斜面に付けられた道筋が崩れて消えてしまっているところがあり、設置されたロープを掴んで滑り落ちないように通過するところがあったが、それ以外は概して歩きやすいものだった。往時は榛名神社から湖畔に出るための道筋としてよく使われたものらしく、その名残の丁目石が路傍に一本佇立していた。表面には二十二丁目と刻まれている。前後のものはどうなったのだろうかと思う。
二十二丁目と刻まれた丁目石
丁目石
ときおり右手上の車道から響く車の音を聞きながら下っていくと、沢近くの山道は砂防堰堤に溜まった土砂の脇を行くようになる。不意に標識が現れて対岸を指し、天目山へと告げている。立ち止まって対岸に目を凝らすものの、岸辺すぐからちょっとした岩壁が立ち上がっているのが目立つくらいで道筋は判然としない。どういう意味で立てたものなのだろうと思いつつ堰堤の縁に出ると、これがまた巨大で、よく見るセメント造りではない石積みのものであることに気づく。急角度に落ちるダム斜面は細かい凹凸があり、長年風雨にさらされたせいか苔に覆われたような色合いになっている。それまで穏やかにせせらいでいた流れは滝となり噴霧となって遥か下の河原に降り注ぐ。
飛沫を脇に眺めながら下って見上げれば、改めてその大きさと環境との統一感に驚く。周囲と調和しない好ましくない外見のが多いがこれは例外の一つで、十分に見る価値がある。後で知ったが国登録有形文化財に指定された榛名川上流砂防堰堤(昭和30年竣工)というものだそうだ。
榛名川上流砂防堰堤
榛名川上流砂防堰堤
巨大な壁にばかり気を取られていたが、夕暮れ迫る空に目をやると、堰堤の落ち口の上に岩の柱があるのに気づく。九折岩と書いて"つづらいわ"と読ませるものだろう。葛籠(つづら)が積み重なったように見えるので葛籠岩と呼ばれるようになったと明治期のガイドにはあるが、現代での漢字表記は見た目を表現した当て字が使われているようだ。すると先ほどの天目山を示す道標も合点がいった。地図によればあのあたりから天目山と1,271m峰の鞍部にある湯ノ沢峠へと通ずる山道が派生しており、それを示すものだった。いつかその道筋も探ってみたいものだ。
九折(つづら)岩
九折(つづら)岩
足下は遊歩道となり、榛名神社はすぐだった。日は傾いて谷間に差し込む光はすでになく、遊山の人影もまばらになってきているころあいだったが、音に聞こえた古社を見ずに済ますのはもったいない。あたりには妙義山の山中かと見まごうほど巨大な岩塔岩壁が屹立している。幽明境となりつつある境内を散策すべくただの一観光客へと相成った。ひととおり見回って、昨日と同じ停留所から高崎行きバスに乗り込む頃には、日はすっかり落ちていた。


しかしいまでも山中で出会った犬のことは気になる。単独行者の安全のためについてきてくれていたとしたら、よくない別れ方をしたことになる。もう一度会いに行って真意を確かめたいものだと思う。たとえ再会できたとしても、不可能だろうけれど。
2007/11/24

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