二ツ岳(左から雌岳、雄岳)、左奧は相馬山二ツ岳

一泊二日であまり気張らない山行をしたいときに近頃まず考えるのが、高崎に泊まって翌日に榛名山や吾妻の山々あたりを歩くというアイディアである。ほんとうは初日から山のなかに浸りたいところだが、仕事でくたびれているときは心身ともに無理はできず、都会の便利さを享受するシナリオのほうを選ぶ。東京から上越新幹線に乗り込み、車内販売のコーヒーなど優雅に(紙コップで)飲みつつ着く街は、すでに夕暮れの気配が漂っている。宿に荷物を置いて外へ出ればすぐさま異邦人気分となり、慌しかった気分もすっかり改まって、翌朝歩きに出るときはいやなことはみな忘れている。
ここで書こうとしている山行は二泊三日の最終日のことで、中日の昨日は子持山を歩いたのだが、久しぶりの長時間歩行だったためあちこちの筋肉が痛い。明日からまた忙しい毎日なので疲れを引きずりたくなく、最後は比較的楽なコースをと、榛名山の一峰である二ツ岳を周遊して帰ることにした。
伊香保温泉の裏手からロープウェイで上がって森林公園を通り抜け、相馬山と二ツ岳の間にあるオンマ谷を縦断してから登りだす。雄岳・雌岳の二つのピークを踏み、これらの鞍部から下って車道をたどり、ロープウェイ乗り場に戻った。楽な、とは思ったものの5時間はかかるコースで、しかも山中では一日中冷たい風が吹きすさんでいたため、散歩気分というものではなかった。それでも芽吹きの遅い山の中は人影も少なく、明るい寂寥感のなかを静かに歩くことができた。


二ツ岳は標高はともかく小さい山なので、これだけを歩こうとしたら手ごたえは期待できない。それでオンマ谷も併せて歩いたのだが、この谷の中を行くルート、じつは地元観光協会により通過が禁止されていた。相馬山からの落石が懸念されるというのがその理由だそうだが、見たところ山道にまで新たに転がり落ちてきたものはなかった。観光地となるといろいろな人が来るものだろうから、少々過剰反応気味のように思える措置を採るのもやむをえないかもしれない。(それでも歩いてきたわけだが。)
このオンマ谷、四周を山に囲まれた陥没谷だが、相馬山山腹に開いた爆裂火口の跡らしい。そこに後から二ツ岳が噴出して凹地になったと思える。この谷底から眺める相馬山は崩壊しつつある断崖を仰ぎ見させてくれて、ここが榛名山だとはとても思えない迫力だ。谷のなかほどには苔むした大岩があちこちにごろごろしている。二ツ岳から転がり出てきたらしい一群もあった。
そこを過ぎれば「まゆみの原」と呼ばれる平坦地で、足元が定まって一息つける。葉が茂れば小鳥たちの集う優しげな雰囲気となるのだろうが、枯れ草のうえへ仰向けに寝転がって冬枯れの木立越しに断崖を見上げるのも、また楽しいものだ。昨日の降雪がいくつもの縦筋となって黒い急崖にアクセントをつけている。目に入るものはみな厳しく寂しげだが、冬の名残の寒風は稜線を吹き越していくばかりで谷底には至らず、ひとりきりのハイカーを脅かすこともない。風も人の訪れもなく静寂が隅々に満ちている。寒々とした季節のおかげだろうが、大観光地のさなかの貴重な場所だ。やや長居をして、儚い贅沢感を味わう。
まゆみの原
まゆみの原
谷を抜けて雄岳へ登れば、山頂部はアンテナ施設がいくつか建っている雑然とした場所だった。ときおり強い風が吹く。狭いながら地形は複雑で、小さいながら火口のような窪地もある。最高点らしきところには社や石碑が狭い場所にひしめいてこれまたすっきりしないが、隣の岩峰に登り返してみると、先ほどは見えにくかった相馬山が眼前にそそり立っていてじつに見事である。どこの高峰かと思える姿だ。右手には榛名富士を中心に火口原の穏やかな光景が広がり、左手には関東平野。茫漠とした空間に楔を打ち込むように突き立っているのは水沢山だ。さらに左手かなたには赤城山が霞んでいる。


朝のうちは天気がよかったのだが、だんだんと雲が広がり始めてきた。風は相変わらず冷たく強い。驚いたことに雪までちらついた。湯を沸かしてお汁粉を作って飲み、もう少し展望を楽しんでいたい気持ちを振り切って雄岳を辞した。人工物がないという点では好ましい雌岳に立ち寄ってから、急な山道を森林公園管理棟に向かって下っていった。
二ツ岳・雄岳山頂から相馬山
雄岳から相馬山
二ツ岳は伊香保温泉から仰ぐ雪景色が古来有名だという。眺めるだけの冬はともかく、夏場には湯治の合間に頂を目指す者もいただろう。中腹にある風穴で涼を取る客も珍しくなかったらしい。風穴とは一年を通して温度の低い風を吹き出す岩の隙間のことで、この山には何箇所かある。そのなかでもワシの巣風穴と呼ばれるものは温泉宿の貯蔵室代わりに使われていたそうで、現在でも頑丈そうな石組み跡が残っている。暑い季節には白い冷気があたり一面に漂うそうだが、今日は風穴の風より外界の気温のほうが低いのか、岩の隙間に手を差し伸べてもそよとも感じなかった。季節を変えて出直してくる楽しみが残ったということだろう。
2002/3/24

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