烏帽子ヶ岳(右)と鬢髪山
10月の連休に赤城山を集中的に登ろうと前橋に連泊したが、二日目の天気がすぐれず、山は中止して榛名山麓の美術館に出かけた。ひととおり見回った昼過ぎ、天気が回復してきたので、せっかくだから榛名の山に登ることにした。さて何に登るか考えるに、多少歩きでのあるところでは鬢櫛(びんぐし)山を登り残している。隣に立つ烏帽子ヶ岳はかつて連れと登ったものだが、その再訪と併せて二山を周遊することにした。


榛名温泉近くに車を置いて歩き出す。すぐそこに烏帽子ヶ岳が立ち上がっていて見上げれば迫力が申し分ない。温泉近くの登山口はかつてと同様に赤い鳥居が並ぶ。新しめな掲額には「加護丸稲荷大明神」とあり、この先でお狐様が祀られていることを教えている。三つほどある鳥居を抜けていくと正面に小さな社が佇んでおり、陶製の白いミニチュア狐が多数奉納されている。かつて山頂直下にある岩窟で見たのと同じものだ。険しい山道を登るのが難しくなった人たちはここでお参りして願をかけるのだろう。
迫力ある姿だがよく見るとかわいい
”狛狐”の一体。迫力ある姿だがよく見るとかわいい
おびるり様の岩窟
おびるり様の岩窟、鳥居から大きな鐘や鈴が下がる
ゆるやかな道のりをしばしで森の中の稜線に出る。左に行けば鬢櫛山、ここはまず右へ、烏帽子ヶ岳へと向かう。すぐに狛犬ならぬ狛狐がお出迎えだ。生気ある姿に驚かされるが二体とも健在で何より、通りますよと心の中で挨拶してあいだを抜ける。道のりは早々に勾配がきつくなり、登山道脇に打たれた杭と張られたロープが目に入る。前回来たときはなかった気がするが、記憶が定かでない。
山頂直下の岩窟、”おびるり様”と呼ばれる場所は、昨今は手入れされていないのか、奉納品の小振りの陶器キツネは壊れ放題で、岩窟前の鳥居も傾き気味。足を踏み入れるのを躊躇させる荒れ具合で、怨念めいたものが漂っているのではと思えるほどだ。足を止めずに登り続ける。
岩場を越え、笹が現れると山道の勾配が緩んだ。木々の間が広がり、笹原となったなかに伸びる踏み跡を追うと、小さく切り拓かれた山頂に着いた。
まずは初訪時と同じく榛名湖を見下ろしに行く。踏み跡をなおも追い、急崖が落ち込む手前で梢越しに火口原の上を眺める。目の前に端正な榛名富士が大きく、その足下に榛名湖が窺える。前回は日没前だったので湖畔の明かりばかりが目立った。この日はまだ明るいので湖面が近い。彼方には相馬山が鋭く、アンテナ施設を載せた二ツ岳が重々しい。それぞれが個性的な榛名の山々はいつ見ても愉しい。
笹原の烏帽子ヶ岳山頂
笹原の烏帽子ヶ岳山頂
山頂から二ツ岳(左)、相馬山
山頂から二ツ岳(左)、相馬山
登山口と同様に、山頂にも新たな標識が立てられていた。崖上からその標識の前に戻り、腰を下ろす。湯を湧かしてコーヒーを淹れた。すぐ下に大観光地があるというのに誰も来ない。すでに午後も遅くなってきているからか、午前中のうちは雨模様の天候だったからか、理由は何にせよ静かな山に浸れるのは喜ばしい。こじんまりとした草原の縁に立つ木々を眺めながら、熱いものを飲む。


足を伸ばして静けさに浸っていると、空は青いものの、風がいきなり出てきた。笹原の奥で脅かすような音を立てて木が揺れる。昨夜から昼まで続いた下降気味の天候があとを引いているのだろうか。風に吹かれすぎて冷える前に歩行を再開することにする。
登りでは少々苦労した山道をあっけなく下り、稜線に乗ったところに戻る。そのまま稜線を直進し、予定通り鬢櫛山に向かう。木の幹に取り付けてある案内があり、目的の山頂まで30分、後半は急坂、とあった。
平坦路は10分も続かず、すぐ急登が始まる。それでも烏帽子ヶ岳と違って岩が出ていないだけ楽だ。山頂らしきが踏み跡の先に見上げられ、もう終点か、楽な山だなと思ったら早合点で、ただの肩だった。左手に植林の暗い影を見送って乗った尾根では岩も出てくる。こうなると烏帽子ヶ岳と同じだ。違うのは岩がなくなっても登りが続いたことだろう。
周囲はあいかわらず樹木が茂って眺望はないものの、始まりつつある秋の彩りに気分はよい。紅葉の盛りは一週間先と湖畔の土産物屋で教えてもらったが、めったに来られない山であれば色づき始めでもありがたい。植林でない森が広がっているのはそれだけで嬉しい。
鬢髪山へ向かう
鬢櫛山へ向かう
鬢髪山より榛名富士と榛名湖を透かし見る
鬢櫛山より榛名富士と榛名湖を透かし見る
烏帽子ヶ岳と同じく笹原のなかを行くようになると山頂に着いた。ここも木々に囲まれて眺望はなく、枝の合間からいくつかのピークが窺える程度だ。山頂をうろうろ歩き回ると、葉群の隙間から先ほど頂を踏んだ山や、なおいっそう鋭角的な佇まいとなった相馬山が顔を出す。葉が落ちればもっと見応えのある眺望になるのだろう。鬢櫛山頂も風が強く、日も傾いてきたのでかなり寒い。まだ9月下旬の低山ではあるが、長袖シャツだけでは足りず山用ベストを着込んだ。
烏帽子ヶ岳で半時ほど休憩していたので長くは休まず下ることにした。当初は往路を戻ろうと思っていたが、稜線を先に進む踏み跡があり、先はともかく見える範囲では快適そうだ。ガイドマップでも実践表記されていたので、こちらを辿ってみることにした。


初めのうちは笹原のなかに木々が立つ心地良い道のりが続く。笹で隠れ気味だが足は楽に出せ、歩行に支障はない。だが小さな岩のコブを越えたあたりから様相が一変し、尾根は痩せ、踏み跡は怪しくなる。本当にここまま稜線沿いに下ってよいのか不安になる。地図では途中で左の山腹にルートが下っていくので、分岐を見落として稜線を行き過ぎたりしないよう、足下に注意しながら進んでいく。風の音は相変わらず騒がしい。梢の合間からときおり差し込む日差しが慰めだ。
ようやく踏み跡が稜線を外すところに着いた。とくに標識はないが、踏み跡が明瞭であり、かつ直進しようとすると細木の束を渡した進入禁止サインをまたいでいくことになる。また、正しいルートの先にはエンジン音の響く車道があることからもわかる。ともあれここまで間違ったコースを歩いていたわけではないとわかって一安心だ。
色づく木々
色づく木々
鬢髪山西方稜線を辿る
鬢櫛山西方稜線を辿る
安心したついでに、進入禁止サインをまたいで稜線の先まで少しばかり進んでみる。左手に小広く開けた場所があり、径を外れて出てみると正面に掃部ヶ岳が逆光に大きい。足下は相当な傾斜で峠らしきところに下っていく。エンジン音が聞こえてきて車道が越えているとわかる。再び榛名最高峰を見上げて満足し、往路を戻る。
下降地点に達して一安心したものの、実際には稜線を離れてからも気苦労がたまるものだった。下り出しで目にする車道は、脇をかすめるだけで出るわけではない。それでも、もうあとは楽な行程ではと思ったのがそうはいかず、山腹道を歩いているような状況ながら、笹や藪が腿や腰まで覆うことが一度ならずあり、夏に通らずによかったと何度も思わせられた。
ようやく榛名湖畔を巡る車道に出ると、山の上で強かった風はここでも強く、小さいものの波が繰り返し押し寄せていた。まだ明るいが夕方の雰囲気はそこここに漂う。榛名富士の背後に立つ小山に日が当たっていたのが、次に眺めてみると、すべて日陰になっていた。寒々しくなる一方の湖を右手に眺めながら車道を行き、車を置いたところまで戻った。
夕暮れ近くの榛名湖と榛名富士
夕暮れ近くの榛名湖と榛名富士


車での帰路の途中、暮れゆく湖をいま一度眺めようと、榛名ビジターセンター前でいったん車を停めた。駐車場から湖面を眺めていると、黒っぽい犬が一匹、湖畔の車道をとことこと歩いているのが目に入る。あれ、まさか。いや、もしや。車外に出て追いかけた。犬はどんどん離れていく。
呆然と見送っていると、なぜか犬は途中で引き返してきた。見慣れた赤い首輪。毛並みの色合いも同じ。あの犬に違いない。かつてスルス岩から天目山までつかず離れず同行していた犬。近寄ってきて脇を通りしなに、やぁ、と声をかけてみたが、視線は向けてきたものの足取りは変えずに通り過ぎていった。当時もまとわりつきながら決して手の届く範囲に来なかった。ともあれ元気そうで良かった。
元気そうで何より
元気そうで何より
車に戻ると、同じようにしばらく前から犬を眺めていた青年が代わりに犬を追っていた。ただの犬好きの人だったかもしれないが、自分と同じような経験をしていたのかもしれない。犬はその彼にも頓着せず、どこに向かうのか、変わらない歩調で去っていった。
2015/10/11

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