地蔵岳(大鐘原ヶ岳)北の地蔵峠下方より杏ヶ岳(左)および鷲ノ巣山を望む

杏ヶ岳(李ヶ嶽)

多くの峰を数える榛名山群だが、名の知られた山としては杏ヶ岳(すももがたけ、すもうがたけ、すもんがたけ)がその西端となるのだろう。この山単独のガイドは少なく、榛名湖畔から掃部(かもん)ヶ岳を登って杖ノ神峠に出て山頂往復、というものが多いようだ。往路を戻らずおおむね南方に伸びる尾根筋を下ると交通の便が悪く、踏み跡も薄く、なにより長いのが敬遠されるのだろう。だがそれは当然静かだということであり、落ち着いて山に浸れるはずだ。ただやはり時間はかかりそうなので、頂を踏んだことのある掃部ヶ岳は時間節約のため割愛し、榛名神社上の天神峠までバスで出て林道を杖ノ神峠に向かうことにした。


紅葉の季節が終わったせいか、天神峠からの杖ノ神林道は車はほとんど通らず落ち着いて歩けた。掃部ヶ岳南方の山腹を巻く道筋はゆるやかに屈曲し、見上げれば掃部ヶ岳山頂部が仰げるようになる。左手が開けてくれば逆光のなかに榛名山南部の山々が峰を連ねる。なかでもほっそりとした三角錐の鋭峰が目を惹く。背後の鐘原ヶ岳(小鐘原ヶ岳)を隠した地蔵岳(大鐘原ヶ岳)だった。
小林泰彦氏の『日本百低山』によれば、1995年時点では林道は峠で行き止まりになっていたらしい。いまでは榛名湖と西麓の権田とが結ばれており、ハイカーの車やツーリングのバイクが上がってくる。かつては風情のある峠だったようだが、すでに長居をするようなところではなく、すぐに左手、杏ヶ岳へと続く山道に入る。
杖の神林道より掃部ヶ岳山頂部を仰ぐ 鷲ノ巣山山頂
ところどころ岩の出た道筋
(左上) 杖ノ神林道より掃部ヶ岳山頂部を仰ぐ

(上) 鷲ノ巣山山頂

(左) 岩の出た道筋
細いながらも明瞭な山道でまず越えるべきは鷹ノ巣山で、東面は絶壁だ。葉の落ちた木の間越しに展望はよいのだが足下が気になってそうそう眺めに浸っていられない。真新しい標識が現れると本日最初の山頂で、眺めはないが灌木の林なので明るい。
ところどころ岩の出た尾根道をさらに行けば落ち葉の足下が乾いた音を立てる。午後近くなのに冬近いせいで光は低い。木々の影をまたぎながらしばしで二つに分かれた山頂の手前側のものに着く。石の祠が一つあり、高崎市街方面を向いている。山頂はすぐそこに見える。
ゆるやかに下って登ると杏ヶ岳山頂で、予想外の展望地だ。杖ノ神林道で見た榛名の山並みが高度感をもって眺められる。氷室岳、天目山、三ツ峰山と重なる右手に1,271m峰(旗矢岳)がずんぐりとした姿を見せる。さらに地蔵岳(大鐘原ヶ岳)から鐘原ヶ岳(小鐘原ヶ岳)、平坦な天狗山西峰へと稜線が伸び、その手前に鏡台山が低くわだかまる。天目山あたりに視線を戻せば、奥に榛名富士、相馬山二ツ岳も並んでいる。榛名山はわかっているだけで二度のカルデラ形成があったようだが、それにしてもこの複雑さは幻惑させられる。個々の山の生成因を推測しつつ眺めていると意外なほど早く時が過ぎる。
杏ヶ岳から北東より南東にかけての展望
杏ヶ岳から北東より南東にかけての展望。
左より、榛名富士、後方に二ツ岳と相馬山、手前に岩壁の目立つ氷室山、天目茶碗の天目山、馬の鞍のような三ツ峰山、山体の大きな1,271m峰(旗矢岳)、地蔵岳(大鐘原ヶ岳)・山水岳(<-地元標識による)・鐘原ヶ岳(小鐘原ヶ岳)の三ツコブ、天狗山西峰。西峰の手前は鏡台山。
山頂からは往路を戻らず予定通り先に進む。おおむね南へ、味噌玉岩(岳)へと続く道筋は踏み跡が定かでないが、それでも稜線の上を辿っているうちは問題がない。人の手が感じられない山稜は自分一人だけの山という雰囲気で、光が横溢した林のなかは暖かさが充満している。山頂から東に向かうのが南に向きを変えるあたりで尾根はやや平坦となり、腰を下ろせと誘ってくる。無駄な抵抗はせず、散り積もった落ち葉の上にグラウンドシートを広げて食事休憩とした。ここまで来る人は誰もいない。枝越しとはいえ榛名の山々を仰ぎ眺めながら静かにコーヒーを飲むことができるのは格別だ。
午も過ぎて再び歩き始める。入り組んだ灌木が取り囲む中、矮性のササのなかにしっかりとした踏み跡が続く。稜線が心持ち幅広になってくると前方に横広がりの岩場が見えてくる。テープがあってその岩の上に導いてくるのにつられて登ってみると、広々とした空間が開けた。真正面に地蔵岳(大鐘原ヶ岳)と鐘原ヶ岳(小鐘原ヶ岳)が天狗山を従えて谷間からそびえ立っている。杏ヶ岳からの展望には広さの点で劣るとも、山が大きく見える点では優っている。ここまで来た甲斐があるというものだ。
山行後に参照した藤本・田代両氏の『続・展望の山旅』によると味噌玉岩は名の通りに丸い大岩らしいので、これは地図上の1,047m標点付近にある岩場だったのかもしれない(*1)。これを左手に見ながら幅広の山道を進むうちに稜線から北方向に離れていき、そのまますっかり尾根筋を外してしまった。歩いている道にしても、道筋が明瞭なのはよいのだが、道の真ん中にまでイバラが繁茂してきていて進むのに苦労する。いったん枝の絡まった中に入ってしまうと戻るのも億劫なので気分的に前進せざるを得ず、どうも25,000分の1地図にある点線の山道とは異なるようだと思った頃には引き返すのがイヤになるところまで来てしまっていた。
味噌玉岩の東北東にあると思われる岩場 その岩場から眺める地蔵岳(大鐘原ヶ岳)から天狗山西峰への稜線
杏ヶ岳を下って初めて出会う岩場(*1)。杏ヶ岳からの踏み跡はこれを左手に眺めながら稜線を外していく。 左の写真にある岩場の上から眺める地蔵岳(大鐘原ヶ岳)から天狗山西峰への稜線。写真中央にある尾根の分岐が鏡台山北峰。その奥の平頂が鏡台山南峰。手前の谷間は榛名川で上流の榛名神社に続く。
稜線から始まったものを辿っているので、山奥に向かうのではなく車道に向かっていると信じて進んでいくと、40分くらいでバラヤブのなさそうな林道が合流してくるところに出た。傍らには「水源かん養保安林/平成九年度 第八号」の白い標識が立っている。右手へ、歩きやすい林道に歩を進めると正面に杏ヶ岳らしい山が仰げる。谷筋に突き当たって左にカーブしてすぐで、今度はガードレールも設置された林道に出た。ザックを降ろして休憩していると右手から四輪駆動がゆっくりやってきて砂利を踏みしめつつ去っていった。


もうヤブ道は歩きたくなかったので、林道をバス停のあるところまで行くことにした。左に行けばさわらび学園を経てバス停に出られるが、天神峠から榛名神社を経て下ってくるのを待つこの停留所のまわりには文字通り何もない。もし1時間も待たされるようであれば間が持たない。むしろ、やや長くはなるが、林道を右に行ってさらに大きな道路に出て、響の森ゴルフ場というのを回り込んで榛名山のすそ野を下り、烏川に沿って走る車道に出たほうがよいだろう。高崎から浅間隠山肩の二度上峠へと通じる道であり、途中の権田というところからバスも走っている。往来も多いはずなのでうまくいけば食堂なり食料品店なりがあるところに出られるはずだ。
まずは目の前の砂利舗装の林道を歩き出す。右手の上空に杏ヶ岳方面の稜線が晩秋の光を受けて明るく輝いている。あとで林道杏ヶ岳線とわかったこの道は、杏ヶ岳を見上げるところにちょっとした広場が設けられていて、立派な鳥居が立っている。掲げられた額には「李ヶ嶽」とある。ご神体は杏ヶ岳そのものであり、じつはこの広場は杏ヶ岳の遙拝所でもあるらしい。片隅には標柱があって”風樹の森”と刻まれており、裏には権田生産森林組合とある。権田の人たちにとって杏ヶ岳は恵みの山なのだろう。
”風樹の森”より李ヶ嶽(杏ヶ岳)を望む
”風樹の森”より李ヶ嶽(杏ヶ岳)を望む
舗装車道に出て、ゴルフ場の脇にある細い脇道を下っていくと、小高という集落に着いた。そこからバス停のある県道406号線まではすぐだった。バスが来るまで40分くらいあり、停留所近くの食料品店で酒とつまみを買い込んで集落内の集会所に移動し、軒先を借りて一人で打ち上げの宴会とした(隣のバス停まで行けば料理屋もあったのだが、それほどの時間的余裕はなかった)。今でこそ県道の往来が激しいが、昔は一本裏に入った細い通りが本通りだったらしく、文字通り”ハイカラ”だったのだろう写真スタジオの建物が立っていたりする。近くには双体道祖神の石仏が他の石碑石像とともに集められ、役目を終えた日々をひっそりと過ごしていた。


”杏ヶ岳”の山名だが、漢字変換する場合は「あんず」と入力して”杏”の字を出さなくてはならない。山名は割れた山頂部がスモモのように見えることから付けられたらしく、もともとは”風樹の森”にあった鳥居の額のように”李(ヶ)嶽”と書かれていたようだ。アンズとスモモを同じとするのは乱暴な話なので、当て字に固守することなく正しい字に戻したほうがよいのではと思う。そのうち”あんずがたけ”という読みが大勢を占めることにもなりかねない。誤読が既成事実化する例は少なくない。自分でも、何度も変換を繰り返すうちに「あんずがたけ」と心の中で呼び始めているのに気づくことしばしだった。
2007/11/25


*1 やはり味噌玉岩なのかもしれない。大きく見れば全体に丸いし...(.2008/01/11))

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