榛名山ロープウェイ上ノ山公園駅から子持山。左手下は伊香保温泉子持山

かなり昔、まだ山歩きを始めていないころ、家族旅行で榛名山に遊び、火口原に突き出す榛名富士にロープウェイで登った。目の前に悠々と裾野を広げて誰にでもわかる赤城山を得意になって両親に教えていると、脇にいた見知らぬお年寄りの方から、その手前にあるすっきりとした三角形の山の名を訊かれ、わからなくて言葉に窮した。それが子持山だった。
小さいながらも風格のある独立峰で、赤城榛名の二大山岳に挟まれていなければもっと知名度も上がっていたことだろう。高崎方面から見れば背のわりに長い裾野を引いて、その右手途中に小さな高まりを見せる。これが「子」にあたるのだろうか、遠望すれば優しげな姿なのだが、実際に山の中に入ってみるとあちこちに火山の名残の岩場が点在し、内に秘めた荒々しさに驚かされるのだった。


前泊した高崎のホテルのカーテンを開けて朝の空を眺めると、重たい雲が一面に広がっていて日の射す隙間もなかった。ざわめきだした街中は昨夜に雨が降った痕跡がそこここに残っている。登山口となる渋川駅に向かう電車の窓からは、いつもだと見える榛名山も赤城山も行方知れずで、これから登ろうとする子持山も同様だった。文字通り皆して雲隠れしている。
林道のかなり奧までタクシーで入る。いわゆる七号橋の登山口では予想外の出迎えがある。屏風岩だ。厚さ三〜四メートル、高さは約六十メートルあるという見上げる大きさの一枚岩で、最初は巨大な塔のように見え、圧倒されつつも「なぜこれが屏風なんだ」ととまどいもする。だが登山道に入ってその下を歩くと岩壁が長々と続いて、「なるほどこれは屏風らしい」とわかる。「火山岩脈」というらしいが、溶岩が岩と岩の狭い隙間に入り込んで固まったというところだろうか。
下部にはやや窪んでいるところがあり、その手前に「役行者の像」を案内する標柱が立っている。岩壁上の線刻とばかり思いこみ、岩肌に目を凝らしてはみたものの見分けることができず、「きっと風化して消えてしまったのだろう」と立ち去った。実は腰高くらいの石像が慌て者のハイカーの足元にひっそりと鎮座されていたらしい。傍らにある鳥居の奥にあったのだろうが、そのときは何も目に留まらなかった。今から思えば、巨大な岩に気持ちが吸い寄せられてしまって心ここにあらず、という状態だったようだ。
屏風岩基部。左下に役行者の線刻がある(らしい)。
屏風岩基部。おそらく鳥居の奥に役行者の石像がある(と思う)
天気はいよいよ悪く、山中にはガスが漂っている。ときおり雨粒も落ちるので雨具を着込んでいるが暑くて仕方ない。しかし気温は低い。春先だというのに梅雨時のような状態だ。道は湿っていて滑りやすく、快適とは言い難い歩行になっている。
岩壁の麓を過ぎたところで道が分かれており、左に行くと屏風岩、と標識が教えている。なんだか急いでもしかたのない気がしてきたし、いつものようにこの機会を逃すときっと何年ものあいだ来ないだろうから、天気も天気なので眺めもなかろうが薄い一枚岩の上に行ってみよう。突如として悪化する足元にびくびくしながら上がっていくと、屏風岩の裏側を眺められる鞍部のようなところに出た。なんと裏側も絶壁である。麓で見て頭でわかってはいたが改めて驚いた。思わず足を止め、行こうかどうしようかしばらく迷った。


それでもそう高度差があるのでもないので怖いもの知らずを気取って天辺を蟻のように登っていく。上端ではわずかばかりの幅を塞ぐように丸みを帯びた大岩が次々と出てくる。それらの岩を回り込めるうちはよく、そのうち幅が狭まってきて岩の左右のどちらも草さえ生えていない絶壁の縁というのが一度ならずで、掴まるものとてなく、歩けたものではない。霧に濡れて滑りやすくなった岩を腹這いになって乗り越えるのだが、これまたどちらかに滑ったらと考えると気が抜けない。
先を見ると、石碑が立っている岩がある、そこまでを目指すことにしよう。こんな場所では余計なものは持たないに限る。どうせ引き返してくることだし、まずストックを捨て、しばらくしてザックも捨て、空身になってようやく石碑の建つ岩の手前に着く。だがどうも碑の裏側を見ているようだ。折れるのではないかと怯えつつ、やや力を抜きかげんにして石版にしがみつきながら岩を乗り越える。振り向けば、『子持大明神』とあった。こんなところまで重たい石碑を担ぎ上げて据え付けた先人の努力に敬服するよりも、そこまでする必要が理解しがたく、むしろ恐れの感情が湧くのだった。
屏風岩上にある『子持山大明神』の石碑
屏風岩上にある『子持山大明神』の石碑
古びた信仰の跡を前にあれこれと想像を巡らしたのち、置き去りにしたザックやストックを回収し、屏風岩への分岐に戻る。そこからはしばらく植林のなかの面白くない登りが続いた。ひさしぶりの面倒な山歩きなのでペースもあがらず、こんな天気だというのにやってくる登山者に次々と追い抜かれた。とはいっても出会った数は三組だけだったが。


石の出て歩きにくい涸れ沢の底を行くので必要以上に手間取り歩行時間が長く感じる。先方が明るくなってきたと思うと、ようやく葉の落ちた落葉樹の林の中に出た。正面上方に稜線が見え、そこまでジグザグを切りながら上がっていく。斜度は上がったが周囲の見通しがよくて快適だ。左手上方には目立つ岩峰がそそり立っているが、これが獅子岩だろう。火山岩頸というもので、もとは噴火口に詰まっていた溶岩塔が浸食により露出したらしいが、基底の直径が150メートル、比高が100メートルだかあるという。
獅子岩へは稜線から5分も行けば分岐になる。楽な巻道を見送って上がっていくと、なにか宙に漂い、降りかかるものがある。雪だ。好天の春山歩きの期待を完全に裏切られて意気消沈しながら、獅子の頭にあたる大岩の直下に出る。本格的に降り始めるなか、ザックにカバーを掛けて岩陰に立てかけ、カメラだけ首から下げた。
獅子岩を振り返る
獅子岩を振り返る
最後の登りは鎖梯子で、掴むととても冷たい。飛び出した岩の上は小広かった。低い雪雲が谷川岳方面から襲いかかってくるのを背にして広い谷を見下ろすところに出てみると、眼下には万里の長城のような幅一定の岩筋が二本、支尾根を越えて並行に伸びている。何か人工的な構造物かと思えたのは、屏風岩同様の火山岩脈なのだった。岩脈は山頂からの尾根とほぼ直角に交わっており、まるで山そのものに鈍い刃物を入れたかのようだ。地学上は説明がつくのだろうが、異様な眺めである。いっそう密に舞い散り始めた雪がその風景に紗を掛けて日常性をさらに希薄にし、別な宇宙を見渡している気分にさせる。
目を凝らすうちに灰白色の空間が薄衣となって波打ち始めた。それでも音はなく、尾根筋も谷筋ももちろん微動だにしない。降雪に隠れてはいるが、あたり一面に躍動するものが満ちている。だが生気は感じられない....。


しばらく雪が止むのを待っていたが、寒くなる一方で低く黒い雲は晴れる見込みはない。あきらめて下ることにしたが、そのときようやく登山用のシャツだけで上着を着ていないことに気がついた。よく平気でいたものだ。きっと春先の精霊たちの饗宴に陶酔していて、寒さを忘れてしまっていたのだろう。魅了されるというのはどんな場合も危険なことだ。
下りでの鎖梯子はさらに冷たくなっていて、握る手が痛いくらいだった。上着に帽子に手袋も着用して歩き出す。牡丹雪となったのが芽吹きの遅い周囲の木々の幹や枝の風上側を白く染めており、身体のあちこちにも白いシャーベット状の固まりができ始めた。それでも顔に吹き付ける冷たい風をフードで遮りながら、冬に戻ってしまった山の雪道を辿っていった。
春の雪に追われた子持山山頂
春の雪に覆われた子持山山頂
山頂は雲のただ中だったが、雪は止み始めていた。眺めはないが、どことなく好ましい寂びが漂っている。先行者たちが食事やビールで賑やかにしていなければ、冷気に絶えられるかぎり留まって悔いのないと思える場所だった。また改めて訪れる日もあることだろう。


しばしの休憩ののち、元来た道には戻らず、彼方に小野子山を眺めながら国民宿舎の建つ中山峠へと出た。そこから車道の三国街道を延々と吾妻線沿線のバス通りまで歩いたが、中山峠に出ず山頂から小峠を経て沼田駅方面に出ればよかったかもしれない。そのほうが行き交う車に悩まされる時間が少なくて済んだように思える。
前方に渋川の街並みとその先の関東平野を見晴らすあたりになると、空に晴れ間が広がりだした。街道を離れて静かな村道へ入った先で振り返ると、雪雲が取れた子持山が何の変哲もない里山の風情で長々と横たわっている。山中の経験からすると、拍子抜けするほどのありきたりな山姿なのだった。
2002/3/23

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