室田付近から天狗山(左)と鐘原ヶ岳

鐘原ヶ岳から天狗山

山歩きも数をこなしてくると一般に売られているガイドブックでは飽き足らなくなり、どちらかといえば山行記録色の強いものを手に取るようになる。さすがに古いものは入手しにくい上に周辺事情も変わっているだろうから新しいものが望ましい。群馬県については上毛新聞社から出ている『群馬の山歩き130選』というガイドが以前からあるが、同社から2005年に出版された『私が登った群馬300山(上・下)』は紀行文という体裁ながらさらに数多くの魅力ある山々を教えてくれる。
晩秋の三連休に榛名山を続けて歩こうと考えたときに参考資料にしたのがこの『300山』で、榛名山は下巻に記載がある。とくに榛名外輪山の南側の山々に重宝する記述が多い。榛名神社の東に高まる天狗山をとってみると、一般には神社からの往復か大日陰に下るコースがガイドされているが、ここでは隣の1,252mピークから1,225mピーク(鐘原ヶ岳)に連なる山も併せて踏む周遊コースとして記載されている。これはなかなか面白そうだ。行程は4時 間ほどで済みそうなので、初日のコースとして歩いてみた。


土日祝日では高崎駅から出る榛名神社方面行きのバスは朝の8時半が始発になる。10時前に神社の停留所に着き、鳥居の前で参道に入らず山に向かう。真っ直ぐ行けば天狗山という途中に標識があって左に行けば地蔵峠と教えている。沢のせせらぎを耳にしつつ、やや荒れ気味だが往時は立派な交通路とわかる幅広の道を登っていくと、早々に下ってくるかたに出会う。稜線上は風が強いので引き返して、天狗山に登り返すとのことだった。先行きがやや不安になったが、まずは登ってみることにする。
沢から離れて山腹を巻くようになると開けたところがあり、ベンチが置いてある。振り返れば山頂部が二つに分かれた杏ヶ岳が近い。その右隣に岩壁を押し立てた鷲ノ巣山が立派に見える。杖の神峠に続く車道の上に山体を広げているのは榛名山最高点の掃部(かもん)ヶ岳。一休み後歩き出してすぐ、頭上で響く風の音に気づく。緩やかだった傾斜も岩場のなかを通るようになり、あたりは穏やかならざる様相だ。それでも再び道のりが危険のないものになれば、前方が明るくなって地蔵峠に着く。
地蔵峠
地蔵峠
地蔵峠上の岩場から榛名山中心部を望む
地蔵峠上の岩場から榛名山中心部を望む。左奥に烏帽子岳、ほぼ中央奥に榛名富士、右に三ツ峰山の向こうに二ツ岳の雌岳と相馬山が頭を出す。岩を乗せた尾根を伸ばす手前の山は1,271m峰。
少し前まではともかく、今のところは風が吹き荒れるということはない。峠の向こうには高崎市街方面が見渡され、眼下には散り残りのカラマツの黄葉が点在する谷間が広がっている。左手を見上げればこの峠と天目山との間に立ち上がる1,271m峰が大きな背を伸ばしており、その末端には顕著な大岩が突き出している。掃部(かもん)ヶ岳にあるのと同じ硯岩というものだそうで、角張った形もよく似ている。地蔵峠は名前からしてお地蔵様がいらっしゃるのかと思って探してみたが見つからなかった。かつてはあったということなのかもしれない。
鐘原ヶ岳方面には古い標識が立ち、細い踏み跡が伸びている。最初から急な登りで、すぐ頭上の直立した岩場を右へと巻く。巻き終わったところで稜線に戻るため滑りやすい斜面を木の根にすがるようにして登るのだが、ここの下りは難儀するだろう。できれば逆コースは歩きたくないと思わせるくらいだ。細尾根に出てみると左手に踏み跡が伸びている。岩を直登するルートがあったのかと入ってみると、岩の真上で終わっている。周囲は切り立った崖だ。やはり岩場を登るのは無理があるようだ。
ここは峠以上に眺めがよい。1,271m峰の向こうから烏帽子岳や榛名富士、二ツ岳相馬山が頭を出している。振り返ればまだらな雲のなかに真っ白な浅間山が浅間隠山や鼻曲山を従えて孤高を誇っている。しかし眺めはよいのだが足下は垂直に切れ落ちているうえ風もときおり吹き付けてくるので気楽に一休みとはいかない。岩陰で一服し、呼吸を整えたところで登高を再開する。


稜線沿いに岩混じりの尾根を登っていくが、急登に終始し、足下も木の根が出たりでかなりスリリングだ。夢中で登って45分ほどで「大鐘原ヶ岳」と記された真新しい標識の立つピーク(1,252m峰)に着く。登りの不安定さから解放される平坦地で、木々に囲まれてはいるが葉が落ちて周囲の状況はある程度わかる。このピークはガイドによっては地蔵岳とされるところで、冒頭の『300山』で言う鐘原ヶ岳はさらに20分ほど先になる。そちらは天狗山のすぐ隣であり、人の出入りが多いかもしれないと考えてここで昼食休憩とした。
葉の落ちた大鐘原ヶ岳/地蔵岳山頂。左奥に杏ヶ岳
葉の落ちた大鐘原ヶ岳/地蔵岳山頂。左奥に杏ヶ岳
山頂標識では榛名神社を示すのに鳥居記号を使用している 
大鐘原ヶ岳(地蔵岳)からいったん下るのだが、この下りがまた岩混じりのヤセ尾根で、榛名山という名前から予想される穏やかさとは無縁の登路だ。榛名山では一級の縦走路であるという水沢山から相馬山までの縦走路をかつて歩いたが、短いものとはいえ本日歩いているコースもなかなかのものだろう。高度を上げたせいで、左手には榛名中心部の山並みがさらにはっきり見えてくる。
岩場を巻いて稜線に出るところで戻り気味に岩場の上に立つと、快晴となった空の下、舐めかけたソフトクリームのように丸く白い浅間山が真っ先に視界に飛び込んでくる。その左右と手前はさながら群馬県西部の山々の品評会のようだ。近くに西上州の山々、鋸歯状の妙義山。浅間山の後ろに伸びるのは湯ノ丸山に続く連峰だろう、とすればその右手にゆったり広がるのは四阿山か。榛名山に来てこれほど広い眺めを得られるとは予想していなかった。彼方には八ヶ岳や奥秩父まで眺められていうことなしだ。
浅間山、浅間隠山
浅間山、浅間隠山
このあとは優しげになった道のりとなり、ほどなく着くのはやはり木々に囲まれて眺めのよくないピークで、「小鐘原ヶ岳」という新しい標識が立っている(1,225m峰)。ここが『300山』で鐘原ヶ岳とされているところだが、あたりを見渡してみると木々に山名プレートがいくつも下がっており、だいたいは鐘原(ヶ)岳としているようだ。じつにややこしいことに、『300山』で紹介されているところによると先の「大鐘原ヶ岳(地蔵岳)」は大鐘原岳(”ヶ”がない)とも呼ばれているらしいのだが、しかし榛名町地名辞典では地蔵峠北の山(1,271m峰)を大鐘原岳としているともある。鐘原岳の古名は旗輻(はたや)岳だと言うそうだが、他のガイドを見ると字は違うものの1,271m峰を旗矢(はたや)岳としているものもあって、正直なところ何がなんだかわからない。(『300山』の著者のかたも困ったらしく、「最近よく使われている呼称」として1,225m峰を鐘原ヶ岳とされている。)


梢越しに眺め降ろされる隣の天狗山に相対していると、その鞍部方面から登ってくる単独行のかたが目に入る。よく見ると地蔵峠に登っていく際に出会ったかただった。「さすがに登り返したのはたいへんだった」と言われていた。その方から周囲に石碑が佇立しているのを教えてもらう。ぜんぜん気が付かなかったがよく見ると草むらのかげのあちこちに担いで登るには重たくて仕方がなさそうなのがいくつも立っている。「國常立命」とか「此花咲耶姫命(だったかな)」などと刻まれていて、いったいどういう信仰の証なのだろうかと思っているうちに笹原の斜面を下って天狗山との鞍部に着く。
先ほどのかた以外にも鐘原ヶ岳に登ってくる人がいたが、天狗山への登路に出ると人影はさすがに多い。ゆるやかで幅広な道をしばしで、天狗山と(天狗山)西峰との鞍部に着く。ここから5分もしないで大岩の重なる天狗山山頂で、鐘原ヶ岳同様に石碑が多く立っているが、鐘原ヶ岳のほうが大きいのが目立ったような気がする。天狗山は最高点に立つというよりは岩の積み重なりをさらに先まで進んで関東平野を眺め渡すところまで出て、朱塗りの鳥居が立つ祠の前を過ぎ、虚空に突き出す岩に立ってようやく決着がつきそうな気がしたのだが、そこには元気な女性が一人、岩場をジャングルジムのようにして遊んでいる孫二人を従えて立っていたので行き着けない。子供たちをどかすのもなんなので、大人らしくがまんして引き返した。
石碑や石像が立つ天狗岳山頂
石碑や石像が立つ天狗山山頂
天狗岳岩場の突端
天狗山岩場の突端
西峰を帰りに寄ってみたところ雑木林に囲まれた落ち着いた山頂ではあるが眺めはなく、夏場は人の気配がしないところと思えた。だが途中には「神域であり身を清めて入られたい」とある謎めいた平地があり、天狗山が天狗山たるゆえんはじつはこのあたりで行われた何らかの儀式にあるのではと思えるのだった。


晩秋の日は短く冷気は容赦なく忍び寄る。立ち寄るところの多い天狗山を後にして鐘原ヶ岳の山腹を行く山道を榛名神社に下っていく。谷を隔てた向かいの杏ヶ岳はすっかり彫りが深くなっている。そんな時刻だが途中に眺めのよいという鏡台山があり、せっかくなので寄ってみる。南峰と北峰とあって眺望が優れているのは北のほうで、山頂部は大きな岩盤となっていて周囲を余すことなく見渡すことができる。浅間山方面の展望が大きいが、これは大鐘原ヶ岳(地蔵岳)と小鐘原ヶ岳(鐘原ヶ岳)との間でのものと同じなので、自分にとってはおさらいという趣だった。振り返ると鐘原ヶ岳が壁のように立ち上がっている。こちらのほうにこそ立ち寄った甲斐があった。
ほとんどただの藪山である鏡台山南峰を往復し、いよいよまじめに榛名神社に下り出す。「四合目」からの急傾斜を下り、傾斜がゆるやかになるとこぶし大の石がごろごろと敷かれた林道に出る。食器棚のようなものが置いてあり、戸を開けてみると説明書きがあって「右手で米、左手で塩を持ち、「六根清浄、祓い給え、清め給え」と体にかけ、酒をくんで手足にかける」とある。なかに置いてあるのはその米と塩のようだ。酒まである。天狗山の信仰はまだ生きているようだ。
鐘原ヶ岳山腹から杏ヶ岳
鐘原ヶ岳山腹から杏ヶ岳(双耳峰の山)、鷲の巣山(右)
鏡台山北峰から鐘原ヶ岳を見上げる(左端が大鐘原ヶ岳/地蔵岳、右端が小鐘原ヶ岳/鐘原ヶ岳)
鏡台山北峰から鐘原ヶ岳を見上げる(左端が大鐘原ヶ岳/地蔵岳、右端が小鐘原ヶ岳/鐘原ヶ岳)
四合目からゆっくり下って半時も経たずに榛名神社随神門の前に出た。持参の時刻表を見ると高崎行きのバスがすぐに来るようだったので、神社参拝は明日、天神峠から下ってきてからにすることにした。などとのんびりしている場合ではない、あと2分くらいしかない、これを逃すとあと一時間半ほど来ない。で、停留所までの多少の距離を重いザックをかついで走ったのだった。


天狗山は天狗の面を伏せた山容から名付けられたと聞かされていたものの、何度か榛名山を訪れながらそもそも天狗山のピークがどれなのか遠望してもわからなかったので山名の由来が確認できないでいたが、榛名神社から出る帰路のバスから振り仰ぐと、夕方の斜光を浴びた山がまさに巨大な天狗の面となって浮かんできた(冒頭写真)。鼻はもとより、肩まで届く髪まで見て取れる。これには驚いた。陳腐な言い回しだが、まさに造形の妙というものだろう。その隣の大鐘原ヶ岳(地蔵岳)と小鐘原ヶ岳(鐘原ヶ岳)の山塊がまた美しい。しかしこの山塊、ひとかたまりで呼ぶ場合は”鐘原ヶ岳”(ないしは鐘原岳)でよいことにしてくれないかなと思う。
2007/11/23

追記:昭文社の2007年版のガイドマップにはこの日歩いたコースは既に記載されていて、山中の立派な標識と同じく1,252m峰は大鐘原ヶ岳、1,225m峰は小鐘原ヶ岳とされている。おそらく徐々にこの名称で統一されていくのだろう。地蔵峠を挟んで北にある1,271m峰は幡矢(はたや)ヶ岳とある。書き文字はともかく音は旗矢岳と似ているので、それほどの混乱はなくこの名が通るようになることだろう。(2007/12/04)

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue