何 を 話 そ う か




2012年12月10日に松村任三の生家が全焼しました。NHKのニュースで報道されました。

松村任三と南方熊楠


 はじめに


 松村任三(18561928年)は明治期、日本の近代学問の黎明期に植物分類学の基礎を築いた植物学者です。私たちが天文活動を展開している茨城県の北部にある高萩市に生まれました。

 松村任三その人は、天文学とは関係のない学問分野の人ですが、日本の思想家として群を抜く「知の巨人」南方熊楠が、任三に深く関わっていた事実があります。

 南方熊楠には、代表的な著作物として『南方二書』というものがあります。これは、熊楠が松村任三に当てた二通の手紙を、やはり日本を代表する民俗学者柳田国男が出版したものです。

 熊楠については本文でも述べているように、彼の処女論文が天文に関するものでした。ロンドンで研究生活をしている中、『ネイチャー』誌に寄せられた読者の質問に、誰も答える様子がないので、なれない英文で書いたと本人が述懐するものです。

 熊楠を天文学者の範疇に入れることはできないのですが、高萩出身の松村任三と南方熊楠がどのように関わっていたのか、興味深いものがあります。ここでは、熊楠の詳しい紹介は避けて、二人の係わり合いを紹介したいと思います。


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