何 を 話 そ う か

第3回


「南方二書」





  南方熊楠の神社合祀反対運動は、多様な手法で展開されました。実際に神社合祀と称して神林が伐採されかけている現場に駆けつけ、地元の心ある人々と共に抗議行動をして伐採を中断に追い込むこともありました。また、和歌山県から選出されている中村啓次郎代議士に帝国議会において、神社合祀政策によってひき起されているさまざまな弊害の実態を詳細に紹介し、その不合理をただす質問演説をさせました。さらに、自然保護運動の盟友毛利柴庵が主催する地元紙『牟婁新報』にたびたび筆を執りました。
 当初熊楠は、ロンドン時代から親交のあった帝国議会貴族院議員でもある紀州徳川家の当主、徳川頼倫へ意見書を提出しようと考えていました。が、熊楠から直接に神社合祀反対運動の詳細を聞いた海藻学者で水産講習所所長だった岡村金太郎が仲介があって、東京帝国大学教授である松村任三の助力を乞うことにしたのです。
 「そのような意見書であれば、徳川公に提出されるよりも、松村氏に託したほうが、有効ではありませんか。松村氏はなかなかの国粋保存主義者ですから、彼より浜雄総長に話を通じ、平田内相にはたらきかけてもらうのが捷径といものですよ。松村氏へは私から頼んでおきましょう」と岡村は言い、その後書簡で松村から助力の承諾を得たと報告しています。(津本陽著『巨人伝』P.324
 「松村教授は熊楠の意見書を読んだうえで、大学諸分科の教授と連署し、県知事へ勧告書を出してくれる旨承知した」のです。
 この辺の事情について、熊楠自信が柳田に手紙の中でこう述べています。
「・・・岡村金太郎博士の説に従い、松村任三教授に書を呈せんと欲するも、住処分からず、また今果たして夏休み中に東京にありや否分からず。(岡村氏説には、松村氏にさえ遣わすれば浜尾氏より大臣へいいくれるべしという。しかし、夏休み中のこと、また松村氏は学者にて世事活動を好まぬ人と聞く。)」(『柳田国男 南方熊楠 往復書簡集』P.61
 「浜尾氏」とは第8代東京帝国大学総長の濱尾新氏、また大臣とは神社合祀令を強硬に推し進めた張本人である平田東助内務大臣のことを指しています。




南方熊楠が神社合祀に強く反対した理由を、鶴見和子氏は非常に分かりやすく的確に、次のように書いています。これは、植物学者白井光太郎に宛てて出された『神社合併反対意見』を要約したものですが、『南方二書』と基本的には同じです。
 「日本の神社は、常に森林におおわれている。高い樹の梢からつたってカミが降りてくるという信仰があり、樹木はカミのよりしろであるから、伐ってはならないという禁忌が長く伝わっていた。その下草もまた、生うがままに繁っていた。神社をこわすということは、すなわちそれをとりまく神林を伐採することであった。伐採した樹木を払い下げることに利益があったから、地方役人と利権屋が結託して、神社合祀令を乱用することもしばしばあった。南方は、植物学者として、神林の濫伐が珍奇な植物を滅亡させることを憂えた。民俗学者として、庶民の信仰を衰えさせることを心配した。また村の寄合の場である神社をとりこわされることによって、自村内自治を阻むことを恐れた。森林を消滅させることによって、そこに生息する鳥類を絶滅させるために、害虫が殖え、農作物に害を与えて農民を苦しめることを心配した。海辺の樹木を伐採することにより、木陰がなくなり、魚が海辺によりつかず、農村が困窮する有様を嘆いた。産土社を奪われた住民の宗教心が衰え、連帯感がうすらぐことを悲しんだ。そして、連帯感がうすらぐことによって、道徳心が衰えることを憂えた。南方は、これらすべてのことを、一つの関連ある全体として捉えたのである。自然を破壊することによって、人間の職業を暮らしとを衰微させ、生活を成り立たなくさせることによって、人間を崩壊させることを、警告したのである。」(鶴見和子 前褐書P.223P.224
 いよいよ激化する神社廃毀と森林の乱伐にたいし、熊楠は岡村金太郎の言に従い松村任三に二通のかなり長文の書簡をしたためることになります。(1911829日付および831日付)
 『南方二書』と呼ばれるこの二通の書簡は、熊楠が論文発表の場を主にイギリスで発行されていた『ネイチャー』、『ノーツ・エンド・キーリス』など海外の雑誌に求めていたことから、これといった著作物を残していない中でまさに主著ともいうべきものです。
 もともと熊楠は、雑誌への寄稿のほかに、多くの手紙に強烈なエネルギー注ぎ、その該博さと思索の深さを残しています。中でも高野山の管長となった土宜法竜、柳田国男とのやりとりは圧巻です。後ほど『南方二書』が書かれた経緯を述べますが、これは植物学者松村任三へ宛てた書簡の形をとった、神社合祀反対運動のもっともまとまった意見書です。「南方熊楠顕彰会」が刊行した『原本翻刻 南方二書』では二段組で44ページ、約4000字に及ぶ膨大なものです。