すばる天文同好会

第5回


 『南方二書』と松村任三





 
 これまで、『南方二書』に対する松村任三の反応については、柳田・南方の側の視点からしか語られることがありませんでした。このことに関し津本陽も、「柳田が思った通り受取りの葉書一通がきたのみで、尽力の形跡はさらに見られなかった」(『巨人伝』P.327)と書いています。岡村金太郎を仲介にして、たしかに協力を約束していたという割には、何も行動をおこしていないのが不思議に思われます。松村側の直接・間接の資料が一切出ていない現状では、それもやむをえないことです。
 ここからは私の浅薄な想像になりますが、松村任三側には少々違った事情があったのではないでしょうか。
 松村は岡村金太郎の要請を受けて、熊楠への協力を約していました。熊楠から近々に直接何らかの連絡があるはずだったでしょう。しかし、ある日手許に届いたのは、自分宛に書かれた書簡が、自分に対して少なからず快くない感情を抱いているらしい柳田国男の手によって公に出版された形での書籍でした。
 松村はそれを手にとって、どれほど驚いたことでしょう。中身は紛れもなく自分宛の私信です。その私信が製本されて、幾人もの人々に配布されているのです。これは、ある意味だまし討ちではないでしょうか。自分はだしに使われたに過ぎないのだと考えても不思議はありません。
 柳田の1911(明治44)915日付の熊楠に宛てた文章は激越です。「過日の書留の二長文(松村宛の書簡、いわゆる『南方二書』)は自分はたしかに拝見、かつ松村氏等の手にこのままわたせばよくも読まずに仕舞って置くならんと想像すべき理由ありしゆえ・・・二、三十部活版印刷に付し、二、三日のうちに自分知れる限りのやや気概ある徒に見せることにいたし候、かつせっかくの御注文ながら小生はかの老人と事を共にするを欲せず候。」
 以前に柳田と松村が、不愉快な出会いをしていたことは間違いありません。だから柳田は、熊楠宛の書簡の中で「かの老人」呼ばわりしているのです。ですが、松村は"水戸つぽ"です。黙って、書籍を受け取ったとのはがきを一枚したためて、腹に収めたのです。
 さらに書簡には、この時期にはすでに松村に対する攻撃を開始していた牧野富太郎の名も頻出します。
  『南方二書』には、植物学的内容も豊富で松村の目を惹かないわけはありませんでした。少なからず興味をもって読んだはずです。しかし、本来自分が引き受けるはずの役回りを、自分を快く思っていない柳田が演じているのです。とにかくこれでは、松村が出る幕はありません。松村の反応がそっけなかったのも致し方ないものだったのではないでしょうか。
松村の身辺資料が公にされ、その辺の事情が明らかにされることを切に願うばかりです。