■ 2018年に観た映画
  
2018年12月 「勝手にふるえてろ」
世評に期待して見たが、僕は乗れなかった。スピード感あふれる奇抜な演出に最初は目を惹かれるが、結局は邦画(テレビドラマなども含む)特有の、笑わせようと俳優にオーバーアクションをさせる長年の悪癖が出てしまっている。だから、既に名女優とも言える松岡茉優の良さが出ていない。派手な演出、派手な演技を徹底的に排除したところに、人間の持つそこはかとないユーモアが見えてくる、そんな映画が僕は好きです。
2018年12月 「ボヘミアン・ラプソディ」
音楽の持つ力、とはよく言うけれど、本作においてそのことを初めて強く実感した。クイーンの曲が流れてくるだけで、圧倒的な力で納得させられてしまうのだ。事実をある程度変更していても、映画としての出来を優先させた英断に賛同する。ただ、結成してからファーストアルバムを出すまでに一悶着あったはずが、そこはあっさりスルーされているのが不満なところ。まあ、描きどころはたくさんあるし、ただでさえ尺が長くなっているからそのあたりも正に英断でカットしたのかもしれない。最後のライブパフォーマンスは、ただただ圧巻。丁寧に丁寧にあの会場を再現しているせいで、魂のこもった場面に仕上がっている。
 メンバー4人についてはロジャーが激似で、ブライアンもかなり良く、フレディは出っ歯を強調しすぎだしどうかとは思うけれど見ているうちに慣れてくる。ジョンだけが最初は全然似ていないと思っていたのに、最後にはかなり似て見えた。
2018年12月 「ある過去の行方」
アスガー・ファルハディ監督作は、面白いのだけれど見るのは苦痛だ。あまりにも生々しく、痛々しいのだ。妻との離婚訴訟のため、数年ぶりに妻と娘に出会う男。そこには妻の新しい恋人がいるが、この恋人にも妻がいて、彼ら夫婦も問題を抱えている。こみ入った設定で、とくに面白いドラマは起こらず、ただ問題のみが山積していく、頭の痛い物語。興味深くはあるし、よく描いているとは思うけれど、もう一度見たいとは思わないなあ。
2018年12月 「ヘレディタリー/継承」
これまた大評判の映画。今世紀最大級に怖い、などと大騒ぎだから劇場で観てみたが、僕にはまったく怖くはなく、あまり面白くもなかった。なんだかこういうパターンが最近は多いのだが、感性が鈍ってきたのだろうかと心配になる。何か新しいことをしているようで、結局は往年のパターンに収まった印象が強い。あの母親の表情が怖い、との評が多いが、ああいう大袈裟な演技には、僕はあまり乗れないのだ。怖さとはもっと地味なものではないかと思う。
2018年12月 「パターソン」
実にいい映画だった。なんにも起きないのに、なぜこんなに見入ってしまうのだろう。映画的センスとしかいいようがない。画面にポエムを当てはめるのも、下手な監督がやれば失笑ものになってしまうところ、心地よく美しいシーンに仕上がっている。主人公のパターソンは、とくに秀でた偉人でも善人でもなく、そこはもうちょっとちゃんとしなくちゃダメだろ、という思うくらい、どこにでもいるただの“いい人”だ。なのに見終わって感じるのは、うっすらとした人間賛歌なのだ。演じたアダム・ドライバーが、キャリアベストと思える名演。
2018年12月 「パーティで女の子に話しかけるには」
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を作ったジョン・キャメロン・ミッチェルの、監督としての最新作。『ヘドウィグ〜』は大好きな映画なので、本作も期待して見た。タイトルからして若者の恋愛を描いた青春映画かと思うが、もちろんそれは外れてはいないのだけれど、さらに違うジャンルを加味した作品だった。主人公とその友人達が夢中になっているパンク音楽の独特なファッション、独特な振る舞いを、異星人というメタファーでうまく表現している。ただ、異星人の表現が中途半端に過激なだけに終わってしまったのがもったいない。もっともっととんがった作品にできたのに、こじんまりとまとまった感じ。悪くはないのだけれど。
2018年12月 「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」
ストップモーション(人形を用いて1コマずつ撮影する手法)を用いて作られたアニメーション。その途方もない作業にはただ頭が下がる。結果、CGでは出せないリアルさが感じられ、魂を持った人や動物が表現されていた。ただ、物語とその見せ方にはやや疑問が残る。なぜクボの目を盗もうとするのかの理由づけが弱いから、本来親族である祖父や叔母がなぜ敵になるのかも納得しかねる。クボが旅立ったあとサルに出会うシーンで、もっと反発していいはずなのにクボは素直に受け入れ、なのにその後、ことあるごとに反発したりなど、どうにも不自然だ。行く手で起こる出来事も全てが単発で、それぞれの繋がりがないから面白みに欠ける。そして、猿とクワガタの秘密についても、なんだか中途半端な明かされ方で、つまらない。大事な情報を知るのが夢のお告げ、というのは一番やっちゃいけないことだと思う。
 とにかく、見ていて自然な感情の流れが生まれず、作り手側の勝手な筋書きに無理矢理付き合わされているように感じてしまった。戦いでとどめを差す場面を見せないところも、作り手の覚悟のなさを感じる。そして、ラスボスがCGなのにもガッカリした。ここまでストップモーションで通してきたのに、最後の最後でCGにする理由がわからない。アニメ技術は本当に素晴らしくて目を奪われるだけに、本当に惜しい。いろんな意見があろうが、僕は、物語(内容)があってこその技術だと思う。
2018年12月 「FAKE」
これは、非常に評価の難しい作品だ。ゴーストライター騒動で湧いた佐村河内守氏を巡るドキュメンタリー。世間ではすっかり悪者、ニセモノ扱いされている佐村河内氏に密着し、彼の言動を追っていく。一見、彼を擁護する内容に思えるが、森達也監督は氏に対し、「あなたの名誉を回復するつもりはない」と告げて撮影に臨んだという。このあたりが非常に難しい。この監督、一筋縄ではいかない。
 僕らはどうしても、「本当に耳は聞こえないのか」「本当に作曲はできないのか」という、「真実はどうだったのか」を求めて観てしまう。この欲望はどうにもならないし、正当なものだとも思う。ところが、森監督にはそれに答える気はないようだ。どう判断するかは、この作品を見てそれぞれが決めてくれ、ということだろう。しかしそうなると、本作にフィクションがないとも言い切れないわけで、結論はどんどん薮の中へとまぎれてしまう。
2018年12月 「彼女が消えた浜辺」
2009年に作られた、アスガー・ファルハディ監督の出世作。複数家族で出掛けた海辺のリゾート地で、同行していた女性が失踪する。彼女の足跡を追ううち、仲むつまじく思えた彼らのほころびが浮き彫りになっていく。
 ファルハディ監督は、人間模様を描き出すのが本当にうまい。ただ、見ていて辛くなるばかりで、エンタテインメント要素がほとんどないため、見て楽しむという感じにならず、もう一度見たいと思わないのだ。面白いんだけど。
2018年12月 「シェイプ・オブ・ウォーター」
ギレルモ・デル・トロ監督作は、『パンズ・ラビリンス』をはじめ、いつもあまりピンとこない。アカデミー作品賞、監督賞を受賞した本作は、さらに世評と自分の感想とに大きな隔たりを感じた。様々なシーンやディテールが何かを象徴しているとか、いろんな解釈ができるのだろうけれど、物語としての面白さ、深みにつながっていなければ意味はない。このシーンは○○を象徴している=だから素晴らしい、とはならないはずだ。
 本作においては、そもそも半漁人がどういう存在でどうやって捕らえられたのかもはっきりせず、なぜあの女性と心がつながるのか、さっぱり理解できなかった。怪物の凄みや哀れさなども僕には伝わってこなかった。
2018年12月 「希望のかなた」
アキ・カウリスマキ監督は、日本で見られる作品はほとんど見ているほど好きな監督。近年の作品には力がなくなってきたかと思っていたら、本作は久し振りにカウリスマキ節全開で楽しませてもらった。
 ずっと祖国フィンランドの貧しい人々の生活を描いてきた監督が、2011年の「ル・アーブルの靴磨き」ではフランスを舞台とする作品を作り、本作ではまたフィンランドに戻ったものの、主人公はシリア人移民であり、新しい試みに挑戦する気概が感じられる。ただ、彼を巡る成り行きがどんどんおかしな方向に向かっていくところや、そうかと思えば周りの人達の情けに助けられて道を切り開いていくところなど、いかにもカウリスマキの映画を見ている感じがして嬉しくなる。ギャグがあまりにもストレートすぎるきらいはあるが、カウリスマキのファンもそうでない人も、安心して楽しめる一作ではなかろうか。
2018年12月 「15時17分、パリ行き」
実際に起きた事件について、ほとんどの登場人物を本物の当事者達が演じて再現ドラマ化するという、前代未聞の企画。よくこんなことを実現させたものだ。イーストウッド監督、おそるべし。
 ただ、そうした事前情報から、事件を丹念に再現する構成かと思っていたら、彼らの少年時代のエピソードや事件の数日前の旅行の様子などをじっくり描いていて、意外にも普通っぽいというか普通に面白い映画になっている。ほぼ素人の役者さん(=当事者)達の演技も、僕には自然に思えて違和感なく見られた。事件自体はさほどドラマ性があるわけではなく、犯人は結局たいしたこともせずに捕まってしまう。ただそれは、取り押さえた側の勇気と行動力のたまものであり、最後の表彰シーンにはぐっときてしまった。
  
2018年11月 「ボルト」
再見して、いくつか気になる点もあった。ボルトが大活躍するテレビドラマの制作陣が、画面にマイクが映っているのを見て、「ボルトがこれに気づいたら台無しだろう」と激怒するが、他のシーンでも絶対にボルトからマイクやその他の仕掛けは見えているはずだから、あの展開にはやや無理があると思う。ラストにももう一段階上のカタルシスが欲しい。それでもやはり、犬を扱ったアニメとして素晴らしい映画だと思う。
 冒頭、ほのぼのとしたドラマが始まるかと思いきや、意外にもハードなアクションで幕を開ける。ところがこれ、実はボルトを主人公とするテレビドラマを撮影しているだけで、番組の制作陣は、リアリティを追求するため、ボルトにだけはドラマ世界が現実であり、自分は飼い主を助けるスーパーパワー犬だと思い込ませている。そんなボルトが、ある時、撮影スタジオから遠く離れた町に連れていかれる。ボルトは飼い主のペニーを探して駆け回り、襲い掛かる災難に自分の特殊能力で立ち向かおうとするが、当然うまくいかない。気落ちするボルトは次第に現実に気がついていく。自らの真実の姿を知り、自信を失ったボルトは、無事にペニーの元に戻ることができるのか――。
 フィクション世界を現実だと錯覚していたボルトが徐々に実世界の生き方に触れていく過程は、アニメという枠を超えた普遍的な感動を生む。つまり本作は、誰もが考える「自分の存在意義とは何か」がテーマなのだ。
2018年11月 「けんかえれじい」
鈴木清順作品をいくつかやっていたので、連続して見た。ケンカに明け暮れる青年が、問題を起こした末に転校するも、そこでまた問題を起こし、さらに大きな暴力を求めて旅立っていく。あらすじを読むと、暴力的な陰惨な作品を思わせるが、実際はなんともお気楽なコメディ映画だ。僕は高橋英樹という役者にピンと来ないため、彼が画面内で何をやっていても、どうも乗れないのだ。鈴木清順っぽさもあまり感じられない。
2018年11月 「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」
見る前に抱いていた予想と、ほぼ同じような感想を抱いた。自暴自棄になった青年が、猫との出会いで自分を取り戻していく話。それ以上でも以下でもない。猫のかわいさもまあ普通。演技も普通。ただ僕には、舞台となるロンドンのエンジェルという町に思い入れがあったので、そこは楽しく見られた。
2018年11月 「早春」
小津安二郎作品には、あまりに人間賛歌を謳おうとするあまり、ついていけないこともあるが、本作は非常に面白く見られた。一組の夫婦の何気ない日常を描いているのだが、役者陣の演技がしっかりしているせいか、登場人物はすべてごく普通の一般人なのにたまらなく魅力的に思えてしまう。主役の池部良、淡島千景はもちろん、池辺良の同僚たちも総じて良い。そして、作品内人物としても映画女優としても正に“旬”を迎えている、岸恵子の華やかさがただごとではない。そこここに感じられる、この時代の風俗、空気感なども見ていて気持ちがよく、ラストの展開も好みだ。ただ、池部良演じるこのボンクラ夫は、この先も似たようなバカを繰り返すよ、絶対。
2018年11月 「アトミック・ブロンド」
スパイアクション映画として、とてもよく出来ている。シャーリーズ・セロンというスター女優を使った、もっと馬鹿馬鹿しい作品かと思っていたら、『裏切りのサーカス』級の重厚な映画だった。シャーリーズ・セロンは本作のためにアクションを徹底的に学んだそうで、確かに見ていてしらけないほどの説得力がある。邦画のアクション映画で本当にショボいアクションを見せられることがあるから、そういう映画製作者は本作で学んでほしい。
 ただ、ストーリーや人物関係がかなり入り組んでいるので、初見で全てを把握するのは難しい。僕も、見ながら何度も前に戻って再生を繰り返し、なんとか理解しながら見た。壁の崩壊する直前の時期のベルリンも違和感なく再現されていて、そのあたりを確認しながら見るのも楽しい。
2018年11月 「スペース カウボーイ」
クリント・イーストウッド監督の、“ジジイが頑張る”映画。イーストウッド演じる老技術士が、ロシアの通信衛星を修理するため、宇宙へと飛び立つ。設定にかなり難があり、いくらなんでもこんな事態にはならないだろう、という展開。老人4人組と共に乗り込む若い技術者の行動も同様。こうした映画だと、リアリティレベルをもう少し上げないと、さすがにしらけてしまうだろう。宇宙船内でのドラマは見ごたえがあるのに、惜しい。
2018年11月 「バーフバリ2 王の凱旋」
一作目の『バーフバリ 伝説誕生』は、前半部の滝を登って美女に出会うあたりの描写が今ひとつで、後半の戦闘シーンから面白くなった。本作では最初から戦闘シーン満載なので、最初からぜんぶ面白い。それぞれのシーンにアイデアが凝らされているので見飽きることがないし、ストーリー展開にも説得力があってのめりこんで見てしまった。そしてCGもあまり破綻がなく、よくぞここまでの大作を作り上げたものと感心した。一作目を見終わったあとは、本作の人気にやや懐疑的だったが、この二作目を見たら文句はない。とても秀逸な娯楽大作。
2018年11月 「東京流れ者」
鈴木清順作品は、ストーリーがどうこうというより、その映像美を楽しむべきだろう。僕はどうしてもストーリーを追ってしまう傾向があって、その意味であまりいい観客ではないかもしれない。この前見た『けんかえれじい』の高橋英樹と同様、渡哲也も僕はあまり好きな役者ではない。映画に映る姿があまりぱっとしないのだ。これが渡瀬恒彦や宍戸錠だと、画面がぱりっと引き締まるのに。ただ、原色を多用した画面づくりはかなり徹底して非現実的に作られており、そのスタイリッシュさには確かに目を見張るものがある。
2018年11月 「めぐり逢い」
金持ちであることと顔の良さ以外にさしたる魅力のない男と、信念のない歌手の女が、見た目だけで惹かれ合って恋愛をする話。いろんなことが“偶然”で処理される、ずさんな脚本。そして、半年後に会う約束が、女の交通事故で叶わない。「交通事故で、行けませんでした」って言えばいいだけじゃないか! うーん、誰かこの映画の面白ポイントを教えて下さい。
2018年11月 「東京暮色」
細部にまで魂のこもった力作だ。すべてのシーン、すべての登場人物に血肉が与えられ、深みのある世界が実現されている。もちろん、笠智衆演じる父親、原節子と有馬稲子演じる姉妹が中心にはなるけれど、この家族の物語、というのとはすこし違う気がする。彼らを中心とする、とぐろを巻くような人間模様を小津監督は描きたかったのだと思う。
 端役に至るまで役者陣が本当に素晴らしい。そして、悲しい場面なのになぜかBGMはすっとぼけた明るい調子の曲が延々と流れていたり、悲劇と喜劇がごちゃ混ぜになっていたりして、奇妙な味わいとともに映画としての深み、凄みを感じてしまう。僕は、終盤で披露される、中華そば屋(「珍々軒」という店名にも注目!)のオヤジの人間味あふれる行動に目を奪われた。それから、有馬稲子の麻雀仲間を演じる高橋貞二。ちょっと太り気味の二枚目で、とぼけた味わいを実に自然に演じている。(ちなみに彼の役名は登だから“のんちゃん”と呼ばれているのだが、小津映画の前作「早春」でも似た役回りを演じていて、この時の役名は青木大造なのに、ここでも“のんちゃん”と呼ばれているのはなぜだろう?)
 とにかく本作、小津映画の中でも屈指の傑作だと思う。
2018年11月 「クリスティーン」
ジョン・カーペンター監督の手堅いホラーで、安心して楽しめる。車が意志を持って人を襲うのだけれど、決定的なシーンをあまり見せないぶん、リアリティと不気味さが増している。非常に巧いバランスだと思う。だから、映像的には地味なのに、恐怖感を含めた見ごたえがしっかりある。なかなかの職人芸だ。
2018年11月 「スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ」
劇場で観た時は期待値が高すぎたから失望したのかも、家でもう一度見てみたら評価が変わるかも、と思ってみたけど、やっぱりダメ映画だった。とにかく敵側がしっかりしてないから物語として成立しない。カイロ・レンは相変わらずボンクラだし、銀河皇帝並みの強大な存在のはずのスノークがあんなことになるのも興ざめ。そして今回、フィンもダメロンもほとんど活躍せず見せ場がない。物語もまだろっこしくて、最終的にはすべてどうでもよくなってくる。
2018年11月 「ドリーム」
エンタテインメントとしてこれ以上ないほどよく出来ている。事実を元にし、それをうまくドラマ的展開となるようフィクション化されているのだが、嫌みにならない程度の脚色で、そのバランス感覚が素晴らしい。映画ってこういうことなんだろうなと思う。暗い真実を突きつけられるより、楽しいフィクションを見たい。それでいいのではないか、と。感動できるように作られたウェルメイドなハリウッド映画で、そうとわかっていながらも本当に感動できる作品。
2018年11月 「クール・ランニング」
ジャマイカのボブスレーチームを描くコメディ。ものすごく王道をいく物語で、ほぼ一歩も外さない。衝撃はないけれど安心して見られる。しんどい時に気軽に見られる一本、と言われたらこれを薦める。
  
2018年10月 「バーフバリ 伝説誕生」
見どころはやはり、終盤の回想シーンだ。戦闘の一つ一つにアイデアを振り絞って意味を持たせているから、どんどん引き込まれていく。ただ、現在の主人公&王様と彼らの父親達とを同じ俳優さんが演じており、風貌がまったく変わらないため、最初は戸惑ってしまった。それからあの、いい意味で卑怯な(笑)ラスト。続きを見ないではいられないが、僕は本作を、世間で言われているほど大絶賛するつもりはない。とくに前半、滝の向こうに何があるのか、と主人公が夢想するあたりは、『モアナと伝説の海』そっくりで、「ああ、それで結局滝の上に行くわけでしょ」とわかってしまい、乗り切れない。なぜ滝の上に行けたかという理由が、ただ「頑張ったから」というものではなく、そこに一つアイデアを加えればずいぶん印象が変わると思う。例えば「天空の城ラピュタ」で、パズーとシータが遂にラピュタの中に入る展開みたいに。さらに、あの女性戦士との恋愛シーンはインド映画の悪いところが出ていて、本当につまらない。
2018年10月 「エクス・マキナ」
精巧なロボットが意志を持ったらどうなるか、という、百万回も描かれたテーマ。CGの出来の良さは認めるが、話自体は至ってありきたりな展開で、ありきたりなラスト。あのネイサン社長の考えも結局よくわからず、あまりに間抜けなので、サスペンス的にも盛り上がらない。
2018年10月 「ナチスの愛したフェルメール」
フェルメールの精巧な贋作を描いたことで知られる画家メーヘレンの物語。時間軸を行き来したり、時代ごとのセットを作り上げたりなど、凝ったつくりの割に、最も重要なメーヘレンの苦悩があまり伝わって来ず、何を軸にして見ていいのかわからない。タイトルも、ナチスはさほど重要な要素ではないので、どうかと思う。
2018年10月 「エル ELLE」
ポール・ヴァーホーヴェン監督は、世評だとマニアックで変態的な映画を作る人、というイメージがあるようだが、僕にとっては、ごく真っ当でストレートに面白い娯楽作品を作る監督だ。それでも本作はまた少し毛色が違っており、イザベル・ユペール主演というせいもあろうが、ミヒャエル・ハネケーの映画を見ている気になった。登場人物が全てどこかねじくれていて、品がなく、非道徳的だ。もちろんその最たるものがイザベル・ユペール演じるミシェルなわけだが。
 まま面白く見たものの、ラストに至ってややピントがぼけたような印象を受けた。できれば最後にもっと大きな衝撃を味わわせてほしかったのだが、このあたりは再見すると印象が変わりそう。
2018年10月 「007/死ぬのは奴らだ」
諜報員が街角に立っていると葬儀のパレードに出くわす、というオープニングシークエンスは意外性があって面白く、期待を持って見始めた。ところが話が進むにつれ、どんどん漫画っぽくアホらしくなってきて、盛り下がってしまった。もう少しリアル寄りのほうが僕としては好みなのだけど、子供から大人まで楽しめる映画を目指すとすれば、このバランスが正解なのかもしれない。
2018年10月 「お茶漬の味」
wikipediaでの記述によると、小津安二郎監督は本作のことを「あまり出来のいい作品ではなかった」と語っていたらしい。確かに僕も本作には首を傾げるところが多い。
 テーマとして「ブルジョア趣味よりも庶民的なほうが良い」「派手なものより地味なもののほうが良い」などという一方的な決めつけが前面に出てくるので、ちょっと勘弁してくれと言いたくなる。夫婦とはお茶漬けの味のようなものだ、というタイトルも、いささかステレオタイプに思える。
 小津監督作は全般的に好きだけれど、こうしたところがちょくちょくある。名作とされる『東京物語』においてさえそれは見られる。
2018年10月 「クリード チャンプを継ぐ男」
『ロッキー』シリーズのスピンオフというか続編というか。いずれにせよ、しっかり楽しませてもらった。話としてはまあ、こうなるしかないだろうな、というところに見事に収まっているのだけれど、本当にそれを実現するのは難しかったと思う。(何事も口で言うのは簡単だ。)
 ボクシングシーンがこれまでになくリアルなのも良かった。相手役は本物のボクサーで、主演俳優のボクシングも相当に様になっていた。『ロッキー』シリーズ全般がそうだし、『レイジング・ブル』も『傷だらけの栄光』も、数あるボクシング映画の名作もすべてそうなのだけれど、ボクシングシーンはどれもリアリティに欠ける。本作はそのあたり、ちゃんと普通の試合に見えるのが素晴らしい。これであともう少し派手なパンチが少なければ完璧なのだろうが、映画としての盛り上がりに欠けてしまうだろうから、あれくらいのバランスが落としどころかもしれない。
 シリーズの伝統を受け継ぎつつ、現代的なアレンジ(音楽とか、ワンカット長回しなどの映像表現など)を加えていたところも、正当な続編という印象を感じられた。役者の演技も総じて良かったと思う。まあ、突っ込み始めたらいくらでも出来るので、シリーズファンは素直にシリーズ再開を喜べばいいのではないだろうか。
2018年10月 「男はつらいよ」
実は、ちゃんと見るのはこれが初めて。周りに寅さん好きな人はたくさんいて、ことあるごとに薦められるので見てみた。そして、なんとなく想像していた通りの結果となった。この無法な寅さんという人物にもちろん共感はできないけれど、いつも思うことだが、主人公に感情移入できなくても素晴らしい映画はたくさんある。渥美清さんがほぼ似たようなキャラクターを演じた「拝啓天皇陛下様」シリーズは、とても面白く見たし、好きな映画だ。また、同じようにどうしようもない人物を描いた「レイジング・ブル」など、傑作もたくさんある。いずれも、人間ドラマとしてしっかり作られていたからだ。いっぽう本作については、そのドラマ部分の作りが浅い気がして、今一つ入り込めずに終わった。邦画特有の安っぽい人情劇を踏襲(というか、正に本作こそが牽引してきたのかもしれないが)しており、クサイいドラマに鼻をつまんでしまう。クライマックスであろうはずの結婚式シーンですら、僕は涙一滴流れず、名優・志村喬さんの演技でさえ安っぽい演出がされていて残念に思えた。
2018年10月 「女王陛下の007」
ボンド役がショーン・コネリーからジョージ・レーゼンビーに替わり、本作一本で降板となった。他作とすこし毛色が違うかと思い期待して見たが、やはり馬鹿馬鹿しい内容でがっかり。ちなみに「馬鹿馬鹿しい」とは荒唐無稽な点ではなく、荒唐無稽だって面白い映画はたくさんある。僕ががっかりしたのは例えば、ボンドが捕らえられ閉じ込められる部屋がなぜかエレベーターにつながる倉庫だったりするところ。当然ボンドはやすやすとそこから逃げて次の展開につながるわけだが、この悪役がそんな間抜けなことをするわけがなく、脚本の展開力が貧しいだけだから、見ていてしらけてしまう。
 それから、終盤でスキーでのチェイスシーンがあり、それを切り抜けたらまた同じようなスキーチェイスが始まり、またかとうんざりする。二回やるならせめて前半と後半に分け、それぞれ別の趣向を凝らした展開にすべきだろう。制作陣に、大体の見せ場シーンのイメージがあって、そこから下手くそに脚本を作っていった感じ。そしてジョージ・レーゼンビーの007はスーツを着ていると悪くないのに、普通の服で困った顔をしていると、ぜんぜんボンドらしくなくて、降板にもうなずける。あのラストも、娯楽作としてはちょっと頂けない。
2018年10月 「ありがとう、トニ・エルドマン」
奇妙な映画だ。本作を見て、ああ、いい映画だったーと満足することは僕にはできなかった。本作に出てくるお父さんのような人が、僕は大嫌いなのだ。気さくでユーモアがあって「いい人」みたいに思われるが、実はめちゃくちゃ人に迷惑をかけ、人を深く傷つけている。あからさまな悪より、こういう、愛情とかユーモアという仮面をかぶった悪のほうがたちが悪いことがある。だから、最終的にこうした人物を肯定する内容に、どうしても納得がいかない。それでも一筋縄ではいかない作品でもあって、奇矯さが静かにエスカレートしていくあたりは見ごたえはある。ただ、どう考えても長すぎる。これは、意味のある長さではなく、単に編集が拙いだけに、僕には思える。
2018年10月 「ダンケルク」
ダンケルクという戦場を舞台に、いくつかの場面がほぼ交わることなく平行して描かれる。これは海外ドラマでよく使われる手法で、それぞれの場面が影響しあうかしないかギリギリのところを進み、うまく一つのテーマを現しているようなものを見るとき、充実感とともに「巧いなあ」と感心する。本作においては、この複数場面の絡みがどうもうまくいっていない気がする。割と細かく場面が切り替わるのだが、単純にちゃちゃっと繋いだだけで、そこに説得力も深いドラマも生まれていない。もちろん、場面ごとのドラマはあってそれで感情を動かされたりもするのだけれど、一つの映画として何か大きなメッセージや感動を伝えているかというと、それはない、という感じ。クリストファー・ノーランの映画はいつもそうだが、とてもシリアスで骨太な物語を描いているようで、最後はトンチンカンな印象で終わるのだ。
2018年10月 「ディストピア パンドラの少女」
小説版は3年前くらいに読んでおり、この映画版は、小説を忠実に一場面ずつ映像に置き換えていっただけだった。小説と映画とは根本的に違うものだから、原作ありきの映画で名作となるものは必ず映画なりの解釈、映画なりの表現を模索して実現している。なにより本作には、映画を作る喜びや志が感じられない。
  
2018年 9月 「ガス人間第1号」
自らを自由にガス化できるガス人間による犯罪劇。日本舞踊の家元である怪しい美女(若き日の八千草薫)とガス人間の交流など、一風変わった趣向で楽しませてくれる。不気味な雰囲気の演出がなかなか良い具合に成功しているし、ガス化する際の特撮もよく出来ていて陳腐に思わせない。力作だと思う。
2018年 9月 「美女と野獣」
2017年の実写版。かつてのアニメ版の実写化なので、音楽はアニメ版を踏襲し、いくつか新曲も追加されている。アニメ版は、僕がその後ディズニーアニメを見続けるきっかけになるほど気に入った作品だった。いい曲が多いので、ミュージカルシーンはそれだけで楽しくなってしまう。ミュージカルの常としてお話部分は実に他愛もないし、最後に野獣が王子様に戻るのは差別的とさえ言えるが、それでもラストシーンにはどうしても泣かされてしまう。悔しいけど。
2018年 9月 「選挙2」
これまでずっと好きで見続けてきた想田和弘監督の観察映画シリーズだが、本作は僕にはまったく受け入れられなかった。
 前作『選挙』では、主人公の“山さん”が、さぞや押しの強い人間かと思うと全くそうではなく、さんざん振り回されていく過程が抜群に面白かった。今回はそうした意外性はなく、最初から“山さん”は普通に政治談義をし、普通のことしか言わない。他にも、面白いシーン、面白い展開はまったくない。
 そして今回、何より気になったのは、監督の振る舞いだ。本作では、“山さん”以外の候補者の選挙活動も映される。しかも、事前に許可は取らずに勝手に撮っている。中には撮ってほしくない人もいるから、当然トラブルになるし、その様子も収録されている。監督は、「撮影してもいいでしょ、なぜ駄目なの?」と全く悪びれる素振りもなく、あとで“山さん”と「いやあ、○○さんに怒られちゃいましたよ〜」と笑って話したりしている。(そのやりとりも、映画の一部だ。)
 こうした監督の様子を見て、正直、嫌悪感を覚えた。確かに、映されている候補者は、街頭でのあいさつなど通り一辺倒の選挙活動をおこなうばかりで、僕もそれにはあきれるし、批判したくもなる。それでも候補者達がそれなりに頑張っていることは見てわかるし、それを“面白い”ものとして撮影したり、本人が嫌がっているのに撮影を続けたり、勝手に映画にしたりすることが許されるはずはない。日頃、想田監督のSNSでの発言など、正義感はわかるのだがあまりに一面的な主張を振りかざすことに違和感を覚えていたせいもあって、この映画はその違和感を強調するものになってしまった。
2018年 9月 「駅馬車」
いやあ面白い。ずっと前に見たことはあったのだが、なぜかその時はあまり印象に残らなかった。今回見返してみれば、これぞザ・映画という感じで、1時間40分を楽しく過ごすことができた。登場人物それぞれにドラマがあり、じっくりと人物像を立ち上げて見せてくれる。それでいてアクションシーンも満載とあれば、これ以上映画に何を求めるのかという問いに立ち返る。これが1939年に作られ、それを現代の僕らが楽しんで見られるという凄み。
2018年 9月 「華麗なる激情」
ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画を依頼されたミケランジェロの苦悩を描く。自分は彫刻家であって画家ではないという矜持、それでもやれと言われれば身を削ってもやり通す精神。ミケランジェロ像が史実に忠実に再現されている。そして、妻と二人、数ヶ月前に訪れたばかりの場所が映像に出てくるだけで、見ている僕らは興奮してしまった。礼拝堂の壁には、ボッティチェリやギルランダイオらルネサンス初期の大家によって先に絵が描かれていたことや、足場を組んで天井に向かい、そり返るようにミケランジェロが製作を進めていたことなど、とても面白く見た。ただ、映画そのものはかなりテンポが悪く、ドラマと言えば教皇との確執くらいしかないので、同じようなやりとりが何度も繰り返され、やや退屈なものだった。
2018年 9月 「散歩する侵略者」
僕はどうも黒沢清作品とは相性が悪いらしい。侵略した宇宙人が地球人の頭から《概念》を奪うという設定と、それにまつわる展開にぜんぜん乗れない。制作サイドが《概念》を奪うということ、《概念》を奪われるとどうなるのかということについて、たいして深く考えていないのじゃないかという気がするのだ。もちろんフィクションだから何でもアリとは思うが、しらけずに見せるためのお膳立てはしてもらわないと、見る気が失せてしまう。だいたい、なぜ《概念》を奪うのかもわからないし、そんな能力があるのならもっと手っ取り早く処理できると思う。(片っ端から《概念》を奪って、必要なものだけ残す、とか。)また、おそらくこの作品のポイントは、結局人間にとって《概念》とは何なのかをあらためて考えさせるところにあると思うのだが、そこにはほとんど触れられていない。
2018年 9月 「ブレードランナー 2049」
僕は前作にはまったく思い入れはないが、本作は単独作として充分に楽しめた。とにかく映像の作り込みが素晴らしくて、CG臭さがほとんどなく、全編を通じて違和感のない世界観を作ることに成功している。いっぽう、内容的には僕が一つどうしても引っ掛かってしまう点がある。レプリカントは自分自身がレプリカントなのか人間なのか区別がつかない、ということは、人間同様に食事、排泄その他をおこなっているということであり、それは一体どういう仕組みなの? というものだ。もちろんSFだからそこは突っ込まないのかもしれないが、他の人間に区別がつかないばかりではなく、自分自身にも区別がつかない、というと、相当精巧な仕組みのはずで、さすがにそこまでの技術が実現された世界には思えない。(例えば「エクス・マキナ」だと、女性型アンドロイドに食事や排泄をおこなう機能はなく、股間に空いた穴でどうにかSEXらしき行為ができる程度だから、リアリティを感じられる。)そして、いったんそこに引っ掛かってしまうと、本作のテーマである、レプリカントの子供がどうしたこうしたというあたりにもついていけなくなる。考えすぎなのかなあ。
2018年 9月 「カメラを止めるな!」
前回は一人で見に行き、今回は妻を誘って見た。妻にもけっこう気に入ってもらえた。観客は初見の方が多いようで、序盤の展開に反応しているのは僕くらいだった。あらためて見ると、俳優さん達の演技レベルは総じて高く(あえて言えば、監督役の方が今ひとつなくらい)、練りに練られた構成とそれを実現した努力には感嘆する。映画って楽しい、素晴らしいと思わせてくれる、実に幸せな一本。
2018年 9月 「セールスマン」
イランのアスガー・ファルハディ監督作は『別離』以来の鑑賞。妻を暴漢に襲われたショックで行動がどんどんエスカレートしていく夫を中心に話は進む。夫婦の溝が徐々に深まっていく過程や、共に俳優として舞台に立つ彼らの演技がうまくいかなくなる様子など、見ていていたたまれなくなる。割にストレートなミステリー仕立てになっており、ラストに向かって興味は持続する。ただ、多くの人が指摘しているとおり、劇中劇である「セールスマンの死」と本作との関連がどうもしっくり来ない。あまりに直裁にリンクしすぎるのを避けたのだろうが、だとしたら、劇中劇においても何か印象に残るシーンを入れないといけないだろう。つまらなくはないのに、見終えてあまりいい印象を持てないのは、そこに原因があると思う。
2018年 9月 「ボーダーライン」
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作を見るのはこれが3本目。おそらく、キャッチーさとしては本作が一番なのではないか。メキシコ麻薬カルテルという、一時は映画も本もこれで溢れかえっていたテーマを扱っている。アメリカ国防総省の隠密行動に呼ばれたFBIの女性捜査官が主人公だが、彼女は最後まで傍観者であり、真の主役は脇からそっと登場する。なかなかに恐ろしい暗黒の世界ではあるものの、ラストの展開が僕にはしっくり来ず、そのせいで軽い内容になってしまったように思える。そんな簡単なものじゃないから闇は深いのだろうに。この点において、同じ内容を扱っても最後まで救いを与えなかった『悪の法則』に、僕は軍配を上げる。
2018年 9月 「カーズ/クロスロード」
なんだかいろいろ派手なアクションシーンはあるのだけど、そのアクションを見せるためにストーリーが作られたような感じで、全く乗れない。ラストの展開にも、まあそういう考え方もあるのだろうけど、という印象で、感情をまったく動かされずに終わった。
2018年 9月 「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」
まず、猫のかわいさを全面に出そうとする映画にたいしたものはない。ドラッグ中毒から抜け出せない若者が、猫との交流で自分を取り戻していくというストーリーは、実話に基づいているとはいえ、なんだか嘘くさくて受け入れづらい。タイトルにもある「ハイタッチ」がなんともわざとらしくて萎えるのだ。
  
2018年 8月 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」
マーベルユニバースには全く乗れないけれど、このシリーズだけは好きで見ている。やはり、それぞれのキャラの立て方と活躍のさせ方がうまいなあと思う。そして、スターウォーズがどこまでも血縁関係の物語だったのに対し、新しいスターウォーズとも言われる本シリーズでは、血縁を否定し、血縁以外での結びつきこそ大事だとする主張にも共感する。いまや、スターウォーズエピソード9より、こちらのシリーズ3作目をこそ早く見たい。
2018年 8月 「ソイレント・グリーン」
古き良きSF映画の佳作。制作当時における未来像を知るのも興味深いし、こういう未来が来てもおかしくはないと思わせるところが、想像力の逞しさを感じさせる。短い映画だし、テーマやメッセージはストレートで小気味よいほどだから、こういう映画をみんな見たらいいんじゃないかなあ。
2018年 8月 「夜明け告げるルーのうた」
湯浅政明監督作品は『夜は短し恋せよ乙女』『マインド・ゲーム』と面白く見たが、最新作の本作には全然感心しなかった。青春もの、恋愛ものとしては実にフツーだし、ルーのキャラクターにもまったく魅力を感じない。この監督の最大の特色である変てこな演出もほとんど見られなかった。
 ルーが出現するシーンなど、重要な部分の演出もかなり雑な印象を受ける。内容的にもポニョの焼き直しというか、出来の悪い宮崎駿オマージュのようで、まったくいただけなかった。斉藤和義の『歌うたいのバラッド』が全編を通じてテーマのように流れるのもセンスがないなあと思うし、その曲をラストで主人公が歌うのも、彼は歌が下手という設定だからといって許されるはずもなく、聞いていて不愉快になるレベルだった。
2018年 8月 「傷だらけの栄光」
実在したボクサー、ロッキー・グラジアノを描いた作品で、スタローンの『ロッキー』の元ネタともいえる。ボクシング映画には名作が多いが、これもその一本と言えるだろう。ポール・ニューマンの自然な演技には驚かされるほどだ。ただし、ボクシングシーンの下手さだけは頂けない。スタローンだってデ・ニーロだってもうちょっとボクサーらしく見えたぞ。
 この映画、もともとはジェームス・ディーンが主役の予定だったが、撮影前に事故死したため、ポール・ニューマンが演じた。ヒロイン役は実生活でジェームス・ディーンの恋人だったピア・アンジェリ。そんな情報を知るのもまた楽しい。
2018年 8月 「たかが世界の終わり」
グザヴィエ・ドラン作品を初鑑賞。いやあ、渋い、というかいじわるな映画を撮るなあ。ウディ・アレンをさらに嫌らしくした感じとでもいおうか。予告編を見るかぎり、病気で余命宣告をされた青年が帰郷し、自分がもうすぐ死ぬことを告げることで、家族の関係が乱れていく、というような内容を想像していたら、全然違っていてびっくりした。
 確かに面白い映画だけれど、もう一度見るのは辛い。あのクソ家族ぶりは、『ミリオンダラー・ベイビー』に匹敵するかも。それぐらい役者陣の演技が素晴らしいのだ。いっぽう、あの主人公の青年は、いくら引っ込み思案だからって、あそこまで発言できないものかね、と疑問には思う。
2018年 8月 「美女と液体人間」
東宝の「変身人間シリーズ」第一弾。肌を見せた女性(ヌードではない)が多く出てくるので、そういう狙いも持った作品群と言える。放射線により生き物が液体化し、新たな生物となる、という設定で、序盤はなかなか面白く、興味をそそられる。ところが後半になってどんどん尻すぼみになっていき、最後はまあ予想の範囲内で終わってしまった。原子力への警鐘という側面もあるが、あまり真面目に受け取れそうもなく、『ゴジラ対ヘドラ』のインパクトには比べるべくもない。
2018年 8月 「カメラを止めるな!」
この夏最大の話題作を、ようやく見た。他の多くの人と同様、詳しくは書けないし書きたくない。「騒がれているほどのこともない」という声も聞くが、僕はとても感心して見た。よくできていると思うし、感情を揺さぶられもした。
 原案としてクレジットされている舞台の劇団の方が、「原案」ではなく「原作」と表示するべき、と訴えているようだが、僕はそれにはうなずけない。確かに物語構造としてはほぼ同じなのだろうが、そもそもこの構造自体、ものすごく斬新ということではない。だから世評における「全く新しい映画」「斬新なアイデア」という論調も的はずれだと思う。本作の真にすごいところは、この構造を徹底的に細部にまで落とし込み、精緻に丹念に作り上げているところなのだ。監督をはじめ、そうしたスタッフの志の高さにこそ、僕は感動した。
2018年 8月 「アフターマス」
アーノルド・シュワルツェネッガーが、アクションは全く封印して臨んだ一作。実際の航空機衝突事故に材を取り、展開もほぼそのままに作ってある。事故で家族を失った男性をシュワルツェネッガーが演じているが、年老いた体を画面にさらし、なかなか見ごたえのある演技を披露している。とくに全裸の後ろ姿など、醜悪ささえ感じさせる身の挺し方には頭が下がる。いっぽうの対立軸として、事故の原因を作った航空管制官が並行して描かれる。ちょっとした不運や些細な不注意が重なり、悲劇が起こってしまった。271人の死者を出したことを一人で抱えきれるはずもなく、自堕落な生活を送り、支えてくれるはずの妻も去っていく。この二人が徐々に距離を縮めていく様は、なかなかにスリリングで見ごたえがある。ただ、事実を元にした作品はたいていそうだが、事実を大幅に変更することができないという制約があって、作品として見ると弱い部分ができてしまう。本作でも、とくにラストに至る経緯のあたりの描き込みがなんだかあっさりしすぎている気がした。
2018年 8月 「エルミタージュ美術館 美を守る宮殿」
好感を持ったのは、美術館の収蔵作品を丁寧に見せて解説してくれるところ。だから、美術好きな人向けの映画であって、まったく興味のない人にとってはさぞ退屈だろうと思う。ジャンル映画と言ってもいいのかな。僕は好きです。
2018年 8月 「モアナと伝説の海」
ピクサーではないディズニー本体が作るアニメには出来不出来にばらつきがあって、『ズートピア』『シュガー・ラッシュ』『ボルト』あたりは傑作だと思うけれど、『ベイマックス』『アナと雪の女王』『プリンセスと魔法のキス』なんかはまったく評価できない。
 そして本作についても、なんじゃこれ、という出来。ディズニーやピクサーは毎回、技術的な成果を見本市のように見せるのが通例で、今回も水や砂や髪などのCGについては、本当に凄いところまで達成されたものだと感心する。ただ、どんな技術でもそうだが、それが作品の面白さを下支えして初めて意味があるわけで、技術を見せることが目的になったら作品として必ず失敗する。本作がその好例だろう。
 前半あたりを見ていて、モアナが外海に出たい→父親が止める、と何度も同じパターンで繰り返すところからして退屈だった。そして、いつか外海に出るのだろうが、その先どう展開するのかと思っていたら、案の定、そこからがさらにつまらなくなる。一人で冒険に出ているから、仲間との葛藤が描けない。そこへマウイという仲間がやってくるのだけれど、コイツが魅力に乏しいのだから、本当に救いようがない。
2018年 8月 「美しい星」
吉田大八監督作品は、これまで全て見てきた。ぶっとんだ映画を作る監督だとは思ってきたが、本作もなかなかにすごい。それでも、園子温や中島哲也のように下品な方向に走るわけではく、やはり吉田監督流のある種上品なハチャメチャ感であり、僕は本作をとても気に入っている。しかも鑑賞後にどんどん好きになる感じだ。
 リリー・フランキー演じる気象予報士が、あるとき急に「自分は火星人だ」と言い始め、番組内でも奇矯な言動を繰り返す。いっぽう彼の妻は怪しい水ビジネスにはまり、娘は、偶然出会ったストリートミュージシャンから、「君は金星人だ」と告げられ、息子は有力政治家の秘書に雇われ、「お前は水星人だ」と言われる。彼ら一家のたどる行く末は――。
 見ていて、「未知との遭遇」っぽい感じだなあと思っていたら、本当にそれを意識して作られているらしい。それでも映画はどんどん違う方向へ転がっていく。一瞬先の展開もまったく読めず、最後まで見る意欲を失わさせないのはすごい。いろんな解釈ができる映画で、それを考えるのも楽しい。
 ただ、傑作「桐島、部活やめるってよ」に比べると、一段落ちるかなあ、というところ。吉田監督には、あれを超える作品を見せてほしい、と贅沢を言ってみる。
2018年 8月 「ハリーとトント」
ニューヨークに一人暮らしをする老人ハリーが、立ち退きにより家を追い出され、飼い猫トントと共に旅をするロードムービー。子供たちの元を訪れるのだが、偏屈者のハリーはどこへ行ってもうとましがられ、去っていく羽目になる。猫のトントはそんな彼と共に、ただのんびりと猫らしくふるまうだけ。古き良き映画の雰囲気に満ちていて、ほのぼのとした気持ちにさせられる。
2018年 8月 「ブレードランナー<ファイナル・カット版>」
僕の世代(50歳前後)だと本作の信奉者はけっこう多いのだけれど、僕は公開当時に見ていないせいもあって、全く思い入れはない。リドリー・スコットという監督はとにかく、「見たこともないような映像を作る」ことに執心する人なのだと思う。その思いを実行し、一作通じて世界観を違和感なく構築できる手腕は素晴らしいと思う。ただ、やはり現在の目からすると、アイデアとしては使い古されたものだし、斬新な映像表現もあふれている中で、この作品をそこまで高く評価することはできない。
2018年 8月 「この世界の片隅に」
近くの図書館で上映していたので見に行く。これで6回目の劇場鑑賞となる。相変わらずすごいスピードで話が進んでいくのを、心地良く見ていた。ただ、初見と思われる周囲の人は、いくつかの場面の解釈に戸惑っているようだった。とくに、すずさんが妊娠したかも、という一連のシーンなどがそうで、これは無理はない。僕も初見の時はそうだったから。
 劇場鑑賞では、映像と音の迫力を体感するのも重要だ。そのあたりがきっちり作られているところも、本作が名作たるゆえんだ。
2018年 8月 「おとなの事情」
友人宅に集まった男女7人。一見、仲良さそうに見えるが、携帯をすべて公開し、送られたメールやかかってきた電話を全員で確認しようというゲームになり、次第に秘密が暴かれていく――。
 いやあ、なかなかに意地悪な映画だった。面白くはあるのだが、いたたまれなさが半端ではなく、その意味で見るのが辛かった。ただ、後半になるにつれ、やや脚本も演技も粗くなってしまい、さすがにそれはないだろうと鼻白む展開になるのが残念。ここをもう少し引き締めればもっといい作品になったと思う。ラストの処理も悪くないだけに、もったいない。ただ、それにしても、もう一度見ようとは思わないかも。
2018年 8月 「エイリアン:コヴェナント」
『ブレードランナー』の感想でも書いたとおり、リドリー・スコット監督は観客に新しい映像体験をさせることを重点に置いて映画を作っている。だから必然として、過剰なほどグロい表現となる。監督はSF映画を作ったつもりが、見ているほうとして感じるのは、これはホラー映画だということ。手法としては完全にホラー映画なのだ。そしてストーリーはと言うと、宇宙を航行中に新しい星を見つけ、行ってみたらエイリアンがいた、という、本当に同じことの繰り返し。本作では少し意外な展開はあるにせよ、ワンパターンの感じは否めない。つまらなくはないけれど、もういいよ、と思う。
2018年 8月 「ブラジルから来た少年」
フランクリン・J.シャフナー監督は、『猿の惑星(1968年版)』『パピヨン』などを撮った名手。本作は硬派なドキュメント風に始まるが、徐々にサスペンスの度合いを高めていき、最後にはオカルト的な方向へと突っ走っていくという、カルト臭たっぷりな作品だった。ナチス残党のマッドサイエンティスト、ヨーゼフ・メンゲレ博士をグレゴリー・ペックが怪演している。しかもこの名前の博士は実在した人物であり、この映画とまったく同じではないにせよ、似たような実験をおこなっている。調べてみると、実際にはこの映画よりももっと酷いことをおこなっていたようだ。映画としては、同じくナチス残党を扱った『マラソンマン』同様、なんとなくトンチンカンな印象はあるにせよ、なんだか頭の片隅に残る一作。見て損はない。
2018年 8月 「光」
序盤の、盲人のための音声解説についての意見会のシーン。永瀬正敏演じる主人公が、解説者は自分の意見を押しつけ過ぎだ、と指摘する。僕は本作自体に、そうした押しつけがましさを感じてしまった。河瀬直美作品は、『あん』でも同様に思ったが、伝えたいことをストレートに描きすぎるため、説教臭さ、押しつけがましさ、物事の捉え方が一面的すぎるきらいなどを感じてしまう。だからテーマ自体は悪くないのに、どこか浅薄な印象を受けてしまうのだ。それは、映画内映画の作りのショボさ、主演女優の演技の拙さにも表れていると思う。
2018年 8月 「クーリンチェ少年殺人事件」
かなり評判が高く、各所で傑作と賞賛されている本作だが、僕はあまり評価できない。まず、少年達の抗争に(少年なりの)真実味が感じられず、子供が背伸びして粋がっているようにしか見えない。その粋がっている様子を客観的に描くのならいいのだが、それを本物の抗争のように見せられるからしらけてしまう。あの少年達が大人と同等に行動したり、ありえない暴力を振るったりするのにも、全くリアリティが感じられない。しかも途中から、グループ間の抗争もうやむやになってしまい、ラストに至る過程もぜんぜん納得できない。そして最大の欠点は、あまりに長すぎること。4時間の作品だから大作というわけではないはず。
  
2018年 7月 「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」
J・F・ケネディ大統領が暗殺されたあと、のこされたケネディ夫人がどう立ち振る舞ったかを描く。部外者の僕には、まったくピンと来ない内容で、正直、非常に退屈だった。大統領の柩と共に公道を行進するのしないのやっぱりするのと、夫人の考えには全く共感できないし、その真意も伝わってこない。事後数年経ってからのインタビュー映像と当時の映像が交互に映されて時間が行き来するのも、ただ煩わしいだけで見づらい。
2018年 7月 「大誘拐 RAINBOW KIDS」
岡本喜八監督作品は全部見るべし、と思って見たが、本作は見なくていいかも。誘拐という凶悪犯罪において、さらわれた老女が毅然とふるまい、若者三人組の犯人がいい奴ばかりで老女の言うなりになっていく、というコメディなんだけれど、もう邦画のコメディの悪い部分ばかり目立ってしまって、見るに耐えない。まずは犯人サイドはもう少しちゃんと悪人であってもらわないと、コメディとして成立しない。最初から頼りない若者ばかりだから、何の意外性もないのだ。正直、演技もひどいし。ここが笑いどころですよー、というのを立てすぎるから笑えない。老女役の北林谷栄も、あまりいい演技に思えなかった。
2018年 7月 「三度目の殺人」
“これまでのホームドラマはいったん卒業し、新たなジャンルに挑む”。そんな是枝監督のコメントを聞いて、注目していた。始まって30分くらいは、是枝監督にしては普通かそれ以下の出来かなあ、という印象だった。それでも、犯人の三隅(役所広司)と弁護士の重盛(福山雅治)との対話が深まるにつれ、映画も深みを増していく。法廷ドラマになるかと思いきや、検事対弁護士の対決にはならない。推理ものかと思えば、実はそこにも主眼はない。最後まで映画のジャンルさえ決めさせないようなスリリングさが持続する。
 僕が心底凄いと思ったのは、終盤近く、弁護方針を転換した重盛と検事、裁判官がいったん休廷して話し合うシーン。ここで監督は、日本の司法制度を真っ向から批判している。裁判官をここまで醜悪に描いた作品はなかったのではなかろうか。
 ドラマとしての決着をつけていないという批判があるようだが、僕はこの内容で良かったと思う。犯人の真意はどうとでも取れるし、そのように作ってある。僕がまた凄いと思ったのは、弁護士・重盛の成長をきっちり描いていることだ。彼は当初、弁護とはとにかく依頼人を勝たせればよい、とビジネスライクに割り切っていたのだが、この事件を担当してからはその考え方を変え、この後の人生にきっと役立てていくはずだ。つまり、人を裁くということの難しさ、何が善で何が悪なのか、真相を見極めるのはとてつもなく難しいということ。それを彼は身に沁みて学んだ。そのことがわかるから、案外ラストは爽やかにさえ思えた。
 役者陣の演技は、福山雅治、役所広司を中心にして、おおむね良かった。ただ、広瀬すずに関しては、なんとなくイマイチだったようにも思う。
2018年 7月 「わたしは、ダニエル・ブレイク」
59歳のダニエル・ブレイクは、心臓病のために医者から仕事を禁じられる。生活のため国から援助を受けようとすると、複雑な制度やパソコン操作を強いられる障壁が立ちふさがり、思うようにいかない。仕事もできず援助も受けられず、どんどん落ちていく日々に、似たような境遇の人々が集まり、助け合って生きていく――。
 これはどんな国でも起こりうる話だから、他人事では決してない。ただ、だからといって援助をもっとたくさんすればいいという単純なことではなく、そのための財源をどうするか、そのための増税は許容できるのか、という問題がある。そして、こうした映画でよくありがちで、本作も全くそうだったのは、この男性がほぼ絶対的に正しく、役所が絶対的に悪い、と描かれること。問題が難しいのは、不当に援助を受けようとしたり、手続きを真面目にやらない人もたくさんいて、役所側にだって簡単に動けない事情があるからだ。僕は役所をかばうつもりはないけれど、でも、役所に勤める人にだって言いたいことは山ほどあるはず。そのあたりをバランスよく考え、描いていかないと、こうした映画はただの憂さ晴らしの域を出ないことになる。
2018年 7月 「ベイビー・ドライバー」
エドガー・ライト監督作品は、初期の『ショーン・オブ・ザ・デッド』『ホット・ファズ』あたりは大好きだけれど、近年の『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う』や本作はあまりピンと来ない。派手なアクションシーンに比べ、脚本としての面白みに欠けるからだ。普段は寡黙だけれど車の運転は抜群に巧いという設定があまり生きておらず、どんどん展開が先細りしていく。
2018年 7月 「この空の花 長岡花火物語」
この4月に見たばかりだが、大林監督のドキュメンタリーや講義のテレビ番組を見たこともあって、妻と一緒に再見することにした。感想としては、前回と同様だ。反戦という単純なテーマを、よくここまで映画的凄みに昇華させたものだと感嘆する。異常なくらいの情報密度と展開の速さ、それを実現する狂ったような編集技術。とても変てこな映画だけれど、とても勉強になり、とても愛おしい作品。妻もいたく気に入ってくれた。
2018年 7月 「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」
前半はものすごく楽しめた。特に、マクドナルド兄弟と出会い、彼らがシステムを生み出した経緯を披露するあたり。後半はなんとなく先が見えてしまい、(もちろん、その後の展開を事実として知っているからでもあるが)興奮は収まってしまった。事実を元にした作品についていつも感じることだが、事実をあまり変更することはできないため、ドラマとして面白みに欠けるきらいがある。本作でも、主人公のレイがいろんな出来事を経る中で変わっていけば面白いとは思うが、最後まであのキャラだから、正直、飽きてしまうのだ。
2018年 7月 「妖星ゴラス」
日本の過去の特撮映画を褒める人は多いが、改めて見ると、鑑賞に耐える作品は意外に少ないようにも思う。たとえば初期『ゴジラ』は、紛う方なき傑作だ。けれど本作あたりは、特撮の素晴らしさはわかるのだが、人間ドラマ部分がそれにそぐわないお粗末さだと思う。そこをきっちり描けなければ、どれだけ映像的に凄いものを見せられてもしらけてしまうばかりだ。
  
2018年 6月 「ライフ・イズ・ビューティフル」
これぞ映画! 二回目の鑑賞だが、さらに評価は上がった。エンディングロールが出た瞬間、本当に体が震えた。さまざまな悲喜劇をないまぜにしたうえで、それでも人生は美しい、と言い切れる潔さ。
 イタリア映画なのに、ロベルト・ベニーニは本作でアメリカアカデミー賞の主演男優賞を獲ってしまった。その時の映像がYoutubeなどに残されているが、映画に出てくるお父さんそのままのキャラクターで、また泣けてしまった。そして妻役のニコレッタ・ブラスキとも、本当の夫婦である。とにかくロベルト・ベニーニ渾身の一作であることに間違いはない。この人は、この映画一本を作るために生まれてきて、見事にその使命を達成したのだと思う。
2018年 6月 「LION/ライオン〜25年目のただいま〜」
幼少時にさらわれた挙げ句、オーストラリア人の養子となったインド人男性の、実話を元にした作品。しっかり描き込まれ、シーンごとの絵づくりは丁寧でとても美しく、感動的な作品ではあるのだが、当初の予想を何も裏切ることはなかった。googleEarthという現代のツールを使うところが見せ場かと思うのだが、さほど生かされていない。そして最近、実話を元にした作品で最後に本人映像が出て泣かせる、というパターンがあまりにも多すぎて、辟易しているのも事実。
2018年 6月 「聲の形」
妻と共に二回目の鑑賞。描こうとしているテーマ、障碍者やいじめに正面から取り組んでいる点は素晴らしいと思うのだが、いかんせん作品としてのバランスが悪い。感想としては、一回目のもの(http://www.ne.jp/asahi/sealion/penguin/movie/movie_list2016.htm#201611016)とほぼ同じ。
2018年 6月 「ジャズ大名」
岡本喜八監督作は、機会があれば必ず見ている。本作は、邦画ニューシネマの流れなのだろうか、物語性は薄く、とにかく踊れ騒げと画面が弾けまくっている。音楽に国境はなく、楽しいものは楽しいのだ、と堂々と歌い上げた一作。
2018年 6月 「続 網走番外地」
『網走番外地』シリーズ2作目。登場人物などは一作目とほぼ同じだが、一部変更されている設定もあり、この作品だけ見てもわかるように作られている。ものすごい短期間で作られたせいで荒っぽい感じは否めないが、その割にストーリーは凝っていて見ごたえがある。依田を演じる安部徹の悪役っぷりにはほれぼれするし、鬼寅の出てくるタイミングにはしびれる。
2018年 6月 「ネバーランド」
ある劇作家が、公園で出会った一家と交流を重ねるうち、名作『ピーターパン』の脚本を思いつき、作品を完成させる、という物語。海賊ごっこをしていたら本当に全員が海の上で戦う場面になるなど、子供との遊びが創作に結びつくことを示す映画的表現が出てくるが、実に中途半端でわかりづらい。子供たちのうち、とくにピーターとの交流がピーターパンを生み出す、という表現も弱い。なにもかもがぼんやりとした映画。そしてあいかわらず僕にはジョニー・デップの良さがまったくわからない。
2018年 6月 「エゴン・シーレ 死と乙女」
エゴン・シーレはけっこう好きな画家だ。画風からして内向的で神経質な人間かと思っていたが、本作を見ると、かなりの美青年で女性遍歴が激しい優男だったようだ。本作が伝えようとしているのは、道徳的には駄目な人間でも芸術には真摯に情熱的に向かっていく、ということだと思うが、絵を描くシーンが少なく、そこから伺える芸術性が圧倒的に薄いから、目論見は成功していない。シーレを演じる俳優に説得力がないのが一番の原因だと思う。いっぽう、最後までシーレに寄り添う女性ヴァリを演じた女優さんは、狂気や不条理性を体現していて、すごく良かった。
2018年 6月 「ムーンライト」
昨年、発表時のゴタゴタもありながら、『ラ・ラ・ランド』を制してアカデミー作品賞を授賞した映画。黒人社会と同性愛という、いわばキャッチーなテーマを二つ盛り込んでみました、という感じであまり感心しない。二つのテーマはもちろん重要な問題ではあるのだが、それに対するなにがしかの解釈、提案などがあって初めて作品になるはず。そこが見られないなら、ずっと前からあるテーマを並べて再提示したに過ぎない。悪い映画ではないのだが、なにも心に残らなかったというのが正直なところ。
2018年 6月 「ペット」
ほとんど期待せずに見たぶん、意外に良かった。やや対象年齢は低いのかもしれないが、大人の鑑賞にギリギリ堪えうる作品。派手なアクションシーンやギャグを表現するため、最先端でセンスのいいCGが技術的に下支えしているのが格好いい。人がペットを飼うことの是非、というテーマはさすがに重すぎて消化できなかったが、子供と一緒に安心して見られる映画ではあると思う。
2018年 6月 「続・拝啓天皇陛下様」
「拝啓天皇陛下様」の続編ではあるが、物語的なつながりはない。渥美清演じる、前作と似たキャラクターの生き様が描かれる。タイトルから右翼的な映画に思われるかもしれないが、たしかに天皇陛下バンザイの主人公ではあるものの、基本は普遍的な人情話である。戦前から戦後へと、かなり長いスパンの物語をスピーディに見せていく手法は、意外に珍しいと思う。人間の善い面と卑しい面、どちらもしっかり描かれていて見ごたえがある。あのラストにするには、作る側に相当の気概が必要だったろう。骨太で、いま見てもじゅうぶん意義を感じられる名作。
2018年 6月 「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」
前半のくどくどしい展開は、一度見て概要をつかんでいないとストーリーを追うだけで一杯一杯になってしまうだろう。ソウ・ゲレラがらみのパートはただ見せ場を作るためだけの気がして、あまり意味がない気がする。シリーズファンとしては、やはりお馴染みのキャラクターが出てくるあたりでどうしてもテンションが上がってしまう。どうしてもデススターを巡る話になってしまうのはスターウォーズだからしかたがない。見終わってたいした感慨は残らないが、見ているあいだは楽しい時間を過ごせるだろう。初回に劇場で見た時よりも評価は上がった。
2018年 6月 「網走番外地 望郷篇」
シリーズ3作目。1作目はエンターテインメントとして非常に良く出来ていたが、短期間で作られたその後の続編シリーズは、やはりそれなりの出来に終わっている。物語世界も一貫しておらず、前作と同じ俳優が別の役で出てきたりするので、感情移入も難しい。本作では、高倉健演じる主人公・橘の耐えに耐えて最後に爆発、というストーリーが今ひとつ効果的に思えない。
2018年 6月 「万引き家族」
見終わったあと、すぐに頭の整理がつかずぼんやりしていた。この家族とはいったい何だったのだろう。帰りの車の中で、一緒に見た妻と共にぽつりぽつりと感想を交わすうち、少しずつなんとなく見えてきた。もちろん、万引きを肯定するような映画ではない。貧しいという理由があれば犯罪も許される、という内容ではない。現代の崩壊した家族を描いてはいる。崩壊した家族があればそこから逃げていいし、別のコミュニティを作ってもいい。それでは果たして、本作に出てくる〈家族〉はどうだったのだろう、と見終わってからいつまでも考えつづける。
 また是枝監督がすごい作品を撮った。
2018年 6月 「ワンダーウーマン」
酷いという評判は耳にしていたが、これほど悲惨だとは思っていなかった。思いこみだけで突っ走るはた迷惑な主人公ワンダーウーマンがぜんぜん好きになれない。戦争はいけない、人を殺してはいけないと言いながら、ドイツ軍の兵士は遠慮なく殺していくことを、ワンダーウーマン自身が気づいていない、というよりこの映画の制作陣が気づいていないのか。他にも、神話世界を第一次大戦の時代と結びつける強引さ、それにまつわるカルチャーギャップ描写のとてつもないくだらなさ、安いCGなど、どこをどう取り上げてもクソ映画。たとえどれだけガル・ガドットが綺麗だったとしても。
  
2018年 5月 「アウトレイジ ビヨンド」
仕事の忙しい合間、食事をしながら難しいことを考えずに見られるエンタメ映画をと選んだのが本作。本当は一作目を見たかったのだが、録画してあるつもりが見当たらず、やむなく二作目を鑑賞。やはりよく出来ていて、文句なしに楽しめる。以前に見た時には、一作目に較べてバイオレンスのバラエティが少ないと思った。たしかに殺しのシーンは単なる銃撃が多く、その点で物足りないのは確かだろうが、今回はあまり気にならなかった。花菱会の面々がいいねえ。
2018年 5月 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」
レオナルド・ダ・ヴィンチの作品群と画家本人を紹介するドキュメンタリー。なにか奇抜な見た目やもったいぶった展開ばかりが気になり、その割に内容は薄くて見ていられない。テレビ番組としても成立しないほど。
2018年 5月 「哭声コクソン」
単純に、國村準演じる怪人物と周囲との闘い、みたいに思っていたので、この展開には驚き、戸惑ってしまった。見終わってから、町山智浩さんの有料音声解説を聞いて、ある程度は理解できた。ただ、監督の言うような、結局誰が悪で誰が善なのかは見る側が決めてよいという、つまりはいろんな解釈ができるように作ってあるという言葉は、どうも逃げのような気がしてならない。どうとでも解釈できるように作る、というのは案外簡単なことだからだ。そして本作は、見る者をただ驚かせ、ただ混乱させるために作られているような感触があって、志としてあまり感心できない。もちろん、驚きや混乱は映画の要素としてあっていいと思うが、それが最終的に面白さや充実感につながっていかなければただのハッタリ、底の浅いおどかし演出に終わってしまう。役者の演技もオーバーで単純だし、祈祷のシーンも長くて大仰だし、どうもそうしたハッタリ感を覚えてしまって、乗り切れなかった。もう一度見たらかなり感想が変わるかもしれない。
2018年 5月 「ゴッドファーザー」
仕事の忙しい合間、食事をしながら難しいことを考えずに見られるエンタメ映画を、と思って次に選んだのが本作。まあ、もう説明の必要はないだろう。これぞ「ザ・映画」という一本。これで5〜6回目の見直しになる。意外に説明臭いセリフがあったり、やや過剰かとも思える演出もあったが、このスケール感の前には些細なことに過ぎない。
2018年 5月 「宇宙大怪獣ドゴラ」
タイトルの割に、思っていたような大怪獣は出てこず、アメーバのような物体が出てくるのみ。そして、そこに絡む強盗団の描写がチャチで、こういうところをしっかり描かないと娯楽映画としては致命的だと思う。現代において大人が見るにはちょっと耐えられない作品。
2018年 5月 「ローマの休日」
先日のイタリア旅行でローマに一週間ほど滞在したので、シーンごとに「あそこの場所だ」と確認しながら楽しく鑑賞した。大使館の外観がバルベリーニ美術館(カラヴァッジョ絵画が3作品もある!)、最後に記者会見をおこなう広間がコロンナ美術館。そしてスペイン広場も真実の口も、当時からあまり変わっていないようだ。ただ、主役の二人が出会う場所は、フォロ・ロマーナとして今は料金を払って入場するところになっている。
 ……などという個人的思い入れを抜きにしても、楽しめる良作であることに変わりはない。僕はオードリー・ヘップバーンという女優には全然惹かれないし、あのオーバーアクションの演技が巧いとはとても思えないのだけれど、本作だけは奇跡的に美しく、魅力的に撮られている。もちろん私見。
2018年 5月 「パラダイム」
実にオーソドックスなホラー映画。ジョン・カーペンターのこうしたB級的ホラーやSFは好きだし、本作も古くから人気はあるのだけれど、思ったほど楽しめなかった。年齢とともに、こうした作品に対する興味が薄れてきているのかもしれない。大学生の頃ならとことん楽しめた気がする。
2018年 5月 「フランケンシュタイン対地底怪獣」
日本映画専門チャンネルでかつての特撮映画を特集しているのを見ているが、1954年の初代『ゴジラ』に匹敵する作品は見当たらない。本作も、特撮自体のレベルの低さは時代を考えれば仕方がないとして、ストーリー展開や演出に難を感じる。とくに、地底怪獣の出し方が中途半端なので、スリルやわくわく感が出てこない。
2018年 5月 「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」
変てこなタイトルどおり、一風変わったヒーロー映画として楽しめた。ヒロインの造型や、駄目男と彼女との恋愛模様など、徹底して普通ではないのだが、見ているとじわじわと二人のことが好きになってくる。ストーリーの本筋は他愛もないおとぎ話だけれど、ときおりぐっと胸に迫るシーンがある。ただ、鋼鉄ジーグ要素が、ラスト以外にあまり出てこないのが不満。
2018年 5月 「スパイダーマン:ホームカミング」
『マーベル・シネマティック・ユニバース』シリーズとして、またか〜と思うほど短期間での再リブートとなった本作。駆け出しの未熟なヒーローを描く、一種メタ構造的なストーリーは面白いと思うものの、僕の中ではこうした映画界全体の動き、すなわちマーベルやDCでのヒーロー物ごった煮路線への抵抗、反感、辟易感が強く、あまり楽しめなかった。普通にアイアンマンやキャプテン・アメリカが登場するのがなんだか常連客への目配せのように思えて、一見さんはお断り、と言われている気がしてしまう。やたら派手なシーンばかりが続くのも、またかと思ってしまう。
2018年 5月 「左きゝの拳銃」
以前に見たサム・ペキンパーの『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯』など、ビリー・ザ・キッドを描いた映画はたくさんあるが、本作もその一本。デビューしてまだ数年のポール・ニューマンがビリーを演じており、圧倒的に格好良くて存在感たっぷりだ。ただ、その外見的魅力の割に、ビリーの不可解な行動がどうしても理解できず、のめりこんで見るには至らなかった。とにかく後先考えない行動で、悪人善人構わずバシバシ殺していくから、共感はまったくできない。共感できなくてもいい映画はたくさんあるが、本作は僕には今ひとつな出来だった。
2018年 5月 「マインド・ゲーム」
夜は短し歩けよ乙女』で驚かされた湯浅監督の、これがデビュー作。そしてまた大いに驚かされた。本作に比べれば『夜は〜』のほうがよりソフトでより普通の映画に思える。序盤からエログロ路線を堂々と突っ走り、これはどうかと思うラインくらいは平気で越えていく。僕は、たいがいの映画でのビジュアルアート的な表現については鼻白むことが多いのだが、この監督の映画はなぜか許せてしまう。今田耕司、藤井隆を中心とした、お笑い陣による声優も概ね成功している。とくに、坂田利夫さんには、実写映画『0.5ミリ』でも感心させられたが、本作でもやはり非常に良かった。日本のアニメ映画として必見の一作。
2018年 5月 「サバイバルファミリー」
矢口史靖監督作は、『ウォーターボーイズ』『ハッピーフライト』『WOOD JOB』などの人気どころのどれも好きではなかったが、本作は初めて気に入った。自宅で奮戦する話かと思っていたら、日本を自転車で巡るロードムービーだった。序盤から小日向文世さん演じる駄目父親の駄目っぷりがすごい。口先ばかり達者で、実際には役に立たず、大阪あたりで妻がぶっちゃけて叫ぶシーンに爆笑。さらに、過酷な状況を楽しみつつ切り抜ける一家と遭遇し、自分の駄目さを心底思い知る父親の壮絶な表情に爆笑。そしてこのあたりの伏線がしっかり効いているから、後半の頑張る姿に泣かされてしまう。
2018年 5月 「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」
フランケンシュタイン対地底怪獣』の続編。ただし設定は若干異なる。前作よりも特撮の出来は数段良くなり、おかげで随分見ごたえのある作品となった。あの巨大な姿を「フランケンシュタイン」と呼ぶのにはあいかわらず抵抗はあるが、同じDNAを持つ二者が対立し戦う姿にはいろんなメタファーを感じ取れるから、普遍性を獲得している。山だから「山(サン)ダ」、海だから「海(ガイ)ラ」なのだと、初めて知った。
  
2018年 4月 「夜は短し歩けよ乙女」
湯浅政明監督作を初めて見た。最初のうちは、面白いけどもう一度見たいというほどでもないかなあという印象だった。しかし物語が進むにつれ、エピソードのつなげ方もうまいし、なにしろ各シーンの見せ方が独特かつ秀逸なので、どんどん引き込まれていく。主役二人の声優も実に自然で、作品全体としての仕上がりの良さを感じた。アニメ表現の奇矯さによりかかり過ぎとも思うが、他の作品もぜひ見てみたい。
2018年 4月 「この空の花 長岡花火物語」
見始めて15分ほどたったあたりで、「何か今すごいものを見ている」という思いが湧き上がってきた。過剰なテロップや独特の映像表現のせいで「変わった映画」だという評判は聞いていたが、そうした奇矯さは本作の主軸ではない。伝えたいことは意外にシンプルな反戦思想だ。想像力を駆使すれば歩むべき道がわかる、というメッセージも実に映画的で良い。僕が何より感動したのは、震えるような編集の凄みだった。これだけの情報量を詰め込んでおきながらぶれのないパワフルな世界を全編に貫いたこの編集は、大林映画の集大成と言って過言ではないだろう。本作を理解できない人や好きになれない人の気持ちもわかる。それでも僕は本作を万人に強く勧めたい。こんな映画がこの世に存在するんだということを伝えたい。必見。
2018年 4月 「どぶ鼠作戦」
独立愚連隊シリーズ(とはいっても、内容としてはそれぞれ独立した作品群)の第三弾。中国の大平原を颯爽と馬で駆けていく彼らの、なんと清々しいことよ。このシリーズの佐藤允は本当に役にぴったりはまっていて素晴らしい。すっとぼけた存在感の加山雄三も、意外に器用に演じ分けのできる役者だと驚かされる。終盤で二転三転する脚本もよく練られていて見ごたえたっぷり。ユーモアに包みながらその奥にうっすらと、しかし骨太に流れる反戦思想。岡本喜八作品にはハズレがない。
2018年 4月 「メッセージ」
好きになれない映画だった。この監督は、SF映画をジャンル映画としてではなく芸術映画のように撮りたいのかもしれないが、僕にはまったく評価できない。なんとなく高尚な作品に見えるが、特に前半の退屈さは耐え難いものだったし、結局この映画を見て得られるものは何かと聞かれても答えられない。僕はこういう、見かけだけアートっぽくして中身の伴わない作品は好きになれない。
2018年 4月 「ネオン・デーモン」
『ドライブ』で注目し始めたレフン監督だったが、その後の作品にはあまり乗れない。(『ドライブ』以前に作った『プッシャー』三部作や『ブロンソン』あたりは良かった。)本作では、かなりスタイリッシュな映像表現を意識しているのだろう。だが脚本としては、若さと美貌を武器に売れっ子になっていく女性モデルと、それを妬む周囲との確執、という実に単純なもの。最後で少し驚きの展開はあるものの、たいしたことはない。デジタルを駆使した画面デザイン、スローモーションを多用する映像表現、フランス映画気取りの地味な会話の連続など、僕には全てが表面的で“はったり”にしか思えなかった。
2018年 4月 「T2 トレインスポッティング」
ダニー・ボイルは、初期の『トレインスポッティング』だけは好きで、以降は『スラムドッグ$ミリオネア』『127時間』など、見た目は派手だけれど中身が伴わない“ハッタリ”感を感じて、あまり好きではなかった。なので本作もあまり期待していなかったところ、非常に面白かった。これは監督のライフワークかもしれない。“奴ら”のその後を実に生々しく描いてくれて、最初から最後までのめり込んで見た。いつもならノイズに感じてしまうような現代アートっぽい演出も、この映画には実にぴったりと収まって心地がいい。僕にとってのユアン・マクレガーは、決してスター・ウォーズのオビワンではなく、本作のレントンである。
2018年 4月 「I AM YOUR FATHER/アイ・アム・ユア・ファーザー」
スターウォーズ旧三部作でダース・ベイダーを演じた俳優デビッド・プラウズを描くドキュメンタリー。訛りがひどくて声をアフレコされたり、遂に素顔がさらされるシーンでも別の俳優に交代させられたりなど、不遇の経緯が紹介される。三部作でしか知られていない俳優かと思っていたら、それ以前にハマーフィルムの怪奇映画でモンスターを演じていたり、「グリーン・クロス・マン」という交通安全キャンペーンのキャラを演じて大英帝国勲章を授かっていたりなど、ずいぶん幅広く活動していたことを初めて知った。
 本作では、デビッド・プラウズを信奉する監督がスター・ウォーズ関係者らに話を聞き、真相を探っていく過程が紹介される。現在、プラウズ氏とジョージ・ルーカスとの間には大きな確執があり、公式イベントへの出入りは禁じられているらしい。本作を見るとルーカス側に落ち度があったように思えてしまうが、それもまた一面的な解釈だろう。なんとなく、このデビッド・プラウズという人にも問題がありそうな気はする。
 映画の終盤、ダース・ベイダー最期のシーンを彼が演じ直したフィルムが作られたことが紹介される。その上映会のシーンは映るが、フィルムそのものは流されなかった。事の真偽はともかく、そのフィルムをこそ見たかった。
2018年 4月 「沈黙 SILENCE」
2016年のマーチン・スコセッシ版ではなく、1971年に篠田正浩監督が撮った作品。原作者の遠藤周作が脚本も手がけている。その割に原作からの改編も多い。僕が気になったのは、タイトルでもあり主たるテーマでもある「神の沈黙」、すなわち、なぜこの事態においても神は沈黙したままなのか、というロドリゴ神父の苦悩がほとんど描かれなかったことだ。また、ロドリゴ神父とガルペ神父の日本語の聞き取りづらさも頂けない。それ以外は実に丹念に作ってある秀作だけに惜しいと思った。
2018年 4月 「ザ・ドライバー」
古き良き映画。監督はウォルター・ヒル。僕は同監督の傑作として人気の高い『ストリート・オブ・ファイヤー』には全く乗れないのだけれど、寡黙な逃がし屋を描いた本作は実に渋い映画として最後まで楽しめた。見ていて鼻白むシーンがまったくなく、すんなりと映画の世界に入っていける。これって実はすごいことなんだと思う。過剰に派手に演出すればいいものではなく、逆に淡々としていればいいのかというとそうでもない。自分を含め、観客とはわがままなものだが、その要求をきっちり満たしてくれる。
2018年 4月 「ハクソー・リッジ」
序盤の展開があまりに速く、なんだか脚本に映画が踊らされているように思えた。それなりに工夫されてはいるものの、「はい、こんな幼少期で」「はい、女性と出会って」「はい、仲良くなって」みたいに、ただ手順を見せられている気がしたのだ。そしてお決まりの新兵いじめは、かなり定石通りに描かれる。ただ、全裸隊員には笑わせられた。
 その後、法廷劇で独自性が出てきて、戦場シーンからはかなり引き込まれて見た。なかなかのバイオレンス・グロ描写で見ごたえがある。スピード感がある割に画面がわかりづらくならないのは作劇作法がしっかりしているからだろう。ラストで、ヒーローとなった彼に道を空けるシーンにはぐっときた。
 エンドロール前に実際の人物が出てくるのは、正直ちょっと飽きてきたきらいもある。そして本作を見ながら一番しらけたのは、戦闘シーンで使われる安っぽいCG。あれが作品のグレードを二段階ほど下げてしまった。
 ちなみに、アンドリュー・ガーフィールドという役者は、あのぽかんと開けっ放しの口がどうも苦手で、どんな役をやっていていも受け入れづらい。もちろん偏見だけれど。
2018年 4月 「アリーテ姫」
『この世界の片隅に』にどっぷりはまって以来、片渕須直監督作を機会があれば見ている。ただ、『マイマイ新子と千年の魔法」(感想はこちら)も、本作も、僕にはあまり面白い作品ではなかった。アリーテ姫の苦悩と冒険、成長が描かれているはずだし、確かにストーリーはその通りに進んでいく。けれど、見せ方の工夫も、見る側の心情をかきたてる要素も含まれておらず、キャラクターにことごとく魅力がない。実験作だったのかなあとしか思えない。とにかく、あの偉大な、アニメ史に残るほどの超傑作『この世界の片隅に』と同じ監督の映画だとはとても信じられない。
2018年 4月 「シェーン」
西部劇として、こんなにのめりこんで見た作品はなかったかもしれない。どこからか現れ、スターレット一家と共に暮らすシェーン。素性が知れぬまま、街の騒動に巻き込まれていく。悪漢のライカーの非道なおこないに、住民たちは逃げていくか、立ち向かって殺されるかのいずれかを選ぶしかない。スターレットと共に戦う決意をするシェーン。最後の最後まで謎めいていて、格好いい。結局シェーンとは誰だったのか、どうするのが正しい選択だったのかと、見終わった後も余韻を残す。
 西部劇で何か一本と言われれば、僕は本作か、『赤い河』を推す。
  
2018年 3月 「ナイスガイズ!」
ライアン・ゴズリングがドジな探偵、ラッセル・クロウが腕の立つ示談屋を演じる。本筋はシリアスなサスペンスだが、内容はかなり笑えるコメディとなっている。なによりライアン・ゴズリングの駄目っぷりが最高。ところどころで挟まれる奇抜な演出、とくに運転中に眠くなった時のくだりなど、独特のセンスを感じさせる。ただ、いい加減な主人公は全然いいのだが、作る側の意識にもいい加減さを感じてしまい、のめりこむには至らなかった。いい加減でくだらない映画を真面目に作る、という感じが好みなもので。(そういう映画ばかりが素晴らしいとは言わないが。)
2018年 3月 「オリエント急行殺人事件」
イタリアへ向かう飛行機の中で鑑賞した1本目。僕のけっこう嫌いな役者、ジョニー・デップが出ているだけで評価が下がってしまう。ケネス・ブラナーも、なんだか重鎮気取りなところがあまり好きではない。中身も結末も知った上での鑑賞において、なにか格別の経験をさせてくれるものがあるかというと、何もない、というのが実状。CGもあまり良い出来ではない。結末を知らずに見るのならいいかも。
2018年 3月 「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」
イタリアへ向かう飛行機の中で鑑賞した2本目。テニスの女子チャンピオンと男子チャンピオンが戦うという、事実を元にした作品。『ラ・ラ・ランド』でオスカー女優となったエマ・ストーンが黒髪に染めて演じている。コメディ的な雰囲気と、現代におけるMeeToo的ジェンダー論とがうまく噛み合っていないので、どう受け止めて良いのか迷う。
  
2018年 2月 「ロスト・ハイウェイ」
デヴィッド・リンチ作品の中では、かなり面白く見られた。リアル描写と不条理描写のバランスが、僕にはちょうどいい具合だった。ストーリー描写がかなり丁寧なので、リンチ特有の凝った映像や、人物が入れ替わる展開などもすんなり受け入れることができる。途中で出てくる「ミステリーマン」の存在も、やや定型ではあるものの、鑑賞上のスパイスとしてかなり有効だった。デヴィッド・リンチ入門編として最適な映画だと思う。
2018年 2月 「海軍横須賀刑務所」
勝新太郎が勝プロを設立して以降の出演作は、勝新が制作に口を出して作品を駄目にしているケースが多いように感じる。本作は、珍しく別会社(東映)の制作だったせいか、同時代の勝新の別作品に比べて面白く見られた。内容は「兵隊やくざ」シリーズとほぼ同じで、荒くれ者の勝新が最初はまわりの奴らに暴力を受け、あとでその仕返しをする、という繰り返し。それでも勝新の魅力全開だから楽しめる。ただ、延々と殴り続けたり底意地の悪いいじめを受けたり肥だめまみれになったりとかなり陰惨なシーンも多く、最初は辟易しかけたが、あまりに徹底してそうした演出が続くため、これはこれですごい作品なのではという気がしてくる。後半、菅原文太との共演(これ一回きり)のシーンも見ごたえがある。いっぽう、松方弘樹はやはり役者としては小物なんだなあと実感した。
2018年 2月 「ジュラシック・パーク」
見る機会がなく、それほど強く見たいと思う映画でもなかったので、今回が初見。序盤はいい感じに進んでいたので期待したが、いざパークに乗り込んでからの展開が、たいしたアイデアもなく、ただ無理矢理ピンチを作ってあるだけだったので、だんだんと醒めてしまった。CGのレベルは相当なもので、違和感もあまりない。特に、狭いところで人間とやりあう映像は優れていた。それだけに、物語としての面白みのなさが際立ってしまった。
2018年 2月 「宇宙からの脱出」
今年見たうちで、文句なくベストの作品。1969年の作品とは思えないほど特撮がしっかりしていることも凄いが、ちゃんと人間ドラマをSFに組み込んでいるのが素晴らしい。派手なシーンはほとんどない淡々とした演出、なのに息詰まるような展開。宇宙船側と地上側との描写が、それぞれで完璧。最後までまったく読めない展開だからこそ、作り物と思えないリアリティが生まれる。僕はこういう映画が大好きだ。
2018年 2月 「ビリー・ザ・キッド 21才の生涯」
タイトルからして、ビリー・ザ・キッドの生涯を追った作品のように思うが、彼の友人でもあり後に敵対者ともなるパット・ギャレットとの交流が描かれる。とにかくパットを演じるジェームズ・コバーンの存在感が素晴らしくて、ビリーを完全に食ってしまっている。オープニングから、過去と現在が入り乱れるややわかりづらい作りになっており、登場人物が多いせいもあって、物語に入り込むのに時間がかかってしまった。見終わった瞬間はまあまあの出来だったかなと思ったが、段々と、これはすごい映画なんじゃないかと思えてきた。調べてみると、今回見たのは特別版ということで、公開当時のものからかなり変更されているらしい。オリジナルバージョンを見てみたいと思う。
2018年 2月 「エターナル・サンシャイン」
記憶除去の術を受けるカップルが、すれ違いながらも愛を再生させていく話……ということだが、どうもちゃかちゃかした展開がうっとおしいだけで面白みに欠ける。時間操作はしていないはずだから、過去の映像は全て主人公の脳内再生の問題なのだろうが、それにしても説得力がない。評判が良かったから見たが、僕はのれなかった。キルスティン・ダンストが奇跡的に可愛く映っている。
2018年 2月 「お嬢さん」
これは全然駄目。とにかく物語をひっくり返してびっくりさせること、エロとグロを多用して見た目を派手にすることに主眼が置かれていて、全体としての面白さ、役者の演技などは後回しになっている。僕の好きなハ・ジョンウがこんなに駄目なのも珍しい。途中、日本語のセリフが続くのも見ていてきつかった。見ている間はぞわぞわするのに、見終わって何も残らない映画。
  
2018年 1月 「スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒」
『最後のジェダイ』を見る前の準備として、再見。劇場で2回観た時にはかなり面白かったのだが、今回見直すと、思っていたよりも感動は薄かった。結局この映画の面白さは、旧メンバーの活躍シーン、砂漠やドロイド、ジョン・ウィリアムズのあの音楽など、旧作から共通する成分によって成り立っているのではないか。新メンバーの印象は薄く、新しい展開にしても、ほぼ全てがほのめかしに終わっているだけ。そして僕はカイロ・レンが圧倒的に受け容れがたいのだ。悪役ならもっとしゃんとしていてくれ。
2018年 1月 「スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ」
待望のエピソード8、だったが……。妻と二人、18:40の回に見に行き、観賞後は遅くまでやっているカフェで、普段は食べない甘いドーナツを食べながら延々1時間ほど映画への罵詈雑言を並べた。
 いつものオープニングで否応なしにテンションが上がり、いざスターウォーズ世界へ、という気分で最初は楽しく見ていた。ポー・ダメロンが戦闘にでかけ、犠牲を負いながらも成果を上げて帰ってくる。ルークの元を訪れたレイとルークのやりとりも、ヨーダとルークのやりとりを思い出させてくれる。ただ、相変わらずダメダメなカイロ・レン、ポー・ダメロンとレイアとの衝突などを見ていると、だんだんイライラが募り始める。
 レジスタンス側が追いつめられた際、レイアと新しく登場する女性指揮官(ローラ・ダーン)達にはちゃんと方針があったのに、なぜかポーには言わず、ポーも自分の意見を言わないのが意味不明。だからポーはフィンをけしかけ、フィンは敵艦の追尾システムを切るため、その解除方法を知っている鍵師を探しにカジノへ、というまだるっこしい展開となり、鍵師に会うくだりも鍵師と別れるくだりも、まったく納得がいかない。レイアが宇宙空間に投げ出された際の処理にも呆れた。そして僕が最大の欠点だと思ったのは、敵の描き方。カイロ・レンがしっかりしないとこの物語は成立しない、とエピソード7の感想で書いたが、今回はその上司スノークの顛末にも真底がっかりさせられた。こりゃだめだ……、と。
 今作のストーリー上の要が、デススターを壊すとか帝国軍を倒すという能動的な行動ではなく、「追いつめられた現状から脱却する」というなんとも寂しいものだったのが、そもそもの間違いなのではないか。監督のライアン・ジョンソンは自身が監督を引き受ける際、それまで出来ていた脚本をボツにして自分で一から書いたそうだが、その結果がこれかと思うと、いい加減にしてくれと言いたくなる。とりあえずエピソード9はJ・J・エイブラムスがなんとかしてくれることを期待するが、その先があるとしてももうあまり見る気がしない。
2018年 1月 「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」
エピソード8のあまりの出来の悪さに、怒りと共に見直した。いやー、やっぱりこれがスター・ウォーズだよ! 単純明快なストーリー、魅力的なキャラ、テンポよくまとめられた編集。特撮も1970年代としては最高レベルの技術で、いま見ても全くチャチに思えない。CGなんか使わなくても、アイデア次第でこれだけの映像表現が出来るのだ。(特別編で付加された部分は別にして。)点数が4.5なのは、この先つづくエピソード5と6がもっと凄いからに過ぎない。
2018年 1月 「スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲」
あらためて感服するほどの出来。あれだけ偉大なエピソード4を超えるってどういうこと?! と不思議に思えるほど、さらにストーリーが深く面白くなり、キャラの魅力も増している。惑星ホスの闘い、ルークの修行、ランドとの交流など、見どころ満載で、2時間があっという間。そして至福の2時間でもある。ソロとレイアの恋愛の描き方も巧くて、これに比べればエピソード2でのアナキンとパドメの恋愛など、馬鹿馬鹿しくて見ていられない。
2018年 1月 「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」
1983年に劇場で観て以来、面白いけれど前2作よりは劣るかな、と思っていた。最大の原因はイウォークへの反発だ。壮大なスペースオペラに、彼らの素朴な存在があまりマッチしていると思えず、好きになれなかった。今回見るにあたり、「イウォークが出てくるまでは面白い」と思って見ていたら、結果、イウォークが出てきてからも面白かった。とくに最後の三元中継は圧巻だ。エンドアでソロとレイアとイォーク達がシールドを破壊、宇宙空間でシールド破壊を待つランド隊、ダースベイダーと対峙するルーク、という全て素晴らしいシーンがテンポを崩すことなく行き来して破綻がない。見事な編集としか言いようがない。そして最後、ルークとベイダーとの最後のシーンには涙させられる。三部作の結末の付け方として、文句の付けようがない。そして、この先の物語を作ろうとすることがどれだけおこがましいことかがわかる。
2018年 1月 「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」
エピソード4〜6に「特別編」と称してCGをゴテゴテ追加しはじめたあたりから、ジョージ・ルーカスはおかしくなっていった。僕は、こうして必要以上にCGに入れ込み過ぎたことが、エピソード1〜3の一番の駄目な点ではないかと思う。ここぞというシーンでアニメのようなCGバリバリの映像を見せられれば、見ているほうはしらけてしまう。本作では、一番大事なラストのナブーの戦いが本当に酷かった。
 政治を絡めて複雑になりすぎたストーリーもいただけない。僕は本作を何回見ても、ストーリーが覚えられない。パドメが影武者を使う理由もいまだによくわからない。邪魔してばかりのジャージャー・ビンクス、背景が何も語られずに登場し、たいした存在理由も残せないまま散っていくダース・モールなど、新キャラにも魅力が薄い。幼いアナキンが登場し、ここからどう変貌していくのだろうという興味は持たせるが、いかんせん、映画のとしての出来がお粗末に過ぎるのだ。
2018年 1月 「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」
いやー、何が酷いって、アナキンとパドメの恋愛。ジョージ・ルーカスは恋愛を描くことが壊滅的に下手だと思う。ただ二人の楽しそうな光景を流し、互いに好き好き言い合ってるだけのくだらないシーンの羅列。こんなもの、何か恋愛を妨げる要素を一つ作って、それを乗り越えることで恋愛が成就するように作ればいいだけの話。本作を見れば、エピソード5や6で、ソロとレイアの恋愛模様がどれだけ巧く描かれているかがわかる。(ちなみに上記二作はルーカスが監督ではない。)
 いっぽう、パドメを狙った刺客を追って惑星カミーノに着いたオビワンは、実に都合よく相手の最重要機密を知ることに。(これもフォースの成せる技なのか?!) ボバ・フェットの父親が出てくるのはちょっと嬉しいし、アナキンがだんだんと悪の道に堕ちていく感じは悪くないのだけれど、やはり途中途中で出てくるCGバリバリの映像がすべてをぶち壊していく。
2018年 1月 「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」
まあ、あの偉大なエピソード4に繋げるため、頑張ったとは思う。アナキンは無事にダースベイダーになり、ルークとレイアが生まれ、それぞれの星に預けられることになる成り行きは、旧三部作ファンを喜ばせるには充分だろう。半人半機械のグリーヴァス将軍のキャラもなかなか良く、戦闘シーンは割と面白く見られた。ただ、ラストに向け、ジェダイがあまりにあっさりやられてしまうのはどうかと思う。(あのくだりは、ゴッドファーザーのオマージュなのか?)そしてあいかわらずのCG臭い映像にゲンナリすることも多い。それからシスの正体はあれ、ジェダイ評議会の誰も途中で気づかないのかね?
2018年 1月 「すばらしき映画音楽たち」
映画音楽がいかにして作られるのかを追ったドキュメンタリー。ジョン・ウィリアムズとスピルバーグがピアノを前に実際に音楽を作っていく過程など、映画好きならたまらないシーンが続く。ただ、インタビュー映像については、ほぼ同じことを繰り返しているだけ(要は、映画音楽って素晴らしい、という話)なので、もうすこし実際の制作場面を紹介してほしかった。淡々とそうした映像を映すだけでも価値ある映画になる気がする。それにしてもジョン・ウィリアムズは偉大だなあ。
2018年 1月 「デューン/砂の惑星」
元はアレハンドロ・ホロロフスキー監督が撮るはずだったのを、紆余曲折のすえ、デヴィッド・リンチが監督することになった作品。(このあたりの詳細はドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』に詳しい。)
 うーん、この作品の評価は難しいなあ。面白い、とも言えるし、陳腐でB級とも言える。リンチ監督が作ると、どうやってもスターウォーズのようなスケール感は出せそうにないし、かといってつまらないわけでは決してない。ただ、本作が興業で駄々滑りしたことだけは事実だ。
2018年 1月 「マラソンマン」
序盤から秘密めいた展開がつづき、得体の知れない不気味さを漂わせて期待を持たせる。それでも、もったいつけた割にたいした中身はなく、ナチスの残党、ウルグアイに逃げた大物など、それらしいネタを並べただけであらすじレベルの内容が続く。タイトルどおり主演のダスティン・ホフマンはマラソンをする人を演じているが、その設定がまったく活きていない。有名な歯での拷問シーン、ピアノ線を使った襲撃シーンなどのキャッチーな映像を見せることと、“意外な展開”を作るためだけに物語が進んでいく、なんともお粗末な映画。
2018年 1月 「マダム・フローレンス!夢見るふたり」
実在した、果てしなく音痴な女性歌手を描いた作品。当人だけが巧いつもりで、観客は失笑し、それを夫が身を削って強引にショーに仕立て上げる。ほぼ事実に基づいているらしいが、ところどころでフィクションも交えている。ただ、彼女の歌が思っていたほど酷くはないというか、すくなくとも音痴というほどではないので、やや拍子抜けする。
 歌手を演じたメリル・ストリープも良かったが、僕はその夫を演じたヒュー・グラントに圧倒された。これまでに僕が彼を見た中で最高の演技だったと思う。献身的に妻に尽くしながら同時に別の愛人がいるという、決して完全とは言えない人物。そんな男性を見事に、そして彼ならではの個性で演じきっていた。人間とは誠に一筋縄ではいかないものだと痛感させられる。愛人とイチャイチャしていながらも、妻を愛する気持ちや行動にウソはないのだと思う。コメディで軽いルックに見えて、意外に深いところを突いてくる作品だった。
2018年 1月 「キングコング:髑髏島の巨神」
僕は、こういう映画はもういいかなという気がする。これまでのキングコング映画にあった、女性との触れあい、人間との衝突、勝手に悪者にされてしまう哀しさなどはまったく描かれず、ただ怪獣プロレスに終始する。潔いとも言えるが、僕の好みの映画ではなかった。
2018年 1月 「日曜日には鼠を殺せ」
サスペンス映画の傑作、とどこかに書いてあったが、なんだかもどかしいだけで面白みはない。元革命家のマヌエルと少年との交流もたいして深まっていかず、魅力的な描写も少ないから、かなり退屈。
 マヌエルの母親が危篤になり、マヌエルが隠れ家から母に会いに来るところを警察が捕まえるという計画。母親は死んでしまうが、マヌエルにはそれを伝えず、マヌエル宅に出入りする警察のスパイが「危篤だから早く来い」と伝える。ところが母親の臨終のお祈りをした神父がマヌエル宅にいる子供に真相を告げ、それを確かめるためにマヌエルは神父の旅立った先のルルドへ直行するという、なんとも間抜けな展開。ラストもぜんぜん納得できない。
2018年 1月 「13日の金曜日」
見るのは何十年ぶりだろうか。再見して、意外にちゃんと作ってあるホラーだと感じた。ショックシーンではけれん味たっぷりに怖がらせてくれる一方、人物や情景を細かに描写してくれるので、格調すら感じられる。低予算のジャンル映画なのに、そこらへんの作品より見ごたえがあり、志を感じる。
2018年 1月 「レヴェナント:蘇えりし者」
僕にはあまり評価できない作品。レオナルド・ディカプリオにアカデミー賞を獲らせるため、“こんなに頑張ってます”というシーンを並べただけという印象を受けた。ストーリーとしては単純で、ディカプリオ演じるグースが重傷を負いながら生き延び、息子を殺した悪役に復讐する話。先住民との確執もたいして描かれない。
 作中人物の行動にも、ところどころで納得できない。グースがクマに襲われ重傷を負ったあと、一緒に残るのが悪役フィッツジェラルドなのだけれど、彼を残すならもう一人はしっかりした者をつけるはずが、グースの息子と、頼りない若者だけ。これで大丈夫かよと思ったらやはり想像どおりの展開になる。殺しのシーンではその動機もあやふやだし、死体の始末も適当。そして、逃げ伸びて合流した時、彼なら絶対に同行者を殺すはずなのに、殺さない。すべてその後の展開のためにキャラクターが人形のように動かされているだけで、魂の通っていない作品に思える。確かに極寒でのサバイバル術には見ごたえはあるし、ディカプリオの演技やCGの出来は総じてよい。だからそのぶん、見かけだおしに思えてしまう。
2018年 1月 「わたしを離さないで」
小説が大好きなので、期待して見た。妙なあおりや過激な映像音声もなく淡々と進む。それはいいのだが、なんだか細切れのシーンを見せられているようで、話に入っていけない。確かにほぼ小説の通りに物語は進んでいくのに、思いが入っていかない感じというのか。この監督はまだ、一つのシーンを撮ることはできても、映画全体を作り上げる技術が磨かれていないのだと思う。小説のストーリーを追っているだけでは、映画にはならない。そこには映画ならではの表現技術とアイデアが必要なのだろう。ただ、キャリー・マリガンがかわいく映っていたのは良かった。