■ 2017年に観た映画
  
2017年12月 「フェンス」
デンゼル・ワシントン主演・監督で、共演のヴィオラ・デイヴィスがアカデミー助演女優賞受賞、となれば期待は高まる。楽しみにして見たら、あらら……、な作品だった。途中まではいい。もともと舞台劇であり、ブロードウェイで上演された時もほぼ同じ俳優陣で構成されている。しょっぱなからデンゼル・ワシントンがハイテンションでしゃべりまくり、芸達者なところを見せてくれる。黒人差別に耐えながら元気に明るく生きるたくましさやユーモアがあふれており、いいホームドラマに仕上がっていると思った。それが途中、半分を過ぎて彼の浮気がばれるあたりで、おかしくなってくる。おかしいというのは、映画の出来としてという意味だが、あまりに唐突な展開にしらけてしまったのだ。そこから映画はどんどんバランスを崩しはじめ、ラストに至ってはもう吹き出すしかないほどだ。
 僕は本作を見ながら、『葛城事件』を思い出していた。あの父親像とほぼそっくり重なるのだ。自分勝手な理屈を振りかざして家族を言いように振り回した挙げ句、全てをぶち壊しにしていく。つまりは陰惨な物語だ。まったく共感できない男が主人公という点で全く同じなのだが、『葛城事件』で感じたような、こういう人間が正にそこにいる、というリアリティを感じることが本作では出来なかった。これはもう、デンゼル・ワシントンの監督としての腕のなさと言ってしまってよいだろう。後半は、誰の行動にも合点がいかず、ストーリーだけが進んでいく。そもそも、二人の息子の母親が誰なのかもわからず、少なくともローズ(ヴィオラ・デイヴィス)でないことは明らかであり、夫婦がケンカになれば絶対そこに言及するはずが全くされないのも大きな瑕疵だ。ずっと家の中か庭が舞台で進んでいて、ときおり別の場面になるのも映画のつくりとして非常に拙く思える。
2017年12月 「フェリーニのアマルコルド」
フェリーニ作品はあまりに幻想風味が強いと僕には楽しめないのだが、本作は非常にわかりやすい内容、しかもすごく楽しめる作りになっていた。田舎の通俗世界を描いて、映画として通俗になっていないところがすごい。誰が主人公というわけでもなく、とある一家が主軸をなすものの、田舎町に住む市井のいろんな人達がいろんな様を見せる。そのひとつひとつがおかしくて愛おしくて、いつまでも見ていたくなる作品。これはBGVとして映像だけ見ていてもその素晴らしさがわかるほどのレベル。
2017年12月 「小さな悪の華」
以前、映画評論家・町山智浩さんのトラウマ映画として紹介されたのを知り、ずっと見たいと思っていた。TSUTAYAの発掘良品に置いてあったので、さっそく借りてきた。少女二人が、「とにかく悪いことをいっぱいしたい」と無邪気に思いこみ、非道な行いを繰り返す。もっと陰惨な内容かと思っていたらそうでもなく、それでも生々しい肌触りの映像には、嫌悪感を覚える人もいるかもしれない。僕は割と単純に、古き良き映画、という感想を抱いた。
 ときおり恐ろしげな光景に叙情的な音楽がミックスされ、なんともいえない哀感を醸し出す。これぐらいのバランスのほうが、映画としてあるべき姿なのかもしれない。ついつい過激な暴力やエロスを期待してしまう自分に気づいた一本。
2017年12月 「溺れるナイフ」
はいまた来ました、恥ずかしいレベルの邦画作品。それでも、開始30分くらいは期待して見ていた。なんだか妙ちくりんだけれどこれが最新の映画表現なのかもしれない、頑張って理解しようと試みていたのだけれど、途中からその努力は放棄した。理由は簡単、これは単なる駄目映画だとわかったから。
 ストーリーにもセリフにも、アイデアとセンスが徹底的に欠けている。なにかしら伝えないテーマみたいなものがぼんやりあって、そこからなんとなくシーンを繋げていった感じ。登場人物を掘り下げていないから、こういう場面だとこういう行動を取るはず、というところが徹底しておらず、リアリティが感じられない。
 菅田将暉演じる航一朗が、鳥居のそばで泳いでいたから神様のような存在になる、という設定からして間違っている。彼の態度を見れば、神に背く側の人間であることは明らかだし、その後の様子を見ても神様的とはとても思えない。菅田将暉はいい役者なのだが、本作ではまったくいいところが見えなかった。そもそも監督の演技プランが冴えないからだろう。夏芽と仲良くなるプロセスも仲良くなった後の展開もただただサムい。
 とくに、ヒロインの夏芽が襲われるシーンが酷い。簡単に襲われて簡単に助けられて簡単に傷ついて、簡単に夏芽と航一朗は別れる。そしてまたくっついて、もう一度訪れるアクシデントがまた同じ状況だというアイデアの無さ。彼女が芸能活動をしている設定もたいして生きていないから、辞めるの辞めないのの話が実にどうでもよくなる。写真家役、暴漢役など、役者の演技レベルも総体的に低い。そんななか、夏芽を慕う大友を演じた重岡大毅だけが一人、気を吐いていい演技を披露していた。彼の出てくるシーンにはときおり爆笑し、ちょっとほろっと来たりもした。それだけが収穫の映画。
2017年12月 「ミニー&モスコウィッツ」
監督のジョン・カサヴェテス(主人公の不倫相手役で出演もしている)と、本作の主人公を演じるジーナ・ローランズとの実話を元にしているらしい。野卑で怠惰で、出会う人達とことごとく衝突してケンカになる男と、一見まともなようで実は情緒不安定な女。他に出てくるのも似たようなおかしな人ばかりで、まあとにかく登場人物に共感できないできない。なんだろうなあこれ、と思いながら見ていたが、最後まで来ると強引に丸め込まれてしまい、人間というものの底知れなさを感じさせてくれる。
 カップルの母親役として、それぞれの実際の母親が登場する。男側の母親に味があって面白い。まったく一般受けはしないだろうが、実に興味深い映画。
2017年12月 「ソーセージ・パーティー」
かなり下品で尾籠な内容を、しっかりしたアニメーション技術・映画作法にのっとって豪華なスタッフと声優陣が作り上げた作品。散りばめられたアイデアとユーモアが素晴らしく、唸らされてしまう。下品さの程度としては、子供に見せられる内容ではないが、あまりにセンセーショナルな内容を期待すると肩すかしを食らう、というあたり。劇場公開作品だからこれくらいのバランスになるのは当たり前と言わざるを得ない。
 僕が不満だったのは、脚本がややバタバタしていたところ。スーパーで売られている食料品達の物語で、彼らは人間に購入されると、そのまま一緒に幸せに暮らせると信じ込まされている。だからみな購入されることを夢に見ていて、でも実際に購入されるとどうなるか、というところが結構もったいぶって描かれる。でも、食べられておしまい、というのは観客は知っているのだから、そこを妙にじらされてもシラけるだけだ。あそこはもっとちゃちゃっと処理すべきだろう。そして後半、シーンが3つに分かれてそれぞれが平行して展開するという、まるでスターウォーズのような構成になっているのだが、さすがに散漫だと思う。単独のソーセージ君はどちらか一方で充分だし、誰に感情移入するのかもあいまいになってしまい、物語に集中できない。いろいろと惜しい点はあるが、楽しめる作品であるのは事実。
2017年12月 「パッセンジャー」
長期宇宙飛行中に冷凍睡眠から目覚めてしまった、という実によく見かけるアイデアだけで作られ、ヤマ場といえば“なぜか”壊れてしまった宇宙船で、“なぜか”発生する危機に立ち向かう男女、というだけ。せっかくの謎もあっさりばれてしまうし、さらに大きな秘密が隠されているかと思えばまったく何もない。一見それらしくは作ってある宇宙船内の美術とジェニファー・ローレンスの肢体を眺めるだけの、実に頭の悪い壮大なバカ映画。
2017年12月 「われに撃つ用意あり」
この一昔前の寂れて薄暗くていかがわしい日本、というものが大好きだ。そうした色気立つような雰囲気を再現してくれるだけでしびれてしまう。元全共闘の実力者だった郷田を演じる原田芳雄がカッコイイのは言うまでもないが、彼をとりまく硬軟入り交じる人物造型がリアルで素晴らしい。全編を俯瞰すればファンタジーなのだけれど、地に足のついたドラマを見た気分になれる。
 若松孝二監督作を観るのはこれが3本目だが、もっとたくさん観なくてはいけない。1960年代、ピンク映画から名を馳せていく過程はまったく知らないのだけれど、いま観てもこれだけ面白い作品なのだから。
2017年12月 「裸のキッス」
冒頭、いきなり女性が男を襲撃するシーンで度肝を抜かれるも、改心した元娼婦がいわくありげな大富豪との関係に振り回されるその後の展開にはあまり乗れなかった。サミュエル・フラー監督の作品はちょっと独特で、掴みづらい。社会の深い闇を描いているようでいて、僕がそれを理解できていない気もする。判断に迷う映画だ。
2017年12月 「ワイルド・アット・ハート」
デヴィッド・リンチ監督作を続けて見ている。本作は、リンチの他の作品ではあまり見られないエロスを強調していたのが興味深かった。各シーンがけれん味たっぷりで、タランティーノ作品も彷彿とさせる。男女の逃避行を描いた娯楽作品として充分に楽しめる。ローラ・ダーンのヌードが見られるのも○。
2017年12月 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」
なんと初見。もっと思いつきで作った安っぽい映画かと思っていたら、意外にしっかり作り込まれ、登場人物達の心情や関係性まで描き込まれた力作だった。3人の微妙な関係、気の強い女性が本当は秘密を抱えていて懊悩するあたりもよく出来ていて、だからこそあの展開に真実味が増し、それが恐怖へとつながっていく。ちゃんと見ごたえのある映画になっていて、感心した。
  
2017年11月 「エレファント・マン」
公開時はテレビでCMがさんざん流され、大ヒットだった記憶がある。僕は見に行かなかったけれど。今回、二十年ぶりくらいの再見だと思うが、あの有名な駅のシーンで初めて顔が出るような記憶があったけれど、実際は映画の最初のほうからしっかり顔を見せていた。本作の一番の謎は、デビッド・リンチがなぜこうした作品を作ったのかということ。割とド直球な感動路線で、もちろん悪い映画ではないのだけれど、彼のフィルモグラフィでこれだけ浮いていて、そこが不思議でならない。まあ、映画製作の裏側にはいろんな思惑が渦巻いているのだろうし、監督一人で映画が始まるわけではないのだろう。ラストシーンは、ちゃんといろんな解釈ができるように作られていて、終わったあとも考えさせてくれる。
2017年11月 「女と男のいる舗道」
ゴダール監督いわく、連続したドラマでは人間の複雑な様相を表現できない、だから断片的な物語が連続する構成にした、らしい。パリを舞台に、一人の女性とその相手の男性との日常が描かれる。うーん、この映画を楽しんで見られるほど自分にはまだ映画力がついていないようだ。
2017年11月 「エルム街の悪夢」
これは大学時代に見に行って、かなり満足して帰ってきた覚えがある。今見れば王道的なホラーで、格別の凄さはないものの、安心して見られる。昔のホラーは、雰囲気づくりが本当に巧いと思う。画面のいい具合の粗さにも、味がある。
2017年11月 「独立愚連隊西へ」
文句ない傑作。独立愚連隊シリーズとは銘打ってあるが、一作目とつながりはなく、独立した作品となっている。加山雄三演じる左文字少尉が、なぜかいつも無傷で戻ってくる伝説の小隊を率いている。少尉のよき参謀・戸川軍曹を演じるのは、一作目の主役・佐藤充だ。この二人の演技が素晴らしい。とくに、ほぼこれが映画デビューとなる加山雄三が、こんなにたくましくて男くさい役を演じられるのかと驚いた。黒沢映画だと、熱血だがどこか頼りない雰囲気だったのに、本作では頼れる小隊長を見事に演じ切っている。佐藤充のほうは、一作目に引き続きの好演。この二人を見ているだけでも楽しいのだが、ストーリーも実によく出来ている。今の日本人には理解しづらいが、戦場における軍旗にはものすごい価値があり、その軍旗を奪い返すために兵士たちは命を張る。その勇ましさとおかしさが共存して描かれるから、いろんな感情が湧いてくるのだ。いやはやまったくもって素晴らしい。岡本喜八の映画は全部見ようと決めた。
2017年11月 「コウノトリ大作戦!」
評判ほど悪い作品でもなかった。かつて人間の子どもはコウノトリが全て運んでいて、その工場が舞台となる。工場で働く有能な社員(コウノトリだけど)のジュニアと、かつて“配達”されずに居残ってしまった少女・チューリップが、間違って作動してしまった赤ちゃん宅配を引き受けることになる。起伏に富んだストーリーとセンスのあるギャグがいい感じで絡み合い、上質なエンターテインメントに仕上がっている。コウノトリ便がなくなった世界では子供はどうやって生まれているのか、という根本的な問いがあいまいになっているのだけが気になるが、そこに目をつぶれば子供も大人も楽しめる作品だと思う。
2017年11月 「愛のそよ風」
イーストウッドの映画にはときおり、目も当てられないほどひどいものがあるが、これもそんな一本。まあ僕が、こまっしゃくれた少女に大人達が翻弄させられる映画が大嫌いなのもあるのだけれど。けっきょく少女は何も理解せず成長もせず終わってしまう。この映画を誰かがほめていたのだが、誰だったけか。
2017年11月 「人生フルーツ」
書籍『ときをためるくらし』を読み、感銘を受けて映画を見に行った。春日井市の高蔵寺ニュータウンに暮らす老夫婦の暮らしを追ったドキュメンタリー。本では出版された2012年までのことしか描かれないが、この映画はもっと先のできごとまでを描き、本では紹介されなかったエピソード(台湾で戦友の墓参りをするシーン、招かれた出版パーティーで居心地悪そうに座っているシーンなどが印象的)もあってなかなかに興味深かった。さらに、文章だけではどうしても伝わりづらい家の中や畑の実相(メッセージ付きの小さな立て看板の可愛いこと!)を把握できたのも、映画ならではの良さだったと思う。
2017年11月 「ジャック・リーチャー NEVER GO BACK」
前作『アウトロー』は、一昔前のアクション映画という郷愁にくわえ、結構斬新なアクション(「キーシ・ファイティング・メソッド」と呼ばれる格闘形式)が、見ていてとても面白かった。続編となる今作ではあまりそういった点に目が向かず、普通のアクション映画になっていたと思う。面白くないわけではないが、翌日には忘れている映画。
  
2017年10月 「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」
ウフィツィ美術館の作品を一つずつ紹介してくれるものと思っていたら、メディチ家の歴史あたりから話が始まった。それはそれで興味深いが、映画としてはやや弱い気がした。もちろん、きれいな画像でたくさんの作品が見られることに価値はある。美術ファンには文句なくお勧めの一本。
2017年10月 「葛城事件」
一番の“モンスター”である父親が、社会的には大した罪を何も犯していないところが、一番の驚き。ちょっと口うるさくて、ちょっと暴力を振るう、そんな程度の悪でも、これだけ壊滅的に人を滅ぼすことができる。つまり、どこででも起こりうる出来事なのだ。そこが恐ろしい。
 それでもこの映画は、淡々と進んでいく。丹念な描写を重ね、丁寧に作られている。怒鳴ったり暴力を振るうシーンはあるが、特別それを際立たせようと醜悪なドラマ仕立てにしていないのが実に上品で、だからこその薄気味悪さが浮き出る。三浦友和をはじめ、役者陣の演技も総じて素晴らしい。新井浩文はいつものバイオレンスさを潜め、おとなしくて反抗できない長男を見事に演じきった。そして難しい役どころの次男を演じた若葉竜也もすごかった。この監督、ぜんぜん知らなかったが、素晴らしい手腕だ。
 なぜこうした悲劇が起きたのか。僕は“与えられる”ことにポイントがあると感じる。あの父親は、両親からあの店を与えられ、さほど苦労もせずに生きてきた。母親はおそらく若い頃は相当な美人で、ちやほやされて周りが何でもやってくれて、自分で何かをするのではなく誰かから与えられることを普通として生きてきた(だから料理ひとつしようとしない)。そんな二人に育てられた子供達。それ相当のものを与えられ続けたのだろう(死んだ時の高価な棺桶も含めて)が、そのかわり個性はまったく認めてもらえなかった。そこに僕は悲劇の種があると思う。とにかく、こうしたいろんなことを考えさせてくれるし、描かれていないところを想像する楽しみもある。親子関係の悲劇を描いた、どえらい傑作だ。
2017年10月 「みんなのアムステルダム国立美術館へ」
「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」の続編となるドキュメンタリー。前作では、改修に入ったアムステルダム美術館がたび重なるトラブルで頓挫する様子が描かれた。本作はその続きで、長い期間をかけてようやく展示再開となるまでの経緯を描く。トラブルはまだまだ続いていて、近隣住民からの苦情処理など、美術館本来の懸案事項ではないことに苦悩する様が痛々しい。まあそれでも最後はよかったよかったと胸をなで下ろして終わる。美術ファンなら楽しんで見られる映画であろうし、ファンでなくても、市民活動の裏面などを考えさせられるから、見て損はない。
2017年10月 「ばしゃ馬さんとビッグマウス」
脚本家を目指す男女の物語。女性はひたすら努力を続け、男性は口先ばかりで賞への応募すらしない。そんな二人が出会ったら、というものだが、見る前の想像をまったく超えず、ほとんど面白い場面もなく時間が過ぎていく。主人公二人の演技は悪くないし確かに魅力的ではあるけれど、見終わって何も残らない。吉田恵輔監督作では、『さんかく』や『ヒメアノ〜ル』はかなり面白かっただけに、残念。
2017年10月 「拳銃(コルト)は俺のパスポート」
古き良き、最高にカッコいい日本のハードボイルド。宍戸錠が、寡黙な殺し屋を実にクールに演じている。“仕事”の準備をおこなうシーンを淡々と見せ、最後にそれがどう仕組まれ、どう効果が発揮されるかを描く。まさに、1973年のアメリカ映画の傑作「ジャッカルの日」と同じ面白さ、ワクワク感。エンニオ・モリコーネを意識したとされる音楽も、哀愁をひきおこしてくれる。ギャングまがいの抗争は、もちろんリアリティなど度外視だ。でも、これこそ映画だ。84分という短さで、映画の楽しさを存分に味わわせてくれる作品。とにかくカッコいい。
2017年10月 「ラスト・ショー」
名作「ペーパー・ムーン」を撮ったピーター・ボグダノヴィッチ監督による青春劇。高校生男子2人が、同級生との恋愛に失望したり、母親ほどの女性と付き合ったりしながら、うまく噛み合わない青春をやり過ごしていく。1971年公開の映画だが、この頃のアメリカ映画を観ると、意外に女性の貞操観念が高くて驚く。そしてこの映画の最大の驚きは、白黒映画なのにやたらとヌードシーンの多いこと。
2017年10月 「殺人魚フライングキラー」
ジェームズ・キャメロン監督の初監督作品。ところが、wikipediaによればかない酷い撮影状況だったようで、おまけに5日で監督をおろされ、後はプロデューサーが完成させたとのこと。
 原題は「ピラニア2」であり、1978年版「ピラニア」の正式な続編らしい。題名のとおり、空飛ぶ魚が人々を襲って殺す、というもので、ひねりはない。けれども丁寧に作られた作品で、いい感じの映像の古さとあいまって、なかなかに心地良く仕上がっている。もちろんB級映画なので、作りのしょぼさは否めないが、その当たりも「味」として楽しめる。
2017年10月 「日本のいちばん長い日」
三船敏郎主演の、1967年版。1945年8月15日、つまり、戦争終結の玉音放送の日に向け、その前日からの騒動を丹念に描いた力作。三船敏郎演じる陸軍大臣と海軍大臣とのせめぎあい、放送のための文章作成における些細だけれど引くに引けないやりとりなど、見ごたえたっぷりのシーンが続く。歴史的観点から見た面白さと単なるドタバタコメディとしての面白さが同居し、非常に奥行きのある内容に仕上がっている。前半がこうした人間ドラマで魅せるのに対し、後半は一転して停戦反対派による、宮城占拠と放送妨害の様子が、かなりのバイオレンスを交えたアクション映画として描かれる。黒沢年雄がややオーバーアクションなくらいで、役者陣は総じて良く、やはり三船敏郎の存在感は本作でも圧倒的だ。これに比べると、最近作られたリメイク版のほうは、なんとも見る気がしない。
2017年10月 「シング・ストリート 未来へのうた」
2016年に話題になった一作。かなり期待して観たところ、かなりフツーの映画だった。音楽映画はたいてい、映画のルックの割に実のない映画ということが多い。理由は、音楽の力に頼って映画としての掘り下げが浅くなりがちだからだ。本作でも、80年代音楽のかかるシーンでは、そりゃ“上がる”わけだけれど、それは音楽の力であってこの映画の力ではない。
 確かに、仲間を見つけて音を合わせ、徐々にバンドが出来上がっていく過程などは心躍らされるところもある。それでも、あまりに都合よく話が進み、ほとんど葛藤もないままに話が進んでいくので、見ているとどんどん冷めていく。中盤以降は恋愛模様がグダグダして一向に進まなかったりなど、非常に出来が悪い。しかも、主人公の音楽にかける情熱がほとんど伝わってこず、その割に急激に上手くなっていくところも興ざめだ。僕には駄目映画としか思えなかった。
2017年10月 「神様メール」
神様が汚いおやじで、普通のアパートみたいなところに住んでいて、自分勝手に世の中を作って楽しんでいる、という発想は面白い。小説や漫画(藤子・F・不二雄など)では描かれてきたテーマかもしれないが、映画では珍しいだろう。センスがなければただの馬鹿馬鹿しい映画になり下がるところを、うまくまとめている。神様の娘がケンカした腹いせに父親のパソコンを操作し、余命を知らせるメールを全ての人に送ってしまうあたりも、なかなか。ただ、その後はたいしたアイデアが付加されることもなく、ラストもおざなりな感じで終わってしまう。だから、ただの不思議な映画、というくらいの印象しか残らない。もう二ひねりほど欲しいところ。
  
2017年 9月 「SCOOP!」
映画としての出来はさほどでもないが、なかなかに愛すべき作品。福山雅治演じる中年駄目男カメラマンの人生一発逆転劇として、また、二階堂ふみ演じる新人記者とのでこぼこバディものとして、ついでに恋愛ものとしても、楽しめる作りになっている。頂けないのは、テレビドラマばりのお約束演出の数々。冒頭のカーセックスシーンのあえぎ声からして、何の工夫もなくてあまりに安っぽい。福山雅治の演技も、いかにも頑張って野卑な男を演じてみました、という感じで痛ましい。同様に二階堂ふみも、何にもできない新人記者というありきたりのパターンにはまっている。ところが、開始30分過ぎくらいの政治家スキャンダルを撮影するあたりで、俄然面白くなってくる。花火の使い方がとても面白くて映画的で、ぐっときた。2時間映画だとだいたい40分×3幕構成になっているのが定石だが、本作もそれをきっちり守っているから、保守的だけれど見やすい。パパラッチとして安定した1幕からどう展開するのかと思っていたら、きちんと興味を持続させてくれて、見ごたえがあった。いろいろと難はあるけれど、見るに値する映画だとは思う。
2017年 9月 「奇跡」
是枝裕和監督作で、前に見たけれど全然ぴんと来なかった作品。今回は妻と一緒に観た。子供なりの立場や考え方の違い、夢や希望を持つことの大切さなど、今回はすこし響くものがあった。それでも、あまりに子供視点ばかりが続くので、好みの映画ではない。
2017年 9月 「ロッキー・ザ・ファイナル」
ロッキーの本シリーズとしての最終作。主演のスタローン自身の監督作となる。人間ドラマをしっかり作り込もうとしている点で、シリーズとしての信念は貫かれている。ただ、新ヒロイン的な女性の扱いが最後まで中途半端なままだし、彼女の息子とのやりとりや新しく飼い始めた犬とのエピソードなど、意味深に登場した割に何も進展せず、映画全体としてはどうかと思ってしまう。
 それでも、最後の最後で、これぞロッキー! と快哉を叫びたくなる展開になる。たとえ無謀な挑戦に思えても最後までやりきることに意味がある、そうやって自分の力を出し尽くしたあとは勝敗など関係ない。これがロッキー第一作のテーマであり、僕らはそこに感動したのだ。2作目以降は勝負にこだわるようになり、ロッキーが勝ったとしても一作目を超える感動は得られなかった。
 この最終作でようやく本来のテーマが戻ってきた。僕としてはそれだけで大満足だ。
2017年 9月 「インランド・エンパイア」
決して得意ではないデヴィッド・リンチ作品の、とりわけ難解と評される本作を鑑賞。案の定、最初はさっぱり訳がわからず、町山さんの音声解説を聞く。その後、何度も巻き戻して再確認などしながら、3時間の大作を見た。がんばって見た、が……、全体像がぼんやり掴めたかな、という程度。
 主人公の女優ニッキーが久し振りに主役を与えられ、それは互いに結婚した相手と恋をするダブル不倫の映画だった。しだいに彼女は役にのめり込み、現実と虚構との境があいまいになっていく。実はニッキーの出演する映画はリメイク作品で、いわくつきだった。かつてこれを撮影していた男優と女優が実際に恋に落ちたすえに、殺されてしまったという。やがてニッキーの周辺にも不思議なできごとが起こり始める――。
 というのが大枠ではあるが、実際の画面はもっと断片的で幻想的だから、なかなか理解が及ばない。僕もけっきょく、ほとんど掴めずに終わったけれど、ラストあたりの映像表現には確かに魅力が溢れていて、なんだか魅了されてしまった。訳はわからないが映像表現に酔いしれる、というのがリンチの真骨頂なのかもしれない、と少し思った。
2017年 9月 「ブーベの恋人」
前半が退屈すぎて見ていられない。きつめのメイクのクラウディア・カルディナーレと、「ウエストサイド物語」でベルナルドを演じたジョージ・チャキリスが、だらだらとした恋愛模様を繰り広げる。特にチャキリス側の心情が全く伝わって来ず、(そういう心情の描き方をしたいわけでもなさそうだから)イライラしてしまう。後半になると別の男がカルディナーレにちょっかいを出してくるが、いかにも口八丁の頭カラッポ丸出しで口説いてくるため、見ているほうはしらけるばかり。これで揺れ動く女性の心理を描いたつもりなのだろうか。後半の法廷劇になってやや見ごたえは出てくるが、あまり中身のない映画。
2017年 9月 「バタフライはフリー」
7年ほど前、なにげなく録画して見たらすごくいい映画だったので、取ってあった。久しぶりに、今回は妻と鑑賞。やはりよく出来た映画だと感心する。とにかくゴールディ・ホーンの可憐なこと。まずは彼女の姿を見る映画と言えるが、それだけでは終わらない。障害を持つ男性との恋愛という重いテーマを軽いコメディタッチで描き、ただ面白いだけに留まらず深いところまでしっかり追及している。だから不謹慎にもならず、このバランス感覚が抜群だと思う。
 障害を持つ息子を溺愛するあまり彼の自立を認めない母親、自由な恋愛を望むゴールディ・ホーン。二人は当然のごとく対立し、派手な喧嘩に至る。それでも互いに相手の言い分に影響を受けており、それがその後の展開を生み、観客はそれを見て考えさせられる。1973年公開の映画で、いまだDVD化もされていないのが不思議かつ残念。
2017年 9月 「キートンの悪太郎」
活弁士なしのバージョンで見たが、映像から内容がしっかりわかる。殺人犯に間違われる顛末を、いつもながら体を張ったドタバタで演じるキートンに凄みを感じる。最後がややあっけないが、この時代の映画はこんなものか。30分という短さなのに、見ごたえたっぷりだ。
2017年 9月 「パーフェクト・ワールド」
僕の見たイーストウッド映画のうちでは、最も出来の悪い作品。ケビン・コスナー演じる脱獄犯ブッチが誘拐した子供と徐々に心を通わせていくという、“ストックホルム症候群もの”だ。ブッチは過去に父親から暴力を振るわれた経験があり、それが心の傷になっている。だから子供には優しく接する、という設定なのだが、ここにリアリティがない。ケビン・コスナーの演技にその真実味がまったく感じられず、多重人格的な異常性も感じられず、なんだか間延びした映画になっている。いっぽう子供がブッチに懐いていく理由は、厳しい母親に対し、ブッチは自分のやりたいようにやらせてくれるから、というところだろうが、これも説得力はない。そしてイーストウッド演じる警察側は、心理学者との対立、FBIとの対立など、ドラマ的な要素が埋め込まれているのにそれらが全く生かされず、面白い方向に全然転がっていかない。
2017年 9月 「パリ、テキサス」
ずっと前に観て内容は忘れていたが、いい映画だという記憶はあった。再見してみたら、忘れていたのが恥ずかしいほどの傑作!
 口のきけない兄を弟が迎えに行くシーンから、ぐいぐいと引き込まれていく。大きなドラマは起きないのに、ずっと観ていられる感覚。画面はどれも引き締まっていて、これぞ映画、という映像を楽しませてくれる。男が徐々に口を開き始め、兄弟のロードムービーから親子のロードムービーへと緩やかに移っていく。その背後にもちろんストーリーはあるのだが、直接的には描かれず、断片的な会話の内容から観ているものが頭の中で組み立てていく。だから深みのある映画体験となるのだ。
 初見の時には気づかなかったが、子供のセリフや持ち物において、スターウォーズのイメージがいくつか挟まれている。これは親子の物語だということを示しているのだろう。こうしたさりげなさも上品だ。
 最後の夫婦の会話のシーンも実に見ごたえがある。ただ、さすがにちょっと長すぎると思ったから、ここでマイナス0.5点。それ以外は完璧。
2017年 9月 「なまいきシャルロット」
14歳のシャルロット・ゲンズブールのなんたる瑞々しさよ! 表情や所作の一つ一つがとても演技とは思えず、これは公開当時、衝撃的だっただろう。この年頃の少女のわけわからなさを体現して圧倒的だ。何度か流れるテーマ曲も魅力的(ただ、若干使いすぎ)で、映画を観る心地よさを味わわせてくれる。難解な文芸映画と思われるかもしれないが、実際に観てみれば通俗的とも思えるほどわかりやすくて観やすい作品。そして最後には、シャルロット・ゲンズブールの存在感だけが心に残る。
2017年 9月 「何者」
大傑作『桐島、部活やめるってよ』の原作者・朝井リョウによる同名作品の映画化。就職活動に奔走し悩む大学生達を描く。
 結託して就活を乗り切ろう、と勢いづいていた男女が、徐々に関係性を壊していく。これは当然の帰結であり、そもそもお互いがライバルな訳で、自分以外の者がうまくいったからって喜べるはずもない。就職という大きな波に飲み込まれていく様は興味深く、これは就職以外の何にでも当てはめて観られる。何かを競い合う場には必ずこうしたドラマが生まれるものだから。
 ただ、いくつか気に入らないポイントもある。主人公の拓人の秘密が最後に明かされるが、大して驚きはない。それくらいのこと、やっていても不思議ではないからだ。また、拓人と対称的に夢を追い続けるギンジ(最後まで姿を明かさないのは『桐島〜』とそっくり)、二人の対比がこのドラマのキモなのに、そこが描き切れていないと感じた。山田孝之演じるサワ先輩の存在意義も薄い。
2017年 9月 「血と砂」
戦争映画の大傑作。第二次大戦末期、軍楽隊(軍隊に所属する音楽隊)の少年達が前線に駆り出され、中国軍と戦う羽目になる。戦場に響く楽隊の調べがどこまでも荘厳で美しい。戦争という異常事態の中で、きれいごとでなくそれでいて人間性を失わずに生きるとはどういうことか。それは、日々の創造性と少しの笑いだ。さらに、不謹慎や非道徳性を厭わない。この映画は人間そのものだ。これほど悲惨な内容を、ユーモアを交えて描く岡本喜八監督の恐るべきセンスに脱帽。
2017年 9月 「ユリゴコロ」
最新の日本映画として、どこに出しても恥ずかしいレベルの作品。原作とけっこう違ってると思って小説を読み直したら、面白くなるポイントをことごとく外していた。特に、映画に出てこない重要なあの人の存在が、本作の何よりのポイントなのに!! だからミステリ的な興味も湧かず、どこをどう楽しめばいいのかさっぱりわからない。その割にグロいシーンはやたらと強調してしつこく描くもんだから、ただただ気持ちが悪くなる。いったいこの映画、なにを表現したかったのだろう。
 同時期に公開された『彼女がその名を知らない鳥たち』には原作者・沼田まほかる氏がコメントを寄せているが、本作にはない。また、著名人達のコメントも全て、これから映画を観るという前提のものになっている。推して知るべし。これは、そういう映画なのだろう。
  
2017年 8月 「シン・ゴジラ」
昨年劇場で観たものを、自宅にて妻と鑑賞。劇場で観た時ほどの恐怖は感じなかったが、ドラマとしての出来の良さ、全体のまとまりの良さなどをあらためて感じた。僕にはゴジラがそのまま災害の象徴、とくに事故を起こした原子力発電所に思えて仕方がない。だって震災や原発事故が起きたら、ほぼ同じような事態に見舞われるだろう。最後に核爆弾を落とすか否かという展開は現実世界にはそぐわないが、最後に日本を捨てるか否かという決断はあり得ることだ。そう考えるとやはり恐ろしい。政府がいかに当てにならないかも含めて、恐ろしい。
2017年 8月 「ヒトラー〜最期の12日間〜」
第二次大戦末期、ヒトラーは地下壕に要人達と立て籠もった。本作はその地下壕でのやりとりを中心に描かれている。淡々と群像劇として描かれるのは好感が持てるし、史実としても信用できそうだ。ただ、若い女性秘書が語り部的に中心となって描かれることには違和感を覚えた。ほぼ唯一の生存者であることと、彼女の手記を元に制作されたから仕方ないのだろうが、それならもっと一般人から見た政府首脳の異様さを浮き立たせるなど、工夫が必要だったと思う。ヒトラーという人間像の再現は悪くなかっただけに、映画として中途半端な印象。
2017年 8月 「大魔神怒る」
一作目の「大魔神」に引き続き、よくできた特撮映画に仕上がっている。昨年WOWOWで放映された時に見逃し、いつか再放送してくれかと思っていたら、NHK-BSでやってくれた。感謝感謝。
 一作目とまったく違う世界が舞台で、やはり畏怖される対象として大魔神が祀られている。前作同様、土台となる時代劇がしっかり描かれているから、復讐劇としてのカタルシスが充分に味わえる。対立構造を巧みに取り入れるところなど、実にツボを心得た作りだと思う。
2017年 8月 「イースター・パレード」
フレッド・アステアとジュディ・ガーランドの共演したミュージカル。50歳間近のアステアは、それでもダンスはまだまだ健在だ。私生活で多大な問題を抱えていたジュディ・ガーランドはあいかわらず魅力に乏しいけれど、いくつか素晴らしいダンスシーンも見せてくれる。それでも本作で一番の踊りを見せたのは、脇役のアン・ミラーで、彼女のソロパートが何より見ごたえがあった。
2017年 8月 「現金に手を出すな」
割と有名な映画だが、僕にはいただけなかった。とにかく、主役のジャン・ギャバンの傲慢な態度がうざったい。特に、相棒(というか、ほぼ手下)のリトンと深夜にビスケットを食べながら酒を飲むシーンが嫌いだ。物語は起伏に乏しく、キャラクターに魅力がなく、アクションも大したことがない。なぜにこれが名作なのだろうか。
2017年 8月 「ロッキー5」
5作目にして、傑作だった1作目のジョン・G.アビルドセン監督が復活。おかげで、単純なヒーロー物になっていたシリーズにふたたび昔の味わいが戻ってきた。ボクシングの試合に至るまでの人間ドラマをきっちり描いてくれるから、のめりこみ具合が深くなる。今回はボクシングさえ遂に振り切ってしまった。僕としては最後の決着の仕方がケンカというところが頂けなかった。シーンを見ればわかるが、ケンカだったら何でもありになってしまい、きっちり決着をつけた印象が薄れてしまう。やはり最後にはボクシングの試合(代理でいいので)を見せてほしかった。
2017年 8月 「ヴィジット」
幼い姉弟が、祖父と祖母のところに遊びに行くが実は……、というスリラー作品。世にはシャマラニストと言われるナイ・シャマラン監督のファンがいるようだが、僕はまったく好みではない。思うにこの監督、最初に考えたアイデアを忠実になぞることしか考えていないようだ。だから、ストーリーもキャラクターも細かい設定も、アイデアの実体化だけを目指してバラバラに作られた感じがする。実際にモノを作る際には、その途中でいろんな修正がなされていくほうが普通で、その過程を経ることで全体の筋が通っていく。所詮、最初に考えたアイデアなど大したものではないのだ。たぶん、シャマラン監督は自信家なのだろう。
2017年 8月 「大魔神逆襲」
名作続きの大魔神シリーズが、3作目にしていきなり駄目駄目映画になってしまった。路線変更を考え、子供向け映画を作ろうとしたのかもしれないが、子供だましの作品になってしまった。学芸会レベルの子役の演技が酷すぎて見ていられない。もちろんこれは演出の不手際であって、是枝裕和作品あたりがいかに凄いかが逆にわかる仕組み。実に間延びした展開もあきれてしまう。
2017年 8月 「日本で一番悪い奴ら」
これは本当に恥ずかしいレベルの映画。こういう映画を持ち上げている限り、日本映画の水準は上がらない。綾野剛は「新宿スワン」と似たキャラを演じているが、きちんと演出をされていないから、どう演じていいのかわからないまま臨んでいる。そもそも、彼の演じた諸星という男はもっと地味でおとなしくて、地道に活動をしていくタイプのはずだ。最初はそういう人間として登場しながら、先輩から活を入れられた途端、翌日からあそこまで無道な人間に豹変するのがちゃんちゃらおかしい。そして、最近の邦画に本当によく出てくるピエール瀧氏。あの下手な演技を評価する邦画界が本当にダメダメだ。演技を指導する立場の人がおらず、なあなあで映画が作られているのだと思う。コメディ部分はまったく笑えず、リアリティもくそもあったものじゃない。僕はこういう邦画が本当に嫌いだ。
  
2017年 7月 「ラストタンゴ・イン・パリ」
『シェルタリング・スカイ』でもそうだったが、ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画は僕にはまったくピンと来ない。つかの間の情事を楽しむ男女の姿が淡々と描かれる本作でも、二人のキャラクターに引き込まれることもなく、物語として面白い部分もない。それでも魅力的な映画というのは存在するが、僕にとって本作はそうはならなかった。
2017年 7月 「戦争の犬たち」
アフリカの架空の国家ザンガーロを舞台に、独裁者である大統領の暗殺を企む物語。派手なドンパチはあるのに、アクション、ドラマ共にほとんど見せ場がない。チームを組んで犯罪行為に及ぶ、いわゆるケイパーものとしても、各キャラクターが掘り下げられることもないため、機能していない。クリストファー・ウォーケンを見るためだけの映画。
2017年 7月 「ズートピア」
これは傑作。いろんな特性(体の大きさや機能性、性格など)を持つ動物達が共存する世界。差別や偏見に満ちながらも、それぞれが懸命に生きている。つまりは我々人間世界を、大袈裟に客観的にわかりやすく見せてくれるのだ。当初、日常的なドラマが淡々と描かれると思っていたら、しっかりミステリ仕立てのドラマとなっており、そこにも驚かされた。だから、小さい子供から大人までしっかり楽しむことができる。本当に何から何までよく出来ている、出来すぎている映画。誰が何度見ても楽しめるだろう。
2017年 7月 「ロッキー2」
ロッキーは1作目と4作目しか見たことがなかったので、これは初見。相当ひどいことになるかと覚悟していたら、それほど酷くはなかった。ただ、どうしようもない駄目な奴が人間性を獲得するという圧倒的なテーマ性を持った1作目に対し、2作目以降は地位を手に入れてしまったロッキーがさらなるテーマを何か見つけようとして、結局見つけられなかったように思う。
2017年 7月 「クリント・イーストウッドの真実」
イーストウッド映画をふりかえりながら、当時の思い出を本人や関係者が語る。イーストウッド映画が好きな人には楽しめるだろう。ただ、紹介される映画はネタバレ有りのものもあるから、未見の映画が紹介される時には注意が必要。
2017年 7月 「家」
子供の頃、テレビで良く見ていた感じのする映画。こういう映画が昔から本当に好きだった。とある家に引っ越してきた一家を襲う悲劇を描く。恐怖の対象をはっきりと描かないからこそ、いつまでも興味は尽きず、恐ろしさはどんどん深まっていく。古き良きゴシックホラーとして十二分の出来だ。最近の派手なスプラッターやゾンビ映画もいいが、たまには本作のような映画も見たいと、心底思う。
2017年 7月 「スローターハウス5」
有名な原作も読んだことがなく、本作も初めて見た。映像詩という感じで、美しい画面に見入ってしまう。僕が思うにタイムトラベルものには2種類あって、1つは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように“現在”の自分がいろんな時代に行ったり来たりするもの、もう1つは自分の人生は1つで、“現在”の意識がいろんな時点を行き来するというもの。本作は後者に当たる。原作を書いたカート・ヴォネガットの戦争に対する思いが強く反映されており、穏やかな戦争批判がうかがえる。
 なお、全く知らない人に伝えたいのだが、シリーズ物の第5作ではなく、これ一作で独立した映画なので念のため。
2017年 7月 「ラ・ジュテ」
30分足らずの小品で、「フォトロマン」と呼ばれるモノクロ写真を連続し映す手法で描かれる。舞台は近未来のパリ。人体実験により何度も過去に送られる男が最後にたどりついたのは……。とある映画の元ネタになったことで知られるが、ここでは伏せておく。
2017年 7月 「草原の輝き」
巨匠エリア・カザンの、それほど有名ではないが堂々たる一作。女子高校生のディーンは、恋人のバッドに夢中だ。それでも、「尻軽な女は嫌われる」と親から教えられ、体の関係を許していない。バッドはフットボールの名選手で、父親からの期待を一心に受けている。彼はそれを重圧に思い、ディーンの考えも理解できず、他の女性からの誘惑に心を動かされる。次第に心の溝を深めていく二人に、どんな結末が待っているか。ほろ苦い青春を描いて実に見ごたえのある作品に仕上がっている。
2017年 7月 「団地」
住人達のうわさ話合戦、自治会会長選挙を巡るもめごとなど、途中までは団地あるある話として面白く観ていた。なにしろ主演の藤山直美さんが素晴らしいのだ。こういう団地って本当にたくさんあって、自分なら絶対に住みたくないと思いつつ、楽しんだ。それでも、後半からSF部分が強調されてくるにつれ、段々としらけてしまった。SF部分がそれまでのパートを補完するというか意味あるものならまだしも、そうなっていない。
2017年 7月 「ロッキー3」
3作目にして、既にネタが尽きている感が強い。何より、相手役のキャラが薄すぎてドラマになっていない。ただロッキーを倒したいと思っているゴツい奴、というだけでは面白みが何もないのだ。仕方なく重要人物を死なせるのもどうかと思う。
2017年 7月 「あなた、その川を渡らないで」
韓国に住む、98歳のチョ・ビョンマンと89歳のカン・ゲヨル夫婦。彼ら二人の生活を追ったドキュメンタリー。お茶目な二人の様子を見ているだけで心が和む。見ごたえがあるのは、二人の着ている韓国服がとてもきれいなところだ。派手な色合いのお揃いの服は、彼らの心も映しているように思えてくる。思ったほどドラマ性は強くないかわり、安心して見られる。
2017年 7月 「ロッキー4」
これは僕が大学生の頃(だからもう30年以上前!)にオールナイトで見た。併映は確か、ロブ・ロウ主演の『栄光のエンブレム』だったと思う。当時は映画といえば二本立てが普通だったのだ。
 ボクシングを米ソ対立に見立て、ソ連から見たこともない凄い奴がやってくる、という設定はいい。科学トレーニングvs無骨な従来のトレーニングという対立構造もしっかりしている。それでもやはり、地位を得てしまったロッキーに第一作ほどの情熱は戻ってこない。
2017年 7月 「殺されたミンジュ」
女子校生殺人事件が起こり、その実行犯達が一人ずつ捕らえられ、拷問にかけられる。設定は面白いのに、実際に見ると面白みが薄いのは、意外な展開がほとんどないところだ。見かけのバイオレンス性や設定に頼りすぎていて、作品になっていない。
2017年 7月 「ハドソン川の奇跡」
実際にあったハドソン川不時着事件に題材をとっているため、結末は誰もが知っている。それでも充分に見ごたえのある作りに仕上がっているのは、対立構造を漫画チックに単純にしたところ。かといって陳腐にもなっていないのはイーストウッド監督の腕だろう。最後は見ているほうも思わずガッツポーズをしたくなる。「ざまあ!」と叫びながら。
  
2017年 6月 「南太平洋」
ミュージカルとはそもそも歌と踊りの芸術であって、ストーリーはあってないようなもの。それはわかるが、本作はあまりに陳腐な内容に、せっかくいい歌が多くても、僕にはまったく受け入れられなかった。ただ、1958年という古い映画の割に映像や音声がきれいなこと、当時の技術からすれば特撮映像が非常に上手く作られていることには驚かされた。
2017年 6月 「ファング一家の奇想天外な秘密」
なかなかに奇妙な味わいの一作。ファング一家は町なかで奇行を続ける、自称・前衛芸術家。銀行強盗のふりをしたり、写真屋でポーズを撮った瞬間に口から血のりを滴らせるなど、無意味で人騒がせな連中だ。両親と共にパフォーマンスに参加させられていた二人の子供は、いびつな精神を抱えたまま大きくなる。一家を待ち受ける末路とは……。
 設定としては非常に面白いが、見てみると意外に地味で重苦しい雰囲気の映画だった。僕はこういう自称アーティストが本当に嫌いなので、この両親は心底軽蔑するし、子供達は心底かわいそうだと思う。
2017年 6月 「デッドプール」
アメコミにはほとんど興味がないのだけれど、映画として評判が高いので見てみた。いわゆる「第四の壁を破る」行為として、主人公が頻繁に観客に向かって語りかけるのが特徴の作品だが、それ以外にも映像的な質、見せ方、ストーリー展開など、全体においてレベルの高さを感じた。けれど、見終わって何かが残るという作品でもなく、二時間しっかり楽しませてもらいました、という感じ。

2017年 6月 「ヤクザと憲法」
地方局の東海テレビが暴力団事務所に入り、長期間にわたって撮影を続けるという、掟破りな一作。確かにその心意気は買えるし、撮影と上映を決断した勇気もすごいと思う。が、出来上がった作品には、何か決定的な意志や意図が欠けている気がした。単なる物見遊山で作ってみました、という印象しか残らない。なぜ危険を犯してまでこの作品を作ったのだろうと思ってしまう。申し訳ないが、この息詰まるほど重たい素材に挑むだけの度量も信念もなかったと結論せざるを得ない。
2017年 6月 「ファインディング・ドリー」
前作の「ファインディング・ニモ」は、見たのだがあまり記憶に残っておらず、ドリーが出てきたのも忘れていた。本作は、現時点でのCG技術の粋を集め、かつて見たこともないような映像で楽しませてくれる。水の表現においては、ほとんど実写と変わりないレベルになっている。以前、「ヒックとドラゴン2」の感想で、ドリームワークスのほうがピクサーよりも好みだと書いたが、やはりピクサーの映像も素晴らしい。そして、その映像に負けないほど練られた脚本で存分に楽しませてくれる。素敵な冒険話の中に、水族館の持つ意義や、誰もが他と違っていていい、ハンディに思えることも認めていいというテーマが語られている。
2017年 6月 「或る終焉」
淡々と丁寧に仕事をこなす、訪問看護師を描く。その仕事ぶりの裏には彼の抱える秘密が隠されている。効果音やBGMをほとんど使わず、説明的な描写もすくないところは、ミヒャエル・ハネケ作品を見ているよう。ただ、有名なラストは確かに衝撃的だけれど、あの展開が本作の主題に結びついているかというと、そうでもない気がする。あのラストで、せっかくそれまで観客がつちかってきた心情がぶちこわされる気がしてしまう。ショッキングにすればよいというものではない。
2017年 6月 「ナッシュビル」
ロバート・アルトマン監督の最高傑作の一つとして挙げられる作品。ナッシュビルを舞台にいくつもの人生が交錯し、語られる。驚くべきは歌唱シーンの多さで、160分のうち60分ほどにも及ぶ。歌詞の内容がストーリーに密接に絡むというわけでもなく、歌っている間はもちろんストーリー進行は止まる。それでも本作はそこが魅力で、なぜか知らないが見入ってしまう。登場人物たちもほとんどがどうしようもない連中ばかりだが、そのあまりのどうしようもなさが、見ているうちにだんだんと魅力に思えてくる。こうした映画は、作ろうと思って簡単に作れるわけではない。おそらく、監督自身にも予想できない映画となったのではないか。
2017年 6月 「ロッキー」
妻とともに鑑賞。楽しくて元気が出るような作品と思って選んだのだが、そもそも格闘技が苦手な妻にはどうかなあと半信半疑だった。結果、いたく気に入ってもらえたようで安心した。その実、本作はほんとうにたいした映画だと思う。ボクシングシーンに頼るだけではなく、ロッキーの人間性、周囲との関係などをじっくりと描いてくれる。だからこそあの有名なラストが心に響くのだ。
2017年 6月 「アデル、ブルーは熱い色」
3時間に迫る長編映画で、しかも少女の日常を描く淡々とした内容だ。それでも僕は飽きることなく見終えた。この監督のセンスは素晴らしいと思う。フランス映画なのに、いわゆるフランス映画っぽさ(男女のぼそぼそしたやりとり、叙情的なBGMなど)がない。登場人物に若者が多いせいか、言葉もフランス語に思えず、アメリカ製のインディーズ映画を見ているような印象だ。
 アデルという少女が奔放な恋愛を重ねるなかで一人の女性と出会い、身を滅ぼすほどの関係に至る。これが濃密なセックスシーンと共に描かれ、見るものをアデルの心情深くにまで入り込ませ、引き込んでいくのだ。主役のアデルを演じたアデル・エグザルホプロス、相手役のエマを演じたレア・セドゥ、ともに素晴らしい演技で、カンヌ映画祭の最高栄誉であるパルムドール賞がこの二人に贈られた。監督以外にこの賞が授与されるのは史上初らしいが、うなずける。
2017年 6月 「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」
マイケル・チミノ監督と聞くと『ディア・ハンター』を撮った名監督、というイメージがある。が、素人ながら言い切ってしまおう。これは駄作だ。撮影の仕方と編集の仕方が、どうしようもなく下手だ。それは序盤の殺人シーンを見るとよくわかる。どの角度から撮影し、どのようにシーンを繋ぐのかというポイントが、まるでおかしい。ストーリーも、やたら含みを持たせてもったいぶる割に、たいしたことは起きない。これを見ると、『ゴッドファーザー』あたりの偉大さがよくわかる。
2017年 6月 「男性の好きなスポーツ」
肩の力を抜いて見られるしゃれたコメディとして、充分な魅力を放つ一作。こういう映画は撮ろうと思ってもなかなか撮れるものではない。冴えない中年男が釣りの大会に出る、というだけの話なのに、細部に気が利いているからずっと飽きることなく見られる。本作はこれまでソフト化も劇場上映もほとんどされなかったらしく、今回のBSでの放送はかなり貴重なものとなった。
  
2017年 5月 「人斬り」
評判の高い作品だが、僕にはあまり楽しめなかった。幕末を舞台に、剣豪・岡田以蔵の生涯を描く。岡田を演じる主役の勝新太郎は、勝プロを作って制作に口を出すようになってから、ろくな演技をしてない気がする。つまり、どれも同じ、勝新太郎自身を演じているようにしか見えない。殺陣もいい加減だし、コミカル風な演出はただただ拙いだけ。前半は岡田が人斬りを重ねるばかりで単調だし、牢屋に入った岡田のもとに、師である武市瑞山(仲代達矢)が訪れるくだりは面白いのに、そこからまた盛り下がる一方で終わってしまう。そして、時代劇が根本的に似合わない石原裕次郎が坂本龍馬を演じているのは、悪い冗談としか思えない。僕はこれまで、五社英雄監督の映画で面白いと思った作品はほとんどない気がする。
2017年 5月 「ブルース・ブラザース」
何をやるのもダメダメな二人だけど、音楽をやらせればとことん格好いい二人。彼らが引き起こす騒動と音楽シーンの素晴らしさのギャップがまず素晴らしい。それから、無駄に豪華なカーチェイス。どうやってロケしたのかわからないシーン満載で、並のアクション映画も尻尾を巻いて逃げ出すほどの迫力に驚かされる。今回、初めて見たが、とても面白く、愛すべき作品。
2017年 5月 「スタア誕生」
名作として知られる本作だが、正直、ひどい出来だと思う。女性のサクセスストーリーと男性の没落ストーリー、どちらを描きたいのかわからず、役者の演技も恐ろしく冴えない。男性のほうは全く魅力が感じられず、ジュディ・ガーランドは、歌うシーンではさすがと思わせるが、それ以外のシーンはからっきし駄目だった。
 本作はそもそも154分とかなり長い作品なのに、今回見たのは公開から約20年後にスチル写真を組み合わせて“かさ増し”をした、176分版(!)だった。もう長くて長くて苦痛で苦痛でしかたなかった。
 それにしても、Wikipediaでジュディ・ガーランドの転落人生をあらためて知ったが、こんな悲惨な顛末だったのかと驚いた。
2017年 5月 「ラストサマー2」
前作がそこそこ良かったので見たけれど、まあパート2として可もなく不可もなく。ショック演出、しかも「わっ」と驚かせるところにばかり力が注がれている気もするが、ストーリーはちゃんと落ち着くべきところに落ち着いて、良くできている風に思わせる。でも、パート3は見ないかも。
2017年 5月 「クリーピー 偽りの隣人」
いやー気持ち悪かった。気持ち悪い映画だった。映画全編に渡って不穏な空気がつづくのは、絵作りを中心にした演出が徹底して良くできているからだろう。ただ、それがやや単調すぎて、面白さよりも先述の気持ち悪さやしんどさが先に立ってしまった。このあたり、外国製ホラーのほうがうまくバランスがとれていて、怖いけれど面白く観られるようになっている。「オーメン」「ゾンビ」「サスペリア」など、まあたくさんあるけれど。
 異常そうな人がやっぱり異常だった、という一直線なストーリーも、やっぱりそうかという感じで意外性はない。もちろん、西島秀俊演じる主人公も本質的には変質者と変わりなかったというオチはつくし、途中の妻(竹内結子)の行動は意外で面白かったけれど、映画全体を揺さぶるほどの効果はなかった。
 ところで本作の裏テーマは、夫婦の崩壊と再生だった。ほころびかけた夫婦の間に忍び寄る影として、香川照之演じるあの男が設定されている。
2017年 5月 「リーサル・ウェポン」
メル・ギブソンの、マッドマックスに並ぶ出世作。いかれた刑事を演じるメル・ギブソンが魅力的に描かれ、それにぴったり呼応するやりすぎアクションがまた素晴らしい。ストーリーはとっ散らかっていて、見終わって何も残らない映画だが、見ている間は十分楽しめる。メル・ギブソンには、映画の神様が憑いていると思う。
2017年 5月 「ゴーストバスターズ」
1984年版を初めてしっかり観たが、思ったよりつまらない映画だった。バスターズ達の攻撃が単調で見せ場がない。そこを馬鹿馬鹿しいながらも説得力のある方法で切り抜けるのがこうしたホラーコメディの定石だと思うのに、最後まで同じ展開が続く。ラスボスも、まったく魅力的に描けていない。テーマ曲だけが秀逸。
2017年 5月 「砂漠の流れ者」
期待していなかったが、これは思わぬ拾い物。サム・ペキンパー監督作品のうちでもそれほど取り上げられない一作だが、僕にとって、ペキンパー映画では一、二を争うほど好きな映画となった。監督本人も、この作品が“自分のベスト・フィルム”だと語っているらしい。
 西部劇ではありながら、派手な撃ち合いで見せる映画ではない。無骨だけれど正義感あふれる、一人の男の人生を描いた作品だ。これが実に味があるのだ。テイストとしては、「その男ゾルバ」あたりに近い。途中、ミュージカルのように音楽が挿入され、それが実に爽やかな雰囲気を醸し出している。バイオレンスは今回封印されているものの、エロス表現やその他の一風変わった演出にペキンパー節は健在だ。
2017年 5月 「子連れ狼 死に風に向う乳母車」
時代劇は、どうも言葉に馴染めず、内容が掴みづらいことがある。子連れ狼シリーズでは、第三作となる本作においてそれが一段と顕著だった。そもそも登場人物も多く、それぞれが話している内容が掴みづらいと、ストーリーを追うのもままならない。ただ、アクションシーンは、さすがに殺陣が抜群に上手い若山富三郎だから、見ごたえがある。ただ、女郎屋を営む女頭領を演じた浜木綿子の演技には難があったと思う。
2017年 5月 「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」
僕は、バットマン映画はほぼ全て見ており、スーパーマン映画はおそらく一本も見ていない。本作も全く見る気はなかったのだが、人から「とんでもないことになっているよ」と、主に否定的な意味で聞いたので、逆に興味が湧いて見てみた。本当に、とんでもなく悲惨なことになっていた。とにかくバットマンとスーパーマンを戦わせたいためだけに作られた脚本。間に立ってそそのかすレックス・ルーサーJr.(ジェシー・アイゼンバーグ)の意図は不明なままだし、実に都合よく事がうまくいったりいかなかったりする展開にもあきれる。ジャスティス・リーグ(ヒーロー連合)を作りたいためだけにワンダーウーマンまで登場させ、どんどん大袈裟になるばかりのストーリー。そして、明らかに質の悪いCG。本作には、アメコミに対しても映画に対しても、みじんも愛情が感じられない。
2017年 5月 「マジカル・ガール」
いきなり、はるか昔の日本の歌謡曲『春はSA-RA SA-RA/長山洋子』が流れてきてびっくりする。本作には、日本の魔法少女アニメに憧れる少女が出てくる。その魔法少女アニメの主題歌として、この曲が選択されたのだという。少女は白血病にかかり、父親が娘のためにアニメのコスチューム(かなり高額。100万円くらい)を買うため奮闘する。終始不穏なムードのまま映画は進むのだが、監督はこれを新たなフィルム・ノワールとして作りたかったという。効果音やBGMは少なく、説明ゼリフもなく淡々としたシーンが続く。僕の好きなカウリスマキやハネケーを思わせる映画づくりで、非常に好感が持てた。父親が一人の女性と知り合うシーンは、『マグノリア』や『クラッシュ』を連想する。この監督は、若いながらいい映画体験をしていると思う。居心地が悪いながら、ずっと見ていられる作品だ。
2017年 5月 「スポットライト 世紀のスクープ」
ボストンのカトリック神父による性的虐待を暴き、最終的には全世界のカトリック教会の腐敗を告発した大事件を描いた作品。うーん、アカデミー賞作品賞受賞作だし、いい映画なのかもしれないけれど、僕には正直、ぴんと来なかった。映画として見れば、わかっている結果に向かって一本調子で進んでいくだけだし、登場人物の新聞記者や弁護士が、脚本のために踊らされているように見えてしまった。
2017年 5月 「麥秋」
淡々とした生活描写の中に、人間の持つ嫌らしさ、コミュニケーションの難しさが描かれる、小津節は全開だ。ただ、(とくに前半の)様々なできごとがうまく噛み合っていないのが気になった。主人公の伯父がらみ、子供がらみのエピソードはことごとく失敗しているし、主人公の勤める会社の専務と、主人公の友人とが、恋人でも兄妹でもないのになぜあれほど馴れ馴れしく振る舞うのかもよくわからなかった。
2017年 5月 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」
妻と共に鑑賞。見るのはこれで三度目だが、何度見ても飽きさせない魅力がある。何より、キャラクターの立たせ方が抜群に上手い。いまや小説でも映画でも、内容よりもまずはキャラが求められる。これは、浅薄な作品を頻発させる面もあるが、真理でもある。キャラが立っていれば、ストーリーは自然とついていくような気もする。本作でも、ストーリーを思い返してみれば単純な勧善懲悪に落ち着いてしまうわけで、特に大きな感動や新しい概念が存在するわけではない。でもそれはスターウォーズだって同じことだから、いかに“見せ方”が大事かということになる。
2017年 5月 「10 クローバーフィールド・レーン」
『クローバーフィールド/HAKAISHA』に始まる「クローバーフィールド・ユニバース」という世界観に属する作品、ということらしい。前作とどう繋がっているのかいないのか。そう思いながら見始めたが、かなり雰囲気は違う。交通事故にあった女性が、ある男に地下シェルターのような場所に閉じこめられ、そこでのサスペンスが延々と描かれる。「ソリッドシチュエーション」とも呼ばれる手法で、前作の規模とはほど遠い。ところが最後の最後で思わぬ展開となる。
 サスペンス感はうまく出せていると思うが、キーとなるアイテムの見せ方が下手なせいで、よくわからない場面が多い。「えっ!? 今の何? 何?」という感じになり、興を削がれてしまう。人間の持つ恐ろしさもけっきょく大して描かれず、最後の展開もビジュアルは満点だけれど、うまく逃げたというか、なんとも脚本がいただけない。見終わって何も残らない映画。
  
2017年 4月 「ヒックとドラゴン2」
第一作と同様、妻と一緒に鑑賞。そして二人して感心してしまった。パート2としてこれほど完成度の高い作品を知らない。エンターテインメントとして超一級なのだ。
 まずはアニメーション表現として最先端であること。水、氷、髪、など、従来アニメの苦手としてきた表現が、実写と同じレベルで再現されている。キャラクターの表情も実に豊かで、そこにその人がいるかのように、命を吹き込まれている。本作はドリームワークス制作だが、個人的にはピクサーの映像よりも好みだ。アニメーション制作の現場というのは想像するよりもずっと地味な作業の連続であり、向上心と技術力に裏打ちされて初めて、細部にまで魂の行き届いた作品が出来上がる。だから、見た目の素晴らしさはそこに留まらず、映画全体のクオリティを底上げしている。脚本の出来も相当なもので、ヒックの冒険譚であると同時に、彼の成長、親子の愛情と確執、出会いと別れなど、様々なテーマがうまく盛り込まれており、誰もが楽しめる作品に仕上がっている。本当に完成度の高い一品。傑作だと思う。

※観賞後、妻と二人でこの映画について語ったものを、ポッドキャストで紹介しています。そちらもどうぞ聞いてみてください。
ポッドキャストのページ
2017年 4月 「さざなみ」
結婚45周年パーティーを企画する老夫婦の元に、ある手紙が届く。夫のかつての恋人が、凍死体で発見されたという。しかも、はるか昔に遭難したままの若い姿で。夫は遺体に会いに行こうとし、妻は夫の態度に心を乱される。
 はたから見れば「そんなこと」で済まされる些事が、当人にとってはおおごとになる。人の心の奥深さとおかしさを静かに存分に伝えて興味深い。ウディ・アレンばりの“いじわるな話”とも言える。渋い良作だが、見ていて疲れる作品であり、もう一度見たいとはなかなか思えないキツイ作品でもある。
2017年 4月 「海よりもまだ深く」
昨年秋に劇場で観たものをWOWOWで放送していたので鑑賞。是枝監督の演出はいつも素晴らしく、自然な演技の中に人間の持つ複雑さを滲ませている。だから、さほどの事件は起こらないのにずっと見ていられるのだ。ただ、本作は過去の傑作群に比べると、やや弱い気もした。樹木希林を筆頭に、阿部寛、真木よう子、リリー・フランキーといったおなじみメンバーのキャストに頼りすぎの感じもある。(ちなみに僕は、探偵調査を依頼する主婦役の松岡依都美さんが結構好きだ。)
 是枝監督は、本作にて、これまで撮り続けてきたホームドラマをいったん終わりにし、次作『三度目の殺人』では法廷ミステリーに挑戦するという。今からとても楽しみだ。
2017年 4月 「ちはやふる−上の句−」
申し訳ないが、僕にはおもしろいと思える部分がほぼ一カ所もなかった。最初から最後まで、叫んでいるか、泣いているか、走っているかばかりの学芸会演技がつづき、見る気が萎える。主人公・千早がなぜそこまで百人一首が好きなのかがまったく語られないので、そこでどんなドラマを見せられても何の感想も持てない。あれだけ弱かったチームが優勝する説得力も皆無で、一生懸命競技カルタに勤しんでいる人に失礼だ。非常に志の低い、人を馬鹿にしているとしか思えない作品。松岡茉優(名女優!)の演技が凄いという下の句のほうは、見るのをやめた。
2017年 4月 「トランス・ミッション」
珍しいデンマーク製のアクション・コメディ。名画「黒い聖母」を盗んだ男が、追いつめられた末に、自分の娘にその絵を送りつける。男は依頼主のロシアンマフィアにつかまり、娘に絵を持ってくるよう伝えるが、そこに警察もからみ、三者入り乱れての争奪戦が繰り広げられる。
 アイデアは面白いし、そこそこ派手なアクション要素、コメディとして笑える要素もあるのだけれど、作りがどうにもしょぼくて脚本にも深みがない。面白そうな要素を並べれば面白い映画になる、なんてことは全然ないのだという典型。
2017年 4月 「クラッシュ」
この映画の評判はいろんな所で聞いていた。ようやく見ることができたが、これは正に傑作だ。僕の好みにぴったり合う映画だった。作りは、「マグノリア」やテレビドラマの「サード・ウォッチ」とよく似ていて、様々な登場人物によるそれぞれのドラマが描かれ、それらがどんどんつながって一つの大きなドラマを作る。その過程でいろんなテーマが語られ、それは単純に正か悪かで判断しきれない。この味わいがたまらない。難しいシーンは何一つないのに、深遠なテーマが見え隠れしている。この絶妙なバランスに仕立て上げた監督の腕はたいしたものだ。
2017年 4月 「インドシナ」
1992年の公開時に劇場で観た記憶があったが、内容はすっかり忘れていた。フランスの植民地時代のインドシナで、カトリーヌ・ドヌーヴが、養女と暮らす特権階級の女性を演じる。これは名演だ。植民地における宗主国側と現地との確執、特権階級とそうでない人との対立、娘の成長への戸惑いなど、テーマは多く秘められている。どっしり落ち着いた、風格のある大河ドラマだった。
2017年 4月 「子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる」
子連れ狼シリーズを、初めて見た。これは第一作。若山富三郎は殺陣の腕前が超一流だったと聞くが、確かに立ち回りは見ごたえがあって素晴らしい。ただ、短い尺の中で現在と過去を行ったり来たりするのがわかりづらく、何度か見返すことになったので、映画の作りとしてはやや雑に思える。それでも、雰囲気作りは一級品だ。つづけてあと二作ほど見てみようと思う。
2017年 4月 「バニー・レークは行方不明」
ロンドンに引っ越してきた女性が保育園に娘を預けるが、迎えに行くと娘の姿がない。彼女は自分の兄と共に必死で探し回り、いろんな人に話を聞いてもわからず、挙げ句、その娘は本当に存在するのか、と周囲は訝しみ始める。
 少女が行方不明になる映画は多数あるようだが、これはそのうちでも傑作の部類に入るだろう。とにかく、行方不明の真相が秀逸なのだ。映画の雰囲気もそれに合わせてしっかり作り込まれている。モノクロ映画の凄みが伝わってくるほどの一作。ちなみに、浦沢直樹作「マスター・キートン」のネタとして使われたことでも有名だ。
2017年 4月 「ルーム」
主演のブリー・ラーソンがアカデミー主演女優賞を受賞した作品。母子ともに、とある部屋に監禁されている状態で映画が始まる。ここからいかに抜け出すのかというサスペンスが主体の作品かと思いきや、テーマはその向こうに潜んでいた、というお話。部屋の中での息詰まる展開が、見ていて本当に辛くなってしまうほど。監禁状態から脱出したあとのテーマの提示は、今村夏子の小説を思わせる。
2017年 4月 「ルーキー」
クリント・イーストウッド監督作でも、かなり駄目なほうの部類。悪いけれど、チャーリー・シーンは僕にとって、「この人が出てくると映画の格が下がってしまう」俳優の一人。駄目な警官だった彼が、一気に覚醒して悪に目覚めていくくだりはコントのようだ。イーストウッドのアクションも、見ているだけで息切れしてしまう。
2017年 4月 「バグダッド・カフェ」
大好きな映画。近くの図書館で無料上映されたのを妻と一緒に鑑賞した。妻もいたく気に入ってくれた。この映画を悪く言う人はいないのではなかろうか。かといって通俗に堕した映画ではまったくなく、芸術性を強く感じさせてくれる。なおかつ誰が見ても面白く思えるという、この絶妙な配分は神業レベルだ。見たあとは、人間というものがとても愛おしく感じられてくる。
2017年 4月 「子連れ狼 三途の川の乳母車」
子連れ狼シリーズ第二作。血がドバドバ飛び散るスプラッター表現、無茶な攻撃方法など、理屈抜きで楽しめる作品ではあるが、いったん醒めてしまったら単なる悪ふざけにも思えてくる。勝プロの作る映画は、僕には今ひとつしっくり来ないというか、なんだか低いところで満足している感じがしてしまう。
2017年 4月 「トゥルー・クライム」
死刑執行直前の受刑者のえん罪をはらすべく、イーストウッド扮する新聞記者が奮闘する。あと数時間しか時間がない割にのんびり捜査をしているから、イライラしてしまう。設定は面白く、それなりにサスペンスは盛り上がるものの、見終わってみればたいした評価は持てない。
2017年 4月 「原子怪獣現わる」
1953年という制作年にして、これほどの映像が撮れたことに驚く。いま見てもかなりの迫力があり、映像もさほど古びていない。ゴジラの原型と聞いていたが、正しくその通りで、怪獣の造作もゴジラによく似ている。正直、ストップモーションアニメ黎明期の、失笑ぎみに見る作品かと思っていたら、しっかり楽しめた。
2017年 4月 「ショック集団」
タイトルから、ホラーサスペンスのようなものかと思っていたら、なかなか一筋縄ではいかない作品だった。精神病院内で起きた殺人事件の真相を探るべく、患者のふりをして病院に忍び込む記者。そこで治療を受け、他の患者達と交流する中で、彼もまた変化していく。よくあるパターンではあるが、淡々と描かれる映像が、しっかりとした恐怖を生んでいる。ラストの薄気味悪さにやられた。
  
2017年 3月 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」
ずっと見たいと思いながら、ようやく鑑賞。想像以上に、心にどすんと響いた。もし劇場で本作を観ていたら、しばらく席から立ち上がれなかったろう。それほどの衝撃だった。ミュージカル映画は数あれど、こんな作品にはまずお目にかかれない。ラストの驚愕ばかりではなく、見どころは全編に渡って存在している。僕はまず、ミュージカル映画ではなぜ急に役者が歌って踊り出すのか、という問い(これは作品内でも登場人物が発する問いだ)について、明確な答えを出している点に感心した。主役のセルマが自分の悲惨な生活を忘れるため、空想に浸っていることをミュージカルとして表現しているのだ。楽しいシーンは全てセルマの描く幻想というところは、アンチミュージカルともなっている。だから、ミュージカル好きな人にも嫌いな人にも、お勧めであるしお勧めでないとも言える。よくこんな作品を作ったものだと感心する。ラース・フォン・トリアー、恐るべし!
2017年 3月 「ドント・ブリーズ」
昨年非常に評判が高く、ライムスター宇多丸さんも大傑作と評価されていたので、リバイバルで上映しているのを見つけ、鑑賞してきた。結果、僕にはまったく評価できない作品だった。恐さが半端ではないと各所で言われていたが、僕には「恐い」と思えるシーンはほとんどなかった。もちろん、“びっくり”はした。暗いところを歩いていて、物陰から「わっ!」と脅かされた時のびっくりだ。本作は、この“びっくり”だけを延々と見せられる映画である。しかも、僕が嫌いな「何故かきちんととどめを刺さない」ために起こる事態が何度も出てきて、イライラさせられる。「殺したはずが生きていた」という展開には、何かアイデアを持ってきてもらいたい。
 本作のキモは、盲目の老人の圧倒的な強さのはずだが、僕には彼の超人性や異常性が今ひとつ伝わってこず、底知れなさも感じられなかった。大体、盲目で一人で生きており、戦闘能力が高いのならば、聴覚や嗅覚は研ぎ澄まされているはずで、いくら息を止めていてもすぐそばに人がいれば気付くだろうに。
 それから、途中で判明する“とある事情”についても、まったく物語に生きているとは思えず、かえって作品の焦点をぼやけさせてしまっている。リメイク版「死霊のはらわた」を見た時も思ったが、この監督にはあまりセンスを感じられない。
2017年 3月 「オペラ座 血の喝采」
『ドント・ブリーズ』のフェデ・アルバレス監督と違い、ダリオ・アルジェント監督にはさすがのセンスを感じる。たとえ作品が破綻していたとしても、だ。とにかく、ホラー映画の雰囲気づくりが圧倒的に巧いのだ。人をどうやって怖がらせるかを真摯に考え、実行しているのだろう。本作では、魔女などの超自然は扱わず、サスペンススリラーをじっくりと描いてみせてくれる。ただ、途中で急に出てきたキャラがヒロインを助けてくれたりなど、おかしな展開がいくつか見られ、後半は面白さが減ってしまった。
2017年 3月 「沈黙−サイレンス−」
僕の好きな小説の映画化。今回、小説を読み直した直後に鑑賞し、小説を忠実に再現しているのにまず感心した。最初の雲仙の熱湯拷問はもちろんのこと、小説においてかなり難解で誰もが読み飛ばしてしまう最終段の「切支丹屋敷役人日記」まで再現しているから驚いた。(だから僕は最初、このラストを映画オリジナルだと勘違いしていた。)
 テーマとなる「神はなぜ沈黙しているのか」「神は存在するのか」「弱い者はどう救われるのか」といったあたりも、小説と同様にストレートに描かれている。このため、小説を読んでいない人も、この映画を見ることで同じテーマについて考えることができる。ただ、小説と違って映画は映像と音声によって表現されるものだから、その点で僕はやや違和感を覚えてしまった。主役のロドリゴを演じたアンドリュー・ガーフィールド、キチジローを演じた窪塚洋介あたりは、あまりいい演技には思えない。イッセー尾形の演じた、本作での最高にいいキャラであるはずの井上筑後守も、その不気味さが今ひとつ伝わってこない。ガルペ役のアダム・ドライヴァーが本当に詰まらない男に描かれており、そもそもアダム・ドライヴァーが出てくると、「あ、カイロ・レン出てきた」としか思えないのが決定的なノイズになってしまう。通辞役の浅野忠信、モキチ役の塚本晋也あたりがなんとか魅力的に映ったくらい。それでも、見て損のない映画とは言える。映画を見てから小説を読むのもまたよいだろうと思う。
2017年 3月 「ルック・オブ・サイレンス」
驚愕のドキュメンタリー『アクト・オブ・キリング』の続編。インドネシアでかつて起きた共産党員狩り。100万人が殺されたとも言われる大虐殺の、加害者にインタビューをおこなうドキュメンタリーという手法は変わらない。今回は被害者の遺族の一人が主人公となり、眼鏡屋としての仕事のかたわら、加害者にインタビューを続けていく。前作においては加害者の変貌ぶりが見どころだったが、本作ではそうしたキャッチーな部分というか“映画製作による功罪”はなく、最後まで淡々としたシーン、淡々とした手触りのままに終わる。これを物足りないと感じる我々の心にこそ、問題の本質が眠っているのかもしれない。
2017年 3月 「マジック・イン・ムーンライト」
ウディ・アレン監督は毎年一本のペースで映画製作を続けており、名作と駄作が入り交じっている。近年はまた名作が続いていたが、本作はさすがに息切れがしたのか、あまりいい出来とは言えない。傲慢な奇術師をコリン・ファイスが演じ切れておらず、途中の大きな展開にも冴えがない。
2017年 3月 「ヒメアノ〜ル」
2016年のベストに推す人も多いようで、僕も納得の一本。V6の森田剛が、本当に凄い演技をしていて驚いた。
 前半、青春おバカコメディみたいにして始まり、「あれ、これって暴力を描いた映画だと思ってたけど……」と不思議に思っていると、3分の1を過ぎたあたりで急にタイトルが表示され、そこから物語は急転する。そして、青春物語と凄惨な暴力とが平行して描かれるのだ。これはかなり新鮮な表現で、しびれた。
 吉田恵輔監督作は、以前に「さんかく」だけ見たことがあるが、こちらも素晴らしい映画だった。これは他の作品も見てみなくてはならない。園子温なんかより上だと僕は思います。
2017年 3月 「サウルの息子」
2015年度アカデミー外国語映画賞を受賞した、ハンガリー映画。冒頭からピントの外れた映像が流れ、なんだなんだと思っていたら、主人公の顔にだけピントが合っていることが判明し、それはすなわち、極限の状況の中で主人公は周りの景色がはっきり見えていない、あるいは見ようとしていないことを表現しているのだとわかる。
 彼は、ナチス占領下のポーランド、アウシュヴィッツ収容所において、ゾンダーコマンドとして働いている。「ゾンダーコマンド」とは、囚われたユダヤ人でありながら、ユダヤ人の虐殺のために働かされる人々のこと。シャワー室に誘い込み、シャワーノズルからはお湯ではなく毒ガスが噴射されるシーンなど、本当に悲惨で見ていられない。そんな彼が、死体の中から自分の息子を見つけ、なんとか葬式をあげようと奔走する物語だ。
 非常に凄惨で悲しい物語だが、主人公の行動原理が今ひとつ掴めないのと、主人公以外の登場人物の役職などがよくわからず、話にうまくのめりこめなかった。それでも、強烈な映画だとは思う。もう一度見たいかと言われると躊躇してしまうけれど。
2017年 3月 「キャロル」
ストーリー自体は取り立てて画期的でも魅力的もないのだが、淡々としたシーンの連続をずっと見ていたくなる。それは何故か。ケイト・ブランシェットが完璧だからだ! このキャロルという女性を、ものの見事に体現している。彼女がずっしりと存在感を保っているので、画面に格調が漂い、相手役のルーニー・マーラの魅力まで引き出している。ただ、いかんせんストーリーに魅力がないのが映画としての決定的な弱さとなっている。
2017年 3月 「ラ・ラ・ランド」
アカデミー賞で話題をほぼ独り占めし、各所でも大評判の本作。ただし実際に見た人の反応には微妙なものもあって、ハードルはやや低めで見に行った。確かに美術的な面では素晴らしい作りだった。特に色の扱いが特徴的で、画面はときに華やかに、ときに渋い色合いで調節されていた。さらに、最初は原色中心だったのが、話が進むにつれてどんどん淡い色彩に変化していくのも、主人公達の心情を映していて見事だった。ミュージカルの主軸である歌と踊りも共に素晴らしく、オープニングの群舞には酔いしれた。他にも、アカデミー歌曲賞にノミネートされた2曲、『シティ・オブ・スターズ』(こちらが受賞)、『オーディション』は共に、耳に残る名曲だった。
 ……が、しかし。内容には大いに疑問が残る。そもそも僕は、ミュージカルは歌と踊りを中心にした演出がメインだと思っていて、ストーリーはさほど厳しくは見ていないつもりなのだが、それでもラストの展開には非常に違和感を覚えてしまった。あれだと、実現した夢(女優になること)自体の喜びを示すシーンがなく、夢の正体がつまらないものだったことになってしまう。話の筋運びも偶然に頼りすぎで、面白みや感動に欠ける。後で考えれば考えるほど、たいした映画ではなかった、という感想になっていく。

※観賞後、妻と二人でこの映画について語ったものを、ポッドキャストで紹介しています。そちらもどうぞ聞いてみてください。
ポッドキャストのページ
2017年 3月 「華麗なる週末」
スティーブ・マックイーン扮するブーンと二人の友人によるロードムービー。友人の一人は、ブーンが仕えるボスの孫でまだ11歳の少年ルーシアス。もう一人は、使用人仲間で黒人のネッド。三人は、ボスの買った車を勝手に運転し、ミシシッピーからテネシーまでドライブに出掛ける。最初は割とありきたりなほのぼの映画に思えて見る気も失せがちだったのだが、途中で娼館にもぐりこみ、そこで出会った娼婦たちと交流するあたりから俄然面白くなり、あとは最後まで楽しめた。
 映画は、少年ルーシアスのモノローグで語られる、彼の成長物語だ。途中でちょっとどうかと思う展開があったり、かなりださいクローズアップの手法があったりなど、完璧に作られたような作品ではないものの、おおむね楽しめる。そして後から考えると、ブーン(スティーブ・マックイーン)の行動原理の空虚さが、なんだか空恐ろしく思えてくるのだ。
2017年 3月 「エイジ・オブ・イノセンス」
主に近現代アメリカの病理を描く監督とも言えるマーティン・スコセッシは、たまにあれっと思わせる作品を撮る。『ヒューゴの不思議な発明』だったり、最近の『沈黙−サイレンス−』だったり、スコセッシ監督と言われなければわからない諸作がそうだが、本作もその部類に入る。舞台は1870年代、アメリカの上流社会の腐敗がテーマだ。ただ、成功か失敗かというと、商業的に失敗したのを抜きにしても、僕にはどうも成功作とは思えない。この4年前にアカデミー主演男優賞を受賞し既に名優の域に達したはずのダニエル・デイ=ルイスが、本作では表情に乏しく、冴えない。妻の目を盗んで幼なじみのエレンと密会を繰り返すのだが、あんな表情をしていたらそりゃばれまっせあんた、というしかないのだ。だから、キモとなるはずの妻の不気味さがあまり際立たずに終わってしまう。
2017年 3月 「独裁者」
10年以上前に一緒に見たものをもう一度見たい、という妻のリクエストにお応えしての鑑賞。仮想国トメニアの独裁者ヒンケルとユダヤ人の床屋をチャップリンが演じる。立場のまったく違うこの二人の顔がそっくりで、最後には入れ替わってしまう、というお話。もちろん基本路線はコメディであり、チャップリンのコミカルな仕草で存分に笑わせてくれる。この笑いの要素が、今見ても古さを感じさせないところがすごい。そして、最後の最後にとんでもない結末が用意されている。僕はこれを高校生の時に見ていたく感激したが、人生で5回目くらいの鑑賞になる今回でもやはり同じように感動させられた。また、今回あらためて感じたのは、ことに序盤の戦闘シーンや、近隣国の独裁者ナポロニと小競り合いをするシーンなどを見るとわかるが、かなりのお金をかけた大作であるということ。チャップリン映画で最も興行収入を稼いだ作品というのもうなずける。僕も、チャップリン映画の中では「ライムライト」に次いで好きな作品だ。

※観賞後、妻と二人でこの映画について語ったものを、ポッドキャストで紹介しています。そちらもどうぞ聞いてみてください。
ポッドキャストのページ
2017年 3月 「ラストサマー」
結構よく出来ていた映画「スクリーム」と同じ脚本家ということで、期待して観たところ、そこそこ楽しめる作品に仕上がっていた。イケイケの高校生4人組が誤って車で人を轢き殺してしまい、それを隠して生活していたところを、何者かが復讐に現れる、という内容。恐怖演出はしっかりしているし、ストーリーとしても納得がいく。傑作とまでは言わないが、観て損のない作品だろう。
2017年 3月 「乱」
カラーになってからの黒澤明には観るべきものがない、そう断言して間違いない気がする。カラー化初期の「どですかでん」と「デルス・ウザーラ」が、まあなんとか面白く観られるくらい。本作はアカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞し、監督賞にもノミネートされるほど評価は高いらしいが、僕には全くその良さがわからない。カラー化により、衣装やセットの色にこだわったのだろうが、陣営ごとに赤青黄色に色分けされた衣装は馬鹿みたいで、美しさは感じられない。さらにひどいのが役者の演技で、もうまともに演出できない年齢になっていたのではないかと思う。主役の仲代達矢は下手な舞台役者にしか見えず、寺尾聰、根津甚八、原田美枝子、それから存在感のまったくわからないピーターなど、総じて酷い出来だった。
2017年 3月 「ヘイトフル・エイト」
タランティーノ作品は、近年になってどんどんパワーダウンしている気がする。撮影方法がやたら話題になっていたが、それは中身の良さが伴ってのことだ。本作は、序盤こそわくわくさせてくれるものの、話が進むにつれ、どんどん尻すぼみになっていく。タランティーノ作品の良さとして、つまらない会話シーンなのに独特の緊張感があって楽しめること、それから予想不可能な展開が挙げられるが、本作はそのレベルが初期作品ほどには高く感じられなかった。
  
2017年 2月 「サム・ペキンパー 情熱と美学」
サム・ペキンパー監督について、側近のスタッフや俳優たちが語る。この手の、著名映画監督を紹介するドキュメンタリー映画は多いが、その中でも見ていて面白い部類だった。ペキンパーを知っていれば楽しめるのはもちろん、知らない人でも、本作を見てペキンパー映画を見てみようかという気になると思う。
2017年 2月 「スワロウテイル」
“日本円が世界で一番強い社会”という架空の歴史を設定し、そこに集まる人々を描く。もちろんつまらない映画ではないのだけれど、ずっと違和感を覚えながら見た。日本語、英語、中国語が入り乱れる設定や、キャスティングに乗れなかったせいだろうか。三上博史の演じるちょっといかれたキャラは、いまやその分野の極めつけとなった窪塚洋介に比べればずいぶん普通に見えてしまい、物足りない。そしてなにより、上海から来たリョウ・リャンキを演じる江口洋介の画面上の違和感は、全てをぶち壊しにするレベルだ。(彼が出てきた途端、「あ、江口洋介だ」としか思えないのだ。)渡部篤郎も、いつもながらのテキトー演技だし。その中で、伊藤歩の存在感だけは抜群だった。彼女を見るためなら、本作を見る価値はありそうだ。
2017年 2月 「妻は告白する」
増村保造監督、若尾文子主演という黄金タッグによる作品。夫妻が山で遭難し、妻が夫のザイルを切った行為が犯罪か否かをめぐり、法廷劇が展開する。そもそも事件性が薄くて話が広がらず、妻の浮気相手を演じる川口浩の存在感が薄いのが映画として決定的に弱い。若尾文子演じる妻の妖艶さも深みがない。
2017年 2月 「オデッセイ」
火星に一人置き去りにされた青年の奮闘と、彼の救出作戦を描く。マット・デイモンが意外な(?)コメディアンぶりを発揮していて、一人芝居部分がとても面白く観ていられる。救出する方法の説明もわかりやすくてよい。そしてラストはまさに映画ならではの展開で、本当にハラハラし、心からうまくいくことを願った。リドリー・スコット監督がさすがの手腕で、格調を保ちながらも現代風のSF劇をしっかり作り上げたと思う。
2017年 2月 「イングロリアス・バスターズ」
面白い映画を見たい、という妻のリクエストに応えて一緒に鑑賞。見終えたあと、「楽しくて面白い映画が見たかったのに」と苦言を呈された。面白くはあったらしいのだが。
 タランティーノ作品の中では、癖がすくないぶん、もっとも一般受けのする映画だと思っていた。ただ今回見直してみたら、思っていた以上に“普通”の映画で、ちょっと拍子抜けした。この映画を見て大好きになったクリストフ・ヴァルツのシーンももっと緊張感があったかと記憶していたが、なんだかあっさり過ぎていく感じ。初回よりもちょっと評価が下がってしまった。
2017年 2月 「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」
おおかたの世評どおり、前半が説明調でわかりづらく、面白みに欠ける。後半の戦闘シーンに入ればさすがにスター・ウォーズの世界観ばりばりになるので盛り上がりはするものの、時間は短い。やっぱり派生作品ということで、存在してもしなくてもいい作品に感じてしまう。それにしても、AT-AT(四足歩行の動物のような兵器)は全然有効じゃないなあ、といつも思う。足を一本やられれば終わり、というのがなんとも。
2017年 2月 「花嫁の父」
前回の「イングロリアス・バスターズ」で苦言を呈されたので、今回は本当に楽しいコメディを妻と一緒に観た。結果は大満足だったようだ。これは本当に面白くていい映画だと思う。娘を嫁に出す父親の悲哀がたっぷりと描かれ、まったく隙のない作品に仕上がっている。
2017年 2月 「断崖」
うーん、やっぱりヒッチコックの映画ってどうにも面白みがわからない。ミスリードなんだろうとは思いながら見ているのだが、それが最終的にどっちに転ぶかというだけなら、ワンアイデアに過ぎないのではないか。しかも、この夫婦の出会いからして夫も妻もまったく応援する気になれず、話に入っていけない。人間ドラマとしての出来も良くないと思う。
2017年 2月 「ダーク・スター」
ジョン・カーペンター監督のデビュー作。宇宙探査船という密室内で、SFドラマが展開される。のっけから低予算まるわかりで、序盤はやや退屈だが、変ちくりんなエイリアンが出てきてから物語が動き出し、後はラストまで興味が持続する。本作一本で評価するのはやや苦しいものの、ジョン・カーペンターの妙な癖みたいなものが伺えて興味深い。
2017年 2月 「清作の妻」
若尾文子演じる〈おかね〉は、貧しさのあまり呉服屋の老旦那の妾となり、旦那の死後は生まれ故郷に戻って放蕩の生活を送っていた。働きもせず人付き合いもしないおかね一家は村の除け者となるが、そこへ戦地から村一番の模範青年・清作が凱旋帰国する。心根の優しい清作はいつしかおかねと惹かれ合うようになるが――という物語。清作を演じるのは若き田村高廣で、「兵隊やくざ」の有田上等兵を彷彿とさせるような、実直で男気のある青年を見事に演じている。不穏な雰囲気で映画は進んでいくが、ラスト近く、清作の放つ言葉には胸が震えた。これまで見た増村保造監督作の中では、屈指の一本。傑作だ。
2017年 2月 「サスペリアPART2」
ダリオ・アルジェント監督の最高傑作と言われるが、僕も確かにその通りだと思う。最大のヒット作「サスペリア」の続編となっているが、実はこちらのほうが先に作られており、PART2にしたのは単に日本の配給会社の戦略に過ぎない。だからこちらには魔女は出てこず、理に落ちるサスペンススリラーになっている。まったく飽きることのない展開、ラストの意外性など、これは見ないと損、という作品。
2017年 2月 「コンボイ」
名匠サム・ペキンパー監督が、1976年の「キラー・エリート」(大駄作)、1977年の「戦争のはらわた」(大傑作)に続き、1978年に発表した作品。大作だった「戦争のはらわた」に比べてしまえば小品とも言えるが、なかなか面白い作品に仕上がっている。トラック野郎として悪徳警官に立ち向かうラバー・ダックが、一筋縄ではいかない雰囲気をうまく醸し出している。やがて政治家も巻き込み、様々な思惑がうごめいて物語は深みを増していく。思っていたよりも楽しめた佳作。
  
2017年 1月 「インファナル・アフェア」
スコセッシ監督の『ディパーテッド』や日本の『ダブルフェイス』などでリメイクされ、名作として名高い映画だが、僕にはまったく評価できない。
 ヤクザ組織に潜入した警官と、警察に潜入したヤクザ者。冒頭で彼らの二十歳ぐらいのシーンが描かれ、続いてそこから十年ほどが経過した現在が描かれる。ここで、若い頃と現在とで違う役者が演じているため、どちらがどちらだかわからない。というより、また別の登場人物が出てきたようにしか見えず、非常に混乱し、イライラさせられる。この人がこうなった、とフェード的に見せるなど、やり方はいろいろあるはずなのに。
 次に、潜入先での“ばれるんじゃないか”というサスペンスが本作のキモであるはずが、両者ともに本当のボスとしょっちゅう会い(しかも特に気をつけている風でもない)、電話でも無防備に連絡を取り合うなど、もうバレバレなので見ていて萎えてしまった。とくに、あのずる賢いヤクザ側のボスなら、一発で見抜きそうだし、スパイがいると判明した時点で子分全員を徹底的に調べ上げるはずだから、リアリティのかけらも感じられない。潜入捜査ものはたいていいつも、馬鹿馬鹿しくて見ていられないことなるが、これもそうした一本だ。
2017年 1月 「ブリッジ・オブ・スパイ」
スピルバーグ監督&トム・ハンクス主演の、いかにもしっかりした大作、という作りは、安心して見ていられるけれども、既視感満載で新鮮味に欠ける。また、やはりベテラン制作者コーエン兄弟の脚本に、今回はあまり冴えが見られない。事実を元にしているからしょうがないのだろうが、結局、なぜだか知らないが捕虜交換が思う通りに叶ってしまい、その理由だてに乏しいから、ラストの充実感にも乏しくなる。ただ、ソ連側のスパイを演じたマーク・ライランスは非常に雰囲気を出していて良かった。
2017年 1月 「草原の実験」
評判どおり、少女の超絶的な美しさに驚く。息をのむ、とはこのこと。これは写真ではなく、この映画の中で動く彼女についての話。つまりは、本作の制作陣がそういう風に見事に映像として収めたということだ。その後にネットで調べて、どこかの一流らしいメイクアップアーティストが彼女にメイクアップを施した写真が載っていたが、そこでの彼女はどうということのない“普通の綺麗な人”にすぎなかった。
 映画で彼女が引き立つのは、しっかりとした世界設定がなされているからだろう。セリフは一切なく、演技と演出だけで全てが表現されている。とてもセンスと情熱と志のある監督なのだろうと思う。
2017年 1月 「わたしに会うまでの1600キロ」
女性が自分を取り戻すために過酷な旅をする点で、『奇跡の2000マイル』と非常に似ている。『奇跡の〜』では女性の傲慢さや旅のルールにおけるあいまいさで興味を削がれたが、本作のほうはまだその点、見られる作品になっている。自分探しに母親との確執を絡めた点が秀逸だとは言えるが、それでも、事前の予想の範囲内に収まる佳作といった程度。
2017年 1月 「氷の微笑」
バーホーベン監督作で、一般的には最も知られている一本だろう。例のごとく、派手なバイオレンスとエロス満載の殺人シーンで幕を開ける。ただそれ以降は、有名なシャロン・ストーンのノーパン足替えくらいが最大の見せ場(?)で、あとは比較的地味というか、よくある映画の一本に収まってしまっている。カーチェイスの顛末やラストも、まあこうなるだろうなという展開の枠からはみ出さない。監督いわく、ハリウッド時代には制約が多くて自分の撮りたい映画が撮れなかったというが、本作はその典型例なのだろう。
2017年 1月 「永い言い訳」
本木雅弘の演技は僕にはちょっと微妙で、いいシーンとさほど良くないシーンがある。冒頭、妻に髪を切ってもらうところがあまりいい演技ではなかった(自然に見えない)ので、作品世界に入りづらくなってしまった。それでも全体としては、どうしようもないクズ男をしっかり表現できていたように思うのは、竹原ピストルなど、周りの助けも大きい。とくに子役二人の自然な演技は是枝裕和監督なみの凄さ。(クレジットに名前が出ていたので、演出指導があったのかも。)
 内容としては、生身の人間のどうしようもなさを描いた良作だ。ただ、かなりステレオタイプ的な描き方も見られた。それから、この監督は「愛」というものを短絡的に捉えすぎなのではないかと思った。竹原ピストル演じる陽一が「がさつだけれどしっかり愛情を注いでいる人」のように描かれ、愛情を注いでいるのを表す例として、子供と無邪気に遊び可愛がるシーンが描かれるが、子供と一緒に楽しく遊ぶことなど誰にでもできる。それは愛情表現などではなく、ただ親が楽しんでいるだけだ。僕の思う親の愛情とは、子供をしっかり見つめ、子供の気持ちを考えてあげることであり、その表現はもっと地味で持続的なものだ。その意味で、息子の進路を真面目に考えず、息子がいま何を考えているかに思いを巡らせないこの陽一という男も、まったく褒められたものではない。僕としてはそのあたりをもっと深く描いてほしかったと思う。
2017年 1月 「フットルース」
まあお決まりの青春映画で、筋立ても演出も取るに足りないもの、そう思いながら途中まで見ていたら、ヒロイン役の女性と元彼氏が殴り合いをするシーンが生々しくて、思わず引き込まれてしまった。それ以降は、安いドラマなのに何故か泣けてしまい、最後のダンスシーンに胸躍らされた。なんだろう。やっぱりケビン・ベーコンの力だろうか。
2017年 1月 「の・ようなもの のようなもの」
森田芳光監督の劇場デビュー作『の・ようなもの』へのオマージュとして作られた作品。かつてのメンバーを揃えたり、有名人に特別出演してもらったりなど、まあお祭り映画の一つだ。だから単独の作品としての評価はしづらく、前作に相当な思い入れがないかぎり、見るのは辛い。
2017年 1月 「わらの犬」
思っていたようなストレートな暴力映画ではなく、不思議な味わいの作品だった。田舎町に引っ越してきたダスティン・ホフマン演じるデイヴィッドが、周囲からの圧力に耐え、最後に暴力を爆発させる、というあらすじは確かにその通りなのだが、その過程が実にのんびりしているのだ。これは、ペキンパーお得意の痛快バイオレンス映画を見るつもりでいたのがいけないのかもしれない。文芸作品だと解釈して、もう一度見てみるのがいいかも。
2017年 1月 「御用牙」
勝新太郎主演でかなり有名な作品らしいが、僕には全くいただけない映画だった。かなり変てこな映画なので、その“変さ”に乗れるかどうかで評価は分かれるだろう。ユルくてダサくて見ていられないアクション、勝新演じる主人公の繰り出す女性責め、そのための訓練等、脱力ものの展開は、僕には全く笑えなかった。「兵隊やくざ」シリーズであれほど魅力的だった勝新が、本作では全然格好良くも強そうにも見えない。演技自体に魂が感じられないのだ。カルトとして見る分にはいいのかもしれないが。
2017年 1月 「イット・フォローズ」
昨年(2016年)にずいぶん評判の良かった作品。「新感覚ホラー」などと言われていたが、僕には今ひとつ感心できなかった。開かれたラスト、いろんな解釈ができるラストが良いという評価も、僕には単に結末をしっかり作ることから逃げているようにしか思えない。追っ手が歩いてくるのはよいのだが、「どこから来るのか」「場所を瞬間的に移動できるのか」が判然としないため、見ている側で恐怖の程度が計れない。歩いてくるから逃げる時間があるという感じなので、だったら海を渡った先なら100%安全なのでは、と思ってしまう。恐怖表現が斬新、という評価も受け入れがたく、遠くから歩いてくるところはそれなりの恐怖感はあるのに、近づいていざ襲う段になると途端に従来の良くある表現になってしまい、アイデア不足を感じる。監督によれば、本作はエイズなどの病気を表現したのではなく、愛と生についての映画なんだって。どこが?