■ 2015年に観た映画
  
2015年12月 「人間の條件 第5部 死の脱出」
シリーズ第5作。ソ連軍の攻撃から逃げ切った梶とその仲間の逃亡劇。途中でいろんな人と出会い、また離れていく。前2作あたりと比べるとやや地味な印象は免れないが、ここから最終の第6作にどう繋がっていくのか、楽しみだ。
2015年12月 「カリフォルニア・ゾンビ逃避行」
本当に最近のゾンビ映画はアイデアとモチベーションがあって、しっかり楽しめる造りとなっている。もちろん、ジャンル映画としての話だが。先の読めない展開は最後まで興味を持続させるに充分だし、ゾンビのシーンは少ないながらもちゃちに見えないレベルに仕上がっている。一昔前のゾンビ映画といえば99%がクソ映画だったのが懐かしいくらいだ。
2015年12月 「明日に処刑を…」
巨匠マーティン・スコセッシ監督がキャリア初期に撮った作品。強盗をくりかえすグループを、一人の奔放な少女を中心に描く。登場人物たちの無計画・無軌道ぶりにはまったく感情移入はできず、作品全体にアメリカ・ニューシネマの香りが漂う。ただ、あまりにも小品で地味。
2015年12月 「サニー 永遠の仲間たち」
二度目の鑑賞。一回目に見た時には、かなり面白いけれど場面によってはちゃちな感じが否めないなあと思っていたが、今回それを肝に銘じて見たところ、ほとんど気にならなかった。現在と過去が入れ替わる手際は見事だし、それゆえに一度だけ両者が重なり合うシーンは素晴らしく優しくて美しい。前回かなり気になった遺産の処理の仕方も、今回は笑って見過ごせた。そして何よりぐっときたのは、エンドロールの流れ出す瞬間。あのタイミングは神業だ。呼吸が止まるほど、戦慄を覚えるほどの感動だった。
2015年12月 「クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」
クレヨンしんちゃん映画を観るのはこれで3作目。最も世評の高い「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」は、僕にはさっぱり面白くない映画だった。いっぽう、2番人気であろう「アッパレ!戦国大合戦」。こちらは紛れもない傑作だと思った。なにしろ戦場シーンが細かいところまでよく作り込まれ、「細部に魂が宿る」という言葉がこれほど似合う映画もない。ラスト近く、お姫様が安全な場所から見張りのやぐらに辿り着くまでのシーンは、アニメ史上に残る屈指の名場面だと思う。
 そして、本作。悲惨な結果を想像していたら、思っていたよりずっと楽しめた。ハードルを低くしておいたせいかもしれない。ロボとーちゃんと本物のとーちゃんが敵対しつつ協力するのも面白いし、大衆をはっきり愚劣に描いているのも痛快。男性の威厳を取り戻すことの功罪を示しているのもバランス感覚があるなあと思う。「ちちゆれ同盟」など、散りばめられたギャグも悪くない。「戦国大合戦」ほどの完成度は望めないが、軽く見る分にはじゅうぶん満足できる。最後はちょっと泣けた。
2015年12月 「22ジャンプストリート」
「21ジャンプストリート」の続編。前回と同じシュミットとジェンコのコンビが、今度は大学に潜入し、捜査をおこなう。二番煎じもいいところで、アイデア不足も甚だしい。もし続編ができても、もう見ないだろうな。
2015年12月 「人間の條件 第6部 曠野の彷徨」
遂に全作を制覇。これは邦画史上に残る偉大な作品だ。単純なヒューマニズムではなく、極限までリアルで苛烈な状況の中でいかに人は生きうるかを問いかけている。だから、主人公・梶の行動を誰もが100%納得はできないはずだ。そこには答えではなく、“問いかけ”が示されているのだ。
 そして、あのラスト。確かにあれしかないのかもしれないと思わせる。梶を演じた仲代達矢は奇跡的な名演だった。学校教育で見せればいいと思う。
2015年12月 「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」
思ったより全然ほのぼのとしていて、葛藤もなければ試練もなく、結局はやること全てうまくいってめでたしめでたし、という映画。だから見応えには欠ける。出てくる料理がどれもとびきり美味しそうに見えるのは良し。
2015年12月 「キラー・エリート」
サム・ペキンパー唯一の駄作、という評価がぴったりだった。ジェームズ・カーン&ロバート・デュバルという、『ゴッドファーザー』での義兄弟コンビだが、あの渋さも格好良さもまったくない。ロバート・デュバルが何故裏切ったのかは全く明かされず、彼に復讐するはずのジェームズ・カーンが謎の忍者軍団と中国マフィアとの抗争に巻き込まれ、話はまったくトンチンカンに進んでいく。これは最低な映画だと思っていたらしかし、黒沢清や青山真治は絶賛しているらしい。なにか見落としているのだろうか。
2015年12月 「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」
旧三部作に引き続き、妻と共に鑑賞。妻はもちろん初めて、僕は10年ぶりくらいの再見。かなりひどかった記憶しかないので覚悟して見たら、思ったほど悪い出来ではなかった。嫌われ者のジャージャーも、今いちピンと来ない替え玉作戦も、さほど気にならない。やはり僕が一番気になるのは、CGに頼り過ぎているところ。当時の最高技術なのだろうけど、旧3部作の造形デザインにしびれた世代にとっては、これは異形のものに映る。
2015年12月 「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」
アナキンとパドメのラブシーンがもう、恥ずかしくて見ていられないレベル。スター・ウォーズ世界にあまりにもそぐわないばかりか、演出の非力さがとにかく痛々しい。まあ映画のラブシーンなんて大抵そうなのだが、二人が惹かれあう理由がわからず、結局は「見た目が良かったから」と受け取るしかない。映画として、そうとしか語っていないからだ。クローン対ドロイドの対決構造も、説明がバタバタしていろんな星を行きかうため、どこで誰が何をしているのか、よくわからないままに大戦争に突っ込んでいく。
2015年12月 「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」
前日憚3部作のラスト。アナキンがいよいよ暗黒面に堕ちる重要な作品だが、その理由が「妻が無事に出産するため」とは、あまりに弱いのではないか。せめて、暗黒面に堕ちるか愛する人を死なせるか、二つに一つという状況でもあれば納得しやすいのだが。そして、第1作であるエピソード4に繋げるために、各キャラ達が収まるべきところに収まっていく。その感動はあったし、ダースベイダーのあの姿が見えるシーンでは、さすがにぐっときた。だからこの映画は、作るのはとても難しかっただろうと思う。お疲れさまでした、とジョージ・ルーカスには言いたい。
2015年12月 「戦争のはらわた」
戦争映画の戦闘シーンは、うまく作らないとドンパチがやたら続くだけの退屈な映像になる。本作では、銃弾や砲撃の一発一発に意味がこめられているようで、たいへん見応えがある。
 ドラマの基本となる対立構造がしっかりしているから、エンターテインメントと反戦メッセージが見事に融合している。冒頭における、子供らののんきで平和な歌と悲惨な映像とが混じり合うシーンからして、本作がただものではないことが知れる。3分の1ほど時間が過ぎたあたりで突然場面が変わり、奇妙な妄想シーンが挿入されるあたりも、刺激たっぷりで飽きない。少々長い作品だが、一気に引き込まれて時間を感じさせない。
2015年12月 「天使のはらわた 名美」
主人公・名美は今回雑誌記者で、過去にレイプされた経験を持つ女性をインタビューし、記事にしているという、なかなか鬱陶しい存在だ。前半、いつもの「天使のはらわた」シリーズに比べておとなしい展開が続き、退屈しかけていたら、病院の看護師が出てくるあたりから急加速をはじめ、狂気の物語に変わっていく。うんうん、こうでなければ。
2015年12月 「地獄のモーテル」
なんだか低い評価ばかりを聞くが、僕はとても楽しんで見た。なんと言っても、80年代あたりのB級ホラー感が満載で、僕には強烈にツボだったのだ。もちろん、たいしたひねりのない脚本や漫画のような映像満載なのだけれど、あの独特の雰囲気がたまらない。ぜんぜんクソ映画なんかではなく、昨今のCGだらけのホラーのほうがよっぽどクソだと思わせてくれる。
2015年12月 「TOKYO TRIBE」
園子温監督の作品はけっこう見てきたが、最近の悪乗りの調子はあまり好きではない。本作はラップによるミュージカルのような形態で、ほぼ全部のセリフがラップで語られる。そのこと自体は嫌いではないけど、竹内力をはじめとする過剰演技は、結局は何も演じていないのと同じなので、見ていてまったく面白みを感じない。
2015年12月 「いつも2人で」
オードリー・ヘップバーンという女優には、たとえばきれいな花を見て「まあかわいい!」と大げさな身ぶりで感激してみせるような、どうも演技者として疑問を持ってしまうところがある。ところが本作では、実にしっかりと演技をしている。複数の時間が説明なく入り乱れるので、知らないと完全に混乱してしまう作りの映画だが、ある男女のどうしてもすれ違ってしまう悲哀が見事に描かれていると思う。
  
2015年11月 「マトリックス リローデッド」
マトリックスシリーズ第2弾。一作目を見てから期間があいてしまったせいもあるが、見始めて20分で何が何やらわからず、解説サイトであらすじと用語を確認してから見直した。おかげでストーリーは何とか理解できたが、こうした作品で僕がいつも思う不満要素が満載だった。まず何より、マトリックス界でなぜ生身の戦いが必要なのかがわからない。敵のエージェント・スミスは今回、自己複製の技を身につけているが、数十人レベルで戦って負けるのなら数百人、数千人くらいに増殖すればネオ一人くらい簡単にやっつけられるはず。体を自在に透明にしたりまた出てきたりする敵も、空を飛べるネオも、「その技能を使えばもっと全然楽に相手を倒せるはず」と思えてしまい、見る気が失せるのだ。とにかく、「この世界では何が出来て、何が出来ないのか」をもっとはっきりさせないと、真面目に見る気になれない。もちろん、上記は僕の理解不足からくるのかもしれないが。
 それから、CGやアクションシーンについては、さすがに古くて鈍重な印象だ。例えば「ザ・レイド」なんかを見た後では、激しい格闘シーンさえ実にもっさりした映像に見えてしまう。ワイヤーアクションは、作っているほうは「どうだ!」と思っているかもしれないが、重力を感じないアクションはとにかく「軽い」ものでしかないのだ。
 まあ、3作目も続けてみる予定なので、期待はしておく。
2015年11月 「マトリックス レボリューションズ」
シリーズ三部作の完結編。第2作「〜リローデッド」からそのままシーンが続く構成になっているため、前2作の視聴は必至。ザイオンという人間側の砦に攻め入ってくる敵を、砦を守る部隊、別ルートから宇宙船で攻撃する部隊、敵の本拠地へ乗り込んでいく主人公、という3つの視点から描く。本シリーズは、マトリックスと呼ばれる仮想空間における奔放な格闘シーンが最大のウリではあるが、今回の戦闘自体はほぼ現実空間の中で発生し、結局はそこが最も面白かった。仮想空間では何でもアリになってしまい、もうどうでもいいやという感じになってしまうからだ。したがって、砦の攻防戦の後に訪れる、マトリックスでの戦いはなんだか尻すぼみのようになってしまった。それでも、完結編として、スターウォーズエピソード6のような興奮はあった。
2015年11月 「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」
年末のエピソード7公開に向け、夫婦で鑑賞。妻はちゃんと見るのはこれが初めてらしい。この映画の内容についてどうこう言うのは、さすがにもう意味がないだろう。人生に必要な100のことの一つに「スター・ウォーズ初期三部作を見ること」があってもいいくらい、巨大な作品。
 今回見たのは、90年代にCGを追加合成した「特別編」だ。コアなファンなら、ソロが銃を打つタイミングなど様々に文句を付けられるだろうが、僕はそのあたりが気になるほどではなく、純粋に楽しい2時間だった。
2015年11月 「スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲」
ひきつづき、妻と鑑賞。世間の評価のとおり、旧三部作の中では最も出来がいいと思う。氷の惑星の表現は見事という他はない。ルークがヨーダから技を修得するシーン、それから雲に浮かぶクラウド・シティが平行して描かれ、静と動とが見事に調和している。初登場のランドという不可解なキャラが、物語に深みを与えているのも興味深い。こうしてメインキャラ達がそれぞれ離れた場所でそれぞれの試練をクリアし、ルークとベイダーとのクライマックスに繋がっていく。1作目と違って明確に次作へ続く展開になっているのも、納得の出来だ。
2015年11月 「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」
旧三部作の完結編。シリーズ中、最も賛否が分かれる作品だ。子供の頃見た時には、僕も少し不満で、とくにあのチャカチャカとうざったいイウォーク達が物語のシリアスさに水を差すようで、好きになれなかった。今回見直してみたら、そこはあまり気にならず、エンドアでのソロ&レイア、帝国艦でのルーク、戦闘機でのランド、反乱軍本部など、複数の場面を同時に展開させて混乱せずきれいにクライマックスまで持っていくあたりは素晴らしい出来だと思う。かくして、スペース・オペラという概念ができあがった。映画史に残る三作だと思う。(ちなみにエピソード1〜3は、僕はまったく評価していない)
2015年11月 「0.5ミリ」
「百円の恋」につづき、安藤サクラさんに圧倒された。本作は、彼女の実姉である安藤桃子さん監督作。なんと3時間16分という長さなのだが、少しも苦にならない。ただ、(例えば「きっと、うまくいく」のような)めくるめく展開のある物語というわけではなく、実に地味なシーンが延々と続き、どんどん時間が過ぎていく。なのに、ただそれを眺めているだけで心が満たされる不思議。
 安藤サクラ演じるヘルパーが、勤務先の家庭で不慮の事故を起こし、一文無しになる。彼女は、軽犯罪を繰り返すなど弱みを持つ老人につけいり、無理矢理家に上がり込んで住み始めてしまう。とんでもない女だと老人は思い、見ている我々も思うが、彼女はそこでご飯を作り、彼らの世話をし、彼らの存在を認めてあげるのだ。老人達は次第に彼女との生活を楽しむようになり、笑顔を取り戻す。後半、かなり説教臭くなるのと、まったく別のテーマが入ってきて混乱するのが惜しいが、僕はこの映画が好きだ。とくに、アホの坂田でお馴染みの坂田利夫さんには心底感動した。
2015年11月 「剣鬼」
三隅研次監督の「剣」三部作の3本目。二作目とは一転し、また時代劇に戻った。主演の市川雷蔵は今回、俊足で剣の腕の立つ無足(むそく。下っ端武士のようなもの)を演じる。植木職人として城に出入りするうち、政府の密命を受けて要人の暗殺を繰り返すようになる。馬より速く走るシーンはちょっと非現実的で笑ってしまうが、複雑な生い立ちと凝った設定で、なかなか見応えのある作品となっている。
2015年11月 「レッド・ファミリー」
韓国映画。絵に描いたような仲良し家族が実は北朝鮮のスパイだったという設定。映画の基本姿勢はコメディなのだが、コメディに対する姿勢が安っぽいので、やはり安っぽいドラマにしか見えない。隣に住むケンカしてばかりの家族をうらやましいと思い、スパイとして家族を演じる4人が自分の存在に疑問を感じる、という展開なのだが、この隣の家族がクソ夫とクソ妻、クソ息子とクソ母なので、ちっともうらやましく思えないのだ。(ただ、彼らの演技、特に妻のクソぶりは見応えたっぷり。)ただ、ラストで彼らの見せるある“行為”とその後の顛末には心を動かされた。このあたりはさすが韓国映画、ただでは済まさないといった印象。
2015年11月 「人間の條件 第1部 純愛篇」
戦時下の満州において、兵役を免れる替わりに現地人を管理する任務に就く青年・梶。“特殊工人”と呼ばれる捕虜を閉じこめ、過酷な労働をさせる中で、そのやり方に疑問を抱いていく。上司は頼りにならず、気が荒い同僚達は平気で不正も働く。たった一人、理解をしてくれる沖島の力を借り、梶は業務に励むのだが――。
 高圧電流の流れる鉄条網で捕虜達を囲い、強制労働をさせる。人を人とも思わない状況で、いかに人間性を保てるか。正義感に燃える梶は、それでもどんどん疲弊していくのだ。スリリングかつ心に迫る作品。この先、6部までどう展開するのか、楽しみだ。
2015年11月 「人間の條件 第2部 激怒篇」
上司や同僚に裏切られ、“幸せな生活を送れない”と不満を募らせる妻との仲もおかしくなっていく梶。おまけにたった一人の理解者だった沖島も異動になってしまう。まったくの孤独のなかで、現地の工人達は不条理に殺され、梶の人間性もどんどん危うくなっていく。見ていて辛いシーンばかりで痛々しい。
2015年11月 「仮面/ペルソナ」
うむむ、手ごわい映画だ。言葉を亡くした舞台女優と、彼女の世話をする看護師の物語。次第に彼女ら二人が接近していき、存在が重なっていく様はとても奇妙で不思議な恐ろしさがある。映画の途中に何度もサブリミナル的にまったく別の映像がはさまれるのも特徴的。映画評論家町山氏の解説を聞くと、ある程度は理解できるかも。
・町山氏による解説(有料)
https://tomomachi.stores.jp/items/55d821403bcba9b95f005478
2015年11月 「復讐するは我にあり」
この映画はこれまでに5〜6回は観ていて、見るたび新鮮な気持ちになる。今回、妻と一緒に観たが、「こんな複雑な構成だったっけ?」ということと「こんなに男女の絡みシーンが多かったっけ?」ということを思った。緒方拳扮する殺人鬼が、最後には理由もなく人を殺していくシーンが何とも言えない迫力だ。父親を憎み、妻を憎み、果ては自分自身を心から憎んでいる。「心臓を貫かれて」に通じるテーマを感じた。
2015年11月 「ベルリンファイル」
悪くないのだが、作りがあまり巧いとは言えないので、見づらい作品となった。初っぱなから北朝鮮とロシア、アラブの要人達が秘密の取引をおこない、それを北朝鮮と韓国の諜報機関が盗聴し、韓国警察とモサドが現場に乗り込む、というとてつもなくややこしい場面から幕を開ける。アバンタイトル(オープニングからタイトル表示までの部分)を見終わって、もう一度最初から見返した。その後の展開もかなりこみ入っていて、もっと整理しないとさすがに見ているほうはストレスが溜まるばかりだ。これは合計10時間くらいの連続ドラマでじっくり描けばもっといいものになると思う。ただ、アクションシーンはかなり良く、素手での格闘も銃撃戦も、それぞれに意味があって退屈しない。それから僕の大好きな俳優、ハ・ジョンウが今回も格好いいのが嬉しい。
2015年11月 「デリンジャー」
これは駄目だ。評論家の町山智浩氏をはじめ、ネット上でも高評判ばかりだが、僕の見るかぎり、これは駄作だ。最初から最後までキャラクター分けがうまくされていないため、若者と中年、男と女、くらいの区別しかつかない。悪党側と保安官側のどちらに共感していいかわからず、そもそもどちらも大して魅力がない。銃撃戦はとてつもなく退屈で見るに耐えない。2時間の作品で、どこにも面白いポイントを見いだせなかった。
 ちなみに、こうした警察と犯人との銃撃戦でいつも感じる疑問点が2つ。(1)人質のいない建物に籠城している犯人には、爆弾なり催涙弾を放り込めばそれで終わりではないか、ということと、(2)車で逃げる犯人には、乗っている人ではなくまずタイヤを集中的に撃ってパンクさせれば車は停まるのに、ということ。このあたりを全く考えていない本作のような映画にはフラストレーションが溜まる。
2015年11月 「人間の條件 第3部 望郷篇」
第2部までの勤務地だった強制労働所を離れ、戦地での訓練風景へと舞台が一変する。登場人物も、梶の妻以外はほぼ新しい顔ぶれだ。しかし、どこに行っても理不尽な人間達はいるもので、これが戦争という巨悪なのかと戦慄する。「フルメタル・ジャケット」のような世界が繰り広げられ、見応えたっぷりの人間ドラマは、シリーズ中屈指の出来。最初から最後まで映画としての密度が途切れない。
2015年11月 「あなたを抱きしめる日まで」
マイペースな老嬢とジャーナリストとの旅。かつて引き裂かれた我が子を探して旅を続けるというシリアスなテーマなのに、至るところに笑いがある。それがまったくわざとらしくなく、ジュディ・デンチの演技力には舌を巻く。謎解きミステリーとしてもよく出来ていて、飽きさせない。ラストに向けてやや尻すぼみ感があるのは否めないものの、実話を元にしているという制限があるからしかたがないところか。
2015年11月 「GONIN」
バイオレンス&エロスの石井隆監督が撮った、初のアクション活劇。出だしから30分ほどは話が散漫で今ひとつ乗り切れなかったが、その後はどんどん引き込まれていった。奥山和由プロデュースのせいか、テイストは北野武映画に近い。それでもやはり一筋縄の娯楽作にはならず、石井隆印がしっかりと刻まれている。竹中直人演じるサラリーマンが家に戻った時のシーンが素晴らしく、並のホラー映画でも太刀打ちできない恐怖と美の映像表現にはしびれた。
2015年11月 「エベレスト 3D」
山頂からの雄大な景色など、3D映像が凄いということで、珍しく劇場に見に行く。IMAXではなくXpanD方式なので、バッテリーを含む機構が搭載された重たい3Dメガネを着用することになる。着け心地は思ったほど悪くはなく、以前より改善されてきたのかもしれない。使い回しなので汚れが多少目立つが、気になって集中できないほどでもない。画面の明るさも、まあ許容できる感じ。IMAXと比べると落ちるのだろうが。
 3D映像について言えば、確かに場面によっては臨場感に溢れ、アトラクション気分を味わうことができる。ただ、それが物語の根幹にあまり関わっておらず、ほんのお飾り程度に終わっている。山頂から観た雄大な景色を3Dで見せるシーンなどもほとんどない。そもそもこの話、山を攻略する痛快な話ではなく、遭難事故を描く陰鬱な話なので、3D映像にする意味があまりないのだ。
 エベレスト登頂自体は、意外にあっさりと達成できてしまい、拍子抜けしてしまう。だが、問題はそこからだ。遭難事故は下山の時に発生するのだ。このスリリングの演出はなかなか見事で、僕は何度も声を出してしまったし、登場人物達が無事に帰れることを心から祈った。CGもあまり嫌みのない程度にうまく使われており、そのあたりのバランスも巧いと思う。
 というわけで本作のキモは3Dとあまり関係なく、まあ臨場感を増す意味合いはなくはないが、2D映像でも充分だ。
2015年11月 「人間の條件 第4部 戦雲篇」
シリーズも4本目と後半に入った。映画の出来は衰えを知らないどころか、完成度がどんどん高まっている。今回も主人公の梶は酷い目にばかり遭うのだが、毎回、先輩兵や上官が人間味たっぷりに描かれ、しっかりとドラマが作られていく。本作では遂に戦闘シーンが出てくるが、この出来映えが素晴らしい。戦争映画として出色の出来だと思う。
2015年11月 「インターステラー」
クリストファー・ノーランは、僕の中ではデビッド・フィンチャーと並んで全く評価できない監督だ。本作は「インセプション」と同様、壮大なスケールのビジョンがあまり練られないまま映像化され、見かけ倒しで矛盾だらけでまったく楽しめない作品となっている。
 あれほど愛している娘を置いて二度と帰れる保証のない宇宙に行く理由が薄く、たまたま秘密基地を見つけた主人公を数人しか行けない宇宙飛行に抜擢するのも謎だし、ワープやブラックホールなど、最新の宇宙物理学に基づいているらしいが、それが実に嘘くさく見えてしまう演出にはあきれてしまう。「ブラックホールで重力のデータを取る」→「取れた!」という展開は、だいたいどういうデータを取得すればいいのか、取得のためにどんな器具が必要かなど、考えるだけアホくさくなってしまう。これでは、「エイリアンのコンピュータにウイルスを送ればやっつけられる」→「ウィルスできた!相手をやっつけた!」となる「インディペンデンス・デイ」と同じではないか。つまり、「インディペンデンス・デイ」と同様に本作も、壮大なるバカ映画なのだ。
 5次元空間の表現など、すごい映像を見せているつもりなのだろうか。あげく、時間も空間も超えた主人公が過去に戻り、娘の部屋の本や時計を動かしてメッセージを送るのだ。そんなことができるのならもっと派手にメッセージを送ればいいじゃないか。ブラックホールに入ったらたまたまその先が過去の自分の家とつながっていたり、宇宙で浮遊していたらたまたま見つけられて助かったり、ここまで恥ずかしげもなくご都合主義な展開も珍しい。なんであんなに評価が高いのか。
  
2015年10月 「斬る」
若くして亡くなった三隅研次監督が、同じく夭折した市川雷蔵を主人公にして撮った「剣」三部作の一本目。時代劇はあまり好んで見るわけではないのだが、本作にはしびれた。冒頭から速いテンポでストーリーが進み、登場人物が多いので少し戸惑ってしまうが、人間の情念を描く際にはテンポを落としてしっかりケレンを見せる。ときおり鋭く差し込まれる自然描写にも大いなる芸術性を感じ、見入ってしまう。ウグイスの鳴き声は本当に美しいと思った。1時間ちょっとなのに、たっぷりした長編映画を観た気になる。こういう作品を見ると、やっぱり昔の映画は良かったなあと言いたくもなる。
2015年10月 「少女は自転車に乗って」
舞台はサウジアラビアで、男性と女性がいかに違う環境にあるか、女性がいかに虐げられているかを、体験するように見せてくれる。ここまで身体に染み入るようにその理不尽さを伝えてくれる作品があっただろうか。女性は男性と一緒にいることも、見られることもいけない。そしてなんと、自転車に乗ることさえ許されない。そんななか、主人公のワジダは奔放な学生生活を送る。どうしても自転車が欲しくて、ミサンガを作って友達に売ったり、禁じられている男女の恋愛の手引きをしたりでお金を貯めていく。コーランの大会に出るくだりは、ややフィクション臭が強くて乗り切れないけれど、サウジアラビアという国の状況を爽やかに知ることのできる、良作だと思う。
2015年10月 「百円の恋」
安藤サクラ、最高! それに尽きる。正にロッキーの、現代女性版だ。しかももっと卑近な例としての。
 映画が、役者という生身の人間で構成されていることを改めて実感させられる。だからロッキーというよりも、レイジング・ブルに近い。周りの登場人物たちは彼女のすごさに隠れてしまうが、後でよく思い起こせば、得体の知れない人物像を非常にうまく統御して描いている、と感心した。何度も見返したい作品ではないが、人には強く勧めたい。
2015年10月 「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」
トム・クルーズ最高! もう映画人として尊敬できるレベルに来ている。50を過ぎて何もかも手に入れて(なにせ恋人が妊娠したら超音波エコー機材を自分で買ってしまうくらい)、それでも貪欲に面白い映画を追求し続けている。彼が人類にもたらした娯楽は計り知れない。このシリーズをいくつか見た人は、下記のページを是非読んでほしい。つまり、映画で描かれるアクションシーンのほぼ全ては、トム・クルーズ自身がスタント無しで実際に演技しているのだ! こうして作られた今回の作品、ややアクションに頼りすぎており、チームでの頭脳作戦といった本作の本来のキモからは外れているが、充分に楽しめる一級品だ。

『ミッション・インポッシブル』シリーズの危険すぎるスタントの変遷
http://www.kotaku.jp/2015/08/mission-impossible-stunts-history.html
2015年10月 「クライマー パタゴニアの彼方へ」
パタゴニアにある「セロ・トーレ」という山をフリークライミングで登る青年を描いたドキュメンタリー。これはやっぱり劇場で観たかった! それほど映像は素晴らしい。この映像をどうやって撮ったかとういのもこの映画の見どころになっている。そしてやはり体一つであの山を攻略するという単純な感動で惹きつけられる。ただ、そのぶん映画としては単調になってしまうのはしかたのないところ。
2015年10月 「フォロー・ミー」
大好きな映画だ。全てがチャーミングで愛おしくなる。シリアスさはまるでないのに人生の深淵を伝えるというのは、並大抵でできることではない。探偵役を演じたトポルという役者さんは、「屋根の上のバイオリン弾き」で厳格なお父さんを演じた2年後に本作に出演した。なんと幅の広い演技をすることか! 本作でも彼のとぼけた魅力は存分に発揮され、それが映画に活力を与えている。そしてラスト! このラストが本当に大好きなのですよ!
2015年10月 「チェイサー」
韓国のバイオレンス映画は大好きだけれど、これは期待はずれ。冒頭から編集や演出が普通とは違っていて、「これは斬新なオリジナリティなのかな」といいように取っていたが、終わってみればただ映画作りが下手なだけだった。実話ベースという制約があったせいかもしれないが、盛り上がるはずのところがことごとく失敗し、バイオレンスも笑いも中途半端で終わっている。
2015年10月 「天使のはらわた 赤い眩暈」
劇画作家としての石井隆の作品を元に、シリーズ化された「天使のはらわた」ものの一作。本作は日活ロマンポルノ終焉後に、石井隆自らが監督して撮られた作品。当時の人気AV女優桂木麻也子が、ここごとく不幸な運命をたどる女性・名美を、なかなかの演技で見せてくれる。荒唐無稽な物語なのに、見ている間に違和感はまったく感じない。この監督は本当に映画の雰囲気づくりが巧いと思う。日活ロマンポルノ時代以上にSEXシーンが多いので、見る時には注意が必要だが。
2015年10月 「昼顔」
医師の夫と何不自由ない暮らしをするセヴリーヌだったが、あるとき知人の女性が売春をしている話を聞き、自らも同じ売春宿で娼婦として働くようになる。2時から5時までという期限付きで、「昼顔」という名前で――。
 恥ずかしながらルイス・ブニュエルの作品を初鑑賞。比較的わかりやすい作品という評判があったが、それでも不可解なシーンは頻出する。これは相当に映画的文脈、知識、解釈力を必要とする作品だ。さらにすごいのは、わからないなりにも観るモチベーションは下がらず、わからないなりにも楽しめてしまうところ。評論家の町山智浩さんが詳しい解説をしているので、それを聞いてから見直すとよいかも。

これが本当の『昼顔』だ!(町山さんの有料ポッドキャスト)
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20140716
2015年10月 「剣」
三隅研次監督の「剣」三部作のうち、「斬る」に続く2本目。てっきり全部が時代劇かと思っていたら、本作は現代劇だった。剣道部の孤高な主将を市川雷蔵が演じる。上に立つ者の苦悩、それを理解できない部下の者たち。それぞれに思いは異なり、些細なすれ違いがとんでもない結果を生む。切れのあるモノクロの画面が作品全体を引き締める。現代とは異なる価値体系の中にも、現代に通じる普遍性を秘めている。
2015年10月 「ゴーン・ガール」
デヴィッド・フィンチャー監督の作品はいつも、世評ほどには楽しめない。本作は2014年のベスト級に評価が高いようで、僕は劇場でリアルタイムに観て、ピンと来なかった。今回自宅で見直して、ストーリーが頭に入った状態だからさらに細部もよくわかり、評価も変わるかと思っていたら、やっぱりさほど楽しめなかった。妻のサイコぶりを見せたいなら夫をもっと善人に描かないと衝撃がない。ベン・アフレックがあのアホ顔でどうしようもないダメ男なら、もうこの話自体がどうでもよくなってしまう。逆に、ダメ男をやっつける話として描きたいなら、観客が妻の側にもう少し肩入れできるような演出にしないと共感はできない。どっちつかずでただサスペンスシーンだけが続く。見かけ倒しの監督だと、僕の中では評価が定まりつつある。
2015年10月 「ザ・レイド」
珍しいインドネシア映画だが、これがアメリカをはじめ世界的に大評判となった。とにかくアクションシーンの迫力が半端ではなく、おそらくブルース・リーやジェッキー・チェンを初めて見た時のような興奮があったのだと思う。インドネシアの格闘技「シラット」をベースにした実用格闘技による戦いは、本当にすさまじく、観ていて最高に楽しい。殺陣(たて)が本当によくできているのだ。トム・クルーズの映画「アウトロー」で披露された「キーシ・ファイティング・メソッド」に似ているかと思ったが、このシラットのほうは蹴りが主体で、その合間にパンチや武器攻撃などがはさまる。とにかく手数が多く、攻撃の種類が豊富だ。ストーリーは単純なもので、はっきりいってどうでもよく、ひたすらアクションアクションが延々と続く。ただ、さすがに2時間近くこれが続くとインフレ状態になって飽きが来るので、もう少し短くまとめたほうが良かったように思う。
2015年10月 「ザ・レイド GOKUDO」
世界に衝撃を与えた一作目に続く続編。賛否両論あるようだが、僕は一級のエンターテインメントとしておおいに楽しんだ。一作目はとにかくアクションを楽しませるために徹底的に無駄を切り落とし、最低限の設定だけで乗り切った、いわば実験作ともいえる作品だった。これに対し、本作はしっかりした設定を持ち、アクション以外にも見せ場をたっぷり含ませた、一般的な娯楽作品として仕上がっている。まあ多少の突込みどころがないではないが、それが興味を削ぐほどには気にならなかった。全編通じて緊張感に溢れ、興味を持続させる。ただ、ラストが少々あっけないのが残念に思える。
 一作目を超える続編という、稀有な一作。
2015年10月 「アクト・オブ・キリング」
昨年に観た映画の中では、衝撃度ナンバーワンの作品だった。今回見返してみても、さすがに初見時ほどのショックはなかった分、主人公アンワルの微妙な変化をつぶさに確認できて興味深かった。終盤で、彼が戦争時に拷問で人を殺したシーンを自らが被害者役として演じ、そのフィルムを自分の孫と観るという場面がある。僕はいまだかつてこんなおぞましい場面を見たことがない。ラストでの彼の変化は、彼の人生を重く暗く押しつぶしていくだろう。そう思うと、この映画を作った監督の“罪”はどうなのかとさえ思ってしまう。
2015年10月 「天使のはらわた 赤い淫画」
日活ポルノ作品として堂々たる(?)ハードエロスシーン満載の作品。それでも、この時代の映画はいいなあと思わせる、退廃的・幻想的な雰囲気に満ちていて、しっかりした映画を見た満足感は得られる。
  
2015年 9月 「オール・ユー・ニード・イズ・キル」
これは気に入った! エンディングでクレジットロールに入った瞬間、「フォー!」と叫んでしまいそうになった。日本のライトノベルが原作で、しかもそこから設定やストーリーをかなり変えていることなどは、僕にはどうでもよい。とにかく2時間を楽しませてくれるに充分な作品。CG臭さはあるものの、ぎりぎりごまかしきれているレベルで、気にはならなかった。これは劇場で3Dで観ていたら、かなりの迫力だったと思う。
 ラストの展開に矛盾があるのでは、という声があるようだが、それを言ったらタイムトラベルものには必ず矛盾がある。本作なら、なぜ必ずあの瞬間に戻るのかなど、挙げればきりがなく、そこを追求しても仕方がない。僕はあのラストでほろりとさせられたし、とにかくエンディングの切れ味が抜群だったのだ。トム・クルーズは偉いな。
2015年 9月 「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」
セリフがほとんどない難解な映画として、そしてスカーレット・ヨハンソンが脱ぎまくる映画として話題になった作品。確かに、説明は全くなく、謎めいたシーンが延々と続く。ヨハンソン演じる女性が車に乗って男に声をかけ、家に誘う。家の中には広い空間があり、ヨハンソンに導かれて入っていくとそこは真っ黒な物質の沼のようになっており、男はずぶずぶと沈んでいく。僕が惹かれたのは、ヨハンソンのヌードは仕方がないとしてもその映像美であり、わけがわからないのに見る気が全く削がれないという不思議な経験をした。
 ただ、見終わって考えてみれば、ストーリーは意外に単純なものに過ぎないことに気づく。だから本作を、もう一度見ることはないだろう。
2015年 9月 「野郎どもと女たち」
映画としてもミュージカルとしても、とても酷い出来。マーロン・ブランドは意外に歌がうまい(吹き替えかもしれないが)のだけれど、ミュージカルを成り立たせるほどの魅力はない。ミュージカル部分を一手に担うべきフランク・シナトラのほうはあまり画面に登場せず、出来の悪い物語が進んでいくばかり。
2015年 9月 「ブラックブック」
傑作。エログロ趣味のためけなされることも多いが、一部で熱狂的なファンを持つバーホーベン監督。僕は後者のほうで、好きな監督の一人として挙げてもいい。そもそも映画とは悪趣味なものだ。それを遠慮なく観客に提示し、それでも映画的文法、面白さの本質をわかっているのがこの監督だと思う。本作は、これまでの過激さを抑え、文芸作品といってもじゅうぶん通用するくらい真っ当な、かつ最高に面白い映画として堂々たる出来映えを見せている。
 ナチス占領下のオランダで、一人のユダヤ人女性が弾圧をくぐり抜けて生きていく。テーマ的にも雰囲気的にも、タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」に近い。練りに練られた脚本は退屈する暇を与えず、2時間半があっという間に過ぎる。作中で何度か、日付が明確に示されるが、それが何を意味するのか。ラストの日付と場所を調べてみれば、彼女の運命に頭を抱えることだろう。とことん意地悪な監督さんだ。
2015年 9月 「サイダーハウス・ルール」
うーん、いい話だとは思うし、映画としての見映えは悪くないのだけれど……。この監督の作品にはいつも何かが足りない気がして、のめり込んで見ることができない。要素を詰め込んでいる割に伝わってくるメッセージが弱いのだ。これは推測だが、この監督はとてもいい人で、スポンサーの意向を断れずにそのままのんでしまうのではないかという気がする。スター俳優とその他のバランスが悪いのは他の作品でも感じたが、本作では、(スターではないけれど)孤児院の少女が妙にクローズアップされる割に、彼女と主人公との関係がストーリーにも主人公の人格形成にもまったくリンクしていない。部分部分を取り出してみれば悪くはないのに、映画全体としてバランスが悪く、俳優たちが悪い意味で放任されている印象がある。
2015年 9月 「天国の口、終りの楽園。」
ゼロ・グラビティ」や「トゥモロー・ワールド」といった傑作を世に発表しているアルフォンソ・キュアロン監督が、初期の頃に発表した作品。けっこう世評が高いのだが、僕は全く乗れなかった。性欲ムンムンの男子高校生二人と、色気たっぷりの女性による、ロードムービー。少年二人が馬鹿でぐうたらで全然共感できず、そんな彼らが成長したり愛すべき一面を見せたりもせず、おまけに憧れるはずの女性にもまったく魅力がない、ときている。これが最後まで続くのだから、この映画のどこを褒めればいいのか。少年と婦人を出せばそれっぽい雰囲気になるという勘違い、車で走っていればなんとなくロードムービーになるという勘違い、人間の本性を隠さず見せれば何かを伝えられているという勘違い。完全な失敗作だと思うけどなあ。
2015年 9月 「イントゥ・ザ・ストーム」
これはいい映画だ。大傑作とまでは言わないにせよ、災害パニックものとしてはトップクラスの映画だと思う。そもそも、過去に名作とされてきたパニック映画だって、じつはたいしたことのない作品が少なくない。
 最新のCGが非常に効果的に使われ、画面もさほどCG臭くない。だから非常な迫力で、これは劇場で観たかったところ。しかも、混乱下における人間ドラマがしっかり描かれているため、ラストの感動もひときわ大きくなる。1時間半に満たない時間でよくここまで描けたものと感心する。いやはや、いい映画だ。
2015年 9月 「パティ・ハースト誘拐〜メディア王令嬢のゲリラ戦記〜」
かつて世間を騒がせた、「パティ・ハースト誘拐事件」を追ったドキュメンタリー。映画「市民ケーン」のモデルになった新聞王、ウィリアム・ランドルフ・ハーストの孫娘パトリシアが誘拐された。SLAと名乗るテロリスト集団は、人質解放と引き替えに、貧民6万人への食料供与を求めた。パトリシアの父親はこれに従うが、その後、事件は意外な展開を見せる。パトリシアがSLAのメンバーとなり、銀行強盗に荷担していたのだ。そしてあろうことか、自分の家族や婚約者を罵り始める。人の心がいかに惑わされやすく、簡単には推し量れない奇妙なものなのか、考えさせられる。
2015年 9月 「八月の狂詩曲」
黒澤明監督作で最も評価の低い作品と聞くが、確かにうなずける。反戦思想、日米交流、子供の描き方、すべてが浅はかで中途半端で、この映画から伝わってくるものは何もない。本当に何もないのだ。
2015年 9月 「演劇1・2」
想田和弘監督による観察映画シリーズ第4弾にして、最長の作品。なんと前後編合わせて5時間42分の大作だ。平田オリザ氏率いる劇団「青年団」の活動をつぶさに追っている。ふつうこうした作品は芸術に邁進する真摯な姿勢を描くのが常道で、見る前からなんとなく内容が透けて見え、さらにいえば説教くさいものになりがちだ。それが本作では、演劇に対する情熱もさることながら、経済的に恵まれない状況でいかに政治的に立ち回るのかという、通常はタブーともされる領域に踏み込む。こういう展開に通常ならないのは、出演者が拒否するからだろうが、平田オリザ氏はそれを惜しみなく見せてくれる。けっして人付き合いやコミュニケーションが得意そうに見えない彼が、政治家をもてなし、講演会をこなし、学校教育の場に参加する。この方法論があまりにも理論的で巧みで、その手腕には感動を覚えるほどだ。ただ、それもこれも最終的には演劇が好きで演劇を続けていきたいからこその手段だ。無尽蔵のエネルギーに脱帽し、自身を省みて恥じ入ることしきり。
2015年 9月 「陸軍中野学校 密命」
陸軍中野学校シリーズ第4弾。イギリスのスパイ、通称「キャッツ・アイ」を巡り、各国駐在員入り乱れての情報戦が繰り広げられる。前作あたりから出てきた馬鹿馬鹿しさは本作でも健在で、こういった作品はリアリティを本気で検証しながら作らないとこうなる。
2015年 9月 「凶悪」
評判の作品だから楽しみに見たが、いやはや酷い出来で逆に驚く。昨今、映画にテレビにと引っ張りだこの役者・ピエール瀧氏の演技が、僕にはまったくいただけなかった。ただ目をむいてドスのきいた声でしゃべっていれば怖く見えるだろうという心底浅はかな演技は、見ていて恥ずかしくなるレベルだ。彼の出演シーンが本作のかなりの部分を占めるため、畢竟、映画の出来もそこに引きずられる。暴力シーン、残虐シーンの迫力も、「冷たい熱帯魚」「ヌードの夜」などに遠く及ばない。山田孝之、池脇千鶴らしっかりした役者さんがどれだけいい演技をしようとも、どうしようもない。リリー・フランキー氏の演技も、悪くはないがそこまで褒めるものでもないと思う。
2015年 9月 「イリュージョニスト」
昔見た作品を妻と一緒に見直したが、まず何より、絵の美しさに酔いしれる。パリからロンドン、スコットランドと移り歩くなかで、その土地ごとの景観が、独特の色合いとイラストタッチの絵で表現される。何度も「きれいだ〜」と口にしてしまうほど。そして、ほとんどセリフも説明もないままに進むのに、登場人物の心情が心に沁み、物語に引き込まれていく。ちょっとした仕草や絵の微妙な変化を見逃してはいけない。どこに進むかわからない展開は最後まで見る者を捉えて離さず、ラストの苦さ、温かさ、潔さに、短い時間ながらも素晴らしい映画を観たという記憶をいつまでも胸の内に残す。名作だ。
2015年 9月 「地獄の黙示録」
名作の誉れ高い作品だが、実は失敗作だとの評判も聞く。見てみたが、僕の感想も、後者に近いものだ。前半、「ワルキューレの騎行」のメロディーに乗せて上空から攻撃をおこなう有名なシーンは、確かに迫力がある。ロバート・デュバル扮するキルゴア中佐の発する狂気には迫力があった。だから前半はいい。
 キルゴアのシーンのあとは、戦争の奇妙な断片をつなぎ合わせていく展開が続き、肝心のカーツ大佐が登場してからのシーンが、もっとも盛り下がる退屈なシーンに成り果てる。本作がなぜこんな代物になってしまったのかは、「映画の見方がわかる本/町山智浩」に詳しいので、興味のある方は読んでみると面白い。
2015年 9月 「バルカン超特急」
ヒッチコックのイギリス時代最後期の作品。ヒロインと列車に乗り合わせたはずの老婦人が突如いなくなる。目撃者たちに確認しても、皆、そんな女性はいなかったと言い張り、ヒロインは混乱する。「幻の女」「バニーレイクは行方不明」など、いたはずの人間がいなくなり、自分の妄想だったかと思い始める展開は結構あるが、やはり面白い。本作もわくわくしながら見ていたら、後半になっていきなりおかしな方向に走り始め、最後はわけのわからない作品になって終わった。ヒッチコック作品で初めてお気に入りになるかと思っていたのに、残念。
2015年 9月 「グロリア」
ジョン・カサヴェテス監督作品を見なければ、と思っていた。これが初見だったが、ドン・シーゲルばりの重厚なエンターテインメントで、非常に楽しめた。人間心理を不条理なままに描くため、途中の展開がまったく読めず、新鮮に映る。そして、だからこそのラストの重さがあるのだ。敵の組織があまりにも間抜けなことに目をつぶれば、本当に楽しめる渋い一作だと思う。
2015年 9月 「陸軍中野学校 開戦前夜」
シリーズ最終作。やはり1作目は傑作だったけれど、2作目以降は尻すぼみになってしまった。こうしたスパイアクションものでは、リアリズムのバランスに相当気を配らなければ、見ているほうが白けてしまう。本作もやはりリアリズムに欠け、馬鹿馬鹿しさばかりが目立ってしまった。いい素材なのに惜しい。
2015年 9月 「未来は今」
コーエン兄弟監督の作品は好きでよく観るが、さすがにこれは失敗作だろう。ティム・ロビンスがこういうおとぼけ天然キャラを演じることに難があったように思う。ドタバタ喜劇、人情劇、いずれにせよ中途半端でどう観たらいいのかわからない。
2015年 9月 「天使のはらわた 赤い教室」
「天使のはらわた」は、現在映画監督して名の知れた石井隆氏の書いた劇画を映画化したシリーズ。脚本も彼が担当し、主に日活ロマンポルノの一作として制作された。だからもちろんエロティックなシーンが満載だが、あなどってはいけない。石井隆監督作品と同様、しっかりとした芸術性を備えた見応えのある一作となっている。ポルノというのは、男女の扇情的なシーンがあれば後はどうでもいいということから、逆に芸術性をしのびこませることも容易だったのだろう。だからこの時期(1970〜1980年代)のポルノには、実は一般作品として観ごたえのあるものが多い。
2015年 9月 「ジャージー・ボーイズ」
イーストウッド監督は、音楽が人の心を動かすということなど、ハナから信じていないのだと思う。だからこそあんな脳天気な演出ができるのだろう。フランキーの歌声を聴いただけで聴衆が電撃に打たれたようにショックを受け、聞き惚れ、考えを変えるというシーンが何度もある。これがこの映画のキモであり、このシーンの出来次第で映画自体が決まってしまう(と、僕は思う)。その音楽的、歌唱的な説得力が、本作には見られない。つまり、そこまで彼の歌が感動的でもないのだ。
 脇役のクリストファー・ウォーケンはいい演技だとは思うが、彼の演じるジップ・デカルロがフランキーの声を聴いて涙するシーンなど、失笑ものでしかない。フランキーを演じたジョン・ロイド・ヤングは、ミュージカル版の役者でもあるが、僕は彼のあまり通らない声や高音でひび割れ、ややフラット気味になる声が美しいとも巧いとも思えない。これは好みの問題だろうか。
 それからびっくりしたのは、ラスト近くで歌われる、天下の大名曲「君の瞳に恋してる」。この曲は僕も大好きだが、上述のとおり歌唱に感心しないのに加え、ホーンセクション(トランペットやトロンボーンが入るところ)が全てをぶち壊すほどひどい出来なのだ。これも僕の好みなのだろうか。気になる方は、下記のリンクで聞き比べてみてほしい。

劇中で歌われる「君の瞳に恋してる」…歌もぱっとしないが、曲調の変わる部分(1:25あたり)でのホーンセクションが酷い。
https://www.youtube.com/watch?v=euTxpe61NE8

・上記の別バージョン…こちらのほうが歌もホーンセクションも断然いい。
https://www.youtube.com/watch?v=_sjPXqU2Ph8

・本家の歌…こちらが劇中で流れてくるなら僕も感動する。
https://www.youtube.com/watch?v=NGFToiLtXro
  
2015年 8月 「愛の渦」
「シーンのほとんどが裸」とか「セックスシーン満載!」などと紹介されているけれど、実際には全然エロい映画ではなく、とても真面目な作品であることに驚いた。その意味では「ニンフォマニアック」に近い。
 8人の男女が集う乱交パーティー。集まった面々は様々だが、目的はひとつ……のはずがみんな妙にオクテで、最初は盛り上がらないコンパのように、「ご職業はなんですか?」「どこからいらっしゃったんですか?」のようなやりとりが続く。僕らを強烈に縛りつけてやまない「空気を読む」という規範に従い、「他のみんなはどう思っているのか」を全員が延々と探り合うのだ。これは見ていていたたまれない。もちろんそこから場の空気はくるくると変わっていくのだけれど、僕はその過程で様々な気持ちを味わった。ぎこちなかった関係がほどけ、わだかまりなくセックス談義に花が咲く時の全員の嬉しそうな表情を見て、なぜか僕は少し泣けた。性をこれだけ明るく語ってもいいのだ、というか、人の大いなる喜びであることがいじらしく思えてしまったせいか。いっぽう、トラブルが発生し、一転して緊迫するシーンでは、むき出しの欲望はかくも危険なものかと冷や汗が出た。それでも、他人のセックスがどうにも気になり、男も女も本当に興味深そうに他人の行為を眺めているシーンには、また人間に対するおかしみと親近感を覚えた。
 リアリティに欠けるという面は否定しがたい。実際にこういう場はあるだろうが、もっと淫猥で時には凶暴で悲惨なことになるだろう。それでも、たとえフィクションだとしても、それを見た僕らがここまでいろんなことを考えさせられるとすれば、この映画の存在価値は大いにある。ラストの、若い男女の顛末もいい味が出ている。
2015年 8月 「陸軍中野学校 雲一号指令」
陸軍中野学校映画、第二弾。スパイ養成学校を卒業した椎名が実戦に赴く。いったん中国へ向かった椎名はしかし、学校時代の恩師である草薙中佐から呼び戻され、神戸で諜報活動をおこなうよう命じられる。前作から監督が替わり、どうなるかと思っていたら、同じように面白かったので安心した。市川雷蔵が今作でもクールな椎名を好演している。そして、加東大介演じる草薙中佐が熱くて泣けるのだ。
2015年 8月 「バンデットQ」
どうにもファンタジーというものに馴染めないたちで、子供の頃なら無邪気に楽しめた作品かもしれないが、作品の裏に何があるのかと考えたり、強烈な映像美を求めたりして見てしまうと期待は満たされない。テリー・ギリアム作品は何本か見たが、好きな作品とまったく乗れない作品にくっきり分かれる。前者は「未来世紀ブラジル」「12モンキーズ」、後者は、本作と「フィッシャー・キング」「Dr.パルナサスの鏡」あたり。
2015年 8月 「ユージュアル・サスペクツ」
あっと驚くラストで有名な本作だが、丁寧に見ていれば察しはつく。それより僕は、作品全体の重々しいトーンが渋くて格好いいと思った。俳優の存在感で保っている映画だろう。
しかしまあ、映画のほとんどのシーンが、ヴァーバルのついた嘘だったという訳だが、それをしっかり映像として見せられる観客からすれば、ちょっと納得しがたい。夢オチと同じレベルである。アイデア一発でここまで作り込んだという点では評価できるのだが。
2015年 8月 「イコライザー」
かなり世評が高い作品で、期待しながら見た。実はドイツ旅行の時に機内で見始めたのだけれど、あまり乗れないうちに機内食が来たか何かで中断してしまった。小さなモニターで見ていたのか悪かったのかと思ったが、今回しっかり見てみて、やはり僕にはあまり面白い作品と思えなかった。
 仕事人的な善意の殺し屋という設定は元より、攻撃にかかる時間を何秒ときっちり計っているところも、どこかで見たことのある感じで新鮮さはない。アクション映画は結局、アクションで説得してくれないと困るわけで、たとえば「アウトロー」のトム・クルーズにはそれがあったから一定の評価ができる。本作のデンゼル・ワシントンにはその説得力がないのだ。だって相手はロシアンマフィアですよ。それを一網打尽にするわけだから相当な殺しの技術がないと納得できない。最初の19秒のシーンはそれなりに頑張ってはいると思うが、全体的にもっさりして格好良く見えない。これは見せ方にも問題があるのかも。だいたい、ちょっと仲良くなった女の子が殴られたことで相手を皆殺しにするというのも、よく考えればやり過ぎだろう。
 それから、敵役の刺客テディ(マートン・ソーカス)が弱すぎる。登場序盤で感情的な面を表に出してしまい、底が割れているのだ。強い敵を倒してこそカタルシスがあるのに、あんなマヌケな奴を倒したところで、「そりゃそうだよね、だってマヌケなんだもん」としか言いようがない。クライマックスのホームセンターでの攻防についても、チャカチャカして双方の位置関係が掴みづらい。デンゼルがたまに攻撃されてしまう時も、そんな強い彼が攻撃を受けてしまうのならそれなりの理由(運悪く足場が崩れるとか、味方の誰かを救うため、とか)が必要なはずなのに、単なる見せ場を作るためだけに攻撃を受けるという脚本のため、無敵の彼が何故かザコの敵に一撃を食らってしまい、リアリティが削がれて白けてしまう。
2015年 8月 「娘・妻・母」
二男三女の兄弟姉妹、それから彼らの配偶者や親をめぐる、とても辛気臭い話。誰にも感情移入できず、かといって群像劇にもなっていない。各人が俗物根性をさらけ出して繰り広げる騒動は、見ていて本当に嫌になる。そして結局年取った者だけが人の心をよくわかっていて偉いのだと言わんばかりのエンド。こんなひどいエンディング、なかなか見たことがない。
2015年 8月 「ゾンビ・リミット」
これは思わぬ拾いもの。99%がクソ映画というゾンビ映画の中では出色の出来。登場人物の少ないこんな小さな物語の中に、きっちりサスペンスとミステリーと人間ドラマを入れ込んでバランスが取れている。達者な監督さんだと思う。ゾンビ映画のグロシーンを期待される方には肩すかしかもしれないが、そういうシーンが全くないわけでもなく、僕はとても上品に効果的に組み込まれていると思う。
2015年 8月 「マレフィセント」
「眠れる森の美女」を、悪役の側から語り直した作品。ストーリーのほぼ全てが意味不明。かと思ったら、そもそもの「眠れる森の美女」のストーリーからしてそうだった。試しにwikipediaの「眠れる森の美女」のストーリーを読んでみれば、「なんで?」の嵐だということがわかると思う。登場人物の誰一人も魅力的に思えず、綺麗な映像がただ空回りしている。
2015年 8月 「ぼくを探しに」
主にアニメ映画を作ってきたショメ監督の、初・実写長編作品。不思議な味わいは実写でもじゅうぶん表現されているとは思うが、やはりアニメほどの強烈な個性は本作では見当たらない。キャスティング、演出はしっかりしているので、このまま何作か実写ものを続ければ、傑作が生まれる予感はある。
2015年 8月 「バリーリンドン」
実に堂々たる映画。貧しい農夫だったバリーが、奔放な性格と不思議な運命によって、果ては貴族の位までたどりつく。現代版わらしべ長者といったところか。そもそもの企画だったナポレオンの生涯を別の人物に見立てて作ったらしく、映画のそこここにいろんな風刺などが散りばめられているらしいが、そんなことを知らずに見てもじゅうぶん楽しめる。ただ、知識があれば、本作をコメディと捉えることもできるようで、キューブリックの映画だからやっぱり一筋縄ではいかない。
2015年 8月 「LUCY/ルーシー」
ああ、リュック・ベッソン監督作だなあと思った。とても壮大なテーマを元に語られるのだが、それを実現するストーリーと映像はとても陳腐なところに落ち着いてしまう。それでも「フィフス・エレメント」は好きな作品だったし、本作も韓国マフィアとの抗争などは楽しく、スカーレット・ヨハンソンも悪くない。ただ、彼女が力を持ち始めると簡単に敵の能力を超えてしまい、どんな勝負でも一発で勝ってしまって、サスペンスもドラマも生じないのだ。途中からはインフレしていくストーリーと映像を、退屈しながら見ることになる。
2015年 8月 「陸軍中野学校 竜三号指令」
スパイものやSFものといったジャンルでは、少しでも「馬鹿馬鹿しい」方向に舵が振れてしまうと、見るに耐えないものになってしまう。シリーズ前2作についてはそのバランスが取れていたので面白く観られたのだが、3作目の本作において、遂にバランスが崩れてしまった。演技と演出が良くないせいで、しらじらしい場面が多く、荒唐無稽さが遂に馬鹿馬鹿しさに変じてしまった。
  
2015年 7月 「渇き。」
中島哲也監督作を見るのは、「告白」に続いて二作目。いや、思ったよりもグロ度が高くてびっくりした。加奈子のモンスターぶりは堂に入ったもので、これは、「男が思う、(特に思春期の)女性の得体の知れなさ」を表現しているのだと思う。意外に世評は低めの気がするが、僕はそこそこ楽しめた。
 かなりタランティーノ好きの面が出ているようだが、その点はあまり評価できない。特に序盤、オープニングのロゴはあまりに狙っているのがダサく思えるし、現在と過去を何度も往復し、そのたびにテロップで日付を見せるのも頂けない。これは後半、テロップを出さずにいきなりカットで切り替えるようになって、ずいぶんテンポが良くなった。
 役所広司の、珍しく粗暴な悪役(と言っていいと思う)も、オーバーアクションながら楽しい。ただ、あまりに速い展開に、話の筋がおろそかになってしまうので、これは二回見ると評価は変わると思う。もう一度見るかと言われれば躊躇するが。
2015年 7月 「ダイ・ハード2」
前作がビルなら今回は空港と、スケールアップした続編。航空パニックものはトンデモ映画が多く(エアポート○○シリーズや、ハッピーフライトなど)、本作もなんだかリアリティが感じられない。あんなに簡単に管制塔の通信を乗っ取れるのか、上空で待機する飛行機はあんなに呑気で管制塔の言いなりなのか、そのあたりが気になってストーリーに集中しづらかった。見終わったあとに思い出せば、あっと驚く展開やそれにまつわる伏線など、第一作同様、よくできた脚本だとは思う。
ところで将軍役は、あのフランコ・ネロだったのか!
2015年 7月 「大丈夫であるように -Cocco 終らない旅ー」
是枝裕和監督作は全て大好きなのに、これは全く受け付けられなかった。Coccoというアーティストのことを知らなかったせいもあるが、そうした素の状況で見る彼女は、歌も含め、とくに魅力的には思えなかった。それでいてジュゴンの件など、これまで是枝監督が周到に避けてきた安易なヒューマニズムが全面で出ており、なぜこの作品を撮ったのか理解に苦しむ。
 押しつけがましいメッセージは反発しか生まない。沖縄に生きる人にはもちろん苦悩はあるだろうが、沖縄に住んでいない他の人にもそれぞれなりの苦悩があるわけで、沖縄の人だけが特別苦しんでいる、なんて言われたくはない。
2015年 7月 「ショコラ」
おとぎ話っぽいオープニングからしばらくはとてもいい雰囲気で、この映画好きかも、と思っていた。それが、ジョニー・デップが登場するあたりから映画が壊れ始め、最後はわけのわからないモノになってしまった。映像はとてもチャーミングで綺麗だから、惜しい。
2015年 7月 「アナと雪の女王」
90年代のディズニー・クラシックの作品群は大好きだったし、ピクサー制作作品も好きで見てきた。が、これは全くいただけない。最初から最後までほぼ全編、ストーリーを追うだけの展開で、とても長い予告編を見ている気がした。キャラクターに魂がこもっていない、というと陳腐な表現だが、単純に役割を背負わされた人達ばかりで、映画に広がりも深みも出てこない。事前に知っているあらすじからほとんどはみ出さない、つまりは面白みの少ない作品だといえる。唯一の救いでありこの映画最大のポイントが、「いい歌」だ。「レリゴー」を含めた数曲は本当にいい曲だと思う。しかし、ディズニーミュージカルの中で、これほど歌のシーンが不自然な作品も珍しい。「レリゴー」にしたって、見る前は明るい希望を歌っているのかと思っていたら全く逆で、これから自分の中に閉じこもって生きるわ、と表明するシーンなので、僕はぜんぜん乗れなかった。
2015年 7月 「新宿泥棒日記」
ATG映画で、大島渚の放つ実験作とはわかっていたものの、さすがにこれはきつかった。全編、男と女が新宿近辺をうろつき、SEXについての思索を続ける。横尾忠則や紀伊國屋書店社長 田辺茂一氏など、素人の棒読み演技に付き合わされるのもかなわない。誰かの言葉で、「“時代と寝た作品”は、時代が過ぎれば意味不明なものとなる」と聞いたことがあるが、正にそんな一作。
2015年 7月 「永遠の僕たち」
ガス・ヴァン・サント特有の、浮遊感のある美しい画像を堪能できる。作品自体は、難病少女とのはかない恋愛物語をどストレートに描いた映画なので、陳腐ともとれるが、僕はそれなりに、というかかなり楽しんで見られた。加瀬亮扮するヒロシが手紙を読むシーンも、ベタなのに泣けてしまう。いい映画だと思うけどな。
2015年 7月 「夢」
黒澤明は晩年、困った映画を作ったと聞いたが、これだったのか。だいたい、カラーになってからの黒澤作品で評価の高いものは聞かない。本作は芸術映画志向なのか前衛なのか知らないが、まったくセンスは感じられず、薄ら寒い映像が続くばかりだ。くわえて、役者陣のわざとらしい演技は目を覆いたくなる。しかもそれらが「こんな夢を見た」として出てくるので、しらけ具合も甚だしい。
2015年 7月 「ビッグ・リボウスキ」
うーん、コーエン兄弟の作品はけっこう好きで見ているのだが、これはちょっと難解だ。映画自体は、いつもの「間抜けな悪党もの」と位置づけられるだろう。「ファーゴ」などはそれがストーリーとばっちり絡んで素晴らしい出来映えだった。本作は、間抜けな彼らの起こす犯罪や巻き込まれる出来事がよくわからないため、積極的に楽しむことができなかった。町山智浩氏によれば、本作にはいろんな背景があってそれを理解すれば楽しめるとのことなので、そのあたりをおさらいしてみたい。
2015年 7月 「誘う女」
ガス・ヴァン・サント監督が、キャリアのまだ浅い時期に撮った作品。女性がうら若き少年を誘惑し、自分の夫を殺させるという、実際に起きた事件がモデルとなっている。ニコール・キッドマンが嫌な嫌な女を好演しており、ほんとに憎らしく思えてくる。時間軸を説明無く行き来する手法はスマートで既に確立しているし、ブラックコメディとして薄ら寒い雰囲気がよく出ているとは思うが、後年の映像美を期待して見ると外される。この分野だと、コーエン兄弟やミヒャエル・ハネケーくらい突き抜けてくれないと物足りなく感じてしまう。
2015年 7月 「續 姿三四郎」
前作の「姿三四郎」もそうだったが、とにかくフィルムの保存状態が悪くて閉口する。音が聞き取りにくい箇所がいくつもあるため、話にも入り込みづらい。前作は柔道対決のシーンにリアリティがなくて脱力したが、今回はそこが改善され、前作よりも話にもヤマがあって、大衆映画としてはこちらのほうがいいかもと思う。
2015年 7月 「夏の妹」
実に爽やかな映画。殿山泰司、小松方正、佐藤慶といった大俳優を尻目に、これが映画初出演の栗田ひろみが、奔放な演技で映画の焦点をかっさらってしまう。戦後の沖縄と本土との関係がテーマではあるが、そこは芸術的というか前衛的に役者の奇妙な演技で表現されている。だからまったく押しつけがましくなく、それでいて頭にうっすら残るような仕掛けが見事だ。「私は泣いています」のりりィも出演し、意味不明に脱いでいるのも見物っちゃあ見物。
2015年 7月 「陸軍中野学校」
戦時中に実在したスパイ学校を舞台にしたサスペンスで、エンターテインメントとしてほぼ完璧。「眠狂四郎殺法帖」を見て大根ではないかと疑った市川雷蔵は、本作では無表情ながら虚無感や諦念を見事に表現し、引き締まった傑作とする一翼を担った。淡々としたスパイ学校の教育課程と、一方では諜報活動、スパイ合戦が派手に繰り広げられる対比が作品に綾をなし、見応えのある一作となっている。96分でこれだけの厚い内容を表現する脚本は、美しいと表現したくなるほど。
2015年 7月 「太陽がいっぱい」
アラン・ドロンを世界的人気俳優にならしめた一作。見るのはこれで3回目くらいで、見るたびに印象が変わる。今回は、1960年当時のイタリアのなにげない風景がふんだんに織り込まれ、旅愁を大いにかきたてられた。サスペンス部分については、パスポートの偽造やサインの練習あたりまでは良かったのだが、その後はぐずぐずになってしまい、アラン・ドロンの格好良さがあまり生きていないように感じた。友人を刺すまでの高まりもあまり感じられない。そして、ラスト。ああ、やっぱり知らずに見られた頃が懐かしい。
2015年 7月 「ギルバート・グレイプ」
どうにもジョニー・デップという俳優は僕にはピンと来なくて、どの映画でもいつも同じ表情をしているように思えてしまう。(ちなみにすきっ歯はこの映画の為に整形した結果らしい。)いっぽう、レオナルド・ディカプリオの超絶的な演技は、本当にこういう人がいるとしか思えないほどのリアリティを見せつける。知的障害ある弟、肥満で動けない母親、魅惑的な少女との出会い。要素としては充分すぎるほど揃っているのに、映画を観た感想がそれに追いつかない。
2015年 7月 「海街diary」
なんにも起こらない、と不満に思う方がいらっしゃるようだが、僕はこの映画をいつまででも観ていられる自信がある。4人姉妹のキャラクター分けは、マンガが原作ということでややデフォルメされているものの、しっかり演じられていると思う。とくに綾瀬はるかは、これまで天然おっちょこちょいな役柄しか見たことがなかったので、今回のようなしっかり長女の演技がここまではまるとは思っていなかった。これは是枝監督にかぎらず、いい監督の撮る作品では、役者達はみんながいい演技をし、女優陣はすごく綺麗に映る。
 人格や性格は、場合によって異なる。つまり、僕らは皆そうだが、どこにいるか、誰といるか、どういう状況かによって、思考形態や行動様式は変わる。綾瀬演じる長女だって、次女といる時、愛人といる時、末っ子といる時、それぞれで違った色を放つ。つまり、人の組み合わせによって映画はいろんな顔を見せてくれるから、どんなシーンでも新鮮なのだ。
 心に残るシーンはいくつもあるが、僕は意外に、すずと仲良しの男友達・風太が花火大会の後だったと思うが一緒に話していたシーンが好きだ。兄を持つ風太が、今度は娘が欲しかったという両親の期待が外れたせいで、自分は写真がすくない、と嘆きながら笑うところで結構、泣けた。それからラスト近く、リリー・フランキー演じるおじさんが、亡くなった女性を偲んで話すシーン。「もうすぐ死ぬとわかっているのに、きれいなものをきれいだと思えることが嬉しいって、彼女は言ってた」とつぶやくところは、声が出るかというくらいに泣いてしまった。
2015年 7月 「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」
コーエン兄弟監督作らしく、駄目な人間がとことんいたぶられる作品。それでいて見終わったあとは人間賛歌として心に残り、明るい気持ちにさえなってくる。愛すべき人物を描いたドラマとして、また音楽映画として、さらには猫映画として、心に残る一作。
2015年 7月 「猿の惑星:新世紀(ライジング)」
世評の高さにはまったく乗れず、あまり面白いと思えなかった。猿が初めて原罪(猿が猿を殺す)を犯してしまうこと、人間の愚かさ、そういったテーマはわかるのだけれど……。まず冒頭のCGで萎えた。あの程度でいい映像になったと思っているのなら大間違いだ。画面全体をCGで構成するには、まだ技術が追いついていない。テーマ全体について言えば、やはりシーザーが人間と本気で対決しなければいけないように思う。コバのように、一部の悪者が完全に悪いことをして人間と争うというなら、人間対猿、という構造ではなくなる。例えば、原発に反対するシーザーが、原発完全撤廃を要求して戦う、ということならもっと対立構造が深くなると思うのだが。
  
2015年 6月 「バーニー/みんなが愛した殺人者」
ビフォア・シリーズ三部作や「6才のボクが、大人になるまで。」など、ドキュメンタリータッチで現実世界とシンクロするような作品を撮っている監督の、これはブラックコメディとでも言おうか。事実を元にしているものの、主役となるジャック・ブラックの思うがままに任せた演技で成り立つ作品だ。もちろん、周囲の人間のインタビューを合間に挟む手法など、監督の“色”もじゅうぶんに出ている。脇役のマシュー・マコノヒーは、僕が最近の得体の知れない役者になった彼しか知らないせいかもしれないが、ものすごいハンサムで驚いた。そしてシャーリー・マクレーンの怪演。この人は、「真昼の死闘」でクリント・イーストウッドを完全に圧倒する凄い演技を見せたが、今回も嫌らしい老女の役を見事にこなしている。
2015年 6月 「灰とダイヤモンド」
さすがの名作。「世代」「地下水道」と、“抵抗三部作”と呼ばれる三作を順に見てきたが、本作が、芸術性と大衆エンターテインメント性をバランス良く備えた名作であることに間違いはない。全編に溢れる青春のやるせなさ、むくわれない情熱、突き動かされずにいられない時代性。モノクロの映像をここまで美しく、哀しく見せる映画もないだろう。
2015年 6月 「シベリア超特急2」
うーん、とんでもない間抜けっぷりがカルトと評価されるのは一作が限度だろう。二作目はただのつまらない駄作以外の何物でもない。これを大まじめに撮っている水野晴郎、恐るべしではあるが。
2015年 6月 「グランド・ブダペスト・ホテル」
ウェス・アンダーソン監督作は、「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」を見たくらいで、これは僕がベン・スティラーが苦手という理由で受け入れられずに終わったせいもあって、作風も記憶になかった。本作については、冒頭で何重にも入れ子になった構造でまず戸惑う。少女がある作家の本を手に取り、その作家がある男と話をし、次にその男の回想がはじまる、という具合である。さらに、神経症かと思うほど左右対称と水平移動にこだわった絵作りにも面食らったので、いったん見るのを中断した。これらの特徴を頭に入れてからあらためて最初から見返してみると、実におしゃれで気の利いたコメディ、しかもかなりブラックな面もあって、これは大人の映画だと思い知らされる。マンガのようなCGも本作なら受け入れられる。まあそう思わせるように作っているのが凄いのだが。ただ、好き嫌いで言えば、さほど好きな作品でもないかな。
2015年 6月 「喜びも悲しみも幾歳月」
昨年に見たのを、今回、妻と二人で見た。いや実に味わい深く、考えさせてくれる映画で素晴らしい。やや人が死にすぎるとも思うが、よくできた脚本だと思う。前回あまり気に留めなかったが、要所要所で三度登場する藤井さんの存在感が見事。
2015年 6月 「続・荒野の用心棒」
「ジャンゴ〜」と叫ぶように繰り返す主題歌で持って行かれる。娯楽作品として一級の出来。ダークヒーローの系譜はこの映画くらいから始まるのかな。何を考えているかわからない主人公に、安易に理屈をつけないところが潔い。棺桶や底なし沼など、ギミックがアイデアに溢れていて、映画の面白さとはこうだよと再認識させられる。
2015年 6月 「ニンフォマニアック」
我が愛する刈谷日劇にて鑑賞。今年最大級に衝撃的で、ズドン、とお腹に響いた。1部と2部、合わせて4時間の大作である。仕事の都合上、正午から2本続けて見たら、なんと2部→1部の順だということに行ってから気づいたが、それでもじゅうぶん楽しみ、考えさせられた。
 「ポルノ」と表現されることもあり、SEXシーン満載の本作だが、決して欲情をそそる映画ではない。さりとて、難解な芸術作品でもないのがすごいところで、僕は「きっと詩的でとっつきにくいのだろう」と覚悟して行ったのだが、その心配は無用だった。
 初老の独身男性が、ある女性を「拾う」ところから物語が始まる。彼女は性を巡る自身の奔放な生活を彼に打ち明ける。男性は豊富な人生経験と知識から、彼女の行動を論理的に説明し、彼女を慰める。男性との対話で、果たして彼女は救われるのか――。
 
 性は生命の源であるから、性=生、という図式は簡単に成り立つ。性をどう処理するかが生き方そのものになる。SEX依存症を単純に捉えるならば、過食症と変わりはない。いずれも本来人間が生きていくために必要な欲望だが、それが過剰に発揮されコントロールを失った状態だ。ただ、SEX依存症においては、性=快楽、性=愛、という結びつきも存在し、さらに、愛=家庭、と発展していくため、いろんな人を巻き込んで不幸をまき散らしていく。本作の主人公もそれを理解し、自分の行為を悪と認識してそれを直そうと努力する。努力は報われるのだろうか。
 性をどう捉えるかは、宗教観・家庭環境などが大いに関係するので、かなり厄介な問題だ。性を同じように見ているつもりが、当事者同士でまったく別の方向だったりする。本作のラストは、そのことを皮肉に強烈に描いており、性の扱いの難しさを知らされる。

 僕は愛を否定しないが、「本物の愛がわかった」と言う人の99%を信用しない。
2015年 6月 「ハッピーフライト」
WOOD JOB!〜神去なあなあ日常」の矢口史靖監督作として評判が高いので見てみた。結果、失望。これはテレビの2時間ドラマだ。特に、「笑い」の要素が非常にテレビ的で萎える。コメディ映画として評価の高い邦画群には、いつも違和感を覚える。ただ、コメディ要素が少なくなり、航空パニックものになっていく後半はやや持ち直し、見応えがあった。この方向性のほうが良いのではなかろうか。
2015年 6月 「ワールズ・エンド/酔っぱらいが世界を救う!」
エドガー・ライト監督&サイモン・ペグ主演作は好きで見てきたが、さすがに本作はちょっとネタ切れ感がある。町の住民が実は…という展開は「ホット・ファズ」から、グロいシーンは「ショーン・オブ・ザ・デッド」から持ってきた感じで、二番煎じの印象が強い。次はもう、まったく違う映画を撮ってほしいと思う。
 ところで、本作に出ている女優のロザムンド・パイクは、この後の「ゴーン・ガール」で急に若くてきれいになり、一気にブレイクした。本作や「アウトロー」なんかでは、ちょっと冴えないおばさん顔なのだが。
2015年 6月 「狩人の夜」
うーん、大変に評判が良い作品なので見てみたが、正直、どこがいいのかわからない。主演のロバート・ミッチャムの怪しい演技はいいと思うのだが、サスペンスとしての盛り上げが全く成立していないと思うのだ。つまりは、早い段階で怪しい人が本当に怪しいのだと(登場人物達にも!)わかってしまい、後は失速するのみ。途中で奇妙にほんわかしたシーンも挟まり、戸惑ってしまう。この印象は、「陽のあたる場所」とまったく同じだ。映像がきれい、とよく言われるが、これも僕にはピンと来なかった。
2015年 6月 「her/世界でひとつの彼女」
コンピュータのOS(人工知能)を恋人にできるのか。単純に考えれば一笑に付されそうな問いだが、よく考えると意外に深い問題だ。本作で、人工知能である“彼女”は、自分に肉体がないことに悩み、男は「そんなこと関係ないよ」と慰める。これは例えば、全身マヒになったり寝たきりになった人間を恋人にできるか、という問題に通じる。あるいは、死後の世界があったとして、魂だけの交流があるとすれば、本作での「人間と人工知能との恋」はそれに似たものになるだろう。だったら、これもアリなんじゃないかと思えてくる。
 ただ、大きな問題はある。それは、こんな人工知能は現実にはおそらく完成しないだろう、ということだ。
2015年 6月 「サンブンノイチ」
お笑い人としての品川氏はあまり好きではないのだが、本作は世評ほどに酷い映画とは思えず、意外に楽しめた。いかにも映画をよく観てますよーという感じでネタが散りばめられている点が映画通には鼻について嫌がられているのかもしれないし、テレビ的なボケ&ツッコミのお笑いが映画に合っていないという意見もあるようだ。映画ネタについては、僕もあまりセンスがいいとは思えず、お笑い要素についてはスピーディーなやりとりがなかなか面白いとは思えた。どんでん返しの連続となる脚本による全体的なスピーディーさがなかなか心地よくて、最後まで興味を持続して見ることができた。藤原竜也のオーバーアクションも、本作のようなフェイクたっぷりの映画にはすんなり収まる気がする。
2015年 6月 「そして父になる」
妻と二人で鑑賞し、後でいろいろと話をした。まずは、福山雅治の演技の素晴らしさ。そして、是枝監督作で毎回驚かされる、子供たちの演技の自然さ。聞けば、大体の設定だけ与え、あとは台本なしで自由に演技させているらしい。これは、この監督の初期作の方法論にも通じる。
 それから、福山雅治演じるところの、普通なら「上品ぶって偉そうで人の心がわからないヤツ」として悪役になりそうな役を主人公に据え、彼の心情を描くことで、とてつもない広がりを見せているのが凄い。リリー・フランキー演じる、「貧しいけれど優しくて家族思い」の男とその家庭が「いいモノ」として描かれがちだが、彼やその妻にも、悪い面はいっぱいあるのだ。そのあたりが、開かれたラストと共に胸に迫り、見終わった後も、いつまでも心に残る。福山雅治が、最後に子供と歩きながら言うセリフの場面で、いつも僕は決壊したように泣いてしまう。
2015年 6月 「コレクター」
元祖ストーカー映画というところだろうか。主役の青年が、陰湿にいじめるでもなく、過激な暴力をふるうわけでもない。ただ蝶々を集めるように、女性を捕獲し、育てる。実際、抵抗さえしなければ何でも与えてもらえるし、優雅な生活が送れるわけだ。現代ならもしかして、「これでいいじゃん」と思ってしまう人が出てくるかもしれず、それが今この映画を観ていちばん恐ろしくなる点だ。
2015年 6月 「青い体験」
高校生くらいに胸ときめかせて見た映画のひとつ。今見返してみると、エロス的にたいしたものでもないのだが、けっこうおしゃれだったり、イタリア独特のとぼけた空気感に溢れていて、それなりに見応えはあった。ラウラ・アントネッリはいろんな映画で頑張っていたんだなあと感心する。
2015年 6月 「ウォーターボーイズ」
もう僕の中では最低レベルの映画。青春の素晴らしさも素晴らしくなさも、何にも描いていない。これを見ると、「ハッピーフライト」がよほど立派な作品に思えてくる。
2015年 6月 「天使の恍惚」
60〜70年代の、学生運動の時代。“四季協会”を名乗る過激派組織内で、“十月”と呼ばれる男が武器強奪を実施し、失敗する。“十月”は失明し、孤立する。彼らの東京総攻撃は成功するのか――。
 交わされる会話の半分も、今の僕らにはわからない。けれど、この時代感、過激派の思想とそれに酔っている感、言葉の言い回しなど、理屈以外の生々しいエネルギーに溢れている。決して面白い映画ではないが、見て損はない。
  
2015年 5月 「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」
いい話だ。いい話過ぎるのが不満なくらいだ。まだ無名だった頃のマット・デーモンとベン・アフラックが、触れれば切れるような若者像を見事に体現している。そして脚本は彼らの手によるもので、ややパターン化したお涙頂戴とも受け取れるが、ラストは実際に感動するから大したものだ。僕の苦手なロビン・ウィリアムズも、本作では嫌みに映らず映画に溶け込んでいる。(それでもオーバーアクション気味ではあるが。)
 細部にちゃんと魂の宿った映画だと思う。途中、ベン・アフレックがマット・デーモンに珍しく真面目な本音を打ち明けたとき、ラストはこれに繋がる展開ならいいなあと思っていて、そしたら本当にそうなったから嬉しかった。
2015年 5月 「世代」
アンジェイ・ワイダ作品、初鑑賞。「灰とダイヤモンド」だけ見ようと思っていたら、抵抗三部作が全て放映されているので順番に見ることにする。
 第二次大戦下のポーランドにおいて、若者達が否応なく戦争に巻き込まれていく様が描かれる。今そこにある危機のためにはイデオロギーなどはどうでもよく、エネルギー発散の一つとして彼らは抵抗運動にかかわっていく。だから使命感や悲壮感はなく、遊び半分で石炭を盗むのと同じノリで敵を殺し、いい女がいれば欲情する。胸を打たれたのは、若者の一人が戯れるように敵と撃ち合ったあと、らせん階段の上からヒロイックに落ちていくシーンの切なさだ。もっとも、作品全体は実に淡々としているため、正直、面白い映画とは言い難かった。僕はこの映画の魅力を半分も味わっていない気がする。
2015年 5月 「WOOD JOB!〜神去なあなあ日常」
うーん、各所で絶賛されているから期待して観たが、こういう映画をそんなに持ち上げても仕方がない気がする。コメディー映画としての出来は、僕にはかなり低いレベルにしか思えない。僕が全く評価できない「シコふんじゃった」の世評とのズレを思い出した。この程度の演技やギャグや脚本で、本当に満足しているのだろうか。コメディーって、もっと作るのは難しいものだと思う。ひたすら出来の悪いコントのようなオーバーアクトと、もったいつけている割には先の展開がバレバレな脚本にうんざりさせられる。林業の良さ、周囲の人々との触れあい、淡い恋愛など、描きたいだろうと思われる要素は、僕にはまったく響かなかった。
2015年 5月 「サボテン・ブラザース」
こちらも、あまり出来がいいとは言えないコメディ。スティーブ・マーティンが苦手なせいもあるが、とくに前半は、大仰な身振りや話し方をすれば笑いになるという勘違いがひたすら続き、見るのが嫌になる。それでも中盤以降、敵勢との大立ち回りのシーンになると、すこしは面白くなってくる。しかし、あのエンディングは駄目でしょう。3人が颯爽と去っていくのをさらに客観的に見下ろす視点がなければ、この映画自体が成り立たない。
2015年 5月 「エル・トポ」
刈谷市にある名画座「刈谷日劇」でやっていたホドロフスキー特集にて鑑賞。遙か昔、25年ほど前にビデオ化された際に見て以来の再見だ。当時大学生だった僕には、自宅の小さなテレビで見たせいもあってか、訳のわからない映画としか思えなかった。今回は、しっかり楽しめた気がする。こういった言葉を超えて映像で語りかけてくる作品は、劇場の大画面で見るに限ると痛感した。これは後付の感想かもしれないが、毒々しさと猥雑さが、どこかで崇高に見える瞬間があるのだ。映画とはやはり“体験”であるべきで、この映画の良さを口で人に伝えることは不可能であり、とにかく「見てくれ」と言うしかない。エログロナンセンス満載なのはその通りなのだが、モロな映像は実は巧妙に避けられているので、思ったよりも見易い。僕は現代美術の9割はクソだと思っているが、前衛を気取るならば、せめてこれくらい徹底したものを作ってほしい。
2015年 5月 「ホーリー・マウンテン」
同じくホドロフスキー特集での鑑賞。ホドロフスキー作品は実は「エル・トポ」しか見たことがなく、今回本作を見て、「エル・トポ」以上の感銘を受けた。というか、こちらを見たあとでは「エル・トポ」がとてもわかりやすい普通の映画に思えてくる。ものすごく巧妙に仕組まれた映像芸術を見ている気になるが、やっているのはウンコが金塊になるシーンだったりするのだ。(これは比喩ではなく、実際に主人公が排泄し、それを錬金術によって金塊に変えるシーンが出てくる。)
 とにかく想像力と創造力の独自性、その限りのなさには感動を覚える。ストーリーを理解しようなどとは、はなから思ってはいけない。ただ呆然と映像の前で立ちすくむよりない。だから本作もまた劇場で見ないと意味がない。
 ラストが観客を馬鹿にしているとか無責任だという声もあるようだが、僕はこの部分にもまた驚かされ、何か教訓めいたものさえ受け取った。この映画をまたどこかで見たいと強く思う。
2015年 5月 「地下水道」
以前に見た「ソハの地下水道」の監督は、本作を撮ったアンジェイ・ワイダの弟子にあたるようだ。だから、「ソハの〜」と同じ題材かと思っていたら題材もテーマも違った。「ソハの〜」は地下水道で暮らす人々の比較的長いスパンの日々を描き、本作のほうは地下水道を通って逃げる人々を短い時間で追っている。中隊が揃って逃げていたはずが、いつの間にか分断され、そこで群像劇が始まるというよく出来た筋書きだ。逃げるレジスタンス達の希望と絶望、勇気と強がりなど、限界状況における人間性が反戦テーマと共に語られていく。突き放したラストが強く胸に突き刺さるも、それを第三者の視線で美しいなどと思ってしまう自分がいる。
2015年 5月 「DISTANCE」
カルト教団の信者達が無差別殺人を犯したすえ、教団に殺される事件が起きた。実行犯の親族達は年に一度集まり、遺灰が蒔かれた山奥の湖に集まるようになる。事件から三年後、彼らの集まりに、教団から逃げた男が加わった。教団のアジトだった山荘で一夜を過ごし、話すともなく事件についての会話が重ねられていく。彼らは果たして加害者なのか被害者なのか――。
是枝裕和監督の長編映画第3作。「ワンダフルライフ」に引き続き、半ドキュメンタリーの手法で撮られた作品だ。役者には簡単な設定とキャラクターを与え、後は自由に演じてもらう。だから役者達は、自分が演じているのに、完成まで作品の全貌を知らなかったという。
 カルト教団の実行犯の親族が集まるという設定は、後からつけ加えられたらしい。このテーマが撮影方法とすごくマッチしていて、これぞ創造の最たるものだと思う。本作の一般的な評価はあまり高くなく、とにかく地味で退屈だとか、長すぎるという感想が多い。でも僕は、退屈だとか長いとかは全く思わなかった。確かに聞き取りづらいセリフには困ったが、全編を通じてスリリングで、いつまでも終わってほしくない、彼らの言葉をもっと聞いていたいと思った。じつはいろんな秘密があってそれらが微妙に明かされたりするのだけれど、はっきりと描ききらないからわかりづらい。わかりづらいから、映画を見終わったあとも考えつづけ、現実世界と映画とがほのかにリンクしはじめる。
 現時点で僕の中では、「歩いても歩いても」と並んで好きな一作となった。
2015年 5月 「イノセント・ガーデン」
韓国映画界では、ポン・ジュノと並ぶ巨匠とも言えるパク・チャヌク監督。僕はこの人の映画では、2009年の「渇き」が一番好きで、次世代の吸血鬼映画の傑作だと思う。
 そして本作は、彼のハリウッド・デビュー作。なのに、ハリウッド大作の真似ごとになっていないのが、まずいい。この人は独特の映像センスを持っていて、特に円形とか球体がお好きなようで、随所にそのモチーフが出てくる。それらは作品世界にマッチしているので、見ていて嫌みがなく、芸術性を増している。
 本作はヒッチコックの「疑惑の影」の影響を受けたと監督が公言しているらしいが、僕には「疑惑の影」がさほど面白いと感じられず、本作もその面白くない部分をそのまま引き継いでいる。つまり、怪しいと思っていた人が思っていた通りに怪しかった、というオチ。なので、徐々に秘密が暴かれていくにつれ、興味が失せていく気がする。とはいえ、全体としては良くまとまった良作だと思う。
2015年 5月 「キック・アス ジャスティス・フォーエバー」
途中まではあまり感心しないで見た。前作から続いて腑に落ちないのは、マザーファッカー(レッド・ミスト)の存在だ。金持ちのボンボンがどうしてあんなに残虐な人間性になるのかが、どうしても納得いかない。それでいて時折、頼りない人間だという描写も入ってきて、いったいどっちなんだと困惑する。ところが後半、マザーファッカーの集めた殺し屋の一人、マザー・ロシアが警官数人を相手に大立ち回りを演じるシーンがもの凄く素晴らしくて、そこから一気に引き込まれる。こうした、アイデア満載の映画は見ていて本当に面白い。ところどころ嫌がらせのように唐突に訪れる残虐シーンは、ポール・ヴァーホーヴェンを彷彿とさせる。
2015年 5月 「そこのみにて光輝く」
呉美保(お・みぽ)監督作品を初鑑賞。昨今の流行りに流されず、ハリウッド調に毒されてもいない、しごく真っ当な作品で好感が持てる。どうしようもない環境に生きなければならない閉塞感が、画面からにじみ出ている。ただ、停滞する脚本、父親の病気などの設定に頼りすぎな点、あらゆる事象に理屈をつけすぎる点など、やや頭でっかちの傾向が見られる。それでも、役者陣、とくに池脇千鶴と菅田将暉の自然さが素晴らしい。これは演出の力も大きいだろう。主演の綾野剛はまあ及第点といったところ。
 原作者の佐藤泰志という人は初めて聞いたが、1980年代に芥川賞をはじめいくつかの候補にのぼり、初めての長編として本作を著したあと、自殺した作家だ。私小説的な意味合いがあるのかもしれないが、そうした情報は見つけられなかった。
2015年 5月 「地球防衛未亡人」
「バカ映画」というジャンル映画なので、そう思って最初から見れば腹も立たない。馬鹿馬鹿しいことをきっちり客観視して作られているので、安心して見られる。壇蜜さんはあいかわらず女優としてどうにもならんレベルなのだが、本作のこうしたノリでなんとか救われている。全体としてチープな作りの中で、怪獣の特撮だけはこだわりがあるようで、特撮ヒーローものくらいの出来にはなっている。こういう映画も世の中には存在するというのは良いことのような気もするが、だったらホドロフスキーくらい突き抜けてほしいとも思う。そして、例えば松本人志の「大日本人」などを見ると腹が立ったものだが、その違いは何なのだろう。見る側の期待の大きさだろうか。
2015年 5月 「インビジブル」
ヴァーホーベンのエログロ趣味満載な映画、とよく評されるが、本作は非常に真っ当かつレベルの高い、ウェルメイドな優良娯楽作品だと言ってよいのではないか。オープニングでの、透明な猿がマウスを残虐に食い殺すシーンからして、うっとりするほどの映像美だ。特撮技術は相当なもので、透明人間が消えたりまた出てきたりする映像をこれだけ説得力のある映像で見せている作品を、僕は他に知らない。ほぼミスなくこうした映像を完成させるには相当の努力があったはずで、現場はかなり壮絶だったろうと想像する。とにかくアイデアに次ぐアイデアの連続で、人の創造力に感心することしきり。後半にどんどん透明人間が暴走していくのも、不謹慎ながら納得してしまう。ただ、エロティックなシーンはかなり抑えめなのが、この映画に関してはリアリティに反している。つまり、この人ならもっと過激なことを繰り返すだろうということ。
この映画はもっとみんなに知ってほしいなあ。
2015年 5月 「スノーピアサー」
ポン・ジュノのハリウッド進出作、かと思いきや、あくまでも米仏との合作という位置づけらしい。いずれにせよ、同監督のSF作ということで期待しながら見たが、これはSFというよりファンタジー、寓話といったほうがすんなり見られる。
 世界が氷河期のように氷に閉ざされるなかで、永久に動くエンジンを持つ列車が走り続ける。車両が果てしなく連なり、前部の車両の住民が後部の住民を支配し、虐げている。そして後部の住民達が革命を起こす、という設定。まあマトモに考えたら、トイレはどうするのか、永久に動き続けるエンジンの燃料はどうするのか、食料はどうするのかなど、説明不可能な無理矢理設定満載で、それらはやっぱりどれも説明されない。おまけに少女の透視能力なども絡んできて、混沌とした話になっていく。あまり感心せずに見ていたが、中盤から終盤にかけて驚愕の事実が明かされていき、そこはなかなか盛り上がりを見せる。突き放すようなラストは、開かれたエンディングとも言えるけれど、どさくさまぎれで終わった感じもある。この映画の最大の欠点は、氷に閉ざされた世界の表現が失敗していることだ。核となるはずのCGが実に安っぽくて、見る気を削がれてしまった。
2015年 5月 「マノン MANON」
ぜんぜん期待せずに見たら、思いがけず名作だった。マノンと呼ばれる主人公・みつこに烏丸せつこをキャスティングした時点で、この映画は成功している。魅惑的かつ不可解な女性みつこを体現する彼女は、巧い演技というのでもなく、「存在感の全て」としか言いようがない。女といろんな男がくっついて離れて、をただ繰り返すだけのストーリーなのに、なぜこれほど惹きつけられるのだろう。80年代風(または角川映画風とも言える)の恥ずかしいような挿入歌も、僕ら世代には心地よく響き、映画の質感をつむいでいる。つまり、見ているだけで心地よく、いつまでも浸っていたくなる。映画出始めの時期の佐藤浩一やビートたけしなど、脇役にもそつがない。もちろん、津川雅彦氏は堂々たる名俳優ぶり。あっぱれな映画。
2015年 5月 「シベリア超特急」
見た。ついに見た。伝説のカルト映画は、思っていた以上にトンデモな内容だった。水野晴郎氏の棒読み演技、その他のキャストも素人に毛の生えたような方ばかりで、唯一ちゃんとしている女優であるかたせ梨乃さんが元々大根役者なのだから、演技面で救いようはない。脚本にしてもただ複雑にしているだけのとんちんかんミステリで、棒読み水野氏があろうことか探偵役として事件を解決する。セットもこれ以上ないほどチープな作りで、2〜3時間で組み上げたようなセットは、制作費10万円かと思わせる。
 それでも、これだけなら普通に酷い映画だということで終わるのだが、本作においてはエンドクレジットが出てからが本領発揮となる。この先は、見ていない人のために伏せておくが、ただ一言、「アホか」と言いたい。
2015年 5月 「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」
実に味わい深い。ストーリーはあってないようなもので、人と人との繋がりのみが提示されていく。100万ドルのくじに当選したと思いこんだ父親を中心に、どうにも頼りない息子が、自分のふがいなさを自覚しながらも、父親との旅を通じて感情を爆発させることを覚え、自分を乗り越えるきっかけを掴んでいく。うるさいばかりでやっかい者に思えた母親さえ、やむなく同行した旅のさなかで自分の存在の意味を振りまいていく。つまりは家族賛歌なのだが、おしつけがましくないからすんなり受け入れられる。
 この監督の作品を見るのは「ファミリー・ツリー」に続いて2作目だが、とにかく人を見つめるまなざしが優しい。それは軟弱な優しさではなく、現実の厳しさに根を下ろし、そこからにじみ出るものだから、考えさせてくれると共に後味がよい。それでも、やはり人間の邪悪な面をもう少し取り入れてほしいと思う。あまりに綺麗すぎて、絵空事に思えなくはないからだ。
  
2015年 4月 「ローン・サバイバー」
アフガニスタンで実際に起きた、アメリカの精鋭部隊「ネイビーシールズ」の悲劇的顛末を描く。4人のネイビーシールズ兵士が、山岳地帯での作戦中、現地の民間人と遭遇してしまう。彼らを逃がすか殺すか、激しい議論の末に彼らを待ち受ける結果とは――。
 2005年という非常に直近に起こった戦争を描いているというだけで、見応えは充分にある。自分が思い出せる記憶の中で、「あの時、世界の別の国ではこんなことが起こっていたのだ」と認識するのは意義深いことだ。生々しい戦闘シーンも素晴らしく、リアルに戦場を“体験”することができる。ただ、概略のあらすじを知ってからの鑑賞だったため、映画全体がそのあらすじの域を超えていなかったのが残念。さらにもう一段、考えさせられる問題を突きつけてほしかった。
2015年 4月 「ドラッグ・ウォー/毒戦」
大好きなジョニー・トー監督作で、世評もかなりのものだったのに、なぜか僕はまったく乗れなかった。物語の面白さの一つは、バランスの揺さぶりだと思う。つまり、敵対する二者(この場合、警察サイドと犯人サイド)がいて、こちらが優勢になったりその逆になったりする、その経緯に面白さがあるのに、この映画では、警察サイドのやることが全部うまくいくので、その揺さぶりがなく、ハラハラ感もまったくない。だから、いろんな出来事が起こるのに、見ているこちらはなんだかしらけてしまうのだ。
 「エレクション」では超絶に格好良かったルイス・クーが、本作ではなんだか間抜けな面構えに見えた。彼のとる不条理な行動がこの映画の白眉とも言えるが、そこが僕には今ひとつしっくり来なかった。だから、刑事役のスン・ホンレイとの奇妙な関係が、本当に奇妙だというだけで終わってしまっている。もう一点、女性刑事役を演じたクリスタル・ホアンは確かにきれいで魅力的だが、彼女をひきたてようとするあまり、ストーリーに関係なく彼女をカメラが捕らえるのがうざったく思えてしまう。
 ただ、各所でジョニー・トー監督の奇抜なアイデアが見られ、そこはさすがに面白い。本作では、魚港を牛耳るハハと黒社会の大物チェンビャオの甥との密会に割って入るシーンにしびれる。
2015年 4月 「ラッシュ/プライドと友情」
1970年代、F1の世界でライバル関係にあったニキ・ラウダとジェームス・ハントの対決が描かれる。僕はF1にはとんと興味がないため、この二人のことも、世紀の対決が日本で開催されたことも全く知らなかった。事実に基づいた作品ではよくあることだが、出来事を改ざんすることができないため、物語としての面白みには欠ける。本作では、押しが強く豊満な資金力を武器にのしあがるハントに対し、ニキ・ラウダは対称となる存在になれば面白いのだが、結局彼もハントと同じく、資金力もあって結構わがままで女にもモテる役回りのため、存在の対比がうまく描かれず、お坊っちゃま同士の戯れあいに見えてしまう。レースシーンも思ったほど臨場感はなく、悪い映画ではないのだけど……、という印象。

2015年 4月 「ワンダフルライフ」
是枝裕和監督の映画を日本映画専門チャンネルで特集しているので、順番に見ている。長編映画としては「幻の光」に続く2作目。今回は、亡くなった者たちがこの世とあの世を繋ぐ施設に集うという、ファンタジー作品映画を持ってきた。設定をまるで知らずに見始めたため、最初は少し戸惑った。
 施設で働く職員は、死者がもっとも大事にしている記憶を頼りに、それを映画にして彼らに見せる。そしてその記憶だけを胸に、あの世へと旅立っていくのだ。職員たちはなぜそんな仕事をしているのか、詳しくは語られないし、劇中で彼ら自身もそのことに苦悩する。
 ファンタジーなのに、見ているとドキュメンタリーの匂いがする。どうやら、設定だけが与えられ、役者はかなりのアドリブでこなしているらしい。思い出再現のために手を尽くして映画を作るシーンは、正にこの「ワンダフルライフ」という映画を作るところに通じ、駆け出しの是枝監督自身の思いにも通じていて、どこか崇高な雰囲気がただよう。
2015年 4月 「Helpless」
青山真治監督のデビュー作。北野武の圧倒的な影響を受けていると思われるが、そこまでのセンスは感じられない。チープな作りと、起伏を敢えて排除している点でインディーズ・アートっぽく思えてしまうが、役者の演技で救われている。今作が初主演の浅野忠信もいいが、脇役の光石研が素晴らしい。ヘルプレス、つまりは救いのない日常を描いた本作において、もっともそれを体現しているのが彼だ。
2015年 4月 「LEGOムービー」
名作アニメ「くもりときどきミートボール」を撮ったフィル・ロード&クリス・ミラーによる最新作。全編がLEGOブロックで構成された世界において、人の生き方、親子のあり方など普遍的なテーマが語られている。うーん、面白い映画なのに、今ひとつ乗れなかったのは何故だろう。「おしごと大王」とか「奇跡のパーツ」とか「スパボン」という言葉が、映画に仕掛けられた秘密に直結しており、これがわかる後半で大納得&感動、ということになるはずなのに……。そのあたりを理解したうえで、もう一回見ると評価は変わるかもしれない。お勧めはしておきます。
2015年 4月 「マイ・バック・ページ」
原作を読んだのがきっかけで、本作を鑑賞した(2014年9月の読書感想)。原作はジャーナリストである著者が1960〜70年代を振り返るエッセイで、映画はそこから著者が過激派抗争に巻き込まれ逮捕されるに至る部分を抜き出して構成されている。
 この監督の作品を初めて見るが、とても丁寧に作られた、映画愛に溢れた作品だと感じた。2011年の制作で、当時の雰囲気をこれだけしっかり再現していることにまず驚く。役者は、さほど有名ではないけれどしっかり演技のできる人を揃えていて、細部へのこだわりが映画に厚みを持たせ、リアリティを醸し出している。こういう映画が僕は好きだ。
2015年 4月 「巴里の屋根の下」
シャンソンのスタンダードでもあるタイトル曲で有名だが、映画を観たことのある人は近年では少ないだろう。市でやっている上映会に参加して僕も初めて見た。古い映画だからとか、トーキーとサイレントが混合しているからというわけではなく、僕にはかなり退屈な映画だった。登場人物たちにあまり魅力がなく、ストーリーも単調で面白みがない。そう感じるのは現代映画を観すぎたからだろうか。
2015年 4月 「小さいおうち」
劇場で流れる予告編に漂っていた不穏な空気に、これは上質のミステリーかもという予感があった。先日遂にWOWOWで放映されたので観たのだが、期待は外れた。悪い映画の象徴である説明ゼリフが冒頭からつづき、うんざりしてしまう。回想シーンへ続く流れもわざとらしくてしらける。セットが貧弱なのは予算のせいかもしれないが、これは開き直っているようで、あえて隠そうとさえしていない。役者については、主役のタキを演じた黒木華さんは良い。田舎風の素朴な外見と確かな演技力で、上品かつ不気味な快(怪)演を見せた松たか子と共にこの映画をぎりぎり引っ張っている。いっぽう、板倉を演じた吉岡秀隆。この人の出演作は多く、何故か演技が巧いとされているらしいが、僕にはいつも同じ演技で、かつめっぽう下手だとしか思えない。(「半落ち」の裁判官役は、冗談かと思った。)他にも、お笑い界の人が何人か出ているが、とても見られたものではなかった。映画を真剣に作る気があるのか、疑わしくなってしまう。最後に明かされる謎も、多くの人がもう最初からわかっていることだろう。
2015年 4月 「名探偵ゴッド・アイ」
大好きなジョニー・トー監督作なのに、最近見る作品とはなんだか波長が合わない。本作も、アイデアは面白いのに、映画を面白いとはあまり思えなかった。クリント・イーシトウッドなんかもそうだが、全てを緻密に作る監督ではないから、シーンによっては適当にごまかしているところもあり、そのあたりが気になり始めると駄目なのかも。役者の演技がオーバーなのも、本作ではしっくりこなかった。
2015年 4月 「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」
テレビシリーズ(およびそれを再編集した劇場版の前後編)を元に、新たな展開を見せた新作。「新編」と銘打たれているが、単純に「続編」と捉えて差し支えないだろう。

テレビ版についての僕の感想を一言で言えば、「面白いけれど、大傑作というほどではない」といったところ。壮大なテーマに対し、細部に雑な作りが目立つからのめり込めない。「雑な作り」とは例えば、(1)中学生が描いたようなキャラクター、(2)魔法少女になる見返りで「何でも望みが叶う」ことの物語的危険への無配慮、(3)時間遡行に対する同様の無配慮。これらが鑑賞する上で除き難いノイズになっている。
 結局、本作がここまでウケたのは、主要キャラが次々と死んでいくという衝撃、(このキャラは死ぬはずがない、という)リアリティラインを揺るがしたところに負うところが大きいのではないか。つまり、優れた「つかみ」があり、ラストのまとめ方がうまかったせいで、熱狂的に受け入れられた気がする。
 上記の「ノイズ」についてつけ加えると、(2)については例えば主要キャラの誰かが「魔法少女もなんにもないただ平和な世界が即座に訪れる」としてしまえばどうなのかという問題。「なんでも叶う」と言っておきながら、まどかの願いは特別な理由付けがあってぎりぎり何とか叶えられたようで、つまりは制限付きの願いなのだから、その制限の部分をはっきりさせてほしいと思う。(3)についても同様で、時間を自由に行き来できるという強力な能力があれば何でもできてしまうのではないか、という思いが湧いてきて、いろんなシーンでイライラさせられてしまう。

 そしてこの、新編。テレビシリーズに輪をかけて複雑な構成で、一見しただけで理解するのは難しい。貫くテーマは正に「叛逆」であり、これはほむらの物語だ。概要がつかめたところでハッピーエンドになるかと思いきや、もう一段の展開があり、そこは非常に興味深い。ただ、テレビシリーズにおける上記の「ノイズ」が僕にはどうしても引っ掛かってしまうので、評価としてはこのくらいになる。

2015年 4月 「怪獣王ゴジラ」
名作「ゴジラ」第一作をアメリカで独自に編集した作品。アメリカ人記者がゴジラに遭遇した、という設定をつけ加え、初期「ゴジラ」の持っていた原爆や戦争に対する危機意識をすっぽり抜き去ることで、主題がまるで違っている。というか、単なる「怪獣が出てきたけれど人類がそれをやっつけてワーイ」という詰まらない作品になってしまっている。新たにつけ加えたシーンと既存のシーンとの融合は、ブルース・リーの「死亡遊戯」に近いおおらかさがあって、娯楽作として楽しめることは楽しめるけれど、珍品であることに間違いない。
2015年 4月 「それでも夜は明ける」
19世紀なかば、自由黒人であった男が騙されて奴隷として南部に売られるという、事実に基づいた作品。確かにいい話ではあるし、主人公を演じたキウェテル・イジョフォー氏の演技が素晴らしくてラストでは泣かされる。奴隷をいじめる側もいい役者が揃っており、マイケル・ファスベンダーはもちろんだが、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」で若き牧師を演じたポール・ダノが陰湿な監督官を好演している。奴隷達に手を叩かせ、奴隷をけしかける歌をわざと歌うシーンなど、見応えのあるシーンが続く。ただ、映画は物語の中にきれいに収まり、先に書いたあらすじの通りに進んでいくので、後で考えさせられるものが少ない。さらに、「自由黒人なのに」奴隷にされた、ということが悲劇だったという筋書きは、それじゃあ生粋の奴隷は酷い扱いを受けてもいいのかということに繋がってしまい、目を向けるべきポイントをぼやかしてしまう。
2015年 4月 「太陽の墓場」
本作の公開は昭和35年なので、描かれているのは昭和30年前後と思われる。ちょうど「三丁目の夕日」と同じくらいの年代だが、まあその内容の違うこと。「三丁目〜」を見て、昭和の日本は良かったなあなんて言っている人は、本作を見るがいい。戦後の立ち直りの中で、人がどうやってその日を暮らし、善か悪かなどおかまいなく食っていくために自分ができることを探していたのか。人の血液でも戸籍でも、売れるものはなんでも売る。自分を守るだけで精一杯の世界で、それでも微かに存在する人の結びつきが神々しくさえ思える。僕はこういう映画が大好きだ。
  
2015年 3月 「疑惑の影」
僕はどうもヒッチコックのいい観客ではないらしい。そこそこ評価の高い本作にしても、僕には面白さの勘所がわからずじまいだった。怪しい怪しいと思われる人物がやっぱり犯人でした、ということを最初から最後まで起伏なく見せられるだけで、どうにもドラマ性に乏しく、見ていて飽きてしまう。
2015年 3月 「ベイマックス」
ドイツへ向かうカタール航空機内で鑑賞。なんだか散漫なストーリーにのめり込めず。兄の死後、ベイマックスが動き出すシーンで、ヒロがまるで初めてそのロボットを見たかのような反応を示す(予告編ではそのように描かれる)のに、まず大きな違和感。マイクロボットを作れる技術力があるならもう何でもできてしまうじゃないかと思える設定にも不満。そして、一緒に闘う仲間達がどうにも好きになれず、それでもテーマは「みんなで戦う」ところだから、ヒロやベイマックスの活躍もさほどではなく、タイトルからして彼らの活躍を期待していた身としては、おおいに物足りない。
2015年 3月 「きっと、うまくいく」
こちらも機内鑑賞。やっぱり面白いものは面白い。一緒に見た妻も、大いに気に入ってくれた。詳細は、2014年12月の感想をどうぞ。
  
2015年 2月 「アメリカン・ハッスル」
豪華キャストがことごとく変な髪型をし、変な演技(いい意味で)を披露するという、派手な割に変わった映画。ラストの展開はなかなか見事で、現代版「スティング」だという評価には大きくうなずける。演技合戦も見応えたっぷりで、いろんな意味において豪華な作品だ。見終わった後よりも、後からじわじわと「ああ、面白い映画だったなあ」と思えてくる。
2015年 2月 「悪いやつら」
韓国の映画には、邦画にも欧米の映画にもない、不思議な作品があるので見逃せない。本作も、決して最高の出来とは言わないけれど、実に味がある。やはり、主役のチェ・ミンシク、それから若き親分役のハ・ジョンウのキャラクターが素晴らしいのだろう。途中、展開がちゃかちゃかして「あれ?」と思わせるものの、ヤクザではないチェ・ミンシクが裏社会をいかに生き抜くのか、暴力と笑いをミックスさせる何とも言えない演出で見せる。
 ハ・ジョンウ演じる親分が子分一同を引き連れ、並んで殴り込みに行くシーンには、心底ワクワクした。これぞ映画的感動というもの。
2015年 2月 「ポンヌフの恋人」
レオス・カラックス監督による、アレックス三部作の完結編。映画という芸術の、一つの到達点と言っていいだろう。見終わったら死んでしまうのではないかとさえ思える。この傑作に、最大の賛辞を贈りたい。
 前作「汚れた血」のジュリエット・ピノシュは、幻かというほど美しかったが、映画の枠からはみ出してややバランスを崩していた。本作では、彼女もアレックス役のドニ・ラヴァンも、芸術を具現化するための要素として完璧に機能している。どの場面を見ても最高の映画に思えて、かつ、どの場面が抜けても成り立たない。
 フランス映画はよくわからんという人は多いし、僕もその一人だ。それでも、この映画は先入観を持たず、素直に体で味わってほしい。まったく難しい映画ではなく、姑息とも言えるショック描写さえきっちりと挟み込まれている。おしゃれな映画と思って見たのに汚い路上生活者かよ、と馬鹿にしていたら、花火のシーンの美しさに戦慄すら覚えるだろう。そしてできれば、この時代に生き、この傑作を見ることができた喜びを感じてほしい。

ああ、大画面で観たいな。
2015年 2月 「マトリックス リビジテッド」
マトリックス」の製作者たちを映したドキュメンタリー。この映画がどれだけ真面目に作られたかがよくわかる。短いシーンのためにさえ、膨大な人と金が動いているのだ。カンフーに対する異常なまでのこだわりも見てとれる。とりあえず、マトリックスのファンは必見。
2015年 2月 「ビフォア・サンセット」
ビフォア・シリーズ第2作。「恋人までの距離」の続編だ。前作から9年が過ぎ、二人がどうなったのか。映画の制作期間としても同じ9年が過ぎ、役者も同じように年齢を重ねた上での演技となるから、半分ドキュメントのような作りが独特のリアル感を生み出す。あいかわらず男女二人のやりとりだけの内容で、その会話も特別に崇高なものではなくむしろ低俗とさえ言えるものなのに、そこから人生の深みや人間存在のあり方がじわりじわりと溢れてくる。ラスト近くの挿入歌には、意表を衝かれると共にしびれた。映画でこんなに綺麗な歌を聴いたことがないと思えるほど。歌っているジュリー・デルピーがこの曲を作ったことを後から知り、それにも驚いた。
 二人の交錯する人生の一瞬を切り取った、誠に美しい傑作だと思う。
2015年 2月 「幻の光」
是枝裕和監督の、長編映画デビュー作。僕はこの映画に、監督の“覚悟”を見た。それは、これまでの日本映画の良き伝統を受け継ぎ、さらには新しい地平を切り開こうとする覚悟だ。安易に添加物を使わず素材と基本調味料で料理を作るように、派手で浅薄な演出に頼らず、映像や音が持っている地の力を存分に引き出そうとしている。これは生半可な決意ではない。
 主人公・ゆみ子とその家族の暮らす海辺の家は、玄関先が傾斜してそのまま海へと繋がっている。そこを車体を傾けながら車が通り、子供がボール遊びをする。淡々としながら不穏な空気を湛えた光景に、見る側はぞわぞわした不安をかき立てられる。それでも彼らはそこで生きていくしかないのだ。ゆみ子も夫の民雄も、渦巻く感情をねじ伏せながら日常を生きている。
 画面では、彼らの姿をアップでは捉えない。あえて引きの映像を駆使し、海辺の寒村の風景に物語を語らせる見せ方が、“伝統”の部分だ。後年の作品群に比べてやや落ちると思えたのは、ラスト近くの海辺のシーン。とても静かに訪れる本作のクライマックスだ。ここでタイトルにまつわるエピソードが明かされるのだが、やや唐突で、とってつけたものになっていた。
 ゆみ子を演じた江角マキコが、実にいい。久しぶりに戻った故郷で、かつての夫と過ごした部屋を訪ねた時のあの表情! あれだけで、この映画を観る価値はある。
2015年 2月 「アウトローー哀しき復讐ー」
僕がこれまでに見た韓国映画のワースト。復讐劇、バイオレンス、どんでん返しなど、流行りや思いつきの浅薄なアイデアをただつなげただけで、センスも映画への愛情も見当たらない。デ・パルマばりの分割画面が出てきた時には、見ているこちらが恥ずかしくなった。この監督は、安いテレビドラマしか見たことがないのだろう。
2015年 2月 「ビフォア・ミッドナイト」
ビフォア・シリーズ第3作にして、現状での最新作。前2作までにあったロマンスの香りはかき消え、残るのは惰性と倦怠のみという、やや寂しい内容となった。「ブルーバレンタイン」「レボリューショナリー・ロード」といった、夫婦のなれの果てを描いた作品群に、また一本が加わった。
 二人の延々と続く会話がそのまま映画の語り口となるのは前2作と同じだが、今回は、彼らの子供や友人たちとの交流が初めて描かれ、少し趣が異なる作りとなっている。そうした、二人以外の要素が意外に多く、僕にはこれが少し趣を削いでいるように思えた。バランスの問題でもあるし、もう少し自然な感じで登場させたほうがよかった気もする。
 それにしても、年をとった彼らの凄みは確かにある。とにかく、ジュリー・デルピーのあの体! あの体の説得力はただものではない。大好きなシリーズである分、期待値ほどには満足できなかったのだけれど、いい映画であることに異存はない。
 ラストをどうとるか。僕にはやはり、あまりいい末路は見いだせず、苦い苦い。
2015年 2月 「オンリー・ゴッド」
うむう…、これは手強い。何かとてつもない魅力とパワーを秘めた映画だとは思うのだが、僕にはそれを読み解く力がない。結局、主役はライアン・ゴズリングではなくタイ人の超人おじさん警部であり、彼の倫理観を超えた正義感によるスタイリッシュな行動を追っていく映画である。見終わった後からいろんなことを考え続け、映画の世界が広がっていく。だから、見終わった後から始まる作品だとも言える。これは再見の必要あり。
2015年 2月 「キューティー&ボクサー」
ニューヨークで暮らす日本人の現代美術アーティスト夫婦を追ったドキュメンタリー。男性はもう80歳だが、元気にアクションアートなどをやっている。現代アートに関する映画は、「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」、「アキレスと亀」など結構多くある。これがドラマになるのは、現代アートがどうしようもなく人を惹きつけ、それゆえに呪いのように人を縛り、人生を変えていくからだ。本作でもそうした悲喜こもごもの渦中にある男女をストレートに映しており、斬新さはないものの、いい表情を捉えているとは思う。現代アートに身を捧げた生き方が良かったのか悪かったのか。どうであれこの道を進むしかないのが人生なのだ。はっきり言っておきたいのは、僕にとって男性の作る像は一文の値うちもなく、女性の描く絵には魅力を感じるということ。現代アートと呼ばれるものの99%はクズだと僕は思っている。
2015年 2月 「ダラス・バイヤーズクラブ」
主役のマシュー・マコノヒーの演技に尽きると言っていい映画。オスカーも納得だ。酒浸り、女とドラッグ浸けのどうしようもない男が、エイズ治療で多くの人の役に立つ。こんな奇跡を説得力のある演技で見せてくれた俳優魂に、心からの賛辞を送りたい。これは助演のジャレッド・レトーも同じで、作り込まれた体と演技は、同じく素晴らしかった。
2015年 2月 「新しき世界」
さすがの韓国ノワールと各所で人気沸騰の作品だが、諸手をあげて賛同はしにくい。潜入捜査ものは流行りなのか、日米中韓、どこでも作られている。テーマはどれも同じで、「狭間に立つ者の苦悩」である。ところがこの映画、潜入捜査官を演じるイ・ジョンジェの演出に、ちょっと難がある。いつもあんな苦悩の表情ばかり浮かべていたり、しょっちゅう上司の刑事と会ったりしていたら、すぐにばれるだろう。それから、チェ・ミンシク演じる刑事はさすがの貫禄だが、真っ先に命を狙われるはずがそうならないのも非常に不自然だ。この映画評としてよく引き合いに出される、ファン・ジョンミン演じる幹部も、僕にはまったく腕利きの切れ者という風には映らず、ただ頭の悪いちんぴらにしか見えない。人情に厚くて魅力的というのはわかるけれど。いちばん大物感のあったパク・ソンウンの顛末もあっけなくて興を削がれた。てっきり彼との最後の対決がクライマックスになると思っていたのに。
2015年 2月 「スタンリーのお弁当箱」
こうした、いわゆる評判のいい映画をけなすのは気がひけるが、やっぱりどうしようもなくひどい映画だったと言わざるを得ない。冒頭、映画本編が始まる前に、各方面への謝辞が延々と映される。ようやくそれが終わったと思ったら、今度は非常に出来の悪いオープニングアニメを見せられる。まあそんなことより、映画本編の話だ。インドのとある小学校で、貧しいスタンリーはいつも仲間から弁当をもらっている。そこへ悪徳教師(この俳優が監督もやっている)がやってきて、弁当を持ってこない奴は学校へ来るな、と言う。この理由が酷くて、教師自身も生徒からいつも弁当を分けてもらっていて、スタンリーがいると自分が弁当をもらえなくなるから、だと! 結局それがばれて教師は学校を去り、実はスタンリーの家は貧しいけれど食堂をやっていて、コックが弁当を作ってくれるようになり、めでたしめでたし……という馬鹿な脚本。子供の可愛い笑顔さえ見せていれば映画になると勘違いした人達が、何ひとつ深いことは考えずに作った映画。目も当てられない。
2015年 2月 「ブルージャスミン」
安心して見られるウディ・アレン印。オスカーを獲ったケイト・ブランシェットの熱演は素晴らしいし、妹やその夫の、けっして幸せになれないキャラクター造型もばっちり。いつものいじわるな展開で、いやあな気持ちにさせてくれる。楽しい気分になる映画じゃないのに、なぜかずっと見ていたい気持ちになるのが不思議。
2015年 2月 「華麗なるギャツビー[1974年版]」
小説を読んでも、2013年のディカプリオ版を見ても、1974年版の本作を見ても、何が面白いのか、さっぱりわからない。こうした物語は、日本人に一番ぴんと来ないものなんじゃないだろうか。誰に感情移入できるわけでもなく、偉業を成し遂げるでもなく、たいしたドラマがあるとも思えない。映像の美しさ、馬鹿馬鹿しいまでの豪華さが頼りなのかもしれないが、見ていて楽しい瞬間がほとんどなかった。
2015年 2月 「陽のあたる場所」
中盤までは面白く観られるのに、ちょうど半分を過ぎたあたりから急に失速し、尻すぼみに終わる。エリザベス・テーラーは確かに美しいけれど、内面からわき出るものがないから陳腐に思えてしまう。この監督には、サスペンスをきっちり作り込む力量がないように思う。
  
2015年 1月 「ゼロ・グラビティ」
昨年IMAX-3D版を劇場で観たものを、今回はテレビ放送で(もちろん2D版を)観た。劇場で観た迫力には遠く及ばないが、それでも充分に楽しめた。ということは、内容的にも見応えがあったということだ。テレビ画面で観てさえ息苦しくなるほどの切迫感、臨場感は、巧みな演出によって施されている。90分ほどの短い映画で、しかも登場人物はたったの2人。それでもこれほど豊かな作品に仕上がるのだと驚嘆させられる。
2015年 1月 「迷子の警察音楽隊」
6年ほど前に観たものを再見。前回以上に楽しめた。僕の好きなアキ・カウリスマキ監督の作風に近く、何も起こらないのに、いつまでも観ていたくなる。どのシーンにも人間への愛情とユーモアに溢れているからだろうが、これはなかなか言語化しがたく、映像作家としてのセンスとしか言いようがない。特に、主人公と女性店主との、恋愛には到達しないものの明らかに「男と女」を感じさせるやりとりが、もどかしくて愛おしい。人生を賛美したくなる、とてもいい映画だ。
2015年 1月 「汚れた血」
ボーイ・ミーツ・ガール」に続いて観たレオス・カラックス監督作品。前作よりもストーリー性が高いぶん、見やすくはある。犯罪映画、仲間同士の抗争を巡る物語、恋愛物語など、いくつかの側面はあるものの、本質は青春映画だろう。だが、映画のこうした要素を一気に振り払うかのような、狂おしく美しいジュリエット・ビノシュに、全てを持っていかれる。
2015年 1月 「ケイン号の叛乱」
前半部分はやや冗長にも感じたが、後半一気に見せ場が増えて引き込まれる。狭い船内での人間関係、そして最後には見事な法廷劇で幕を閉じる。月並みだが、役者陣が本当に素晴らしい。ハンフリー・ボガートは、僕は一つも格好いいとは思わないが、こうした悪役は本当に巧い。副長のヴァン・ジョンソン、弁護士のホセ・フェラー、小ずるい通信長フレッド・マクマレイまで、個性あふれる役者陣を観ているだけでも飽きない。映画のいい時代だなと思う。
2015年 1月 「LIFE!」
この人が画面に出てくるだけで映画の格が二段ほど落ちるように感じる俳優が僕には二人いて、そのうちの一人がベン・スティラーである。(もう一人は、非常に申し訳ないけれどもロビン・ウィリアムズ。)
 ところが、本作は非常に楽しめる映画になっていた。ベン・スティラーがいつものしょぼ臭い感じを潜め、真摯な好男子の雰囲気をうまく出していた。めくるめく大冒険は、やや突っ走り過ぎてもうちょっとじっくり見たい気もするが、悪くない。劇場で見ればもっといい評価になっただろう。最後のオチは、引っ張った割には予想をくつがえすに足りないけれど、心が温かくなる素敵な作品であることに異存はない。
2015年 1月 「虹を掴む男」
ベン・スティラー監督・主演作「LIFE!」の元ネタ。相当昔の映画なのに、映像も綺麗でしっかりとした映画だった。ただ、堂々たるルックの割に、テンポがゆったりしていて、お騒がせキャラの主人公がやや嫌みに映る節も見られるのがマイナス。それでも、気楽に楽しめるという点では立派なファミリー映画だともいえる。ダニー・ケイはたいした役者だ。
2015年 1月 「蜘蛛女のキス」
戯曲を映画にした典型のような作品。二人の囚人の会話が3分の2ほどを占めるだろうか。ゲイの男が、同室の囚人に、自分の観た映画について語る。地味な展開が続くが、ラストシーンの美しさにはしびれた。
2015年 1月 「マトリックス」
今になって初めてこの映画を見た。特撮については、15年前の作品のためさすがに見劣りするのは否めないけれど、映画のルックとしては申し分のない出来映え。まだこの一作目を見終わった段階なので、内容については三部作全てを見てから語りたいのだが、次を期待するに充分なものに仕上がっている。キアヌ・リーブスがちゃんと格好良く撮れているのも素晴らしい。
2015年 1月 「お熱い夜をあなたに」
あまり知られていない作品だけれど、さすがにビリー・ワイルダー監督作だけあって、おしゃれで可愛い作品に仕上がっている。ジャック・レモンの安定した演技に、ジュリエット・ミルズという奔放な存在感が加わって、映画に活力を与えている。お茶目でしつこくないお色気シーンも微笑ましい。地味な作品ながら、僕はすごく気に入った。
2015年 1月 「バックコーラスの歌姫たち」
有名歌手の陰に隠れたバックコーラスの女性たちに焦点を当てたドキュメンタリー。長編ドキュメンタリー部門でアカデミー賞を受賞した。数名の女性シンガーが登場し、その実力の割にいかに酷い扱われ方をしてきたかが描かれる。彼女らの歌の巧さは相当なものだが、誰かのバックコーラスであることと、ソロになって自分がスポットライトを浴びることとの間には、近いようで大きな隔たりがあるのだと知らされ、人生の過酷さを突きつけられる。描かれる対象が数人に渡っているのが散漫な点、それから、当初抱いていた内容から全くはみだすことなく終わる点において、映画としてはやや物足りない印象。
2015年 1月 「陸軍」
戦時下において戦意高揚を目的として作られた、プロパガンダ作品。そう思ってあまり期待せずに観たら、さすがの木下恵介監督、ちゃんと一作品として見応えのあるものに仕上がっていた。有名なラスト、母親が戦地へ赴く息子を見送るシーンでは、静謐さと興奮の入り交じる演出で人の心の複雑ささえも表していた。そこばかりではなく、他のどの場面においても、画面の中でしっかり息づく人間が動いていて、あまりの自然な仕草やセリフに、胸を衝かれることが何度もあった。
2015年 1月 「天使にラブ・ソングを2」
これは楽しい。駄目な生徒達が歌によって自らの価値を見いだし成長していくという、王道を一歩も外さない作品だけれど、しっかり楽しめるいい映画だと思う。ローリン・ヒル、ジェニファー・ラブ・ヒューイットというスターを生み出したのがこの映画だったのを初めて知った。シスター役のキャシー・ナジミー、ウェンディ・マッケナは一作目でも大好きだったが、今作にもひきつづき登場してくれて嬉しい。
2015年 1月 「ロボコップ[2014年版]」
これは駄目だ。あらすじをなぞるだけの展開、その割にチャカチャカ進んでわかりづらいストーリー、とても出来の悪いCG(全部が悪い訳ではないが、あまりに酷いシーンがいくつかあるため、印象が最悪となる)などなど、良いところが一つも見つからない。そもそも、戦闘用ロボットが実用化された時代設定で、アメリカだけはロボットが禁止されており、それを覆すために半分人間のロボコップを作る、というアイデアに無理がある。主人公はいつでも簡単に殺され得るのに殺されず、研究者はもっと簡単にロボコップを操作できるはずなのにそうしない。ご都合主義わんさか盛りで、前作への敬意も、映画に対する愛情やセンスも感じられない。
2015年 1月 「華麗なるギャツビー[2013年版]」
僕の嫌いなタイプの映画。はったりばかりの映像を取ったら、後に何が残るのだろう。しかもCGの出来が悪い(なんであの程度の映像で良しとするのだろう)とくれば、褒められる要素がどこにあるのか。そういえば、同じバズ・ラーマン監督の「ムーラン・ルージュ」も大嫌いな作品だった。
 ディカプリオの演技は、下手とは言わないが、観ているあいだじゅう、「ああディカプリオだなあ」という思いが晴れない。良くも悪くも、アクが強すぎるのだ。最近は、金持ちクソ野郎の役ばかりで、見終わってしばらくしたら「ウルフ・オブ・ウォールストリート」と区別がつかなくなってしまう。
 ヒロイン役のキャリー・マリガンも、「ドライブ」ではとても可憐だったのに、本作ではさして綺麗にも魅力的にも見えない。
2015年 1月 「君よ憤怒の河を渉れ」
高倉健主演で、申し訳ないけれど褒めどころのない映画。これだけの豪華キャスト陣がテレビの2時間ドラマにしか思えないチープな映像づくり、まるで説得力がなくて失笑するしかないストーリー、漫画のようなキャラクター、雰囲気ぶちこわしで噴飯もののBGM。まあ、ヒロイン中野良子が命を狙われるシーンでの“クマちゃん”が、この映画の象徴だろう。この佐藤純彌という監督は、丁寧に作ればそれなりの作品になるべき素材を、荒唐無稽が過ぎてちゃんちゃらおかしいレベルにまで持っていってしまうのが得意らしい。「人間の証明」がそうだし、名作と言われている「新幹線大爆破」でさえ僕にはまったく頂けないバカバカ映画だった。
2015年 1月 「恋人までの距離<ディスタンス>」
うんうん、これが映画だ。派手な展開もCGもいらない。出てくるのは二人の男女だけ、彼らのやりとりが延々と続くだけ。それでも1時間40分、濃厚な時間を過ごすことができる。これが映画だよ。素晴らしい。でも、淡々とした展開でやっぱり詰まらない映画もあるから、それとの違いが何なのか僕もよくわからない。
2015年 1月 「母なる復讐」
2012年の韓国映画。まったく内容を知らずに見始め、序盤のいかにも韓流ドラマ風のゆる〜い展開にがっくりきていたら、途中から急に背筋が伸びたようにエッジの効いた見せ場が続くので驚いた。こんな陰惨な作品だとは思わなかった。母親の復讐が手ぬるい(簡単に即死させてしまう)のが映画的に不満というネットの評判にはうなずけるものの、それこそ現実の復讐劇としてリアリティがあるのかとも思う。恨みの念を抱いたからといって、そうそう残虐な殺し方が普通の人にできようはずはない。
 少女に対するあの仕打ちは万死に値するもので、観ているだけで怖気だち、心底、犯人たちを憎いと思ってやりきれなかった。韓国の少年法は日本の影響を強く受けているらしく、法に対する疑問は日本とまったく変わらないようだ。個人的には、15歳以上はもう大人と同じ刑罰を与えることでよいと思う。もちろん、誰かに教唆されたり脅されたりして犯す場合を強く考慮に入れながら。