悲しい別れ
ロジェ2003年をふりかえった時まず思い出すのは、1月早々に階段から落ちて骨盤骨折をしたこと。それと12月に17年間一緒に暮らした我が家の愛犬ファラが息をひきとったこと。
前者の痛みは少ないけれど、私の人生の約半分を一緒に生活してきたファラの死は2004年となって新しい年になっても1ヶ月程度ではまだ気持ちを切り替えられません。
この「おもちゃ箱」の原稿の中にも時々登場しているファラはシェットランド・シープドッグのメスでした。
シェットランド・シープドッグといってもイメージしにくい方もいらっしゃるかもしれませんが、映画「名犬ラッシー」に出ているコリーの小型のもの…といったらわかりやすいでしょうか。
私がやっと歩き始めた頃、我が家にはこの名犬ラッシーと同じ大きなコリー犬がいたこともあります。我が家のコリーは「ラッシー」ではなく、「ラッキー」でしたけど。
でも、映画の中のラッシーに負けず劣らずラッキーもかなりかしこい犬でした。
チョコチョコと危なっかしい歩き方の私のお散歩の時には、このラッキーがちゃんと車道側を歩いてくれます。また、反対側の側溝の方に私が近づくと自分の体を私と側溝の間に割り込ませ、私が落ちないようにしてくれます。他にも私が危ない方に近づこうとしたりすると、後ろから私の服を噛んでストップさせたりもしてくれたそうです。
そんなラッキーを一番可愛がっていたのは、その頃まだ健在だった祖母でした。
私はほとんど覚えていないのですが、祖母が1週間弱の少し長い旅行に出かけた時ラッキーの調子が悪くなりました。ずっと食事もせず、ほんの少しの水を飲むだけであとはずっと横になったままでした。大好きだったミルクや高めのお肉を買ってきても全く口をつけようとしません。
そんな日々が続き、やっと祖母が旅行から帰って来て「ただいま」と玄関でその声を聴くと、大きな体を起こし祖母の前までまるであいさつをするかのように歩いて行ったのです。
そしていつものように頭を撫でてもらい、もう一度家の奥まで戻り、自分の住んでいたところを確認した後、再度祖母の前まで行きそこでバタンと倒れてしまいました。
これが、ラッキーの最後でした。
この別れがあってから我が家ではもう犬は飼わない…という暗黙の了解がありました。
しかし、私が失明する寸前、母の友人がずっと家にいる私のためにということでファラをくださったのです。
ファラのお母さんである「アイちゃん」という犬はとても母性本能のある優しいワンコだったようです。
このアイちゃんの家には、アイちゃん以外にもウサギや小鳥なども一緒に住んでいたようです。
アイちゃんはウサギがふんをすると「ワンワン」と吠えて知らせたり、鳥のひなを自分のあたたかい胸に抱いて寝たり…と、本当に優しい犬だったようです。
そのアイちゃんの血をひいたのか…、ファラもとてもおだやかで優しい犬でした。お散歩に行っても自分から他の犬に吠えるようなことはなく、玄関先で首輪のはずれた小さな犬にとびつかれ足を噛まれた時でも、自分の足からは血がにじんでいるのにその小さな犬にとびかかるようなこともしませんでした。
生後2ヶ月ほどで我が家に来たファラは「ワンッ!」とも吠えず、『これで番犬になるのかしら…?』と心配しましたが、それは最初の数ヶ月の間だけで玄関先の靴音を聞いただけでも吠えるようになりました。
散歩に出た時などにはまったく吠えないのに、自分のテリトリーである裏庭をねこが通ったり、カラスが上空を飛んだりするとそれはそれはものすごい勢いで吠えるのです。挙げ句の果てに飛行機に向かっても吠えていました。
生後1年くらいはとてもやんちゃで、スリッパは何足もかじられ、こたつの足やテレビ台などの木製のところは歯がたてやすいこともあってボロボロにされました。でも、それは歯が生えてくる時のむずがゆさを緩和するためのものだったようで、きちんと犬歯が揃う頃にはあちこちかじることもなくなりました。
トイレも我が家に来て1ヶ月程度で覚えてくれたので助かりました。しかし、この頃、すでにほとんど視力のなかった私は何回か足の裏に嫌な感触を味わう体験をさせてもらいました。
ファラが1歳を少し過ぎた頃、私が2,3週間入院することがありました。
うちはその頃4人家族でしたが、それぞれ仕事や学校があったためファラは昼から夕方、ある時にはもっと遅くまで一人で過ごさなければなりません。
今までは私がいたのでそんなに長い時間のお留守番が何日も続くようなことはありませんでした。しかし、私の入院で急にお留守番が増えてしまったのです。
私が病院から家に電話をした時受話器をファラに向け話しかけると、私が近くにいるのではないかと思い、2階の私の部屋や洗面所など家のあちこちを見に行くのです。
やっと私が退院して来た時には玄関をあがったところで私のひざの上にしっかりと座ってしまってしばらくの間離れませんでした。きっと私がまたどこかに行ってしまわないように押さえつけていたのかもしれません。
このことがあってから急に甘えん坊のワンコになってしまいました。
いつも私のあとをついて回り、狭いのにシングルベッドで一緒に寝ていました。
ファラは元気な犬で、多少のケガで獣医さんのところには行ったことがありますが病気はまったくしませんでした。
そんな元気なファラも12歳を過ぎた頃から老化が始まりました。
昨日まで上り下り出来ていた階段が急に上れなくなってしまったのです。自分は私のあとを追いかけていつものように階段を上がろうとしたのですが、2,3段上ったところでズルズルっと下がってしまうのです。
ファラ自信自分に何が起こったのかよくわからないようで、ポカンとした感じでした。それから数回試みたのですがやはりダメで、ようやくファラも自分はもう階段は上がれないんだ…と納得したようでした。
私が自分の部屋に行くために階段を上がっていくと後ろから恨めしそうに私を見上げていました。
自分が下で寂しくなると階段の段をカリカリとひっかいたり、2階の私に向かって「ワンワン」と吠えるようになりました。仕方なく私はパソコンを持ってリビングのテーブルでパソコンを使うようになりました。同じ部屋にいるというだけで安心するようで、私がそばにいれば自分はグーグーとお昼寝しているのです。
そんなファラを少し腹立たしくも思いましたが、可愛さの方が勝ってしまってなるべくファラのそばにいるように心がけました。
階段が上がれなくなった後視力が落ちたり、耳が遠くなったり、足腰が弱ってきたりといった老化現象はゆるやかに進んではいましたが、何年かはまだまだ元気で過ごしていました。
しかし、2003年9月の17歳の誕生日を迎える頃から立って歩くのもおぼつかないようになってきました。
我が家はフローリングが多く、これは犬にとってはよくないそうです。そのせいもあるのか…とも思いました。
その頃からトイレのため庭へ出るのに少しずつ介助が必要になってきました。
でも、まだこの頃の介助は体を起こしてあげたり、立つ時に腰を持ち上げたり、庭へ降りる段差の部分だけをだっこしてあげる…といった軽いものでした。
それが11月に入るととうとう起きあがれなくなってしまいました。上半身は何とか持ち上げるのですが、下半身は全く力が入らないようでした。
1日中寝たきりになると犬も筋肉がおちて骨ばってくるものなんですね。私が2月いっぱい病院にいて骨折した右足の方を動かさずにいたら、お尻から太股のあたりが細くなってしまったのと同じかと思いました。
でも、自分の意志を言葉では訴えられず、寝ているしかないファラを見ると骨ばった体は痛々しく見えました。
そして11月から12月に変わる頃、体が痛むのか夜中も吠えるようになりました。
獣医さんから神経痛といわれ鎮静剤も飲ませてはいましたが、夜中目が覚めて周りに誰もいないと心細くなるようで、それもあって吠えるようになったのかもしれません。
また、年をとると犬も夜中にトイレで目が覚めるようです。今までは両親が寝る12時頃にトイレをさせておけば翌朝母が起きる7時頃までは大丈夫でした。
しかし、この頃は真夜中の2,3時に起きるようになりました。
ですから吠えるといっても、神経痛で痛いのか、それとも一人で心細いのか、はたまたトイレに出して欲しいという合図なのか…、といろいろなパターンがあるわけです。
しかし、いずれにしても起こされることに代わりはありません。
12月になる頃には母が添い寝をするほどになっていました。
昼間は私、夜は母、休日は父…といった具合に家族で分担しファラの介護にあたりました。
可愛いとはいえ介護となると大変でした。ファラはやせたとはいえ15kgはあるので抱きかかえるのにもかなり重く、腰が痛くなったり息切れがするほどの肉体労働でした。おまけに寝不足です。
うちは祖父母と一緒に暮らしていましたが、人間は体力が弱ったり病気だと病院に入ってしまうため「介護」という経験はしませんでした。ただ、母が毎日病院へ通うため家事の方が大変だったのを覚えています。
ファラもそして私たちもそんな慣れない日々が10日程度過ぎ、ようやくペースがつかめてきた頃でした。
12月7日の日曜日、いつもの食欲がなく2回の食事も夜の1食、それもいつもの量より少なめの量しか食べませんでした。そして、夜はずっと眠らず、体が痛いのかずっと吠えずめでした。付き添っていた母が体をさすってやると少しは休むのですが、眠れるほどではなかったようです。
朝方少しおとなしくなり、母もほんの1,2時間ウトウトし、朝食の準備にとりかかるためひざに抱いていたファラを下ろし横にさせました。
母は寝不足のため眠いのに、わがままをいっていたワンコはスヤスヤと寝ているためちょっと腹が立ったそうです。
いつものように父が起きてきて、ファラの寝ている横にあるダイニングテーブルで朝食を終えた頃ファラの異変に気づきました。
私たちはすっかり寝ているものだと思っていましたが、ファラは眠っているかのように息をひきとっていました。
夜中はあれほどぐずっていたのに、とても静かな死でした。
人間ならこの後、お通ややお葬式となるのでしょうがペットの場合はこちらでダンボール箱を用意しそれに遺体を納め、八事の焼却場へと運びます。
ペットの場合は一体一体焼却するわけではないため骨をもらうことは出来ません。
お骨代わりに胸の部分の白い毛を一束切り取り、いつも使っていたタオルケットにくるみカサブランカとピンクのカーネーション数本と一緒にダンボール箱に遺体を納めました。
ファラが死んだとわかってからほんの数時間、まだ体にはぬくもりも残ったままの状態で箱に収め、お昼前にはもう八事へ運ばれてしまいました。私は八事へはついて行けずファラのいなくなったガランとしたリビングでボーッとしてしまいました。
今でも一人でリビングにいるとファラが横に寝ているのではないかと思い、手をのばして探してしまうこともあります。でも、もちろんその手がファラのあたたかさにふれることはありません。
広いリビングでもないのに、ファラがいないというだけでとても広く空虚な空間に感じてしまいます。
こんな状態がもう少し続くのかもしれません。
私が今回入院していた病室では整形外科でそれも体の自由がきかない患者さんが多いナースステーションの近くに入っていましたので、同じ病室になった方々は80歳過ぎのおばあちゃまばかりでした。
私にはすでに祖父母はいませんので、久しぶりにおばあちゃま方とお話しをさせていただきました。私のような者がこんなことを言うのはおくがましいのですが…、皆さんとても可愛らしい方ばかりでした。
しかし、体はどうしたって年を重ねれば不自由なところが多くなります。目が見えにくかったり、耳が遠かったり…。それに対応能力がおちていたり…と。
それは仕方のないことで誰もが年をとればそうなるものなのですが、やはり一緒に生活するとなると家族は大変なようです。看護を仕事としている看護し士さんでもイヤな顔をされることもあるくらいですから家族という身近な者だけにお互いわがままが出るのかもしれません。
人間と犬を一緒にするわけではありませんが…「老い」というものを身近にまざまざと見せつけられたような気がします。
自分がこれから両親の老いをみる時…、そして自分が老いる時…私は体力・精神面ともにどこまで自分を律し、つき合っていけるか…などといろいろなことを考える機会を与えてもらったような気がします。
でも、自分の体が自由にならない入院とファラの死はとてもいい経験だったと思っています。
2004年はとにかく健康には注意していきたいと思っています。
そして、穏やかな1年であればいいなぁ…と思っています。